第95話 片田舎のおっさん、話を聞く
「そういえばお主、イブロイには会っておらんのか?」
「あー……そういえば、会ってないね」
話題に出たついで、というとなんだか扱いが悪いが、イブロイと会ったかどうかを尋ねられた。
軽く思い返してみるも、会った記憶はない。あの格好と顔つきなら一度見れば分かるはずなんだが、まあ俺は内部まで入り込む立場でもないからな。
「俺はあくまで王女の護衛だったしね……肩書も一方的に付けられたようなものだし」
「政に関わらんならそうなるか」
「別に王宮の中に入ったわけじゃないしね」
「ま、それもそうじゃの」
俺の言葉に、ルーシーは納得したように息を吐いた。
お偉いさん方の謁見の場に俺が居合わせたわけでもないからなあ。アリューシアやヘンブリッツはもしかしたら会っているのかもしれないが、俺は言った通り、王女が王宮を出てから護衛に付いただけだし。
「それで、イブロイさんはなんて言ってた?」
「ああ、それなんじゃが――」
「お、おい、ちょっと待った」
さて、いよいよ話の核心に迫ろうか、といったところで。
隣の椅子に座っていたミュイが、やや焦ったように声を発した。
「どうしたの?」
「いや……それ、アタシが聞いていい内容なのか?」
「あー……」
うーん。言われてみれば確かに。
イブロイからルーシーに伝わっている以上、完全な秘匿情報というわけではないだろうが、それにしても無条件に広めていい話でもないはず。
ミュイと一緒に居ることが新しい生活を始めてから当たり前になり過ぎていて、そこまで気が回らなかった。むしろ、よく自分から言い出せたなと思う。そういうところ、ミュイの良いところだとおじさんは思うよ。
「ルーシー、どうなの?」
「んー……確かに、大っぴらにする、というわけにもいかんか」
そこら辺を改めて問うてみれば、やはり誰も彼もに話せる類のものではないらしい。
「んじゃアタシ、外で適当に時間潰してくる」
さてどうしたもんかなと頭を悩ませていると、ミュイが自ら席を立ち、ちょっとした外出に繰り出そうとしていた。
「うーん……ごめんねミュイ」
「いいよ、仕事の話だろ」
どうにも小さい子に気を遣わせてしまった、というのはばつが悪い。その気持ちをそのまま口に出せば、ミュイからは何ともないというありがたい返事。本当にいい子になったなあ。いや元々ちょっとすれたところはあれど、根はいい子だと思うんだけどさ。
「そんじゃ。ついでに何か買ってくる」
「ああ、うん、分かった」
「すまんの、ミュイ」
ルーシーの謝罪を背に受けて、ミュイが家を発つ。
微妙な間とともに、中年の男と見た目幼い俺より年上の女がこの場に残された。
「さて、話の内容なんじゃが」
「うん」
改めて、といった風にルーシーが言葉を紡ぐ。
俺もちゃんと聞く姿勢に入ろう。どう考えても軽い態度で流していい話題じゃないだろうしね。
「まず前提から話をしておくとじゃな。スフェンドヤードバニアは今、軽い内戦状態にある」
「えっ?」
初手にしては話題が重すぎるんだが? 思わず驚愕の声が喉から漏れ出ていた。
当たり前だけど、グレン王子はそんな素振り全く見せてなかった。いやそりゃ、他国の人間にそんな心情を慮れ、といわんばかりの態度を取られても困ることには違いないんだけども。
「とは言っても、実際に戦争しとるわけでもないでな。政権争い、とでも言った方がええかの」
ルーシーが欠伸を噛み殺しながら補足を入れてくる。
こいつ毎回思うけど、重たい話題を軽い調子で振ってくるからこっちの調子が狂う。それに対して俺はどうリアクションを取ればいいんだ。
「いや、政権争いっつったって、スフェンドヤードバニアは宗教国家じゃないの?」
まあ、まず最初に出てくる疑問はこれだ。
スフェンドヤードバニアは、スフェン教を国教とした宗教国家である。宗教のトップ――恐らく教皇だとかそういうポジションの人――が上に立っているはずだが、争いが起きるということは宗教の解釈に疑義が生じでもしたのだろうか。
「わしも詳しくは知らんが、なんでも教皇派と王権派とで争っとるらしいぞ。最近になってその気運が一層高まっとるらしい」
「ふーむ……」
これは国家としてよくある話、なのだろうか。俺の知っている世界が狭すぎて、そこら辺の物差しがよく分からない。
「ん……ちょっと待って。そもそも教皇と王様って、どっちが偉いの?」
「そこからか……」
俺の言葉に、ルーシーが今日一番の溜息を零した。
だって仕方ないじゃん。俺はそんな世界知らんのだ。
俺は政治にも国勢にも宗教にも詳しいわけじゃない。いったい何がどうなってそうなったのか、俺程度では予測することすら烏滸がましい行為だろう。
そもそも、スフェンドヤードバニアという国がどれだけ続いているのかもよく知らない。レベリス王国の片田舎で住む分には、そういう情報がなくても全く困らないからだ。
「権威上は教皇じゃな。ただし、政権自体は王が握っておる。教義の上では王もスフェン教の教徒じゃから、教皇の存在を無視は出来んのぅ」
「なるほどね……」
なんだか歴史の授業みたいになってしまったぞ。
ただまあ、何となくは分かった。
政治の実権は王様、というか王権派が握っている。ただし宗教国家である以上、王様も王族も皆スフェン教の教徒だから、その宗教のトップである教皇の方が立場上は偉い、と。
うーん、ちょっとこんがらがってきた。
おじさんこういう類の話は苦手です。
ただ、政権争いが起きて誰が一番困るのか、というくらいなら分かる。
それは勿論、その国に住む国民たちだ。上が争うしわ寄せは、必ず下に降りてくる。それも、よくない方向で。
で、だ。
教皇派と王権派が争っていて、王族の暗殺未遂が起きる。となれば、誰が下手人なのかは自然と予測が付くというもの。
「つまり、王権派の失権を狙った教皇派の仕業ってこと?」
「そうじゃろうな。第一王子なんじゃから、王位継承権は当然一位じゃろ」
話の筋としては通る。
通るが、それだけでは足りない気がするな。
「でも仮にそれが成功したとしても、第二王子が跡を継いだら同じじゃない?」
「第二王子……ファルクス王子殿下は、特に敬虔なスフェン教教徒でな」
「んー……」
なるほど、何となくだが読めてきたぞ。
グレン第一王子殿下は順調にいけば近い将来、王位を継ぐのだろう。で、そうなると教皇派としては少々都合が悪い、と。
それなら、いっそのこと第一王子を謀殺してしまい、スフェン教の熱心な信徒である第二王子を王位に据えた方が、教皇派としては上手く回せると踏んだか。
多分、究極の狙い目としては第二王子を表に立たせた傀儡政権なのだろうな、と思う。
意思決定は教皇派がすべて行い、国民への情報開示は第二王子を通してやるという形だ。
スフェンドヤードバニアのお偉いさん方が、国をどういった方向に持って行きたいのかは分からない。俺は他国どころか自国の内情すらもよく知らないし、もしかしたら国民から民主主義の機運が高まっているのかもしれない。
ただ、かといってそういう謀を看過できるかと言われればまた話は別だ。
それが、俺の努力で防げる可能性のあるものなら、尚更である。
ただし、それはそれで腑に落ちないことがあった。
「しかし……なんでわざわざレベリス王国で仕掛けてきたんだろうね」
そうなのだ。
単純に王子を謀殺するのなら、レベリオ騎士団が合流する前に仕掛けた方が絶対に都合がいい。何なら自国内のことなのだ、他国が割り込んでくる前にスフェンドヤードバニア内で収めた方が、今後の外交も含めて有利に働くはずだが。
「恐らくじゃが……今回の遊覧を途中で中止にさせること、それそのものも目的の一つだったかもしれんの」
「と言うと?」
「第一王子の王位継承が近い、ということじゃろ」
「ふむ……」
スフェンドヤードバニア使節団の来訪は、毎年定例的に行われる国事である。
俺は今回が初めてだが、過去の例に遡ってみても、王族の誰かが使節団に同行し御遊覧なされるのが通例と聞いている。
王族は基本的に、王城や王宮から出てこない。
そうなってはいくら凄腕の暗殺者を雇ったとしても、直接仕留めるのは難しい。どの国であろうと、一番警備が固いのは国の中枢と相場は決まっている。
しかし、直接殺めるのは難しくとも、騒ぎを起こしてイベントを中止に追い込むのはそれよりは遥かに簡単だ。
運よく殺せれば良し、そうでなくとも最低限事件を起こしてしまえば良し。
そう考えると、わざわざ御遊覧の最中に仕掛けてきた理由にも一応の説明は付く。
だが、もしそうであれば。
「もし、今回の件で中止にならなければ……襲撃はまた起きる、と」
「その公算が高いじゃろうな」
ここまでやってきたんだ、教皇派がたった一回で諦めるとは思えない。きっと次が来る。
そして、俺やルーシーでその判断が出来るのだ、グレン王子たち使節団がその仮説に辿り着かないわけがない。
「事情を聞いちゃった以上、俺としては中止の方向が良いように思うけどね」
「まあ、その辺りの判断を下すのはわしらではないでな」
これで一通り話は終わったのか、ルーシーが再び頬杖をつきながら零す。
まあ確かに、俺なんかが進言して国事の行方が決まるなんてことはないだろう。俺は今の肩書を絶妙に気楽とは言ったが、事情を知っていてかつ権力のない身ってのは、場合によってはやきもきするもんだな。
「ただいま」
「お、おかえり」
と、ここで外出していたミュイの帰還である。話も一段落ついたし、丁度いいタイミングだな。
「終わった?」
「ああ、丁度今終わったところだよ」
ルーシーからミュイへと視線を動かす。
「それは?」
「串焼き。外の屋台で売ってた」
「ミュイは肉好きだねえ」
「うっせ」
帰ってきた彼女は、手に人数分の串焼きを抱えていた。
何も言わずとも俺やルーシーの分も買ってくるあたり、やっぱりミュイは幼いながらによく気が利く。その感性が培われた過去については、賛否両論あるかもしれないが。
まあ丁度小腹も空いたところだし、ここら辺で軽食といくか。
よく食べてよく寝る子はよく育つってね。
ミュイは気遣いも出来るよくできた子
おっさんがそこら辺出来なさすぎるとも言います
 




