第81話 片田舎のおっさん、服を買う
「くあぁ……」
騎士団庁舎前。まだ日は東の地平から昇ってしばらくといった頃合いで、忙しなく動く人の波を眺めながら、俺はぼんやりと過ごしていた。皆さんお勤めご苦労様です。
スフェンドヤードバニアの使節団がレベリス王国にやってくるという話を聞いた二日後。俺は超速度でスケジュールを整えたアリューシアに誘われて、こうして待ち合わせている最中だ。
にしても、えらく早い時間からの待ち合わせになったな。たかだか俺の服を身繕いに行くだけというイベントのはずなのだが、朝っぱらからなんだか丸一日を使いそうな予感がしている。
しかし、俺一人ではどういう店でどういう服を買えばいいのかすら分からず、ここはもう彼女を頼る他ないわけで。
アリューシアという特級の美人と街を練り歩くこと自体は多分、喜ばしいことだと思うのだが、元弟子であり彼女が比較的幼い頃から見ている俺からしたら、あまりそういう類のトキメキは湧かない。
どっちかと言えば、レベリオ騎士団長という大物と肩を並べて歩くことに対するプレッシャーと視線の方が怖かったりする。
特別指南役などという大層な肩書を仰せつかってはいるものの、俺の本質は小市民だからね。クルニやミュイなんかとお出かけする方が気は楽なのである。別にアリューシアと歩くのが嫌だというわけではないけどさ。
「先生、お待たせ致しました」
「ああいや、そんなに待ってないよ。俺が早起きなだけだから」
なんてことをつらつらと考えていたら、道の向こうから見慣れた銀髪の女性が歩いてくるところ。
レベリオ騎士団長、アリューシア・シトラスのお出ましだ。
しかし今日はいつものプレートアーマーを着ているわけではなく。白地のカットソーに青のロングスカートといった、いかにもないで立ちである。
この姿だけを見れば、彼女が辣腕の騎士団長だなんて誰も思わないだろう。それくらいには、彼女は女性として完成された美しさを持っている。
しかし、普段は身体のラインは出ていても、どちらかと言えば男性的から中性的な服装のイメージが強いアリューシアが、スカートを履いてくるのは意外ではあった。風に揺られて僅かに覗くくるぶしが実に健康的である。
そしていつもの通り、地味な格好で待ち合わせ場所に来た俺との対比が色々とヤバい。絶対に隣に立って歩くべきではない人間だと思う。なんだか今から既に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「私服はあまり見かけることはないが……似合っていると思うよ」
「ぁ……ありがとうございます」
まあアリューシアは多分何着たって似合うと思うんですけどね。
でも女性がそれなりの服装をしてきたのなら、まず褒めるのが男のやるべきことである。それは相手が元弟子だろうが何だろうが変わらない。と、思う。知らんけど。
「そ、それでは行きましょうか。少し歩きますが」
「うん、それは構わない、任せるよ。歩きの範囲ってことは中央区?」
「ええ、そうですね」
てっきり服飾店に行くってことで西区かなと思ったんだが、行先はどうやら中央区らしい。それも歩きで行けるということはそこまで遠くないということか。
「中央区にもそういう店があるんだね。まだまだ知らないところが多いよ」
「バルトレーンは広いですから」
庁舎前から歩みを進めながら、雑談に花を咲かせてみる。
言った通り、バルトレーンに来てから短くない期間は経過しているが、俺にはこれといった散歩ルートもなければ、何か著名な店を知っているわけでもない。
仮にも首都に家を構えることになったおっさんがそれでいいのか、という思いはなくはないものの、別段生活に困ることはないのでまあいいや、と思っていたりもする。多分、ミュイの方が地理に詳しいと思う。
幸いながらというか何というか、俺には少ないながら頼れる知人が多いので、そこら辺は大いに助かっている。現に今だって、アリューシアの助力を得ている真っ最中なわけだし。
「俺が気にするまでもないと思うけど、執務は大丈夫?」
「抜かりありません。緊急性のある仕事も最近はありませんから」
「そうか。それは何よりだ」
アリューシアに緊急性のある仕事が存在している、ということ自体、騎士団としては看過できないものである。なので、言い方は悪いがアリューシアが適度に暇している方が、首都の治安としては安定している。
国家が抱える戦力が忙しい方が駄目なのだ。そこら辺はバルトレーンに住む人々も分かっているらしく、彼女に投げかけられる視線は穏やかなものだった。
ついでに、俺の方に向く視線は相変わらず慣れないものも多いけど。まあこの辺は俺が慣れるしかないんだろう。民に対して俺の知名度を上げても仕方がないわけで。
「ちなみに先生は、どのような服装がお好みですか?」
「うーん、好みねえ……」
歩きながら、アリューシアから質問が飛ぶ。
服の好みってあんまり考えたことがないなあ。ずっと片田舎に引っ込んでいたもんだから、衣食住に関しての選り好みはほとんどしてこなかった。裕福でもないが、別段貧乏な暮らしでもなかったからね。
「強いて言えば、余裕のある服がいいかな。締め付けが強かったり、重たい服はちょっとね」
「分かりました」
この理由だって俺の好みがどうこうよりは、剣士としての嗜み、という見方が強い。
いくら他国のお偉いさんが遊覧される場とはいえ、仕事の本質は護衛のはず。動きが阻害される服装は、出来れば勘弁してほしいものだ。俺はガチガチに鎧を着込むタイプでもないし、出来れば動きやすい服がいい。
俺の希望は果たして叶えられるのかどうか。アリューシアは頷いてくれたが、こればっかりは場の雰囲気とか色々あるからなあ。俺の好みだけで整うのなら、こんなお買い物は必要ないわけだし。
「では、まずこの店から行きましょうか」
「うん、お手柔らかに頼むよ」
どれくらいそうして歩いていただろうか。
辿り着いたのは、大仰ではない、しかししっかりとした存在感を持った、小洒落た店が並ぶ通りであった。
流石は首都バルトレーンの中央区、見るからに店のレベルが高い。明らかに俺の存在が浮きそうだが大丈夫かな。
「いらっしゃいませ……おお、これはシトラス様」
「お邪魔します。少し服を見させてもらいますよ」
店の見た目から既にいくらか足踏みしている俺を他所に、スイスイと店に入っていくアリューシア。ちょっと慌ててその後ろに付いていく。
気立ての好いボーイさんとアリューシアが挨拶を交わすのを尻目に、店内を見回してみる。
様々な高級そうな服が並んでいるが、それらの名称もお値段もよく分からん。ただ、見た目だけで言うのであれば、なんだかぱつぱつしていて動きにくそうだなあ、というのが第一に抱いた印象であった。
「色々とあるんだねえ」
「ええ。気になるものがあれば仰ってください」
何の気なしに呟いた独り言を、ボーイさんが目聡く拾う。
気になるものと言われてもなあ。俺のセンスなんて信用出来たもんじゃないし、ここは大人しくアリューシアに任せるのが最適解な気もしてきたぞ。
「先生。こちらは如何でしょうか?」
「うん? どれどれ……えぇー……?」
程なくして、アリューシアが持ってきた一着の服。
なんだかぴちぴちの胴体部分に加え、襟元は立て襟、それも豪勢な装飾が施されている。布地はビロードだろうか、きめ細やかかつ煌びやかな生地が目に入る。
なんだこれ。俺こんなの着なきゃいけないの。それはちょっと困るんだけどな色々と。
「プールポワンです。お気に召しませんでしたか?」
「いやあ、ちょっと……派手じゃないかなあ」
これは前言撤回すべきかもしれん。アリューシアに任せていたらいったいどんな服を着ることになるのか、少し頭が痛くなる。
いや、彼女も悪意があってやっているわけではないということは分かり切っているのだが。
それでももうちょっとこう、なんというか、ほら、あるだろ。地味目なおっさんに似合いそうな、上品だけど地味なやつがさあ。
「お似合いかと思いますよ」
俺とアリューシアに付いたボーイさんが、にこにこしながら言葉を被せてきた。
まあ彼からすれば売るのが仕事だから、お似合いだという言葉以外を使うことはないんだろうけど、それにしたってこれはちょっと似合わないんじゃないかとおじさん思うんです。
「んー……他も見てみようかな……ははは」
「そうですか……」
ただ、真正面から「嫌です」なんて言葉は俺も使いにくい。なので適当に濁して、プールポワンを避けることにする。
そしてそんな俺の言葉を受けて、アリューシアが少ししょんぼりしていた。なんかごめんよ。でもそれは流石に派手過ぎると思うの。
しかしなんというか、貴族やらお偉いさんやらが着る服ってのはどれもこうなんだろうか。見るからに煌びやかだったりぴちぴちだったりと、おっさんには些か荷が重い。
今までそういった人々に触れ合う機会がなかったもんだから、基準というものがイマイチよく分からない。アリューシアやヘンブリッツの正装は鎧だしなあ。
「……うん? これなんかは駄目かな」
さて、どうしたものかと店内を見回していたところ。一着の服が目に入る。
黒をベースとした、落ち着きのある色合いのジャケット。丈は腰回りまでだろうか。やや胸元が開いている気もするが、差し色の茶色の刺繍が良い感じのアクセントになっている。
おじさんの俺には少し似合わないかな、と思わなくもないが、他の服に比べたらちょっと目に留まったというか、そんな感じ。
派手さはないが、落ち着きがある。少なくともアリューシアが持ってきたプールポワンに比べれば、いくらか俺の趣味趣向にあっていた。
「うーん……少し地味かなとは思いますが……」
「いや、いいんだよ、俺はこのくらいで」
元々俺は着飾るのに慣れていない。なので、清潔感を重視して、高級感はほどほどに、これくらいのものがあっているんじゃないかと俺は思う。
「分かりました。貴方、ひとまずこれを押さえておいていただけますか」
「畏まりました」
てきぱきと、アリューシアがボーイさんに指示を飛ばす。
押さえるってことは、これで決まりってわけじゃないんだね。俺としてはもうこれで決めてもいいんじゃないかと思うんだけど、彼女の視点から行くとそうは問屋が卸さないらしい。
「また来ます。先生、他のお店も見回ってみましょう」
「あ、ああ」
どうやらここにはお目当てのものがないと見たか、アリューシアが別の店も見ると言い出した。いやでも、さっきのプールポワンみたいなのを薦められてもおじさん困るんだけども。
「ふ、ふふふ……これは紛うことなきデー――」
「ん? 何か言ったかい?」
「いえ何でも」
アリューシアの呟きが、快晴の空に溶ける。
この後、昼食を挟んで店を六軒回り、お薦めされた服は十六種に渡った。
で、結局決めたのは最初の店のジャケットであった。なんだか頑張ってくれたアリューシアには申し訳ない気持ちもあったが、彼女は彼女でどこか満足そうだったから深くは気にしないこととする。
次回更新は17日(水)を予定しています。