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28.協調と前進(2)



「アイツらは天才だよね」


 ある日の帰り道、ぼそりと呟いた久島先輩の声は真っ赤に染まった空に消えていく。


「え?」


「奏真や律斗や平柳のことだよ。アイツらは天才だ」


 あたしは? あたしは天才じゃないんですか?


 そう冗談めかした聞きたかったけれど、駅へ向かう途中の二ツ森先輩と律斗の背中を見つめる久島先輩の顔が、今にも泣きそうに歪んでいて、キュッと喉を塞いだ。


 夏の夕暮れはまだまだ暑いのに、この空間だけしんっと澄んでいるような気がした。


「正直、オレみたいな凡人は何時間も練習に打ち込むことなんてできないし、アイツらみたいな向上心はない。どうしたら上手くなるか、じゃなくて、どうしたら手抜きできるかってことばっかり考えてる」


 久島先輩の視線が、愛音に向く。愛音はサッと目線を下に逸らした。地面の影が伸びて、前を歩く二ツ森先輩と律斗に届きそうだった。


「時松さんはさ、いつも何を考えてる練習してるの?」


 想定していなかった問いかけだった。下を向きながら、考えて言葉を出す。


「何を考えて……って言われると、難しいですね。いつも思うのは、自分はなんでこんなに下手くそなんだろうっていう劣等感ですかね。それを払拭するために、練習しなきゃ、って気持ちになります」


 愛音は考えながら、口にする。視線はいつの間にか前に向いていた。


 上手くなりたい。


 これが愛音の行動原理だ。愛音のトランペット技術は鳥の雛のようにまだまだ未熟だ。練習量だって、かのん先輩の半分にも満たない。


 だからこそ、もっと頑張らねば、と思う。自分で出来る最大限のことをしたいと思う。


 と、思いつつ、気持ちに行動が伴っているか、と言われれば否ではあるけど。


「なるほどね」


 久島先輩が頷いた。


「時松さんも天才の側の人間なのかもね」


「いや、なに言ってるんですか。あたしは天才側じゃないですよ。凡人側です。久島先輩はあたしが凡人側だって思ってるから、この話をしてるんですよね? ていうか、あたしからしたら久島先輩の方が天才だと思うんですけど」


 自分の感じたままをさらりと口にする。お世辞やおべっか、嫌味などではない。本当に思っていることだ。


 ジャズ研の人たちといるのは心地いい。無理して気を使わなくてもいいし、ありのまま思ったことを口にしても、誰も嫌な顔をしない。馴れ合いでも、無頓着でもない。お互いがお互いを尊重し合っている環境に、愛音は居心地の良さを感じていた。


「久島先輩、アドリブが上手じゃないですか。それに、ジャズの知識だって誰よりもありますし」


「アドリブが上手なのは、ずっと奏真に演奏を付き合わされてたから。知識があるのは、親がジャズ喫茶を営んでるから。それに、アドリブだって上手いように見えるけど、正直、今が打ち止めって感じする。限界っていうのかな。作品理解や知識なんてものは、勉強すればみんな身につく物だしね」


 背筋をまっすぐに伸ばしながら、久島先輩は話し続ける。ネガティブなことを言っているのに、決して悲観的ではない。きっと、久島先輩は自分自身が天才じゃないことを上手に受け入れているのだ。


「俺はさ、暗記することや、知識をつけることはすごく得意なんだよね。好きだから、それに時間を割くことができる。でも、音楽に関しては、どうも弾き続けるってことが苦手でね。最初は楽しくできてても、すぐに飽きちゃうんだよね」


「あたしからしたら、知識に時間を割けることがすごいですけど」


「あはは。かもね。そう考えると、俺は勉強する才能があるのかもしれないね」


 久島先輩が笑顔を作る。その表情はいつもより幼く見えた。


「あるものを好きになる。そして、それに熱中して時間を割いたり、技術力をつけるための行動をしたりできることも、才能なんだって思うんだよね。つまり、努力ができるってことも才能ってこと」


「だから、二ツ森先輩もかのん先輩も律斗も天才だって言いたいんですか?」


「うん。アイツらは音楽のことしか考えてない。俺にはできないことだよ。俺は音楽に関して、どうやったら手を抜けるか、とか、どうやったら上手に見られるか、ってこと考えてやってんだから。そりゃ、どうせやるなら上手くなりたいけど、高みなんて目指せないことは自分がよくわかっているからね。それに俺は叔父さんみたいに音楽で食ってこうなんてなんて、これっぽっちも思ってないし」


 諦めたとも、開き直ったとも違う。自分の実力を客観的に把握して、達観している。そもそも、久島先輩は、ジャズに、コントラバスに、強い思いやこだわりがあるわけじゃないのかもしれない。


 あたしはどうだろう。


 好きだからやるって決めた。だけど、できるから、高みを目指したい。本音を言えば、天才だってもてはやされたい。以前よりは減ったが、才能というものに執着したくなる。


 あたしは一体、これからどうしていきたいんだろう。


「あぁ、ごめん。話したいことだけ話して、なにが言いたいかわからなくなってたね。……奏真の癖が移っちゃってんな」


 愛音の考え込んだ顔を見て、久島先輩が自嘲気味に笑う。


「つまり、俺が言いたいのは、アイツらみたいな狂人と同じようにできなくたって、自分を責めなくたっていいってこと。 アイツらは本当にイカれてる。技術もだけど、練習量も。だから、時松さんはアイツらみたいにできなくても何ら問題ないんだよ。追い詰められることないからね」


「いや、あの、あたし、別に追い詰められたりしてないですけど」


「えっ、そうなの?」


「はい」


 二ツ森先輩が愛音が吹奏楽部を辞めた理由を久島先輩に話したのだろうか。いや、二ツ森先輩はノリは軽い人だが、口が軽そうには見えない。


 おそらく、練習中にいつも愛音が険しい顔をしていたのが原因だろう。


 セッションの時、上手く音を合わせられないのだ。まだタイミングじゃないのに、思いっきり音を出してしまったり、弾いている途中今どこにいるのか、何のフレーズなのかわからなくなってしまう時もある。


 その度に愛音は自分の実力のなさに苦しくなる。痛くなる。叫び出したくなる。険しい顔をしてしまう。


 だけど、吹奏楽部の時とは違って、前向きな苦しさだ。好きだから、もっと上手くなりたい。好きだから、自由に音を飛び回らせたい。好きだから。


 故に、久島先輩が思うように、首を絞めたくなるほど、トランペットを辞めたくなるほど追い詰められているわけじゃないのだ。


「そっか。いや、俺、だいぶ早とちりしちゃってたね」


 久島先輩が言う。愛音はブンブンと首を振って、夕陽に染まる久島先輩の小さい顔を見上げていた。


「いやいや。久島先輩の言葉、心に沁みましたから。かのん先輩の練習量がすごすぎて、自分に不甲斐なさを感じていたところでしたし」


 久島先輩が愛音を見下ろす。


「うん、わかる。アイツの練習量は異常」


「ですよね。……だけど、あたしは追いつきたいって思います。あたしは才能がないのかもしれないけど、でも、トランペットが好きだから。好きだから、上手くなって、それで、トランペットと一緒に歌を歌いたいって、そう思うんです」


 愛音はにやりと笑った。


「どれだけ下手だと思っても、どれだけ才能がないって思っても、吹きたくって、どうしようもなくなる……。その感情だけが、今、あたしを突き動かしてるんです」


「……そっか、そうだね」


 久島先輩が長い息を吐いた。


「俺は自分の出した音がみんなの音と調和する瞬間が好きだから、奏者を続けてるのかもしれないな」


 その声はほとんど独り言のように小さかった。




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