第97話 片田舎のおっさん、農地を眺める
「今日もお疲れ様、アリューシア」
「いえ、先生もお疲れ様です」
王子と王女を一日護衛し、日も沈みかけた騎士団庁舎の中。
俺とアリューシア、それぞれが互いに一日を労い、今日はそろそろ解散、といった頃合いだ。
「しかし……今日も静かなものだったね」
「ええ、不気味なほどに」
自然と話は、御遊覧の警護の方向に向く。
本日も特に異常なし。それはそれで良いことではある。
ただその中で不思議だったのは、あの襲撃事件が起きて以降、まったくもって後続の事件が起きなかったことだ。
マジで何も起こらなかったからね。不穏な視線一つすら感じなかった。
あんな事件があったとはいえ、王族の遊覧が一大イベントには変わりないので、相変わらず野次馬は沢山居た。しかし、そんな中であっても最初に感じたような気配は微塵もなく。
これには俺も含めた全員がびっくりしたというか拍子抜けというか。
最初の騒ぎはなんだったの? みたいな気持ちとともに、この数日を過ごしてしまった、というのが正直な感想であった。
「まあ、何事もなければそれが一番いいんだけどね……」
無論、襲撃事件なんか起きない方が良いに決まっている。ただ、一度来たものが今後も来る可能性が高いと踏んでいれば、若干の肩透かし感は否めなかった。
ちなみにだが。
最初の事件が起きて以降、全員が全員警戒してはいたものの、一番気合が乗っていたのは教会騎士団のガトガであった。
あの風貌でギロギロと周囲を見渡しまくるもんだから、威圧感が半端ではなかった。ガトガがあんな態勢で居たから襲撃犯が恐れをなしたのでは、と言われても不思議ではないくらいである。
対するロゼは普段と変わらず、にこにこふわふわとしていたんだけど。まあ彼女は素の資質がそういう感じだから、別に手を抜いていたとかそういう話ではないと思いたい。
「しかし、結局有益な情報は引き出せず、か……」
「私も、多少油断していた面は否めません。しかし、あれほどとは……」
俺の零した言葉に、アリューシアが少し表情を陰らせて反応を返す。
と言うのは、捕えた襲撃犯たちのことである。
彼らは騎士団の手で捕えられた後、いつぞやのレビオス司教の時と同じように、騎士団庁舎の地下で拘束されていた。
どうして王族を狙ったのか、その目的や背景など、多少なりとも情報を吐き出させることに期待もかかったのだが。
あろうことか捕えた襲撃犯、タイミングの誤差は多少あれど、全員が全員自害してしまったのである。
これには騎士団も仰天。そのことを俺は後から聞かされたのだが、結局有用な情報は何一つ手に入らず、闇に葬られてしまったわけだ。
なので、目的やらその他の情報やらは終ぞ何も分からず。更には御遊覧が継続されるとなった以上、いつも以上に気合を入れていつも通りに守るしかなかったのである。
一応可能性として、襲撃を起こした連中があの時の面子で全員だった、という線もある。どちらにせよガトガが一人逃してしまっているから、油断は出来ない状況だけどね。
ただまあ、それもあと一日で終わると考えれば、ようやく解放されるという気持ちも少し湧いて出てくるのだが。
「残すは明日だけか」
「ええ、最終日は警護はありませんので」
ふとした呟きをアリューシアが拾う。
一応、警護の予定としては明日が最後である。使節団来訪の全体の予定として、最終日は御遊覧を予定されていない。なので、騎士団の出番としては明日で終わりとなる。
この数日でまったく動きがなかったことは不思議ではあるが、もし何かあるとすればそれは明日だ。
勿論、何も起きずに終えることが最善ではある。しかし、あれだけの殺気と姿勢を見せておきながら、襲撃が一回こっきりで終わるというのもどこか腑に落ちない。
まあ、ここら辺は考えても仕方がないか。どうせ何かが起きる起きないは俺が決められることではなく、そうであればあれやこれや悩む必要もそこまでない。
ことが起きたら対応せねばならんし、起きなければ万々歳だ。
「よし、じゃあ今日は帰るとしようか」
「はい、お疲れ様でした」
特に何事も起きなかったので、各分隊長から提出される報告書にも問題がない。つまり、話し合うべき事項が少ないのである。せいぜいが、初日にグレン王子が寄ったアクセサリー屋が未だ繁盛していて警備の手を緩められない、ってくらい。
なので、あとは帰って飯食って寝るだけ、みたいな感じ。
あ、あとミュイの話を聞くという重要なミッションも残っているな。彼女の学院生活に何か不満や不備がないか、聞き取りという名の体の雑談である。
ミュイはミュイでまだ遠慮がちと言うか、その辺りをあけすけにする性格でもないもんで、根気強く日々のコミュニケーションを図っている、というのが現状だ。
それはそれで楽しいひと時だけどね。小さい子供の相手は道場で慣れてるから、少しずつ距離を縮めていけたらいいなあと思っている。
さて、今日の予定に思考を巡らせたところで帰るとするか。
騎士団庁舎から一歩外に出ると、やはりいい意味で騒がしいバルトレーンの中央区。祭り中ということもあって、朝から晩まで賑やかだ。
襲撃事件があった当日は色々な意味で喧しかったが、ネガティブな騒ぎはここ数日が平和だったのもあって収まりつつある。
願わくは、このまま何事も起こらずに、すべての日程を消化出来ることを祈るばかりである。
そんな気持ちを抱いて、俺は一人帰路に就いた。
「本日も、よろしくお願いしますね」
「はっ」
で、時は過ぎ去って翌日。
今日も今日とて王族方の護衛だ。いつも通り王宮前へ移動し、グレン王子とサラキア王女を出迎える。
お二人の表情も、いくらかマシになっているようで何よりだ。最初の事件こそショッキングだったが、その影響も少しずつ薄れてきている、といったところかな。
「……」
対する教会騎士団側の表情、特にガトガの顔はあまり優れない。身内が下手人候補とあっては、気の休まるタイミングもなかったことだろう。体力はありそうな体つきをしているが、流石に若干疲労の色が出ているようにも感じた。
「ガトガさん、大丈夫です?」
「ん……ああ、問題はない。あと数日、乗り切って見せるさ」
何となく気になって声を掛けてみたが、返ってきた声は力強い、しかし俺の懸念までは払拭し切れない、そんな声色であった。
俺たちレベリオ騎士団と違い、スフェンドヤードバニア教会騎士団の方は今日で任務が終わるわけではない。
王子の御遊覧を終えた後、母国まで護送する役目がまだ残っている。どっちかと言えば、街中でレベリオ騎士団と共同して動く今日より、襲撃の危険性を考えながら長距離を移動する帰路の方が本番だろう。
もしかしたら、先日襲ってきた連中の仲間は街中での襲撃を諦めて、グレン王子が帰路に就く時に狙いを定めているのかもしれない。
逆にもしサラキア王女が狙いなのであれば、今日を逃せばその機会がぐっと減ってしまう。
「では、参ります」
さてはて。今日という護衛最終日を無事に乗り切れるか否か。
そんな思惑が過ったところで、馬車を引く御者の声がかかる。
今日は南区まで足を伸ばし、バルトレーンが誇る一大農業地域を一通り見て回る予定だ。
あまり派手さはないものの、農業は国を支える基本である。
レベリス王国は比較的その辺りが恵まれている国だから、スフェンドヤードバニアとしても、その屋台骨を見ておくことに意義はあるのだろう。多分。
国が違えば、国土の広さや気候も変わってくる。どこまで参考になるかは分からないが、まあ御遊覧の予定に俺が突っ込んでも仕方がないしな。
「うわあ……広いですね。そして綺麗だ」
「うふふ、そうでしょう。レベリス王国が誇る農業地域ですから」
そしてやってきましたバルトレーン南区。
もうね、辺り一帯緑、緑、緑。地平の向こうまで続くんじゃないかという規模の畑が複数並んでいた。
「こりゃ壮観だ」
俺も南区まで足を伸ばしたのは初めてだが、地元のビデン村とは何もかもが違う。あんな小ぢんまりした畑とは、比べるのも烏滸がましいくらいだ。
呟いた通り、これはこれで壮観である。昼食を持参してのピクニックなんかもよさそうだな、なんて感想も抱いてしまうほどには。
ビデン村はビデン村で趣もあるが、こんな大都会で一面の畑を眺める、というのもまたオツなものだ。状況がこうでなければ、さぞ気持ちの良い一幕だったろう。
「……」
しかし現状、油断は出来ない。
中央区や西区と違って背の高い建物はあまり見当たらないものの、作物が多いので死角が意外とある。
だだっ広いということは自然と全方位を警戒せざるを得ず、外周は騎士たちが固めているものの、どこに刺客が潜んでいるのか、当たりを付けづらいというのも事実だ。
今のところ、怪しい気配は感じられない。
ないが、狙うならこうやって王子と王女が馬車の外に出ているタイミングだろう。今日だけで言えば、そのタイミングは今くらいしかない。この後はさしたる予定もなく、王宮へ戻るスケジュールだからだ。
「……ッ誰だ!」
景色に視線を預けるのもほどほどに、周囲への警戒を行っていたところ。
突如として、ガトガが張り詰めたような声を出す。同時に、畑の茂みがガサリ、と揺れた。
「……兎ですね」
「……すまん」
飛び出してきたのは、白くてふわふわした毛皮を持つ小ぶりな兎。その兎はガトガの大声にびっくりしたのか、ぴょんぴょんと跳ねながら向こうの茂みへと潜り込んでしまった。
対するガトガの、ばつが悪そうな声と顔色が印象的だった。そりゃ警戒してたもんね、仕方ないね。
「うふふっ」
その様子を見て、サラキア王女もつい笑みが零れてしまった様子。
先ほどまでの緊張から一転、和やかな空気が場を包む。
周囲の騎士たちにもその気配は伝播したのか、ちらほらと笑い声も聞こえてきていた。
まあ、緊張で凝り固まってしまうよりは余程良い。ある程度肩の力が抜けていた方が、上手く動けるというものだ。
それに、見る限り脅威は感じられない。先日襲われた時と違って背の低い建物が多いから、上への警戒もそこまで重要ではないしね。
「では、戻りましょうか」
「ええ、良いものを見られました」
王子と王女は眼前の農業地帯を一通り見て満足したのか、馬車の方へと踵を返す。
場所が場所なもんだから、すぐ近くまで馬車で乗り込むことは出来なかった。なので、馬車を止めてある地点まで多少歩く必要がある。
「――待て! 貴様、止ま……うぐっ!?」
そうして馬車の下へと歩みを進めたところで、外縁の騎士から怒声が上がった。
聞こえてきたと同時、王子と王女の肩が跳ねる。やはり前回の事件が、軽いトラウマにはなっている様子だった。
「……ふぅ」
来たか。やっぱり来ちゃったかあ。まあそうだろうなとは、そこはかとなく思ってはいたけれども。
視線を向ければ、騎士の守りを突破してくる複数の黒ずくめの影。服装は前と同じだな、やはりぱっと見で正体を知られないようにはしているらしい。
だが、今回は奇襲じゃない。皆心構えが出来ていたし、頭上から突然刺客が降ってくるわけでもない。
先日の戦闘を鑑みるに、襲ってきた連中が前と同程度の実力であれば、撃退は出来るだろう。
ゼノ・グレイブル製の剣を鞘から引き抜き、構える。
さてと、仕事の時間だ。油断せず、きっちり役目を果たすとしようか。
コミカライズ第1巻、重版が決定しました。
お手に取って頂いた皆様、ありがとうございます。小説版ともども今後ともよろしくお願いいたします。




