じゃないほう令嬢〜悪役令嬢が高飛びした跡地でがんばります
「お前との婚約を破棄する!」
殿下は私のところにやってくると、ここぞとばかりに高らかにそう宣言なされた。私は臣下の礼をとりながらおずおずと尋ねた。
「お恐れながら、殿下。私は……」
「あっ!お前、"じゃないほう"か!」
「クソ、紛らわしい」と悪態をつきながら、殿下は自分の婚約者であるボロア侯爵令嬢ユリア・フォーサイスを探して、立ち去った。しかしその夜のパーティに彼女は出席していなかった。フォーサイス家はその夜、一家揃って国外に逃亡していたのだ。
ユリア・フォーサイス嬢は、白銀の髪に、紫水晶のような瞳、類まれなる美貌を持ち、学業優秀、諸事万端に優れた完全無比な高位貴族令嬢である。その高貴な美しさは、市井の詩人にも"月の女神"と詠われるほどだとか。そして彼女はその血筋と優秀さをかわれ、ジョン王子の婚約者とされていた。
かくいう私の名はユリカ・ペンドルトン。同じく侯爵令嬢である。
ユリ"ア"とユリ"カ"で1文字違い。
紛らわしい!
外見については、髪の色は、ぱっと見なら銀髪と言えなくもない程度に白っぽいが、銀色というよりは、うっすら金髪。目の色も一応紫だが、紫水晶だとしたら色の薄い安い方の石……というなんとも印象薄めの廉価版だ。2Pカラーのが、もうちょっとインパクトはある。
この世界にパチモン、バッタモンという言葉がなくて本当に良かった。日本広告審査機構に訴えられそう。JAROってなんじゃろーな世界で助かったよ。
……とまぁ、世界観を無視したメッタメタな思考が出てくるのには理由がある。私にはこの世のものではない世界の記憶があるのだ。いわゆる異世界転生というやつだと思われる。でなければ、電波系の妄想女なのだが、この"地球"だの"日本"だのという世界が、自分の頭が生み出した割にはぶっ飛んだ設定なので、妄想でないことを願いたい。自分で考えるなら、もう少し節度と整合性のある世界を考えるだろうし。
あー、悪魔憑きだったらやだなぁ。
幽閉や魔女狩りは御免被りたいので、この変な記憶については厳重に秘して誰にも明かしていない。行動についてもこの世界の常識の範囲を踏み外さないようにこれまで慎重に生きてきた。
その結果が、叱られない程度に優秀だが秀でたというほどの特長のない、ぱっとしない今の私だ。
だから、想定通りというか、望むところというか、御の字の結果なのだが、なんとも情けないことに、ついたあだ名が"じゃないほう"令嬢。
なにかと目立つ優秀なユリア・フォーサイス様は話題のお方だった。それでお近付きになりたい人や、彼女に用のある方が沢山いらっしゃって、その中の少なくない人数が、私のことを彼女と混同したのだ。
いや……そこはさ、ちゃんと確認しようよ。フルネームはだいぶ違うよ。
いかんせん、親の爵位での呼称になると、うちがブロワー侯、あちらがボロア侯で、これまたややこしい。
だとしても偉い侯爵家の銀髪の令嬢ユリなんとか程度の認識で「お友達になりましょう」とか「少しお話を」とか言って近付いてきて、私がお目当ての"ユリア様"とは別人だと知るなり、がっかりした顔をして背を向けるのは、かなり失礼だからよそうね。ぬか喜びと落胆のダメージは、私にも蓄積するから。
あと、「え、なんだ。違うんだ」って、言うだけならまだしも、人をダミーのトラップ扱いして八つ当たりするな。間違えたのはそっちの勝手だ。
同じパーティに出席したり、同じ様な集まりに所属するのは、立場と年齢が似ているのだから仕方がないではないか。別に身分詐称も騙りもする理由がない。
まぁ、そういうわけで、小さいうちから、笑顔で近づいてきた人に急に手のひらを返されることの繰り返しだったせいで、私は一般に多感とされるお年頃になる前から、すっかり友情や恋愛に夢を見ない子供になっていた。
「ユリカ。話があるんだ」
パーティの帰りの馬車で、婚約内定者のバーナード様が、深刻そうな顔でそう切り出してきたときも、だから私は、なんとなくその時点で諦める気持ちになった。
「君との婚約は白紙になるかもしれない」
「そうですか」
バーナード様は良いお方だった。誰もがユリア嬢をもてはやす中で、かなり早い時点で、彼は私の婚約者候補になってくださった。
彼の身分ならば、十分にユリア嬢の婚約者にもなることができたのにだ。
その後、ユリア嬢は殿下とご婚約なさったので、いらぬトラブルを避けられたと笑っておっしゃっていたが、それが私を選んだ理由の100%だとしても恨む気はない。
お陰で私はこれまで、諸々の社交の集まりで、エスコート役に困らずに済んでいた。男女ペアで出席しないと世間体が悪いところに、悩まずに誘える相手として、彼と私はお互いに非常に便利な相方だった。
彼は多趣味で活動的な方なので、私はその恩恵に与って、ずいぶん色々な催しに出席できた。劇場や音楽会、新進芸術家の卵達の作品展に、古美術品のオークション。社交界で話題になる前に良いものを見聞きすることができて、ありがたかった。狩猟の会や競馬場なんて彼と一緒でなければ絶対に行けなかっただろう。食事や甘味の道楽も相手がいると気兼ねなく楽しめた。
それも今日までか。
私を家まで送ってくださったバーナード様は、そのままお父様にお話があると言って、書斎に案内されていった。
遅くなるかもしれないので、見送りは不要と言付けされてしまったので、私はそのまま最後の挨拶をすることもできずに、彼と別れることになった。
その夜の時点では、フォーサイス家の逐電は表沙汰になっていなかったので、てっきりバーナード様は婚約破棄されたユリア嬢を視野に入れて私との関係を白紙になさったのだと、私は思っていた。しかし、どうやら彼が回避しようとしたのは、もう少し別の種類のトラブルだったらしい。
「田舎の領地でしばらく保養してきてはどうか」と勧められた件について、翌朝、父と相談しているところに、王宮から使者が来た。
出仕する父とともに王宮に参内すると、一人だけ別室に案内され、思わぬ厳しい詮議を受けた。
どうやら逐電したユリア嬢について、私がなにか関わっていたのではないかと、疑われたらしい。とんだとばっちりである。私とユリア嬢を関連付けて考えるのはいつだって他人であり、私自身はなんの関係も持ってはいない。
むしろ直接関わり合いにならないように心を砕いてきたと言って良い。
だってユリア嬢、性格悪いんだもの。
虚栄心も自尊心も高いから、人と比べられたり、あまつさえ混同されるのは大嫌いだし、気に食わない相手は派閥を使っていじめるし、蹴落とすためなら平気で他人に濡れ衣は着せるし、自分の罪は人になすりつけるし、困った人だった。
何度、悪評を立てられたことか。
お陰で私は、常に自分の日々の行動に客観的な証人がいるように心がけ、詳細な日記をつける習慣がついた。念の為、日記は公文筆記の先生に、提出作として添削してもらっている。なにかあったときに、家庭内で捏造したものでないと証明していただくためだ。
"いいえ?その時間にはそちらにはおりませんでしたわ。お友達と刺繍の会をしておりましたので。時間と出席者は……"
このぐらいはどの日時でもスラスラ答えられて裏付けが取れるようにしておかないと、マジで冤罪が酷い。
今回も、ネチネチ疑われたが、なんとかしのぎ切った。
「ユリア・フォーサイスに協力して、彼女の不在を誤魔化そうとしたのではないか?」
は?知らんわ。そんなことしてやる理由もないし、そもそもそんなに仲良くない。そんなこともわからんのか。王子派の諜報能力どうなっているんだ。
普通の気弱な令嬢なら、国家権力から不条理な言いがかりをつけられる恐怖と屈辱と絶望と心痛でメンタルをやられていたろうが、幸い私には異世界の視座があった。異なる社会の価値観があって、一歩引いた目で客観視できると、悲劇も喜劇に見える。ついでにあちらの記憶にあるどうかしている吊し上げと全方向バッシングの不条理と比べれば、王家の傲慢など可愛いものである。
むしろ尋問の相手から、ユリア嬢とフォーサイス家になにがあったかと、当日までの関係者の動向を王宮側がどの程度把握しているかの情報を引っ張り出せちゃったのでびっくりだった。
えぇぇ、"日本"で流通していたライトなフィクションをかじった記憶があるだけの私に引っかかるって、本気で諜報の基礎がなってないんじゃない?大丈夫か?
流石に、口車だけで自力で解放されるところまで持っていくのはむずかしかったが、私には強い実家という心強いバックがあった。今回も思ったより待遇は良く、食事も二食食べそこねただけで、日をまたぐ前に父が迎えに来てくれた。扉の外から響いてくるあの怒号には、正直ホッとさせられた。
きゃー!パパ、カッコイイ〜!!
って言ってあげたら、どういう顔をされるかわからないが、言いたい気持ちにはなった。
実際、お父様は今でこそ軍閥をまとめ上げるゴリゴリの強面政治家だが、あれで若い頃は美貌の貴公子で評判だったらしい。性格のキツイ美形つながりで、ユリア嬢とうちの家名が連想されやすかったというのは、私が"じゃないほう"呼ばわりされる羽目になった一因ではあるだろう。
……なぜか、お父様とユリア嬢をセットで考えた人は、私がユリア嬢ではないと知ると、私がこのお父様の娘でもないと考える傾向があったのだが、そんなに似てないかなぁ、私。
気が弱そうな、侮られやすい顔をしている自覚はある。お父様は"銀狼"とかいうちょっと中二じみた二つ名持ちだったらしいが、私はどう見ても食い物にされる側の草食動物だ。
王宮の人も、だからこそあれだけかさにかかって私を責め立てていたのだろう。でも、ちょっと考えればわかりそうなものだが、どれだけ似ていなくても私は"白銀の剣を掲げる狼"を紋章とするブロワー侯爵の娘である。
ものすごい形相で、扉を蹴破るように部屋に入ってきたお父様を見て、私を尋問していた小物は青ざめた。
うむ。溜飲が下がる。
お父様ありがとう。
「帰るぞ」
「はい」
こうして私を無事、連れ帰ってくれた父の下には、翌日、王家から詫び状に近いが限りなく言い訳な内容で埋め尽くされた書状が来たらしい。
呆れる。
その頃にはフォーサイス家逐電の報は巷に知れ渡っており、派閥争いに熱心な貴族内に激震が走っていた。名門だが、かの侯爵自身は名誉職に近い地位をいくつか持っていただけで、たいした実務はしていなかったので、内政の執行に穴は空かないが、残された寄り子や派閥の貴族の身の振り方を含む政治バランスはグチャグチャだという。
立つ鳥跡を顧みずだ。
ユリア嬢がジョン王子の婚約者になったということで、すり寄っていた貴族も多かったから大変だろう。
当のジョン王子は、身分の低い女に入れあげて、そちらと結婚すると言い切ったらしいと言うのが最悪だ。こんな大スキャンダルと国内の混乱は外交的にも痛い。
私を呼び出して尋問するぐらいなら、スキャンダルの拡散を防ぐ方に注力した方が良かったんじゃないの?というぐらい、王子の噂は野放図に広がっていた。お父様は軍部が浮足立たないようお忙しくて、お母様や兄様方も皆、うちの寄り子や出入りの者たちがバカなことをしないように取りまとめに必死だったので、私はうちの中で自分にできることを地道にやっていた。
「ここまでは終わらせておきました。こちらはお母様がお手空きになったときにお伺いして、どちらの案か選んでいただいて」
「はい。お嬢様。少しご休憩なされてはいかがでしょうか。珍しい茶菓子が入っております」
「あら、いいわね」
「エンフィールドの来春向けの新作だそうで」
「いただくわ」
美味しいものをいただくと、ストレスがふわぁっと霧散する気がする。味の感想や、来春の流行りについて話ができる相手がいないのは物足りないが、それでも一息つける時間は大切だ。
「このベリーの方が美味しいわ。こちらをお母様にお出しして」
「かしこまりました」
私は、家族のサポートをしつつ忙しい日々を過ごした。
幸い我が国は、アホな神輿を担ぐことと、トップをすげ替えることには、慣れたお国柄だったので、最初の混乱さえ乗り切れば、下々への影響は最小限で抑えられた。派手なゴシップはガス抜きにもなるから、今はバカ王子のことは好きに言わせておけ、とはお父様の談。
ユリア嬢がいなくなったことで、若い令嬢間のパワーバランスにも影響はあったが、彼女の取り巻きの腰巾着には成り代われるだけのカリスマはいなかったので(いたらユリア嬢が潰していただろう)、その一派は一気に大人しくなった。
私のお友達は、もともとユリア嬢とは距離をおいていた方々が多かったので、さしたる影響もなかった。私とユリア嬢を混同したり比較したりする無礼なバカを丹念に選り分けて、交友関係から弾いて来たかいがあったというものだ。
もちろん無礼なバカのリストはきちんと頭に入っているので、今更すり寄ってきてもまともに付き合うつもりはない。高値で恩は売ってもよいが、それも返済のあてがある相手だけだ。
もっとも、何にでも例外はあるもので、まったく感謝も申し訳無さも見せずに、手のひらを返して偉そうに命じてくる相手に従わざるをえない場合もある。
「殿下の新しい婚約者殿のお相手ですか?」
くだんのゴシップのど真ん中。ジョン王子がころんだという女に、同性で同じ年頃の学友が必要なので来いということらしい。なんでも、その女はユリア嬢からイジメられていたので、ユリア嬢派の令嬢ではダメなのだそうだ。
お茶会の相手ぐらいなら、まぁ?
と思ったら、なんと彼女が受ける歴史や外国語の一般教養、ダンスやマナーのレッスンその他、将来的に王子の妻として王室に連なるために必要なアレコレの授業全般に同席してほしいとのことだった。
「こんなの女の子が勉強する内容じゃない!」「そんなのできるわけない」「ずっと一人で先生に怒られてばっかりなんてヤダ!お友達と一緒にワイワイやりたい」などと、当人がゴネたかららしい。
何いってんだ?淑女教育舐めてんのか?
遠回しにほのめかしたら、"舐めてるので困っている"という返事だった。
私を巻き込むなよ……。
しかし、年齢的にも家格を考えても、自分に白羽の矢が立ったのは納得なので、やむなく引き受けた。
失敗した。
このマリリアという女は、どこぞの下級貴族の落し胤で、10代初めまで平民育ちだったという。母親の死をきっかけに、教区の司祭が、彼女の母が生前にしていた告解内容をこっそり教えてくれたそうで、母の形見の小箱にしまわれていた身の証を手に貴族家の門を叩いたらしい。その司祭もその後、急な食あたりで世を去っているので、なんともあやふやな身元だ。
それでも生来の愛らしい容貌と天真爛漫な振る舞いで、王子の目に止まってご寵愛を得て、今に至るという。
流石に下級貴族の妾腹では、王子妃は難しいので、寄親の高位貴族の養女にして身分ロンダリングしたらしいが、ツッコミどころしかない。
「お母さんの相手のうちの誰が父親かはわからないんだから、今の伯爵が本当にお父さんでもおかしくないわ」
って、なんだソレ。異世界のろくでもない知識のせいで、言わんとするところはうっすら分かるが、倫理どこだ、その話。頭痛い。
この女、素性と育ちと頭が悪いだけではなく、素行と性格も悪かった。
「お友達がほしいの」と言って、人を呼びつけておきながら、その実は、比較して自分上げをするための踏み台が必要だったらしく、仲良くなる気持ちなどかけらも持っていなかった。
私が"じゃないほう"と呼ばれていたこともよく知っているらしく、よくそのことで私を冷やかし、さらに私をユリアに見立てて、彼女に受けたイジメの意趣返しをして悦に入っていた。
彼女だけならまだしも、ジョン王子も積極的にその悪ふざけに加担してくるのがたちが悪い。場所が王宮で、王族がそういうことをすると、なかなか周囲は咎めにくいのだ。
つまらない理不尽な目に遭わされることが続いたが、しょせんは王宮にいるだけの間のことだったので、家では気持ちを切り替えて過ごした。
「お嬢様、セリアンの楽士が参っております。弦楽の四重奏だそうですが、サロンでお聴きになりますか?」
「あら、セリアンで四重奏は珍しいわね。聴きたいわ。最近、音楽会にも行けていないから」
「ちょうどセリアンのフルーツも手に入ったので、タルトにしてお持ちいたします」
「楽しみだわ」
自分の機嫌の上手な取り方は、バーナード様とあちこち周っているときに覚えた。異世界の気質が強い私は、目新しい美食、特に新作スイーツとエンタメでストレス管理ができる。
「マリリア様のドレスはこのようなデザインの予定です」
「そう……ではこの色と形は避けましょう。彼女に華を持たせないと」
懇意にしているデザイナーと次のシーズンのドレスデザインについて打ち合わせをする。
ユリア・フォーサイスがトレンドのトップだった頃から、このデザイナーとはいい関係を築いている。ユリア・フォーサイスは新機軸のデザインの奇抜なドレスで話題をさらうことの多い人だった。私はユリアのドレスデザインのうち、"そこは取り入れても自分で着れそう"と普通の令嬢が思える無難なトレンドラインを見極めるのが上手かった。
デザイナーは、ユリアの新作デザインをこっそり私に教えることで、私から"こういうのが流行りそう"というアドバイスを得て、ユリアのニューモードショック後の需要に素早く対応して大儲けしていた。
奇抜過ぎたり、ユリアの個性に寄り過ぎたりして、話題にはなっても流行にはならなさそうなネタは、バッサリ見切って逆張り需要も当てて来たので、私の信用度は高い。大きな声では言えないが、業界トップが連携して、そのシーズンのトレンドを演出して需要を生み出すなんていう手を、こっそり教えたのも私なので、上流貴族のところに出入りしているトップ層の仕立て屋は多かれ少なかれ情報が交わせる関係だ。
そういうわけで、ジョン王子が愛しのマリリアのために、金に糸目をつけずに作るドレスのデザインも事前にわかるのだが、ユリアのときのように、これをベースに流行を作ることはしない。
だって、子供っぽくて甘ったるい上にセンスが成金臭くて、ゴージャスの解釈が野暮ったいんだもの。
あえて、それの逆張りでシンプルなナチュラル系をモードに推して、彼女がパーティで目立つようにしてあげる。多少の悪意があるのは認めるが、彼女の性格ならオンリーワンで目立てたら喜ぶだろう。
マリリアの王子妃教育は順調とは言いがたかったが、カリキュラムは興味深いし講師陣は一流だったので、私はこれ幸いと学ばせていただいた。もちろん、出来の良さを見せつけるようなマネはしない。授業中はマリリアを立て、彼女のワガママを適度にフォローして授業の進行に支障が出ないようにし、質問や追加の応用課題については授業時間外に、使用人を介して目立たぬように講師陣とやり取りした。マリリアと殿下の前では、あくまで私はユリアの代理であり、貶して見下していいサンドバッグに徹したのだ。
なにげにひどい立ち位置だったが、世界と自分の存在がそれだけだと思い込む必要がないと知っているだけで、私は絶望せずに過ごせた。
時々、ちょっぴり寂しかったが、こんなこともそう長くは続くまいと、辛抱した。
たまにデザートプレートに、洒落た一言が書かれたメッセージカードがついているだけでも、人は結構がんばれるのだ。
はたして……。
思ったとおりというか、案の定というか、マリリアは社交界で失敗を重ねた。せっかくの派閥の再編の波に乗りそこね、重鎮に総スカンを喰らい、挙句の果ては、性悪の色男の詐欺師に引っかかって、口に出すのもはばかられる醜聞沙汰を起こした。王子妃になるには致命的なやつだ。
ジョン王子は慌てた。この頃にはユリアへのあてつけで始まったマリリアへの熱烈な愛はすっかり冷めていたが、2度の醜聞は彼の王族としての立場をすっかり弱くしていた。
本来、自分の後ろ盾になるはずだったフォーサイス家が飛んだときに、色ボケしていて、その派閥を取り込みもしないでひたすら立場を弱体化させ、恨みを買うだけ買ったからなぁ。その後の再編期でも、甘い汁目当てですり寄ってきた羽虫どものマリリアへのおべんちゃらに良い気分になっているだけで、手札の厳選を怠っていたし。
自業自得とはこのことである。
焦ったジョン王子派が、マリリア放逐後に打とうとした手が、私を次の婚約者候補にすることだった。
そのために王子妃教育も受けさせていたようなものだし想定通り?なにを戯言を言っていることやら。
王子側に圧倒的な権力基盤があるならば別だが、政略結婚というのは双方にメリットがあって行われるものなのだ。今の我が家にとって、ジョン王子との縁はデメリットしかない。私が王妃になれるだけのポテンシャルを身に付けたことと、ジョン王子の妻になることとに一意の相関関係はない。
現国王の唯一の王子との婚姻はメリットではないのかって?あんな迂闊バカぼん、担ぐにしてもリスクが高すぎでしょう。ここしばらく間近で様子を観察してみたけれど、あれは使い物にならない。各種学問分野の指導講師陣の皆様の意見も一致。政治的課題への対処の姿勢も落第。マリリアを"愛されプリンセス"にプロモーションするために駄歌劇を作らせて散財したり、マリリア発案のバエるチャリティーにノリノリで参加して、対象の地元で迷惑がられて人気を落としたり、とにかくやるべきことをやらずに、やらなくて良いことをやりすぎた。
そのたびに「そのようなことは……」とお止めしてきた私を、"天才的なひらめきが理解できない頭の固い間抜け"呼ばわりしてきたのは、皆が知ることだ。私程度ではお諌めできない、タガの外れたバカ。ジョン王子は自らその評価を決定的にした。
え?全力でお止めしなかったろうって?そんな……声を荒げて蹴りを入れるなんて不敬、とてもいたせませんわ。
というわけで、私とジョン王子との婚約は成立することなく、ジョン王子の立太子の話も消えた。
現国王の唯一の王子が不適格の烙印を押され、王位継承権はつつがなく王の姉上の御子に移った。彼はジョン王子や私よりも5歳以上年上で、今回の派閥再編では、寄親を失って混乱したフォーサイスの寄り子の相談役を務め、相対的に力を増した軍閥のペンドルトンの台頭に危機感を持つ中立派の意見を擁護して、フォーサイス家に亡命をそそのかした隣国との戦争回避に注力した方だ。
彼が、声が大きい軍部のジジイどもに、弱腰だ日和見だと罵られながらも、粘り強く交渉を重ねて、現王家の尻拭いをきちんとしていたのを私は知っている。
今の情勢を考えれば、彼と私が婚約して、国内の派閥がある程度まとまるのが最善策という見方は、非常に無難な落とし所だろう。
「この後、あの男が来るから、出迎えるように」
「お父様、"あの男"などとお呼びになってはいけませんわ」
「フン」
書斎に戻っていくお父様は、表情と口調ほど機嫌は悪くない。
それはそうだ。お父様方が描いたとおりにことが収まったのだから。
「やぁ、ユリカ。やっと会いに来れたよ」
「バーナード様。お待ちしておりました」
私は以前より格段に上達した淑女の礼で彼を迎えた。こうして間近で向かい合うのはあの夜以来となるバーナード様は、ご苦労なさったのか少しおやつれのようだった。
「苦労をかけたね。君につらい役割をさせて悪かった」
「楽しいことだけでは社会が回らないことなんて、よく承知しております」
私は微笑んで、彼を客間に案内した。
「頂いた差し入れ、たいそう嬉しゅうございました」
「流行に敏感な君に気に入っていただけてなによりだ。その後、ちゃんと支援していただけたと皆、感謝していたよ」
「元の品が良くなければ、流行りません。そこはバーナード様のお目が高かったからですわ」
「ずいぶん君から勉強させてもらったからね」
バーナード様は嬉しそうに目を細めた。
「また、こうして君と語らえて嬉しい」
「私もです」
メッセージカードは嬉しかったが、それだけではやはり物足りなかった。バーナード様の声や、この抑えた抑揚が好きだ。
「今日はずいぶん素直だね。私の暁の女神様は」
訂正。いくら抑えた抑揚でもこういう歯の浮くようなセリフを突然ぶっこんでくるこの方の悪癖には閉口する。
「からかうのはやめてください」
「夜明け前の空の薄くけむるような紫の瞳、清廉な朝日の光条のような髪。新しい日々の始まりにふさわしい良きものを見出すその力。君は私にとって本当に暁の女神そのものだよ」
彼はうっとりとした眼差しで私を見つめ、敬意のこもった態度でそっと手を取った。
「今日は、君のお父様に、君との婚約を許可していただけるよう、申し込みに来た」
一度言葉を切った彼は、真剣な眼差しで私の手を強く握った。
「その前に君に許しを請いたい」
一番つらいときに、共にいてあげられなかった私を許してくれるだろうか?と問われて、私は首を振った。
「貴方様は間違っておいでですわ」
彼は心底絶望したような顔になった。
魑魅魍魎だらけの社交界であれだけ大嘘を吐き通して、お父様と二人でここまで局面をひっくり返した男が、これしきのことで情けない。
「国の重責を背負う以上は、重要な局面で互いに別の場所で己が務めを果たすことなど、いくらでも起こるでしょう。貴方が私に請うべき許しはもっと他にあるのでは?」
彼は私の手をとったまま、その場に跪いた。
「私の愛を捧げます。どうぞ我が伴侶となっていただきたい。我が唯一にして絶対の心の君よ」
本当に……バーナード様ったら、こういう芝居がかったことを真顔で言うんだから…………でも、こういう言葉をちゃんと直接かけてもらうのは、重要な心の栄養だから、許すわ。……今日は。
「貴方様の真心を嬉しく思います。どうぞ我が心もお受け取りください。我が最愛のバーナード様」
今まで見たことがないほど、目を輝かせて、勢いよく立ち上がったバーナード様の顔の前に、私は手のひらを突き出した。
「はい。お父様の許可がないうちはそこまで」
「速攻でもらってくる!」
案内も付けずに勝手知ったる様子でバーナード様が突撃していった奥の書斎の方から、その後、激しい怒号と騒音が聞こえてきたが、私は聞こえないふりをした。そういうときにはそうするものだとお母様に教わっているからだ。
やっぱり男性との交際については、母親の言うことはよく聞いておくべきだよね。
お読みいただきありがとうございました。感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。
よろしくお願いします。
【オマケ】
ーーー
ある日の父娘の会話
「ところで、ユリカ」
「はい」
「ひょっとしてお前、あのパーティの時点で、フォーサイス家の動向を知っていたんじゃないか?」
「まぁ、なぜお父様がそのように思われたのか、心当たりがありませんわ」
「密かに国境を越えようとする馬車に野盗を差し向けたりは……していないよな」
「なんて恐ろしい!そのように、すぐ足がつくような悪事するわけがありませんわ」
「……」
「そういうことは、ユリア様に一方的に横恋慕した挙げ句、公衆の面前で手ひどくふられて逆恨みしていた直情径行のご子息殿などが行う類のことですもの」
「そういう子息に心当たりは?」
「ありますけれど、その方と私が会って話ができる機会の記録は出てきませんよ」
「……では、探さないでおくとしよう」
「私の日記は皆、筆記の先生をしていただいているバーナード様のお母様に目を通していただいているので、もし必要であれば、先生にお問い合わせください。ちょうどあのパーティの前日にもその週の日記は送っております」
「あ、ああ……なるほど。わかった」
ーー
母「ユリカは容姿は私似だけど、本当にお父様そっくりだから」