第93話 片田舎のおっさん、引き返す
「……ガトガさん?」
「! あ、ああ……悪い。逃がしちまった」
俺の声でやっと我を取り戻したガトガは、申し訳なさそうに言の葉を落とした。
先ほどの呟きも気にはなるが、今ここで問い詰めるものでもない。とりあえずは全員無事に刺客を撃退出来たということで、この場は収めるしかないだろう。
「アリューシア」
「はい。分かっています」
次いでアリューシアに声を掛けるが、彼女は現状を正しく認識出来ている様子だった。流石は騎士団長、有事の対応も慣れている。
こんな事件が起こった以上、観劇の予定をそのまま進めるわけにはいかない。取り急ぎ王子と王女の安全を確保せねばならない。それと現場の混乱を収めるためにも、一刻も早くこの場を立ち去る必要があった。
「サラキア王女、見ての通りの状況です。一度グレン王子とともに、王宮へお戻りください」
「ええ……分かりましたわ」
アリューシアが捕えた刺客を警備の騎士に引き渡し、サラキア王女へ進言する。
バルトレーン内で色んな意味で一番安全なのはレベリス王宮だ。騎士団庁舎も候補には入るだろうが、他国の王子を連れて行くには少々都合が悪い。とりあえずは王宮に戻って、今後のことを考えるのが最善か。
「ヘンブリッツ。貴方はこの場の収拾と指揮をお願いします」
「はっ!」
どうやらヘンブリッツを現場指揮に残して、他の面々で護衛を続ける方向でいくらしい。まあ、俺が残されても困るしなあ。こういう場にはやはり経験者を残していくに限る。
「シトラス。俺たちも王子の護衛に付くぜ」
「もとよりそのつもりです。お願いしますよ、ラズオーン」
調子を取り戻したらしいガトガも、気合を入れている様子だ。
ロゼは変わらず、微笑みを湛えたままである。どんな状況でも焦りを表に出さない彼女の資質は流石だな。
「最短経路で戻ります。先生、申し訳ありませんが外での随伴をお願いできますか」
「ああ、勿論そのつもりだよ」
まさかこの事態に俺だけ馬車でのんびり、というわけにはいかないだろう。もう囮がどうとか言ってられる状況じゃない。ヘンブリッツを除いた腕利き全員で、王族の乗る馬車を囲む。
しかし、馬車の御者やら一般市民やらに被害が及ばなかったのは不幸中の幸いかな。襲ってきた奴らも完全に標的を絞っていたようだし。
馬車の中には変わらず侍従が付き従うが、彼ら二人にも驚愕と不安の感情が見て取れる。戦う術を持っていても、いざという場面ではやはり、経験がものを言う。その観点から述べれば、侍従の信頼度はあまり高くは置けないな、とも感じてしまった。
「アリューシア、目星は?」
いそいそと出発し始めた馬車の隣に付きながら、アリューシアに問う。
俺には当然、襲撃の心当たりなんてまったくない。そういう界隈にも疎いからな俺は。伊達に長年片田舎で籠っていたわけじゃないのだ。何の自慢にもならないが。
「現時点ではなんとも言えませんね」
「まあ、そうだろうね……」
聞いておいてなんだが、今ここで予測が立てば誰も苦労はしないわけで。そういう意味でもやはり、一度安全な場所を確保してしっかりと話し合う時間が必要だ。
ただこれには、何としてでも予測を立てておかなければならない理由が存在する。
今回の襲撃は果たして、王子を狙ったものなのか、それとも王女を狙ったものなのか。
もっと言えば、レベリス王国の問題なのか、それともスフェンドヤードバニアの問題なのか、という話だ。
両方を狙った、というのも可能性としてはあるが、ちょっと考えにくい。わざわざ王族を白昼で狙うくらいだ、どちらかの国の事情が絡んでいるはずである。
俺はそこら辺全く詳しくないけどアリューシアやガトガ、それにロゼといった面々は、お国柄の事情にもある程度精通しているはず。
そこの結論を推測でいいから出さないと、今後の国交問題にもかかわってくる。国勢に疎い俺でもそれくらいは分かるのだ、他の三人がそれを考えていないはずはない。
周囲への警戒は怠らず。それでも、護衛に付いた各々は考えに耽っているようにも見えた。
馬車の中では今、どんな会話がされているのだろうか。それとも、二人とも無言で時が過ぎ去るのを待っているのだろうか。
狙われている王族二人に心当たりがある、という線も捨てきれない。というか、諸々を考えたらそれが一番可能性としては残っている。
しかし、俺ごときの身分で王族に対して「命を狙われたことに心当たりありますか?」なんて、口が裂けても言えない台詞だ。
それを聞けるのは騎士団長であるアリューシアやガトガでギリギリ、といったところだろう。そもそもこんな開けた場所で話せる内容でもない。どこに聞き耳が立っているかも分からないしね。
「どうなるんですかね~、今後の予定……」
ロゼがやや眉尻を下げながら零す。
「十中八九中止だろうね。こんな事件が起きたんじゃ……」
捕えた刺客も何人かいるし、しばらくは取り調べと調査でレベリオ騎士団はてんやわんやだろう。とてもじゃないが、まともに御遊覧を続けられる状態ではない。
グレン王子が国に帰るのか、レベリス王国に留まるのかはまた別問題だが、何にせよ呑気に街巡り、なんて出来る状況ではなくなった。
ただまあ、そこら辺の判断は騎士団ではなく使節団や王族たちになるだろうから、俺たちは基本的に命令待ちの立場になる。
堅苦しい仕事から早めに解放されるかも、なんてちょっとした期待も過るが、まあそれは流石に不謹慎が過ぎる。別に俺は騎士でもないしお国に強い忠誠心を持っているわけでもないが、それでも善良な一般市民として、厄介ごとが起きれば気を揉むものだ。
ロゼとの会話を最後に、無言で馬車の周囲を歩く。
今回の襲撃について道すがら考えてみるが、やっぱり俺なんぞの頭では碌な答えも出てこない。どちらかと言えば、王女を狙った線の方が濃いかもしれないなあ程度である。
と言うのも、グレン王子を狙うならアリューシアやヘンブリッツといった、レベリオ騎士団が合流する前に仕掛けた方が単純に成功率は上がるだろうからだ。
スフェンドヤードバニアからレベリス王国まで、どういうルートを辿って王子が来たのかは分からないが、基本的に移動中というのは一番隙がある。常に平坦な道を進んできたわけでもないだろうから、そういう可能性だけで言えば、王宮から出てきた王女を狙った線がしっくりこないこともない。
お忍びで出かけることでもない限り、王族が国民の前に姿を現す機会ってのは存外に少ない。俺はビデン村に住んでいたからというのが大きいが、バルトレーンに住むようになってから一度もお目にかかったことがないわけだし。
ただ、ガトガが先ほど呟いたヒンニスという名も気にはなる。
俺の記憶が確かなら、その名前は教会騎士団の前副団長ではなかっただろうか。そう考えると、教会騎士団、というかスフェンドヤードバニア側にも何か事情はありそうだが。
まあ、そこら辺は捕えた暗殺者を問いただせば多少は情報も出てくるだろう。それを待つのが一番早い気もする。
そんなことを考えながら歩みを進めることしばし。
本来王宮に戻るには些か早い、まだ日が高く昇った時分に北区へととんぼ返りとなった。
「サラキア王女、グレン王子」
門前に着いたことで、周囲を警戒しながらアリューシアが馬車の中へと声を掛ける。
しばらくして、まずは侍従が外を警戒し、続いて分かりやすく恐怖の感情を出しているサラキア王女と、それでも毅然と振舞おうと頑張っているグレン王子が馬車から顔を覗かせた。
「アリューシア、付いてきてくださいますか」
「はい、勿論」
「ガトガも、頼むよ」
「ええ、お任せください」
本来ならここでお別れ、となるはずだが、王子と王女はそれぞれお付きの騎士団長をご指名の様子だった。
まあ、気持ちは分からんでもない。あんなことがあったんじゃ、頼れる誰かを傍に置いておきたいってのは至極真っ当な感情だろう。
さらに二人は持っている肩書としても申し分ない。ただの一般人が王宮に入るわけにもいかんからね、そこら辺は妥当だとも言える。
「サラキア王女、少しだけ失礼します。……先生」
「ん、どうした?」
アリューシアが王女の許可を取り、俺の方へと近付いてくる。
「恐らくこの後、会議に入ります。護衛任務としては終了となりますので、先生は先にお戻りになって頂ければ」
「ああ、そういうこと。分かった」
つまり今日は帰っていい、ということだな。
騎士団庁舎で待つことも考えたが、アリューシアもヘンブリッツもいつ戻ってくるのか予測が立たない。明日に疲労を残すわけにもいかないし、今日は素直に帰っておくか。
「ロゼ、お前も先に戻ってろ。また追って指示を出す」
「はい、分かりました~」
どうやら教会騎士団側も同様の見解らしい。それぞれの騎士たちにも解散を命じ、彼らは王宮へと姿を消した。
「さて、と……」
日の光を浴びて、ぐっと一伸び。
まだ今日は半日くらいしか経っていないが、それでも事が事だけにかなり疲れたな。それを言えばアリューシアやガトガの方が今後の話し合いも含めて疲れるはずだが、まあそこは年齢の差があるということで。
「では、私も失礼しますね~」
「ああ、ロゼもお疲れ様」
てっきり彼女の性格なら、時間が出来たんで街を案内してください、なんて言い出しかねないとも思ったが、そこまで不謹慎ではなかった。
何にせよ、教会騎士団としては気が休まらない時間が続くだろう。俺も同じかもしれないが、そこは役職の差がある。あまり褒められた感情ではないが、こういう時、やっぱり俺の肩書は絶妙に気楽ではあるのだ。
さて、予想より早い帰宅になりそうで、果たしてミュイにはどう説明したものか、と。
そんなことを考えながら、俺も帰路に就くのであった。
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第3巻は2月7日発売となりますので、よければ是非お手に取ってお楽しみください。
 




