第66話 片田舎のおっさん、斬り伏せる
「なんだ……人……?」
暗闇の中現れたそれは、確かに人型。いや、ほぼ間違いなく人間と見ていいだろう。
木箱の中に封入されていたという事実には首を傾げるが、それよりもレビオス司教の祝詞を受けて木箱から出てきた、という事実も気になる。
まさか怪我人や重病人をあんな箱に押し込めていた、というわけではないはず。
「……なっ!?」
バカン、バカン、と。
先ほどレビオス司教が祝詞を捧げていた箱だけでなく、周囲に放置されていた箱からも次々と人が起き上がってきていた。
くそ、あれ個人指定の魔法じゃないのかよ。いや、俺は魔法に対してはてんで無知だが、でもあんな祈りを捧げて口上を述べていたんじゃ単体対象だと思うだろ普通。
その数、実に六。
六体……いや、六人か? どちらにしても、正体不明の推定敵戦力が更に六人分増えた。これをただの人間、と断じるにはシチュエーションが特殊過ぎる。何らかの特異能力を有した六人と見た方が外れはないだろう。
「私はこの奇跡の完成を待つまで、何者にも邪魔をされるわけにはいかんのだ」
「司教。こちらへ」
レビオス司教は立ち上がった六人に向けてか、それとも俺に向けてか。それだけ発すると、ゆっくりと踵を返す。
あわせて、シュプールも司教とともに行くようだ。兜を通して注がれた視線が、鈍く刺さる。
「ま、待て!」
あんにゃろう、逃げる気だな! ここまで来てそうは問屋が卸さんぞ。
クルニの方へ加勢に向かうつもりだったが、状況が変わった。ここでレビオス司教を逃がしてしまっては、すべての行動が無駄になる。彼を傷つけたり、ましてや殺す必要まではないが、最低限無力化して捕えないと話にならん。
「……ッ!?」
走りだそうとした俺の前に、件の六人が立ち塞がる。
その動きは、緩慢だ。とても訓練を積んだ人間と同等とは思えない。これなら容易に突破出来る。そう勘定して、とっとと走り抜けようと俺は考えた。
その足が、止まる。
フラフラと覚束ない足取りで近付いてきた一人が、くすんだ青髪を持っていて、その容貌があまりにも、ミュイに似ていたから。
「嘘、だろう……?」
予測は、していた。
死んでも問題のない者や、死者を引き取っていたというレビオス司教。そしてスフェン教の教典に伝わる、死者蘇生の奇跡。
魔法を使って良いように死者を冒涜していたのだろうと、そういう予測は付いていた。
しかし、これは。
これは、あまりにも。
「……下種め……!」
思わず、汚い言葉が口を突いて出る。
近付いてくる六人に、生命の息吹は感じられない。生きている様子は見受けられなかった。ただ、死体を遠隔で操っているだけ。そう言われても何ら違和感のない状態だった。
「先生、こっちは終わっ、た……なに……?」
「先生! 勝ちました……って、なんすかこれ?」
ここで、騎士を相手にしていたフィッセルとクルニが改めて俺の方へと駆け寄ってくる。
どうやらフィッセルもクルニも無事に勝てたようでそこは何よりだ。クルニは大粒の汗をかいているが、それほどの激戦だったのだろう。まだ発展途上であるクルニが、ガチンコの対人で勝利を収められたというのは喜ばしいことである。
しかし、そんな勝利を飾った彼女たちもまた、この異常さを目にして言葉を失っていた。
今の俺が打てる最適解は、この六人を無視してレビオス司教を捕えに行くこと。理屈で考えればそうなることは分かり切っている。
繰り返すが、箱から出てきた六人の動きは鈍い。俺に限らず、多少なりとも運動に覚えのある人間なら容易に振り切れるスピードだ。
そうこうしている合間にも、レビオス司教の足音は遠ざかっている。決断は早いに越したことはない。早く動かないと手遅れになる。
しかし。
しかしだ。
「二人とも下がって。彼らは、俺が片付ける」
俺と、フィッセルと、クルニ。
この三人で考えれば。
彼らの胸に剣を突き立てる人物は、俺でなければならない。
「……」
再び動き出した彼ら彼女らに言葉はない。きっとその意識だってないだろう。ただ単純にレビオス司教の出した命令に従って、俺たちの邪魔をしているだけだ。
「もう一度、俺が彼らを眠らせる。……許せとは言わないよ」
近付いてくる六人を相手に、剣を構える。
誰が悪いのかと問われれば、それはきっと間違いなく、レビオス司教だ。俺やフィッセルやクルニはきっと、とばっちりを受けたようなもんだろう。
俺だってルーシーやイブロイから話を聞かなければ、こんな依頼とは縁遠いところで過ごしていた。それは元弟子の二人も同じだ。
しかし、事態は悪い方向へと動いてしまった。
恐らく、不完全だった死者蘇生の奇跡。レビオス司教は自身が逃げ果せるために、その中途半端な奇跡を行使した。
いや、それが仮に完全なものであったとしても、きっと許されるものではないのだろう。俺は別に何かの宗教の信者ではないが、こうやって剣を扱うことを生業としている以上、人の生き死にとは決して無縁とは言えない立場にある。
更にその相手が、斬り結んだ故の結果であればともかく、何処の誰とも知らない一般人となれば。相手が如何に物言わぬとはいえ、それを斬り伏せることになる心理的負荷を、まだ若い二人に負わせるわけにはいかない。ただのモンスターとはわけが違うのだ。
「――しっ!」
一息入れて、人だった者の群れへと突っ込む。
一人目。
その風貌にまだ幼さが残る茶髪の男性を、斬った。
二人目。
初老に差し掛かったであろう、恰幅の良い男性を、斬った。
三人目。
顔つきにあどけなさが残る若き女性を、斬った。
四人目。
長い髪を靡かせた妙齢の女性を、斬った。
五人目。
はっきりと少年と言える幼い男子を、斬った。
――六人目。
くすんだ青髪をした、成人になるかどうかの年頃の女性を、斬った。
断末魔は、なかった。彼らは多分、斬られたことすら分かっていない。ただ遥か向こうに沈んだ魂の残滓を、無理やり呼び戻されただけ。
それでも、無実の一般人を六人、斬り伏せたことに変わりはない。たとえそれが既に命を散らせた、かつて人だった者であったとしても。
「……追うよ。まだ遠くには行っていない」
「は、はいっす!」
今の俺は、どんな顔をしているだろうか。今、どんな声色で言葉を発しただろうか。
多分、弟子たちにはあまり見せられない顔をしていると思う。今が夜で助かった。フィッセルもクルニもまだ若い。こんな冴えないおっさんの不機嫌を、考えなしにぶつけていい相手じゃないからな。
だが言った通り、レビオス司教はまだ遠くには行っていないはず。あの恰幅の良さだ、全速力で走ったとしても多分俺や弟子たちの方が速いだろう。ここで逃がしてしまってはすべてが無駄になる。
斬り伏せた騎士たちには申し訳ないが、一応殺してはいないはずなので、自力で何とかしてもらうしかないかな。
いや、クルニとフィッセルが居るんだ。ここは――
「クルニ。すぐに騎士団を呼んできてくれ。現場の確保と保全を任せたい」
「えっ、わ、分かったっす!」
「フィッセルは俺とレビオス司教を追う。俺は道が分からないから、細部は任せるよ」
「……分かった」
何も、ここにいる全員でレビオス司教を追う必要はない。むしろ、閑散とした教会前が戦場に早変わりしてしまったこの現状を上手く片付けるのも大事だ。
ここはレベリオ騎士団に現場の整理を任せよう。追うのは俺とフィッセルだけで事足りるはず。
言葉を投げかけて、フィッセルとクルニからそれぞれ了承を得た後、俺はすぐに走り出す。
彼女たちが今、何を考えているのかは分からない。けれど先ほどの反応を見るに、多少なりとも混乱はあるだろう。
まずは目先の目標を示して、混乱に脳のリソースを割くことを止めさせる。今は互いにやるべきことがあるはずだからだ。
走り出す先。
斬り伏せた、くすんだ青髪の女性が、虚ろな瞳で俺を見ている、ような気がした。




