22.ジャズ研と同輩と(5)
ホワイトボードの前に立った二ツ森先輩が、真剣な顔でジャズ研のメンバーを見ている。
「オレたちの活動目的はただ一つ! ジャズブームをこの学校、いや、日本中に広げること!」
『目標! 文化祭で部活部門大賞を取る!』とデカデカと書かれたホワイトボードを、手のひらでダンッと叩く。
「日本中って、大袈裟」
「そうですかね? 僕は夢はでかい方がいいと思いますが」
「律斗は奏真に甘いよなぁ。コイツ、すぐつけあがるから、優しい言葉はかけない方がいいよ」
「そこ! ミーティング中は喋らない!」
ホワイトボードのペンで指された久島先輩と江幡は、おとなしく口を閉じる。
「千里も道も一歩から。百合蘭高等学院ジャズ研究部は、文化祭で部活部門大賞を取ることを目標に、これから頑張っていきたいと思っております!」
「それも厳しいよね。部活大賞を取るのは毎年吹奏楽部だし」
「いやいや。だからこそ、大賞を狙うんだよ。その強豪吹奏楽部を倒せたら『ジャズ研すごぉい』ってなるだろ?」
「まぁ、たしかにそうだけど。でも、奏真は今のままで本当に大賞を取れると思ってんの?」
「そりゃ、まぁ……ほんの少しは?」
大賞を取ることが困難なことをと自覚しているのか、二ツ森先輩の顔が曇る。二ツ森先輩は猪突猛進に見えて、割と客観的に自分たちの立ち位置を把握している。愛音がジャズ研に参加するようになってわかったことだ。
久島先輩が軽く肩をすくめる。
「ほら。奏真もわかってるんじゃん。吹部に比べて練習量は少ないわ、実力が足りないわ、で負ける要素しかないだろ。まぁ? 平柳がいればどうにかなるかもしれないけど、アイツはほとんど部活に来ないし」
「平柳に関しては、オレが口説いて頑張る! それか、時松さんに頑張ってもらう」
「へ? あたし?」
いきなり指名されて素っ頓狂な声が出てしまった。
「そうそう! 平柳は時松さんのことが気に入ってるみたいだし、時松さんからお願いしたら、きっとピアノやってくれると思うんだよなぁ」
「そう、でしょうか……?」
愛音がジャズ研に参加するようになって五日が経った。まだ入部届は出していない。クーラーが手放せなくなった七月の中旬に入った。夏休みに入るまでに、入部するかどうかを決める予定だ。だいぶ、入部する寄りに偏っている気がするが、入部するなら、きちんと自分の心を整理してからにしたい。
かのん先輩は愛音が単独でトランペットを吹いた日以来、ジャズ研に顔を出していない。本当に幽霊部員なのだ。仕方がないとわかっているけど、やっぱりちょっと寂しい。それに、男子だらけの中に、女子が一人いるのも心地が悪かったのだ。
「絶対の絶対に、時松さんが声かけたら、平柳は部活に来る。オレが保証する。そんでもって、オレと弓弦と律斗と時松さんと平柳で、世界を目指そうぜ!」
「世界って……。まずは文化祭大賞でしょ」
久島先輩が呆れたように言う。「平柳が来ても大賞は怪しいと思うけど」とも付け加えた。
「そもそも、あたしもジャズ研に入るって確定してるわけじゃないんですけど……。二つ森先輩、あたしが入る前提で話してますよね?」
二ツ森先輩が目を瞬かせる。愛音がジャズ研に入らない、という選択肢を持っていなかったようだ。
本当、この先輩は……。
呆れてしまう。苦笑してしまう。だけど、嫌じゃなかった。真っ直ぐな姿も、熱心な姿も、人を疑わない姿も……見ていて嫌じゃない。むしろ、こういう愚直なバカが世界を変えていけるのだろうとすら思ってしまう。
一癖も二癖もあるジャズ研のメンバーの中で演奏したら、どんな音が奏でられるのだろう。愛音自身、どんな風に変わっていけるのだろう。想像ができない。想像すらできないけれど、変化を楽しみにしている自分がいる。
うわっ、あたし、だいぶ二ツ森先輩の空気に流されてるよ。
心の中で呟いてみるけど、胸の高鳴りは止まらない。
「まぁいいです。かのん先輩、誘ってみますよ」
「本当に?」
「こんなことで嘘はつきませんよ。あたしもかのん先輩に会いたいですし、少しなら協力します」
「よっしゃー! サンキューね、時松さん!」
「いえいえ」
信頼されるのは嫌な気はしない。絶対にかのん先輩をジャズ研に連れてくる。
そんな思いで、ジャズ研のミーティングを終えた。
……けれど、愛音がどれだけ連絡しても、かのん先輩が部活に来ることは、なかった。
夏休みに入り、クーラーが効いた部室の中で、愛音たちは筋トレをしている。先ほどまでの灼熱の部室が嘘のように涼しい。けれど、運動をしているからか、汗が止まらない。体操着の下に着たシャツが湿っている。
コンテストも大会もないような緩い部活なのに、夏休みにも部活があるのだ。それもこれも、文化祭で大成功をおさめて、大賞を取るためだ。
机を教室の端に寄せて、各自持ち寄ったストレッチマットの上で、腹筋を鍛える。背筋と胸筋を刺激する。そして、最後に凝り固まった筋肉をほぐすために、ストレッチをする。
演奏前にこういった運動をするのは、吹部の時と変わらない。体力がなければ、筋肉がなければ、姿勢が美しくなければ、いい音は出ないのだ。
ジャズ研のみんなはそれをわかっているのか、誰ひとり文句を言わない。順番に回数カウントで声を上げながら、筋トレをし続ける。
愛音は夏休み直前にやっと、入部届を出した。初めてジャズ研に来てから、二週間近くが経っていた。日に日に愛音の心はジャズ研に傾いていき、そして、ここでトランペットを続ける決心をすることができたのだ。
「お、やってんな」
顧問の岡田先生がガラガラっと音を立てながらドアを開け、顔を出す。
「はい。基礎練が大事ですから」
「うむ。えらいぞ。校庭ならいつでも貸してやるから、校庭を使う時は声をかけろよ」
「はい。助かります」
岡田先生は二ツ森先輩の言葉に、感心の表情を浮かべると、
「それじゃ、また様子を見にくるからな。頑張れよ」
と言って、嵐のように去っていってしまった。
岡田先生は陸上部の顧問だ。日に焼けて焦茶色の姿からは、音楽の要素を微塵も感じさせない。それもそのはずで、岡田先生はジャズに興味ないどころか、音楽の「お」の字も知らないのだ。それでも岡田先生はジャズ研の顧問になった。おそらく、学校のお偉い先生から、ジャズ研の顧問になるようにと、押し付けられたのだろう。部活をするには顧問がいなければならない。そこで槍玉に挙げられたのが、岡田先生というわけだ。
まぁ、顧問と言っても名ばかりで、ほとんど顔を見せないのだから、顧問で言っていいのか怪しいところだけど。
律斗が十、数え終わった。次は愛音がカウントする番だ。
「いーち」
自分の声に合わせて、腹筋をする。
「にー」
最後のセットだから、かなりきつい。
「さーん」
だけど、頑張りたい。ジャズ研で前を向いて歩いて行くために。
「よーん」
まだ、未来はどうなるかわからないけど。
また、挫折するかもしれないけど。
でも、この人たちと一緒に歌いたい。自由に音を響かせたい。
「ごー」
だから、頑張る。いい音で歌うために、頑張る。
愛音は腹筋に力を入れ、気合を入れて声を出し、上体を起こす。ラスト五回だ。
クーラーの風が髪を撫でて過ぎる。
体操着から覗く白い肌の汗が光を弾いた。




