夢のような話
「―――と……さと?―――おい、聖人!」
「っ!」
爺ちゃんの病室にて。さっき起こったことに関して考え込んでいたら、爺ちゃんに身体を揺らされた。
起こったことがことだったから、周りの音ととか耳に入ってなかった…。
「どうした聖人?さっきから様子が変だぞ」
「あ、ああ……ごめん爺ちゃん…。ちょっと、頭が混乱する出来事があったもんだから…」
「なんだ?牧場から逃げ出した大量の牛にでも追いかけられたか?」
「そんな経験すんの爺ちゃんくらいだろ」
戦争時の傷痕が目立つ目を点にして、えっ。そうなの?とでも言いたげな爺ちゃん。強面だが、中身は愛嬌たっぷりの好々爺である。かなり破天荒な性格でもあるけど…。
前は白髪をワックスでツンツンにしてたが、病院では検査の邪魔になったりするからと、今は下している状態。
そして元軍人だからか、90歳なのになかなか逞しい身体をしている。あと凄い元気。
―――この時はまさか、三日後には死ぬなんて思わなかったな。
「そうか……俺ぐらいか、あんな経験すんのは。はっはっは!そりゃいい!死んでも自慢出来るじゃねぇかっ!」
「つうか爺ちゃん、この話もう数十回してんぞ…」
「ん?そうかぁ?」
昔爺ちゃんは、友人の牧場を手伝いに行ったことがあるらしく、その時に牧場の牛たちが逃げ出したそうだ。
そして不運にも牛全員から総突撃されて追いかけまわされたらしい。
まぁそのまま牛舎まで誘導して、事なきを得たらしいが……その時なんともバカらしいというか、聞いてるだけじゃとても信じられないことを爺ちゃんはやってのけたそうだ。
なんでも高さ数十メートルある、牛舎の屋根の上までジャンプしたそうだ。牛たちはそのまま牛舎の中へゴールインである。しかも当時50代。
その一部始終は当時高校生だった母さんも見ていたそうだから、恐らく事実なのだろう。ジャンプ台も何も無かったそうなのに、本当に人間なのか疑う話だ。
だけど……そこからがなんともバカらしい、という部分なのだが……
『がーはっはっは!どうだテメェら?俺の脚力は!』
『あんれまー。宮臓、お前相変わらずすんげぇなー』
『だろー?だがすまん!降りられなくなった、助けてくれ。がーはっはっは!』
『お父さん!?』
驚異的なジャンプをした癖に、降りることまでは出来なかったらしい。
漫画のキャラじゃないんだから、そりゃ数十メートルの高さから飛び降りたら怪我じゃ済まないもんな。
……屋根までジャンプしてる時点で漫画の住人っぽいけど…。
幸い近所でクレーンを使った電気工事が行われてたおかげで、それで助けられたそうだ。
「でも爺ちゃんって本当に凄いというか、不思議だよな~。やることなすこと、全部上手く行くんだもん」
「そうかぁ?俺は人よりちょ~っと器用で凄いだけだぞ?」
「ちょっと?爺ちゃんみたいな人間が、ちょっと…?」
「がーはっはっは!細けぇことは気にすんなっ!」
そう。高さ数十メートルの屋根に乗った話もやべぇけど、その他にも爺ちゃんには数々の伝説がある。
料理を作らせたらプロの料理人並み。折り紙の大会で何度も優勝している。60歳で百メートル10秒を切ったなどなど、おおよそ普通の人間が達成できることではないことまで成し遂げている。
60歳で百メートル10秒切るって化け物過ぎんだろ…。一体どんな内部構造してんだ。
「それより、お前さんが悩みなんて珍しいじゃねぇか。どんな面白いことがあったのか、爺ちゃんに話してみろよ」
「面白がるなよ。……いいよ別に。言ってもどうせ信じてもらえないし…」
「いいから話してみろ!俺だって人には信じられねぇような経験してんだからよ!」
自覚あんじゃねぇか…。それで何がちょっと凄いの自己評価で留まってんだよ。
でもな~……流石にさっきみたいなことは、爺ちゃんでも経験したことないだろうしなぁ…。
「ほぉら。言ってみろ。爺ちゃんだけは信じてやるっ!」
「……………じゃあ言うけど、笑うなよ?」
俺はさっきあったこと―――神社の鳥居を潜った瞬間、いきなり病院の目の前にいたことを話した。
到底信じられない、有り得ない出来事……頭がおかしくなったのではないかと疑われるレベルの話だ。俺だったらそんな話聞いた後、脳外科を勧めるね。
そして俺からその話を聞いた爺ちゃんはというと……
「神社に参拝しに行って……その後いきなり病院の前に着いた―――流石の俺もそんな摩訶不思議な経験はしたことねぇな」
「だろ?信じらんねぇだろ…」
爺ちゃんは笑いはしなかったが、やはり信じられないといった様子だ。
しかし―――
「おいおい、誰が信じねぇっつったよ。俺はあくまでも、自分じゃ経験したことねぇって言ったんだ」
「え?」
だけどそれは、俺の勘違いだったようだ。
爺ちゃんはニカっと笑いながら、俺の話を信じると言ってくれた。
――――――――――――――――――――――――
「それじゃあ爺ちゃん。今日はもう帰るよ」
「おう!気を付けて帰れよ」
楽しい時間はあっという間だ。三時間くらい爺ちゃんと談笑していたら、いつの間にか夕方に差し掛かっていた。
爺ちゃんとは話だけでも楽しいから、ついつい話し込んでしまう。
また明日来ることを約束して、病室から出ようとする。
「聖人」
すると、爺ちゃんから呼び止められた。
その声はなんだか、少し悲しげというか、寂しげなように感じた。
振り返ると、何やら神妙な面持ちで俺を見ながら言う。
「……前々から聞こうと思ってたんだが―――仙孤様にはもう、会ったのか?」
「仙孤さん?うん。今日会ったけど?」
あの巨乳美女がどうかしたんだろうか?
いや、今爺ちゃんは仙孤様って言ったよな?てことは現宮司である、彼女の父親のことを言ってるのか?
あの人の父親ってことなら、爺ちゃんの年下のはずなのに……その人を様付けって、宮司って俺が考えてるより凄い偉いんだな。
「ごめん。会ったのは娘さんの方だよ。爺ちゃんの言う仙孤さんは、今他の神社の手伝いに行ってるんだって」
そういえば、仙孤さんの下の名前を聞いてねぇや。明日聞いてみよ。
「娘さん…?―――ああ、そういうことか」
俺から仙孤さんのことを聞いた爺ちゃんは、一人納得した様子で頷き、ニカっと笑いながら続ける。
「そうかそうか!あの子に会ったのか!胸がデカくて、可愛かっただろ?」
「う、うん。めっちゃ可愛かった」
胸がデカい発言は気にしないどこ…。流石に身内と猥談はキツイ。
いや男なら胸の話は身内でもするんだろうけど、思春期の俺にはきちぃ…。
「絶対、失礼のないようにな!聖人」
「わかってるよ。たぶんこれからも会うだろうから、ちゃんと態度には気を付ける」
その会話を最後に、俺は病室から出た。
「―――そうか。やっぱり会ってたのか……俺はもうすぐ、死ぬんですね…。仙孤様…」
――――――――――――――――――――――――
爺ちゃんの病室から出て、エレベーターに向かう。
帰る前に病院内のコンビニにでも行こうかな。
なんか知んねぇけど、病院内のコンビニで買う飯って外のコンビニより美味い気がするんだよな。
病院の匂いが何か脳にもたらしてるんだろうか?
そんなこと考えながら歩いていると、一つの病室から声が聞こえて来た。
「噓つきッ!絶対に息子は治るって言ってたじゃないですか!?」
「おいやめろ。先生だって手を尽くして……」
な、なんだ?何の騒ぎだ?
気になった俺は、思わず立ち止まってしまう。
話が気になって耳を澄ますと、中の会話がより一層ハッキリ聞こえて来た。
「息子は……息子は助かるって、言ってたじゃないですか…」
「……申し訳、ありません…」
「先生。息子は……どうしても助からないんでしょうか?」
「……………はい。今夜が山です。覚悟は……しておいてください…」
「っ!?噓つき……噓つき…」
女性の声が一つ……いや二つか?一人はただ泣いているようだ。それと、男性の声が二つ。
だけどそれだけでなく、何やらか細い声も聞こえて―――いや、これは呼吸音か?
「はぁー……はぁー……はぁー…」
凄く苦しそうで、幼そうな呼吸音―――って、なんでそんなとこまで聞き取れてんだ!?扉閉まってんのに。
しかも中の状況がある程度把握出来ている……俺ってこんなに耳良かったっけ?いや、耳が良いどころの話か?
「おまえ。一度外に出て、落ち着こう…。裕理はどうする?」
「……すんっ……裕太のそばにいる…」
「そうか……わかった」
そんな声が聞こえて、病室の扉が開かれる。
出てきた男性と目が合い、お辞儀されたので、こちらもお辞儀で返した。
女性は顔を両手で覆っていて、俺には気付いていない様子だ。
女性が男性に引かれる形で、二人はこの場から去っていく。外の空気を吸いに行ったんだろう。
病室の窓を開けたら、病人の身体に毒なのかも。
病室のネームプレートを見てみると、誰がここに入ってるのか、俺は思い出した。
羽柄気裕太君。
まだ8歳の子どもで、去年からずっとこの病院で入院しているらしい。
爺ちゃんが入院して間もない頃に、病院の庭で泣いているのが気になって声を掛けたことをきっかけに仲良くなった。
俺は爺ちゃんに似て、子ども好きだからな。どうしても放っておけなかった。
重い病気を患っているらしく、凄い不安がっていたが、俺と話している間はそれが無くなっていたのか、凄く可愛らしい笑顔だったのをよく憶えている。
最近はどういう訳か、面会謝絶の札がぶら下がっていて会えていなかったが……なるほど。体調が悪化して、会うことが出来なくなっていたのか。
―――でも今は、面会謝絶の札も無いし……入っても、良いよな?
一体誰に言ってるのか、俺はそんな言い訳を心の中で呟きながら中に入る。
中では酸素マスクを付けている裕太君がベッドに横たわっていて、そこに一人の少女が顔を埋めるようして泣いているのが目に入った。
さっきの二人は、裕太君の両親だよな?てことはこの子は、裕太君のお姉さんかな。前にお姉ちゃんがいるって言ってたし。
……裕太君。凄い辛そうだ…。さっきの騒ぎからなんとなくわかっていたけど、この様子からすると、本当にもう長くないんだろうな…。
「えっと……君は?」
突然入ってきた俺に、裕太君の担当医だと思われる先生が声をかけてくる。
「勝手に入ってすみません。裕太君とは、二ヶ月くらい前に仲良くなって……えっと。あっちの病室の、室井宮臓の孫です」
少々慌てた感じで自己紹介する。
……って、何やってんだ俺!?部外者だぞ。いくら裕太君と仲良かったからって、ここに入っていい訳ないだろ!?
早く病室から出ないと…。
「本当、すみませんでした。すぐ出て行きますんで……」
「待ってください…」
しかし、急いで出て行こうとする俺に、ベッドにうずくまっていた少女が声をかけてきた。
涙で腫れてしまった目で見つめて来る彼女は、掠れた声で続けた。
「聖人さん……ですよね?」
「え?……はい。そうですけど…」
「やっぱり…。裕太から聞いています。辛い時に、話し相手になってくれたそうですね…。それも毎日のように」
「……………」
裕太君。俺のこと家族に話してたのか。
……それだけ、病気と戦う彼の助けになっていたってことかな…。
「どうぞ、おかけください。裕太も……天国に行く前に、聖人さんに会えて嬉しいと思いますので。……あ。私は裕太の姉の、裕理って言います」
天国……その言葉を聞いて、胸が強く締め付けられる。
さっき、今夜が山って言ってたもんな。てことは、明日になる前には……
俺は彼女―――裕理さんの向かいの椅子に座って、裕太君の顔を見る。
うっすらと目が開いている状態だが、俺が見えているのか、声が聞こえているのか怪しい状態だ。
……本当に、すげぇ苦しそうだ…。
「裕太君と出会ったのは、二ヶ月くらい前にうちの爺ちゃんが入院した頃なんです」
俺は裕太君の手を握りながら、彼と出会った日のことを話し出す。裕理さんはそのことを、裕太君からも聞いているはずなのに。
だってそうしていないと、俺の心が保たなそうだったから。
ここから急いで出ようとしたのは、そういう理由もあった。勝手に入っておいて、なんとも自業自得である。
ただ彼女も、少しでも気を紛らわしたかったのか、静かに俺の話に耳を傾けてくれていた。
裕太君が病気で苦しくて泣いていたこと。楽しいこと、面白いことを聞かせてあげたこと。病気が治れば、それを君も経験することが出来るから、頑張れと応援してあげたこと。爺ちゃんから習った、少々歪な竜の折り紙を作ってあげたこと。
……そういえば、引き出しの上に置いてあるの、俺があげたやつだ。
ずっと……大切にしていてくれてたんだな…。
俺からその話を聞いた裕理さんは、涙を流しながら頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます…。裕太の、話し相手になってくれて。私は受験が忙しくて、なかなかお見舞いに来れなかったので」
「そんな……頭を上げてください。俺はただ、泣いてるこの子を、放っておけなかっただけですし…」
庭であんなに泣いている子どもを、放っておける訳がない。話し相手になってあげて、当然だと俺は思う。
だからお礼を言われるようなことをしたつもりはないし、そんなに畏まられたら、逆に困ってしまう。
「それでも、ありがとうございます。……貴方のことを話す裕太は、凄く楽しそうでした。病気のせいでほとんど笑顔を見せることが無かったこの子が、また笑うようになったのは、やっぱり聖人さんのおかげですから…」
そう言われて、裕太君を見る。すると、うっすらと開いている彼の目と合った気がした。
そして―――裕太君の手を握っている俺の手を、握り返して来た。
「裕太君?」
「……………り……と…」
「っ!?裕太っ!」
僅かに喋った裕太君に、裕理さんが反応する。そんな彼女に、裕太君は空いている手を伸ばした。
裕理さんはそれを手に取って、何か言おうとしている裕太君の言葉に、耳を傾ける。
「あり……が……と…。おにい………ちゃん…」
か細くて、本来なら聞き取れないはずの掠れた声。だけど―――なぜか俺の耳には、ハッキリと聞こえた。
おにいちゃん……裕太君は、俺のことを『まさとおにいちゃん』と呼んでいた。だからその言葉が、俺に向けられた物だというのは明らかだった。
「がんばったけど……だめ、だった…。おねえ……ちゃんと……もっと、あそび………たかった……な…」
「裕太…?どうしたの?お姉ちゃんはここにいるよ。だから、ゆっくりでいいよ…」
しかし裕理さんには、裕太君の声が聞き取れないらしく、涙を流しながら聞き返している。
でも裕太君はそんな余裕がないのか。あるいは聞こえていないのか、そのまま続ける。
「おにい……ちゃん……………ありが、と…。びょうき……なおら、なかった…。でも……おにい、ちゃんの……おかげで……すごく……たのし、かった…」
その言葉を聞いて、俺の目から涙が零れた。
裕太君の言葉は途切れ途切れだけれど、それでも言いたいことはよくわかった。
楽しかった?俺と会ってから、この二ヶ月の闘病生活がか?
確かに楽しそうに俺の話を聞いてたし、俺と一緒にいる君は、凄く良い笑顔だったよ。
無邪気で、可愛くて……子どもらしい良い笑顔だったと思うよ。部外者でしかないはずの俺が、君の心の拠り所になれて、嬉しく思うよ。だけどな―――
「天国に行く前に、良い思い出を残してあげる為に、話し相手になった訳じゃねぇぞ…」
俺は君に、負けて欲しくなかったんだ。病気に苦しめられて、ただ俯いて泣くことしか出来なかった君を励ましたのは、そんな言葉が欲しかった訳じゃねぇぞ…。
無事に退院して、いっぱい笑って欲しかっただけなんだ。
『ぼく、病気が治ったら、お姉ちゃんといっぱいあそぶんだ!それで、まさとおにいちゃんもいっしょにあそぶの!』
『え?俺も?』
『うん!だって、まさとおにいちゃんのおかげで、最近すごく調子がいいんだよ!だから、ぜったい病気を治して、いっぱいお礼するの!』
『ああ、そういうこと…。別に俺は何もしてないんだがな。でもわかった。約束な』
『うん!やくそく!』
以前に、裕太君と交わした約束を思い出す。
あの時の裕太君は、希望で満ち溢れていた。病気を治して、受験で忙しかった裕理さんと、今まで遊べなかった分いっぱい遊ぶっていつも言っていた。
俺に元気を貰ったから、いつかそのお返しをするって言っていた。
だけどもう……それは叶わない…。この子は、この後……
「やく……そく……………やぶちゃ、った…」
涙を流しながら言う裕太君の言葉に、歯嚙みする。
これが漫画やアニメだったら、本人の生きたいという意思が奇跡を起こしたり、ファンタジーであれば魔法で容態を回復させて、ハッピーエンドを迎えることが出来るんだろう。
でも現実は非情だ。この世に魔法なんてある訳ないし、生きたいという意思だけで病気が治るとか、そんな夢のような話なんてない。
ただこうして手を握って、死にゆくこの子を見ていることしか出来ない…。
―――でもやっぱり……つい縋ってしまうのが人間なんだろう。願わずにはいられないのが、人間なんだろう。
「……そんな夢のような話が、あったらいいのにな…」
俺がそう呟いた瞬間―――裕太君の身体が、淡い光りに包まれた。
爺ちゃんの話以外にギャグがねぇや…。
次もこちらを投稿しようと思います。
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