14.好きということ、楽しむということ(2)
愛音はドリンクバーから持ってきたコーラを飲み干した。結局、今、だいぶ後悔している。だって、久島先輩とかのん先輩もここに来る予定だったのに、二人とも急遽予定が入ったとかで、来れなくなってしまったのだ。
変人の二ツ森先輩と二人っきり……。正直、思いやられる。変な人だけど、優しい人だから、愛音の想いを聞いて、馬鹿にすることはないと思う。でも、なにを言っても、最終的にジャズ研の勧誘になって終わりそうだ。今はジャズ研云々は関係なく、話をしたいのに。
「やっぱり、大丈夫です。ご飯食べたら帰ります」
「へ? なんで? 話したいことがあったんじゃないの?」
「ありましたけど、かのん先輩や久島先輩にも聞きてもらいたかったんで、明日の昼休みか放課後で大丈夫です」
「いやいや、オレ聞くよ? オレに話した上で、明日弓弦や平柳にも話せばいいじゃん」
「それはそれで、二度手間なので」
「今日オレも手間かけてここまで来たんだけど?」
言葉に詰まる。二ツ森先輩は条件反射で言葉を発しただけで、決して責めたような口調ではなかったけど、それを言われてしまっては、反論できない。
「それは……その。ごめんなさい」
「あ、ごめんごめん。謝らないで。別に責めたつもりじゃなくて……おっ! きたきた! ありがとうございます」
唐突に、二ツ森先輩が視線を逸らし、お礼を言う。視線は真横に向けられていた。頼んでいたオムライスとハンバーグをウェイターさんが持ってしてくれたのだ。愛音もお礼を言い、ぺこりと頭を下げる。
二ツ森先輩の首が動く。ウェイターさんからオムライスへ、オムライスから愛音へとキラキラとした眼差しが行き来する。
「ここのオムライス美味しいんだよなぁ。時松さんはハンバーグ派なんだね」
「はい。チーズインハンバーグが好きなので」
「あっ、わかるなぁ、それ! ファミレスのチーズインってなんであんなに美味しいんだろう? なんか特別な感じがするよね」
早速オムライスを頬張りながら、二ツ森先輩は喋り続ける。とても明るい声だ。さわさわ、さわさわ。二ツ森先輩の短い髪型がクーラーの風に当たり、そよぐ。後頭部に風が当たっているだけでも気になるのに、前から風が直撃している二ツ森先輩は気にならないんだろうか。
「で、話途切れちゃったね。なんの話だっけ?」
「あたしが食べたら帰るって話です」
「そうだったそうだった。引き留めてる最中だった」
「引き留められても帰りますよ」
ハンバーグに切り込みを入れる。トロリとしたチーズがハンバーグの中から溢れてきた。すごく、美味しそうだ。ハンバーグを口に入れる。ジューシーな肉の味と、濃厚なチーズの味が口の中で混ざり合う。
「美味しい……」
素直な言葉が口からこぼれ落ちた。
「マジ? 次はオレもハンバーグにしよっと」
こぼれ落ちた言葉に返事が来る。
「さっきの話の続きだけどさ、別に相談は明日でいいからさ、昨日の演奏の感想、教えてよ!」
二ツ森先輩が身を乗り出してくる。オムライスのデミグラスソースが真っ白なTシャツに付きそうでヒヤッとした。
本当に子供みたいな人。
二ツ森先輩と一緒にいると自分のペースが乱されるのがわかる。
「近づいてこないでください。あと、服にソースがつきますよ」
「あぁ。ほんとだ」
「ほんとだ、じゃないですよ。まったく」
「ほんと、時松さんってオレに対してあたり強いよねぇ……」
「第一印象から今まで、全部最悪ですからね」
「最悪までいっちゃう?」
「最悪です」
「くぅ〜。これから挽回していかないとなぁ。……それで、どうだった? 昨日の演奏!時松さん、ジャズの演奏が終わってすぐに帰っちゃうからさぁ……。感想聞きたかったし、せっかくなら奏者の人たちとも話してほしかったんだけどなぁ」
胃のあたりがキュッとなる。昨日の後悔が胃の中で細波みたいに揺れて、食欲が減退する。あんなにお腹が減っていたのに、空腹を感じるセンサーが壊れてしまったみたいだ。
話したいことっていうのが、昨日の演奏のことなのに。
「……すみません。母から連絡があって、早く帰らないといけなかったんです」
嘘を吐いた。お母さんから連絡なんてなかったし、早く帰らないといけない理由もなかった。愛音はハンバーグを切り分ける風を装って、二ツ森先輩の目線を逃れる。かなり気まずい。急に何を話していいのかわからなくなってしまう。
「そっかぁ……。それは残念だ。でもまた飯野さんたち、また演奏しに来るみたいだし、話す機会はいくらでもあるからね」
飯野さんとは、昨日のサックス奏者のことだ。彼らの演奏をもう一度聴きたいと思う。けど、ちょっとだけ怖いのも事実だ。心を揺さぶられるのは興奮するけど、その分自分の感情と向き合わなくてはいけない。それは楽なことではなかった。
お昼時ということもあり、店内が騒がしくなってきた。制服の少年少女たちが続々と店内に雪崩れ込んでくる。部活終わりの子達だろうか。というか、二ツ森先輩と二人っきりの光景を知り合いに見られたら、付き合ってるってますます勘違いされちゃうんじゃ……。
「それで、どうだった、ジャズは! かっこよかっただろ?」
二ツ森先輩が再び身を乗り出す。
「あ……はい。思ってたのと全然違って、すごいって思いました」
「だろ? 心がワクワクしただろ?」
こくりと頷く。二ツ森先輩も満足げに口角をあげてうなずくと、オムライスをスプーンで掬い、口の中に放り込む。もぐもぐと幸せそうに咀嚼している。頬張る姿はハムスターみたいだ。
「すごかったです。ジャズってもっとしんみりした大人の音楽だと思ってました。まさかあんなに軽快な曲もあるなんて……」
「うんうん。そうだよねぇ。ジャズの歴史は進化の歴史だからね。語弊を恐れずにいうと、ジャズには決まった形がないから、なんだってできるんだ。それこそ音楽への愛さえあればね」
「音楽への愛……ですか」
「そう! 愛が全ての根源だよ。それに、ジャズは他のどの音楽よりも自分自身を表現することができる!」
「は、はぁ……」
「クラシックはさ、ある程度譜面通り、型通りに吹かないといけないだろ? それに比べてジャズはさ、スタンダードですら、テンポ、譜割りの大幅な改変が当たり前に行われているんだ。つまり、プレイヤー次第で唯一無二の音楽になるってわけ!」
二ツ森先輩は食べることを忘れて、興奮気味に話し続ける。声がだんだんと大きくなってきた。
「昨日の飯野さんたちの音楽は、従来の意味でジャズとは言えないかもしれないけど、あの人たちがすごいのは伝統的なジャズにロックやポップの要素を組み込んで、大衆芸能音楽としても楽しめるように工夫がされてるところなんだよね。あれもまた斬新で先鋭的なジャズって感じで、たまらないんだよなぁ……!」
二ツ森先輩がグッとこぶしを握る。
まずい。これは白熱して、口が止まらないやつだ。
「あ、あの! 先輩! ジャズの素晴らしさはよくわかりました。なので、少し声を落としてください!」
「え、あ……っ! すまん! 弓弦とかにもいつも注意されてんのに、オレまたやっちゃってたか……」
「やっちゃってました。ご飯くらい落ち着いて食べてくださいよ」
「あはは。悪い悪い」
二ツ森先輩が苦笑いをして頭を掻く。今度はゆっくりとオムライスを口に放る。
「……先輩は自分に才能があるって思ってますか」
「へ?」
「先輩、サックス吹くんですよね? プロ目指してるんですよね? そのためには才能が必要ですよね? 自分に才能があるって、思いますか?」
そこまで発言してギュッと口を絞る。聞いてしまった。今まで誰にも聞かなかったことを、音楽をしている誰かに聞いてみたかったことを聞いてしまった。
愛音は半分以上なくなった二ツ森先輩のオムライスを見つめる。二ツ森が腕を組んで、背もたれに寄りかかる。返答を考えているようだ。
「うーん。わかんない」
帰ってきたのは、二ツ森先輩らしい能天気な回答だった。尋ねる人を間違えたかもしれない。
「わかんない……?」
「うん。わかんないなぁ……」
二ツ森先輩は腕を組むのをやめ、またオムライスを食べ始める。
この人は本当に、何も考えてないというか、なんというか……。
だけど、興味が湧く。能天気な二ツ森先輩がどう考えているのか気になるのだ。今度は愛音が身を乗り出す番だった。




