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23.表現方法の違い(1)



「えっ、嫌だよ」と、愛音は訝しんだ。訝しみ、眉間に皺を寄せ、たずねる。


「これから、律斗って呼べってこと?」


 そうだと江幡が頷く。


 愛音の眉間の皺が深くなる。江幡もそれに釣られてか、無表情だった顔を顰め、語気が強くなる。


「なんで気持ち悪いものを見るみたいな目で僕を見るわけ?」


「だって、いきなり下の名前で呼んでほしいとか、意味わからないし、どういう風の吹き回しかなって」


 愛音は思っていることをストレートに伝える。


 夏休みに入ってすぐ、まだそこまで仲良くなっていないというのに下の名前で呼んでほしいだなんて、この男はなにを考えているのだろうか。


「僕、江幡って名字嫌いなんだよ。あんましっくりこないっていうか、『ば』の濁音が汚くてスタイリッシュな感じがしないだろ? だから、出来れば名前で呼んでほしいんだよね」


 江幡の眉間の皺は解消され、何事もないように言った。


「ちょっと、全国の『エバタ』さんに失礼じゃない?」


「それは失敬。エバタって名字が悪いというか、僕に似合ってないと思ってだけで他意はないよ。まぁ、そういうことだから、律斗って呼んでくれよ。僕も時松さんのこと、愛音って呼ぶからさ」


「は? 無理無理無理! 江幡と名前で呼び合ったらどうなると思う? ただでさえ一組の女子に変な噂流されてるのに、もっと変な噂されちゃう!」


「噂? なにそれ」


「…‥アンタ、モテ男のくせにそういうのには鈍感なんだ。江幡のいるジャズ研に入っちゃったせいで、あたしは女の子たちに嫌われちゃったの。『律斗くんを追いかけてジャズ研に入ったクソ女』とか言われてるんだから」


「なにそれ。時松さんが僕についてくるなんて、絶対そんなわけないのにさ」


「江幡だって最初は、わたしがアンタのこと好きでついてきた、と思ってたくせに」


「それ、は……そうだけど」


 江幡の目が泳ぐ。初めて出会った頃に悪態をついたことをまだ気にしているのだ。そういう素直なところは、少し可愛いと思う。


「とにかくさ、僕は江幡って呼ばれたくないわけ。江幡って呼ばれるたびに、胸がざわつくというか、僕の名前じゃないって感じるというか……とにかく嫌なんだ。だから、頼むよ。この通り!」


 江幡が頭を伏せ、ほとんど九十度の角度で体を曲げる。真昼の誰もいない昇降口、美少年が頭を下げる姿は妙に目立った。同級生の女子がいたら、後々叩かれること間違いなしだろう。


 愛音は手をあたふたさせながら、口を開く。


「ねぇ、やめてよ。顔あげて。もう、ジャズ研の人たちはなんでこう、強引な人が多いのかなぁ……」


「頼む! この通り!」


「前にあたしに謝った時より、頭下げるじゃん。……はぁ。わかったって。部活の時だけは律斗って呼んであげる。他の時は呼ばないからね」


「まじ? 全然それでいい! さんきゅ、愛音!」


「は? え? なんであたしの名前まで?」


「だって、僕だけ下の名前で呼んでもらうのは、不公平じゃん?」


「意味わからんし。時松でいいから」


「いいや。僕が愛音って呼びたいから、愛音って呼ぶよ」


 こりゃ、天性のモテ男だ。


 愛音は深くため息をついた。顔が良くて、イケメンで、可愛らしくて、しかも、ある程度仲良くなったら下の名前で呼び合いたいという。こんなことされて、惚れない女がいるだろうか?


 いや、あたしは絶対惚れないんだけども!


 心の中で否定する。だけど、誤魔化さずに言えば、律斗に愛音と呼ばれて、心がきゅんっとしたのも事実だ。


 よくない。実によくない。


 愛音はきゅんっと跳ねてしまった心臓から気を逸らすように、早足で昇降口から外に出る。真夏の灼けるような日差しが、愛音の手足をじわじわと痛めつける。 暑すぎて呼吸するたびに、肺が苦しい感じがする。


 夏休みの部活は週に三から四回。大抵は午前から午後までみっちり練習するのだが、今日は二ツ森先輩が予定があるとかで、午前練だけで終わった。だから、帰路につく予定なのだけれど。


「おい、待てよ! 二人で平柳先輩のところに行くんだろ?」


 そうなのだ。今日は後輩二人でかのん先輩のお家にお呼ばれしたのだ。昨日の夜、


『ヤッホー! 愛音ちゃん久しぶり。元気にしてる? いつも声かけてくれるのに、なかなかジャズ研に顔を出せなくてごめんね。ピアノの練習がアホみたいに忙しくって。実はね、後輩二人に話したいことがあって……律斗くんと二人でわたしのお家に来てほしいんだよね。明日午後休なんでしょ? ねっ? おいでよ! あ、でも、二ツ森くんと久島くんには内緒で。あの二人についてこられたら困るし』


 という長文が送られてきた。なにか、あったのだろうか。かのん先輩はどちらかというと、短文のメッセージを送る人だ。だから、こんなに長い文章が送られてきたことに違和感があった。


 なにがあったのか、いくら考えてもわからない。わからないことは考えても仕方がない。愛音は律斗を誘って、かのん先輩のお宅へお邪魔することに決めたのである。


「先輩の家に遊びに行くのって初めてかも」


「そんなん、あたしだってそうだよ。にしても、あたしたちに話って一体なんなんだろうね」


「……嫌な話じゃないといいな」


 律斗は口調のトーンを半音低くして、言った。





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