第68話 片田舎のおっさん、追いつく
「しまった……道が分からない……」
シュプールをなんとか倒したはいいものの、大事なことかつ基本的なことを見落としていた。
俺は北区の地理を知らない。ただでさえ夜で視界が効かないというのに、これでは最悪迷子になる可能性すら出てきたぞ。
そんな事態は御免被りたいところだが、とは言ってもここでずっと油を売るわけにもいかない。うーん、動くしかないか。
とりあえず、レビオス司教が走り去っていった方向に向かって走り出す。
「多分、そう遠くには行ってないはずだけど……」
一度追いついた時にも思ったが、レビオス司教はやはり足が速くない。それにあの体格だ、走り続けるスタミナもそうないだろう。
対してフィッセルは若いし、バリバリの現役剣士兼魔術師である。単純な運動能力でフィッセルが後れを取るとは思えなかった。
それに、彼女には剣魔法もあるしな。多少の距離があっても手軽に遠距離から、かつその威力も調整出来る魔法はやっぱり便利だ。
「……あ、あれかな」
やはり、どうやら俺の心配は杞憂に終わりそうであった。
しばらく走った先で、フィッセルらしき影とレビオス司教らしき影を見つける。
「先生、無事だった?」
「ああ、俺は大丈夫。フィッセルもよくやったね」
近付けば、無事な様子のフィッセルから俺への心配が零れた。
いやあ、シュプールさんは強敵でしたよ。多分普通のロングソードだったらもっと苦戦していたと思う。というか、無傷で勝てていたかどうかも怪しい。本当バルデルに感謝だな、この剣は俺にはもったいないくらいの業物である。
「シュプールは……敗れたか。くそ、使えん男め」
「……」
俺の到着を、シュプールの敗北と見たレビオス司教が吐き捨てた。
こいつ中々に良い性格してんな。思わずぶん殴りそうになる。シュプールはシュプールで、なんでこんな男を律義に逃がそうとしていたんだろうな。彼が生きていたら、そういった話も聞けるだろうか。
ちなみに、レビオス司教は両手をロープで縛られ、見た目は完全に罪人のそれであった。このロープは恐らくフィッセルが用意していたものだろう。
逆に言えば、最初からターゲットの捕縛作戦であると分かっていなければ準備出来ない代物でもある。ルーシーめ、やっぱりそのつもりでフィッセルを寄越したんじゃないのか。それを今突っついても特に意味はないけどさあ。
「先生。どこに連れていくの」
「ん? そうだね……」
ここでフィッセルからの疑問が飛ぶ。
確かにイブロイからはレビオス司教を捕えてほしいと言われはしたが、じゃあ捕えた彼をどこに連れていけばいいのかは聞いていなかった。
まさか俺が泊まっている宿屋に連れ込むわけにもかない。ここは素直にレベリオ騎士団の庁舎になるか。もう深夜に近い時間帯だが、誰かしらは居るだろう。
「騎士団庁舎に連れていく。案内を頼むよ」
「分かった。少し歩くけどいい?」
「大体の距離感は分かっているよ、構わない」
さて、向かう先は決まった。
本来なら乗合馬車を使いたい距離だが、流石にこの状況で馬車に乗り込むのもな、という感じ。なので歩いて行くことにする。
後はレビオス司教を庁舎に連れて行って、騎士の誰かに引き渡せば仕事としては終わりだ。出来ればその辺り、事情を分かっているであろうアリューシアが望ましいのだが、この時間まで庁舎に居るとは考えにくいからなあ。多分当直の数人が居るくらいだろう。
「貴様らは分かっていない。奇跡の深淵を解き明かすことの崇高さを」
「それは私に説くべき内容ではありません。さらに言えば、貴方の思想から生まれた犠牲者に対する免罪符にもなりません」
相も変わらずレビオス司教が何か言っているが、知ったことか。
そもそも、ただ単純に教典の奇跡を研究するだけなら誰も文句は言わないのだ。ルーシーだって人に迷惑をかけてまで研究に没頭してはいない。いや、俺はちょっと迷惑を被ったけれども。
こいつの許せない点は悪人と画策し、罪のない人々を利用して人体実験を行っていたという一点に尽きる。それさえなければ、今も研究を続けられていたはずである。
スフェン教に伝わる奇跡が如何に崇高なものだとしても、人の命を犠牲にしていいわけがない。その一点を、レビオス司教は読み誤った。ただそれだけのことだ。
「今に後悔するぞ。我々の研究を頓挫させたことを」
「そうですか」
相も変わらず囀るレビオス司教。
この人喋るだけ無駄っぽいな。自分の正義を妄信しているというか、何というか。
きっと参考人招致があったとしても、同じように自身の正義を語るだけ語っていたのかもしれない。だからこそ、のらりくらりと招致を躱す方向ではなく、逃げる方に舵を切ったのかもな。
気になることはまだある。あの騎士たちの出どころだ。
装備を見た限り、当たり前だがレベリオ騎士団じゃあない。だが、そんじょそこらの野盗や盗賊と言うには装備も実力も整い過ぎていた。
恐らく、イブロイが言っていたスフェン教の教会騎士団、という線が一番しっくりくる。俺は教会騎士団の騎士と会ったことがないから、正確には分からないけれど。
まあその辺りも、あの現場をレベリオ騎士団が検めればはっきりするだろう。俺の仕事はレビオス司教を捕えて騎士団庁舎に連れて行くまで。そこから先はアリューシアやヘンブリッツの仕事だ。
「価値のない者たちを神に捧げて何が悪いというのだ。モノの価値の優先順位も付けられん馬鹿者ども、が……ッ!?」
「それ以上、口を開かないことです。怪我をしたくなければね」
飛び出してきた言葉に、思わず気が昂る。気が付けば、レビオス司教の胸倉を掴んでいた。
「先生、落ち着いて」
そんな俺の行動を見てしまったフィッセルは、少し驚いた様子を見せながら冷静に俺を諭す。
「……ああ、すまない」
こいつは下種だ。それは間違いない。
しかし、その裁きを下すのは俺個人であってはならない。
それではただの私刑だ。剣を教え、道を説く役目でもある俺が、そんなことをするわけにはいかない。何のために国があり、司法があるのかという話にもなる。
理屈では分かっているが、胸糞悪い奴というのはこんなところにも居るもんだな。
力を込めた拳を、ゆっくりと解していく。
「……離せ。貴様ごときが触れていい我が身ではない」
「……」
言い合うだけ無駄だな、これは。
はー、このやり場のない怒りをどうしてくれようか。流石にこいつをボコボコにするのはちょっと外聞が悪いしなあ。腐ってもスフェン教の司教である。
「黙って。お前はこれ以上喋るべきじゃない。あと、口が臭い」
「……ふん、小娘が」
フィッセルの声にも、明確な怒りと苛立ちが見える。
そんな小娘に捕まってるお前は何様だよ、という言葉が喉までせりあがってきたが、なんとか飲み込む。
こんなところで体力も精神力も疲弊したくはないのだ。もうこいつは無視しよう無視。黙って連れてってとっとと引き渡す。それでいいや。
「……」
一悶着起きかけたが、なんとか自制心を働かせて夜の道を歩く。俺とフィッセルと縛られたレビオス司教。三人が無言で夜の街を歩く時間が続く。
夜のバルトレーン、しかも北区をゆっくり歩くのは中々ない機会だが、残念ながら呑気に観光目線で歩けるほど状況は生易しくなかった。今度時間が出来たら改めて観光にこようかなと心に留め置き、歩みを続ける。
しかし、どうしても解けない疑念がある。
レビオス司教を捕える。果たしてそれですべてが丸く収まるのか。
俺ごときが考えても詮無いことではあるんだが。
まあいいや。細かいことは知らん。あとはアリューシアなりルーシーなりイブロイなりにぶん投げりゃいい。
とりあえず、さっさとこいつを引き渡そう。