第80話 片田舎のおっさん、箱を開ける
「ただいまっと」
騎士団庁舎で少し汗を流した後。時刻としてはいくらか太陽が西に傾き、あと少しすれば地平線に灼熱の根源が隠れてしまうだろう、といった頃合い。未だに少し慣れない、新しい家の扉を開く。
「……ん。おかえり」
そして、俺を迎えてくれる人がいる、というのもまた慣れない事象だ。嫌だとかそういう話じゃなくてね。
実家の道場に居る時は大体両親が居たから、考えてみればどうってことはないんだが、やはり年下の女の子が家で待っている、というのは違和感が拭えない。慣れていかなきゃいけないんだろうけどさ。
俺の声と姿を確認したミュイが、投げやりにも聞こえる言葉で返しの声を発する。
どうやら居間の椅子に座って暇を持て余していたらしい。こちらに数瞬視線を寄越すと、テーブルに預けた上半身を持ち上げ始める。
「お? いい匂いだね」
家に帰ってすぐに気が付くのは、朝出る時にはなかった料理の香り。
うーん、これは多分、煮物かな。ポトフかシチューかそこらだろう。料理に慣れていないであろうミュイでも、手軽に美味しく作れる鉄板レシピだ。
この辺り、家事全般の初等教育というかなんというか、その辺りはルーシーのとこのハルウィさんが上手いことやってくれたんだろうな、という感じがある。
極論を言えば、煮物なんて具材を鍋に突っ込んで火にかければ出来上がるからな。余程じゃないと不味いことにはならない。そういうものだという認識さえ前提にあれば、誰でも手軽に作れる料理の一つだ。料理のイロハを知らない素人に教えるには適していると言えるな。
「……腹減った」
「うん? もしかして、待ってたのかい」
言うと同時、ぐぅ、という可愛らしい音が我が家に響く。
その音を出した張本人は少し目を見開いた後、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。可愛い。
しかし、俺はてっきりミュイは先に食べているもんだとばかり思っていたから、待たれていたのは少し意外だ。嫌われてはいないはずだが、そこまで懐かれている気もしないから、なんだか嬉しいようなこっ恥ずかしいような複雑な気持ちである。
「……飯は誰かと食う方が美味いだろ」
「はっはっは! それは確かにその通りだね」
ぼそぼそとミュイが喋る。その言葉に、俺は思わず破顔せざるを得なかった。ミュイはどこまで可愛いポイントを積み上げていく気なんだろうな。
食事の香りに思いを馳せながら、やっぱり適度な運動は大事だな、とも思う。心地よい空腹感が全身を襲っている。今の職務上あまり心配はないが、食って寝るを繰り返していてはすぐに豚になってしまうからね。
「さて、それじゃあ頂こうか」
「ん」
俺の声を皮切りに、ミュイが動く。鍋の中身をおたまで掬って器に移し替えることしばし。テーブルの上に、ゴロゴロの具材が入ったポトフが並んでいた。
中身は腸詰と、これは芋か。皮も上手く取れていない、カットの大きさも不揃いな見た目だが、それでもミュイが頑張って作ったことには変わりない。何より、多少包丁捌きが下手だったとてポトフの美味さは変わらんのである。
「いただきます」
「……いただきます」
食事前の挨拶を捧げ、いざ実食。
……うむ、美味い。灰汁のせいでちょっと苦みはあるが、全然許容範囲である。これまで料理をしたことがないだろうミュイに、煮込んでいる間灰汁を取り続けろってのはちょっと要求の度合いが高い。
「うん。美味しい」
「……ん。そっか」
料理は、作ってくれた人への感謝を忘れてはならない。それは相手がお店の人だろうがお袋だろうがミュイだろうが変わらない。
だから、ちゃんと美味しいと、口に出して伝えるのである。ミュイへの情操教育という面でも、この辺りは外せない要素だ。
味を伝えたミュイの顔はなんというか、少しだけ口角が上がっているようにも見えた。自前の何かを褒められて嬉しくない人間なんて多分居ないからな。この調子でミュイのことはどんどん褒めて伸ばしていきたい所存。
「……あ、そういえば」
「ん? どうかした?」
ポトフを一口二口と運んでいると、ミュイがはたと思い出したかのように呟いた。
「何か、オッサン宛てに箱が届いてた。奥に仕舞ってあるけど」
「ん、ありがとう。……何だろうね?」
「さあ」
なんだろう。俺宛ての荷物なんて身に覚えがないぞ。
バルトレーンに来てからお世話になっていた宿からは全部引き払っているし、ここに俺が住んでいるのを知っているのは、アリューシアとルーシー、あとイブロイくらいである。スレナには昼間会ったが、家の場所までは教えていない。
その中で俺宛てに箱を送り付けるようなやつは……居たわ。
多分イブロイだと思う。レビオス司教を捕えたお礼というやつだな、恐らく。それ以外に思い当たるフシがない。
あれはあれでいい迷惑というか、何とも言い難い依頼ではあったが、まあ貰えるものは貰っておこう。流石にゴミやガラクタの類を送り付けてきたわけじゃないだろうし。金でも物でも、このご時世あって困ることはないのである。飯食った後にでも確認しておくか。
「そうだ、俺も伝えておくことがあって」
「……なに」
ポトフの皿から頭を上げて、ミュイが反応を返す。
ミュイの食事の食べ方は何というか、よく言えば年相応。悪く言えば躾がなっていない感じがある。
料理ってのは生活するために必要だから真っ先に教えたとしても、食べ方は別になってないからといって死ぬわけじゃないからな。ハルウィさんもこの短期間ではそこまで手が回らなかったのだろう。
となれば、そこらを教育していくのは自然と俺の役目になる。魔術師学院に入れば学友と飯を食う機会もあるだろうから、何とかしてあげたいものだ。恥をかかせたくはないからね。
「近々、隣国のお偉いさんがこの国に来るらしい。俺も警備に駆り出されそうでね」
「ふぅん」
用件を伝えたミュイからの返事は、そっけないものだった。
まあ、興味を抱けという方が無理な話ではある。ただ一応、何日か家を空けるかもしれないから、予定としては伝えておかなきゃならないわけで。
「で、見ての通り俺は仕立ての良い服なんて持ってないからさ。近々買いに行こうと思ってる。アリューシアが案内してくれるらしくて、一緒に来るかい?」
「……行かない」
リアクションは相変わらず。
あっこら。フォークで腸詰をグサグサするのはやめなさい。
「ミュイにとってつまらない話だってのは理解してるけど、食べ物で遊んじゃ駄目だよ」
「……ふん」
流石に諫めると、渋々ながら彼女はその矛を収めた。
しかし、何となくゴキゲンが斜めなようにも見える。何故だ。それはそれで可愛いものだが、さてどうしたもんかな。
「……アリューシアって、あの騎士の女?」
「そうそう、庁舎で会った銀髪の」
「……あ、そ」
なんだろう。確かにミュイからしたら、アリューシアは目の上のたんこぶというか何というか、あまり良いイメージはないんだろうね。
ただそれでも、もはや敵視する間柄でもないんだから、仲良くとは言わないまでも、悪くない関係は築いてほしいところだ。俺の同僚……同僚でいいのか? まあ同じ職場の人間でもあるわけだし。
「ご馳走様、と」
「……ん」
つらつらと雑談を交えながら食べていると、まあまあ腹が膨れてきた。あまり食べ過ぎてもあれだし、今日はここら辺にしておこう。
ちらりと鍋を見てみるが、まだあるようなので残りは明日にしておく。
ちなみに、俺より少し早いタイミングでミュイも食べ終わっていた。多分だけど、今までの生活がアレなもんだったから、ゆっくり食べるという意識がないのだろうな。
彼女はいつも、がっつくように飯を食う。そこら辺、もう住む世界は違うんだよ、というのはどうにかして伝えてあげたいが、こればっかりは言葉だけを重ねてもあまり意味がない。新しい生活を続けていく中で、ゆっくり慣れてもらうとしよう。
「さて、と」
食器を流し台に下げ、家の奥へ。これは後で俺が洗おう。
それはそれとして、イブロイから届けられたであろう箱ってのがちょっと気になるので、今ここで開けてしまおうという魂胆である。
しかし、確かに礼はするとは言われたものの、じゃあ何が送られてきたんだという予測はあまり立っていない。貰えるものは貰っておくとは言ったが、俺の手に余るものを寄越されても困る。
「お、これか」
奥のスペースへ行くと、隅っこに雑に置かれた木箱が目に入る。もうちょっと小さなやつを想像していたんだが、意外とでかい。ミュイでも運べるサイズだったのは幸いと見るべきか。
木箱をまじまじと見たり、持ち上げてみたりしてみたが、あまり重たいという感じでもなかった。うーん、何なんだろうな。マジで中身の予測がつかない。
まあそれも開けてみれば分かることか。
「よいしょ」
僅かな期待と小さくない不安を胸に、ご開帳。
さしたる抵抗もなく蓋を持ち上げる。
「……そうきたかあ」
中身は、布であった。
もっと具体的に言えば、服であった。
それも、明らかに俺のサイズじゃない。柄や大きさを見ても、間違いなく女性の、それも小さめのサイズである。
寝巻にも使えそうな地味なやつから、彼女はきっといい顔をしないだろうな、と思われる可愛げのあるものまで、多種多様であった。
「……」
これ、ミュイ用のやつだよな。
しかし、イブロイは俺が家を貰うことは知っていたとしても、ミュイと一緒に住むことになるということは知らないはずである。少なくとも俺は、彼には伝えていない。
となるともう、犯人は一人しかおらんわけで。
「……今度礼でも言いにいくかな」
荷物の差出人と、これを企んだ小さな暴君にね。
ちなみに、衣類の底にはまとまった金額のダルクも入っていた。嬉しいんだけど一番反応に困るやつである。
まあいいや。これでまたミュイに美味しいものでも奢ってあげるとするか。




