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31.協調と前進(5)


 

「それで、ウチに話ってなに?」


 明朱花が中学の時と変わらぬ明るい声で尋ねる。


 夕飯とお風呂を終えた愛音は、自分の部屋の椅子の上で、明朱花に電話をかけていた。


 部活から帰った後、愛音は明朱花に本当のことを話す決心をしたのだ。親友の明朱花にだけは嘘をつき続けたくなかったから。


「実はあたし吹部やめたんだよね。それで今はジャズ研究会っていう部活に入ってそこでトランペットを吹いてるの。ジャズってすごいんだよ。すごく自由にトランペットを吹くことができるんだ。楽譜に書いてあるのはコードだけ。信じられる? 吹部とは大違い。今、すごくジャズをするのが楽しいの。それで……」


 息を吸う間もなく、話し続ける。


 こんなに捲し立てて話したら、後ろめたいことがあるって思われるに決まっているのに、それでも早口になってしまう。なんでかわからないけど、一言で言い切らないといられなかったのだ。話すだけで、恥ずかしい。居た堪れない。顔から火が出てきそうだ。


「ちょ、ちょっと、愛音落ち着いて!」


 ほら、言わんこっちゃない。明朱花が慌てて止めに入るのは、目に見えてたでしょ。


 自分の言動にイライラする。イライラしても、この瞬間は続いていく。


「……ごめん」


 愛音の声が小さくなる。


「謝らなくていいよ。ほら、深呼吸。愛音は相変わらずせっかちなんだから」


 電話越しに笑っている声が聞こえる。明朱花は優しい。気配りができる子だ。だから、きっと、今も愛音の居た堪れなさに気づいて、優しい言葉を投げかけてくれているのだろう。


「ん、ありがとう」


 明朱花の心配りに感謝しながら、愛音はふっと息を吐く。それから、ゆっくりとジャズ研に入るまでの経緯を明朱花にかいつまんで話した。


 百合蘭吹奏楽部の空気に馴染めなかったこと、退部した後、二ツ森奏真という先輩にトランペットの腕を見込まれてジャズ研に勧誘されたこと、ジャズ喫茶でジャズに魅入られたこと、そして、ジャズ研に入ったことを、順序立て話す。自分の実力のなさを痛感したことや、トランペットと絶縁したことなどの都合の悪いところはひた隠しにして。


 明朱花は時々相槌をうちながら、黙って聞いていた。何を考えているのか、愛音にはわからない。


「そっかぁ……。吹部、やめちゃったんだ」


 明朱花が惜しむ様に短く言った。


「うん」


「だから、ラインの返信もそっけなかったってわけか」


「それは、ごめん。言おう言おうと思ってたんだけど、言うタイミングを逃しちゃって……」


「全然だよ。ウチも『愛音イコール吹奏楽』みたいに決めつけてたところあるし」


「気を遣わせてしまって、かたじけない……」


「かたじけないってなんだ」


 明朱花の声に笑い声が混じる。心地いい。さっきまであんなに羞恥心でいっぱいだったのに、いつの間にか心の中は落ち着いている。何ヶ月も話していないと言うのに、中学の頃の距離感を思い出す。久しぶりの親友との会話は、悪くないと思えた。


「でも、よかった」


「うん?」


「愛音はまだトランペット、続けてるんだ」


「あ、うん。トランペット、好きだからね」


 トランペットが好き。これはもう胸を張って言える。


「そっか。よかった。ウチはトランペットやめちゃったから」


 あ、やっぱり? 明朱花は吹部を辞めて他の部活選ぶと思ってたよ。そう口から出かかったのに、思考がその言葉を止める。


 さっきとは違い、明朱花の声が消えそうな声になったからだ。泣きそうな声だった。


「ウチ、トランペットの才能ないんだって」


「え、なにそれ。誰に言われたの?」


「吹部の顧問と先輩たち。トランペットよりも、他の楽器が合うんじゃないかって言われたんだ。それで、いろいろ試してみたら、その、パーカッションがさ、すごく手に馴染んだんだ。なんでわかんないけど、これなら上手く出来そうって思って……それで、トランペットは辞めたの」


 惜しむような、慈しむような、優しい声音だった。


「三年間やってたトランペットを手放すのは寂しかったけど、それでも、ドラム、楽しんだよ。中でもスネアドラムが最高」


「明朱花にドラムの印象がないから、全然想像できないなぁ」


「でしょ? 意外と様になってるんだからね」


「いつか明朱花のドラム姿、見せてよ」


「もちろん」


「でも、そっかぁ。明朱花はまだ吹部続けてるんだね」


 感心の声を上げる。意外だった。明朱花は吹奏楽に執着をしていないように見えたから。


「うん。なんだかんだ、みんなで演奏するの好きだったし。ま、天下の百合蘭様と違って、弱々の遠山高校で、だけどね。今年は県大会にも行けなかったし。それでもまぁ、楽しいよ」


 電話越しなのに、明朱花がニッと笑う姿が想像できた。


 明朱花はやっぱりすごい。自分のいる場所を自分で見つけて、そして、その場所で輝くことができる人だ。いつか遠山高校での明朱花の音を聞きたいと思う。


「それはなにより。……それでさ、本題なんだけど」


「うん?」


「実は九月の最終の日曜日に、百合蘭の文化祭があるんだ。そこでね、あたしたちジャズ研が、演奏するの。それで、その……よかったら、明朱花も見に来て欲しいなぁって、思ったり……」


 話しながら、乾かしたての髪の毛を小指に巻きつける。髪の毛はしっかりと乾いていた。


「え! そうなん! それを早く言ってよ! 絶対、ぜーったい、聴きに行く! うわぁ、楽しみ……。ジャズなんてあまり聴いたことないからな。どんな演奏するんだろう。ほとんどアドリブで演奏するんでしょ? トランペットの上手い愛音にしかできないよね。なーんか、めちゃくちゃかっこいいんですけど」


 明朱花の弾んだ声に、ホッとする。つっかえていた何かが、すとんと胸に落ちた。


 吹部を辞めたことを、馬鹿にされてない。多分、本気で「かっこいい」と思ってくれてる…‥と思う。明朱花は本気で愛音がトランペットが上手いと信じてくれている。


 上手い信じ込まれる、というのは聞こえがいいが、信頼とは重いものだ。上手くしなくてはという重圧になる。だけど今は、その重さが心地がいい。


 才能がないとか、吹部で選ばれなくて可哀想だとか、下手くそだとか、価値がないとか、明朱花は一ミリも思っていない。ただただ、愛音の選択肢を尊重し、まっすぐな言葉で愛音を受け入れてくれている。


 そうだ。明朱花はそういう子だった。


 愛音の汚い部分も、気の強い部分も、負けず嫌いな部分も、プライドが高い部分も、全部包み込んで接してくれる、大切な大切な親友なんだ。


「あたしは、まだまだだよ。あたしなんかよりもっともっと上手い人がいるんだ。悔しいくらい、上手いの。だから、あたしも頑張らないといけないんだ」


 頬が上気しているのがわかる。明朱花の包容力に弱音と本音がポロリと漏れる。受け入れられた安心と高揚とがごちゃ混ぜになり、気持ちが昂っている。


「悔しいくらい、上手いって言えるだけでさ、すごいんだよな、愛音は」


 落ち着いた声だった。


「え?」


「ウチはさ、トランペットでもドラムでも、ウチより上手い演奏を聞いたところで、悔しいなんて思わないもん。きっと、愛音が本気でトランペットに向き合ってるから、悔しいんだよね。うん、愛音らしいなぁ。……いつかプロになる人って、きっと、愛音みたいな人なんだろうな」


「なに言ってんの。明朱花は買い被りすぎだよ。百合蘭の吹部の人たちってマジで上手いんだから。百合蘭の演奏聴いたら、あたしのトランペットなんて大したことないんだってわかっちゃうよ」


 茶化したように、笑う。重くなりすぎないように、さらりとした息遣いで。


 そうだろうか。本気で向き合ってるから、悔しいんだろうか。あたしは一度、逃げた身なのに、本気だって認めていいんだろうか。


 心臓がドクンと大きく鼓動を打つ。


「お、愛音が自分を卑下するなんて珍しい! やっぱ、百合蘭吹部の皆様は、本当に上手い人たちばっかなんだね。みんな生まれながらに天賦の才が授けられた、みたいな。いやぁ、羨ましい限りです」


 あれ?


 妙な違和感が胸を掠める。明朱花の物言いがどこか卑屈に感じたのだ。あっけらかんとして、素直に笑う明朱花。これが愛音の知っている明朱花だ。電話越しにいるのはそんな明朱花じゃない。上手く言えないけど、明朱花の言葉に、誰かの顔色を伺うような、へつらうような、なにか暗い闇のようなものを感じたのだ。


「姉ちゃーん。電話まだ終わんねぇの? 俺そろそろ部屋で宿題したいんだけど」


「もう少し待ってー! てか、宿題ならリビングですればいいじゃん」


「テレビの音うるさいからやだよ。姉ちゃんがリビングで電話すればいいだろ?」


「プライバシーがあるので嫌ですう」


 電話越しに明朱花の弟、朝陽(あさひ)くんの声が聞こえる。たしか、明朱花とは三歳差で、今年中学生になっていたはずだ。


「朝陽がうるさくてごめんね」


「いいよいいよ。ごめんね、夜の忙しい時間に電話したいなんて言ってさ。話聞いてくれてありがとう」


「ううん。こちらこそ。話せて嬉しかった。定期的にさ、一緒に電話しよ。ていうか、普通に遊びに行こ」


「いいね。遊ぼう遊ぼう。むしろ、なんで今まで遊んでなかったのって話だよね」


「それ」


 楽しい。愛音たちはコロコロと笑い合う。不意に中学の校舎を思い出した。ベートーヴェンやモーツァルトなどの偉人が飾られた茶色の音楽室で、明朱花と笑い合う日々が脳裏に浮かぶ。


「ごめん。朝陽がうるさいから、そろそろ切るね。うわぁ、もっと愛音と話してたかったな」


「あたしもだよ。絶対また、連絡するから」


「頼むー! ウチもまた連絡する!」


 それじゃまたね、と言う明朱花の声には、もう暗みはなかった。


 ブツリ、と電話が切れる。


 束の間の静寂。電話が切れた瞬間のこの静寂がたまらなく寂しいと感じるのは、なぜなんだろう。愛音はラインのトーク画面を見つめる。


「あ、いけない。演奏時間と場所、伝え忘れた!」


 愛音はテキストボックスに文字を打ち込む。電話のお礼と、演奏の詳しい時間帯と場所。すぐに既読がつく。明朱花からの返信は絵文字がたくさんでカラフルだった。




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