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10.ジャズとの出会い(5)



 ボワっと広がる癖っ毛を一つにまとめて結び、キャップ帽のアジャスター部分の大きな空洞から、髪を出す。カジュアルなナイロンのスカートにオーバーサイズなスウェットを合わせてゆるっとコーデで、愛音は待ち合わせ場所に指定された駅前に立っていた。


 今日は土曜日。ジャズ研の人たちと弓弦さんのご実家のジャズ喫茶にお邪魔する日だ。


 まだかなぁ。


 スマホで時間を確認する。ジャズ研のお客さんという立場だから、遅刻するわけにはいかないと早く出たものの、人を待っている時間は手持ち無沙汰だ。


 雨が降ってないのだけが幸いかなぁ。


 そろそろ七月とはいえ、まだまだ梅雨真っ只中だった。連日グズグズした天気が続いている。だから、束の間の晴れでも少し嬉しくなってしまう。


「あれ! 時松さん、もう来たんだね!」


 体がびくりと跳ね上がる。スマホを見ていた顔を正面に上げた。


「あ、どうも……」


 二ツ森先輩が満面の笑みで挨拶をしてきた。愛音は首をすくめるような仕草で頭を下げる。


「気合い十分って感じかな?」


「いや、そういうわけでは……」


 恥ずかしい。制服を着ていない先輩はすごく新鮮な感じがした。ゆるっとしたシャツに厚手のTシャツ。二ツ森先輩っぽいといえば、ぽいんだけど、学校での雰囲気がまるっと違う。普段からやりづらい人なのに、もっとやりづらくなった気がする。


「二ツ森くんは今日も元気だねぇ。改札口まで声が聞こえてたよ。……えっと、その子が新一年生?」


 突如、りんご飴のような甘い声が現れる。


 振り返ると、とびっきりの美少女がいた。肩のあたりまで伸びた髪はまっすぐで、透き通るような金色をしている。顔は小さく、目鼻立ちはしっかりとしていて、カジュアルなリブミニTシャツとデニムのミニスカートから覗く手足はびっくりするほど細い。スタイルも抜群だ。目尻は慈愛に満ちたように垂れ下がり、柔でのほほんとした印象を受ける。人形みたいに可愛らしい。ハーフ、なんだろうか。


 美少女が二ツ森先輩の隣に立った。サラサラとした髪の毛が風に揺られ、太陽の光を弾いて輝いている。


 もしかして、この人もジャズ研の人?


「時松愛音ちゃんだっけ? うわぁ……! ちっちゃくて可愛いねぇ! わたしは平柳(ひらやなぎ)かのん。二年生だから、愛音ちゃんの一個上だよ。よろしくね」


「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!」


 大袈裟にぺこりと頭を下げる。心臓の音が妙にうるさい。


「んーんっ! そんな畏まらなくて平気だよ! ようこそ、ジャズ研へ! 初めての女の子の後輩、嬉しいなぁ。かのん先輩頑張っちゃうぞぉ〜」


 平柳先輩はガッツポーズをしてニッと笑う。たったそれだけの動作なのに、可愛く見えるのは反則だ。


「キミたち、もう来てたの。早くない?」


 久島(ひさじま)先輩だ。真っ黒なジャケットと黒いズボンを履いて、めんどくさそうに先輩二人を見ている。弓弦さんは久島弓弦と言って副部長をやっていると、事前に二ツ森先輩から聞いている。だから、愛音は久島先輩と呼ぶことにした。


「久島くんが遅いんだよ? 遅刻だよ?」


「遅くないでしょ。約束の十分前なんだけど。っていうか、平柳が遅刻しないなんて珍しいね。だから、今日は珍しく晴れてるのか」


「そりゃあ、可愛い可愛い後輩ちゃんができるかもなんだもん。気合い入れちゃうよぉ」


「気合い入れて遅刻せずに来れるなら、学校も遅刻せずに来なよ」


「それとこれとは、別なのっ! だってわたし、朝弱いし。それに、ホームルームなんてたいした話してないんだから遅刻したって問題ないでしょう?」


「あはは、ごめんねぇ。二人はいつもああなんだ。弓弦と平柳はあまり馬が合わないみたいで、しょっちゅう言い争いをしてるんだよね」


 二ツ森先輩が耳打ちをする。「大丈夫です」とだけ返事をして、二年組のやりとりを見る。二年生は、みんな仲良いんだ。妙に息があって、妙に馴染んでいるように見える。三人とも性格はバラバラなのに、こうも上手く歯車が噛み合うことがあるのだと、感心してしまう。


 にしても、二年組と一緒にいると居心地が悪い。話に入れないからとかではなく、スタイルの差でだ。ここにいる人たち、愛音以外、みんな身長が高い。久島先輩は一八〇センチは優に超えてそうだし、平柳先輩も一六五センチくらいあるんじゃないだろうか。その中に、愛音一人、一五〇センチ。多分、よそから見たら、いつも以上にチンチクリンに見えるだろう。


「あっ、先輩方! すみません。僕、時間間違えてました?」


 また見知らぬ声がした。男性の声の割には高く、可愛らしいと形容できる声だった。


 愛音は振り向く。男性にしては小さい一六五センチくらいの少年が立っていた。そして、息を飲む。イケメンだったからだ。この人も顔が整っていた。平柳先輩の横に並ぶと、美男美女さがより一層際立つ。目鼻立ちは整い、童顔で可愛らしい。そういえば、一組にとんでもない美少年がいると噂で聞いたことがある。もしかして、この人のこと?


 ジャズ研の人たちの顔面偏差値高すぎじゃない?


 そもそも百合蘭には美男美女が多い気がする。百合蘭って高校名も可憐な感じがするし、名は体を表すのかもしれない。


 美少年が眉を顰め、不愉快そうな表情をする。その時になってやっとマジマジと顔を見つめてしまっていたことに気がつく。


「……なに。僕の顔に何かついてる?」


 美少年は不快感を隠そうとせずに、冷たい目で愛音を見た。思わず怯む。たしかに失礼なくらい凝視してしまったけど、そんなに嫌悪を現さなくてもいいのに。だから、愛音の口調も、


「ついてないですけど」


 つっけんどんになってしまう。


律斗(りつと)と時松さんは同じ一年生でも初めましてかな?」


「はい」


 声が重なる。一触即発な雰囲気を察してか、それともいつも通りの能天気さかはわからないが、二ツ森先輩が愛音と律斗と呼ばれた少年の間を取り持ってくれた。


「彼は江幡(えばた)律斗くん。一年一組……だったかな?」


「そうです。なので、この女のことはなんも知らないですし、これからも知りたいとは思いません」


「は?」


 剥き出しの敵意に、愛音も反射的に応えてしまう。江幡律斗は険しい顔をして、腕を組んだ。


「どうせ、お前も僕目当てでジャズ研に入ろうとしてるんでしょ」


「は? だから、なに言ってんの? 言ってる意味がわからないんだけど」


「そのまんまの意味。僕がジャズ研に入ってるって知って、先輩にそれっぽいことを言ってジャズ研に興味あるフリをしてるんでしょ。そういうのバレバレだから」


「はい?」


 挑発するように指先で腕をトントンと叩いている江幡律斗を見て、苛立ちが溢れる。


 なんて自意識過剰な奴なんだ。あたしが、コイツ目当てでジャズ研に入る? バカにするのもいい加減にしてほしい。こちとら、二ツ森先輩に迷惑かけられてて、それを断るために、今日、ここにいるというのに。


 愛音の顔もかなり歪んでいたのか、二ツ森先輩が慌てて、愛音と江幡律斗の間に体を割り込ませた。


「はい。律斗、そこまで。こないだの部活で説明したよね? この子は一年三組の時松愛音さん。オレがとにかく必死に入部してくれるよう頼み込んで、やっとこさジャズ研を検討してくれるようになったんだ。だから、そんな冷たいこと言わないでくれ」


 二ツ森先輩が笑ってフォローをする。ちゃっかり、愛音の紹介までして。


「どうだか。それも演技かもしれないですよ? 女っていうのは卑怯な手をいくつも使うんですから」


「なに言ってんの。あたしはアンタのこと一ミリも知らないし、今後も興味ないんだけど」


「はいはい。言い訳は大丈夫です。そう言って近づいてくる女は何人もいたよ。それで少女漫画みたいに『おもしれぇ女』ってなると思ってる? なるわけないから」


 目を細め、皮肉たっぷりに嘲笑を浮かべている。


 なんなんだコイツは。


 怒りで頭に血が上ってくるのがわかる。初対面に向けられる頓珍漢な敵意ほど理不尽なことはない。これだけの美形だから、きっと過去に何かあったのだろう。だけど、被害妄想で八つ当たり気味に、感情をぶつけてこないでほしい。


「キッショ」


 愛音は吐き捨てるように一言だけ添えて、江幡律斗を無視することにした。中学時代の愛音がそうだったように、勘違い野郎には何を言っても勘違いしたまますれ違う。だったら、何も話さない方がいいと思ったからだ。


 なっ!とか、キッショってなんだよ!とか、二ツ森先輩の背後でギャアギャアと騒いでいたけれど、愛音は無視を決め込んで、他の先輩たちに向き直る。


「改めまして、今日はよろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる。今日一日お世話になるのだ。断るために来たとしても、せっかく来たのだから気持ちよく過ごしたい。先輩たちが口々に「よろしくね」と朗らかに言う。若干一名、不服そうに唸っていたけれど、いい気味だ。何か勝負していたわけではないけど、言い負かしたみたいで、愉快な気持ちになる。


「それじゃあ、行こう!」


 二ツ森先輩が先陣を切る。愛音たちはゾロゾロと二ツ森先輩に続く。


 みんな、本当に仲がいいんだなぁ。


 愛音は前を歩く四人に視線を巡らせ、心内でつぶやいた。


 当たり前だ。たった四人の部活で、放課後を共に過ごしている。仲良くなければできないことだ。


 かなりのアウェイ感。すでに出来上がっているグループの中に入るというのはとても難しいもので、この四人の中に愛音が混じって話している姿を想像できなかった。


 難しいな。人間関係。


 友達の少ない愛音はつい及び腰になってしまう。


「愛音ちゃんはトランペットやってるんだよね?」


 問いかけが一つ、前方から飛んできた。平柳先輩の甘く耳触りのいい声だった。


「え、あ……はい。最近は……全然吹いてないですけど」


「そっかそっか。楽器と時々離れたくなること、あるよね。わかるなぁ……」


「平柳先輩はジャズ研で、何の楽器をされてるんですか?」


「かのん。かのん先輩って言って」


 愛音の歩幅に合わせ、隣に並んだ平柳……かのん先輩が、不服そうな顔をして愛音の顔を覗き込む。


「か、かのん先輩」


「よろしい。……で、わたしの楽器だっけ? わたしは一応ピアノ担当だよ。小さい頃からピアノを習ってるから、押し付けられちゃった」


「ピアノ……。すごいですね」


「すごくない、すごくない。ホント、小さい頃から習ってるってだけだし。わたしからしたら、トランペットの方がすごいって思うなぁ。鍵盤がないのにどうしてそんなに正確な音が出せるんだろう? コツとかがあるのかな?」


「どう、なんでしょうね……。慣れたらそれなりに音は合わせられるようになると思いますけど……」


 曖昧にぼかしてしまう。誰かに何かを語るほど、トランペットが上手くない。愛音は足元を見た。


「そっかぁ。やっぱり慣れかぁ。今度わたしもトランペットやってみようかな」


「ダメダメ! 平柳にはトランペットの前に、ピアノしっかりやってもらわないと! 平柳、全然練習してないでしょ」


「うるさい。二ツ森くんはガールズトークに入ってこないでください。そもそも、わたしはピアノを弾きたかったのであって、ジャズをやりたいわけではないの! 他にピアノを演奏できる部活があればそっちに行ってたんだから。二ツ森くんには、わたしがジャズ研の部員でいるだけで感謝して欲しいくらいだよ」


 二ツ森先輩も愛音たちの横に並ぶ。かのん先輩が手のひらでシッシッとして追い払うまでのやりとりが面白くて、愛音は「ふふっ」と笑ってしまった。かのん先輩はきょとんと瞬きをした。


「え、愛音ちゃん、何で笑うの? わたし、面白いことしてないよ?」


「いえ。すみません。二人とも仲良いんだなぁと思って」


「えー。やめてよぉ。二ツ森くんと仲良しと思われるのは心外だなぁ」


 かのん先輩が頬を膨らませて、眉間を寄せる。そんな怒り顔もすごく可愛らしい。


「オレだって平柳にそんな風に言われるなんて悲しいよ。オレは平柳と去年の一年間、友情を育んできたつもりなのにさ」


「なにバカなこと言ってんの? わたしは二ツ森くんと友情を築いたつもりないですけど? そんなことばっかり言ってるから、いろんな人に口説いてるって勘違いされて揉めることになるんだよ? ……愛音ちゃん。いい? 二ツ森くんは天然人タラシだからね。毒牙にかかっちゃダメだよ!」


「それは絶対にないから大丈夫です。二ツ森先輩のこと、ウザいと思ってるくらいなんで」


「えっ! 時松さんもオレに当たり強くない?」


「当たり前です。迷惑だって何度も何度も伝えてるのに、しつこく付き纏ったのは誰ですか。そりゃ、当たりも強くなります」


「あはは! さすがわたしの後輩。えらいぞ。このウザくてしつこい二ツ森くんにもっと言ってやれ!」


「時松さんはオレの後輩でもあるんだけど! 平柳は変なことを言わないでください」


「ちょっと、そこの三人。住宅街でなにをごちゃごちゃ戯れてるの。近所迷惑なのでやめなさい。……ほら、着いたよ」


 久島先輩の一言に、愛音たちは口をつぐむ。


 低く古いビルが建ち並ぶ住宅街の中に、そのお店はあった。モノトーンの小さなタイルが貼られた外壁のビルだ。『JAZZ喫茶 BLUE SESSION』と書かれた黄色の看板と日除けになりそうもないくらい小さい黄色のオーニング、そして、地下へと続く木材の階段に愛音たちは出迎えられた。


 隣にいた二ツ森先輩が愛音の一歩前に歩み出る。そして、


「ようこそ、オレたちの聖地、ブルーセッションへ」


 高らかに言うのだった。





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