第63話 片田舎のおっさん、張り込む
この時間から北区へ向かう馬車に乗る人は少ない。
北区は主に観光地だ。レベリス王宮が一等目立つが、それ以外には一部住宅区があるくらいで、北区そのものに住んでいる人の数は他の区に比べると多くはない。
だから、北区に向かう乗合馬車に乗っているのが俺だけ、という事態は別に驚くことでも何でもなかった。普通はこの時間帯なら逆方向の馬車に乗るはずだから。
「……ふう」
あの後、ルーシーに最寄りの馬車停留所を教えてもらい、ミュイと話し、停留所で馬車の出発時間までしばらく待ち、やってきた馬車の御者に少し怪訝な顔をされながらも馬車に乗りこんでからまたしばらく。
ゆっくりと移り行く街の景色に視線を預けながら、小さく息を吐く。
もしレビオスが動くとすれば、町全体が寝静まる夜半にかかる頃合になるだろう。
現れなければ良し。現れれば……まあ、引き留めざるを得ない。そのために俺はこうやって移動しているわけで。
人を相手にする可能性も考えて、木剣でも持ってくればよかったかな。生憎今俺が持っているのはゼノ・グレイブルの素材から作られた、いかにも切れ味ありますよ、的な真剣のみ。まさかの試し斬りを人間でやるわけにもいかんしなあ。
とりあえず、事が穏便に済むことを祈る限りだ。いや、俺にこんな依頼が飛んできている時点で誰も穏便に済むとは思ってないんだろうけどさ。
「お客さん、着きましたよ」
「ああ、はい。ありがとうございます」
どうにも煮え切らない気持ちを抱いていれば、どうやら馬車が北区の停留所に着いた様子。
運賃を払って足を下ろせば、夜の風が優しく頬を撫ぜる。
辺りは、静まり返っている。
そりゃまあ、王宮のある地区だし西区と違って、深夜までどんちゃんやってる連中はおらんわな。もし居たとしても、守備隊に速攻で見つかってしょっ引かれるんじゃないかというくらい、周囲一帯はしんとしていた。
街行く人も、ほとんど見かけない。ときたま歩いている人を遠目に確認出来るくらいだ。
明かりも乏しいこの状態では街の外観などは分かり辛いが、それでもそう遠くない空に王宮の影が聳えているのは分かる。
うーん、出来れば明るいうちに見ておきたかった景色だ。さぞ蒼空に映えるだろう建物である。
王宮を見た最後の記憶は随分と昔のものだが、それと比しても色褪せていることはなく、やはり素晴らしいものは素晴らしい。一度でいいからあんなところに住んでみたいものだ。辺鄙な田舎出身のおっさんでは到底叶わない夢だが。
「さて、と……」
王宮の影から視線をずらし、地平へと近付ける。ルーシー曰く、スフェン教の教会は馬車停留所からすぐに分かるところにあるとのことだったが。
「……あれかな?」
建物から漏れるぼんやりとした明かりを頼りに視線を巡らせてみれば、王宮の方向とはまた違った方角に、周囲よりは少し背の高い、それらしい建物の影が捉えられた。
ふむ、少し丘になっているのかな。目算で数十分も歩けば到達出来そうな距離に思えたそれは、王宮程ではないものの、控えめに存在を主張する尖塔が空を突くように建っている。
ざっと見回してみた感じ、他に同じような建物は見受けられない。多分、あれが教会と見ていいだろう。これで外してたらとんだお笑い種だな。
「……やっぱり静かだね……」
小さく呟いた独り言が、虚しく空に溶ける。
教会へと足を運ぶ途中、決して短くない道のりではあったが、すれ違う人間と言えば数えられる程の少なさであった。
やはり時間帯が遅いのだろう、こんな頃合から北区で歩き回る人間がそう多いとは思えない。王宮の方へ足を伸ばせば守備隊が巡回しているのかもしれないが、そんな影もこの周辺では見受けられなかった。
もしここで騒ぎを起こせば、その喧騒は瞬く間に伝播する。周囲に居ないとはいえ、王宮の守備隊がすっ飛んでくるのも時間の問題のように思えた。
あまり騒ぎは起こしたくないな。よしんば騒ぎになったとしても、短期決戦で事を収めたいところである。
「……ふむ」
教会の立地はやはり少しばかり丘になっているようで、本堂への道が少し上り調子に続いていた。
ここから正面扉は視認出来るが、その入り口は固く閉ざされている。人影は見えないものの、教会の窓からうっすらと明かりが漏れているのは確認出来た。
丘を登った先の本堂、そしてその両脇には墓地らしき土地も見える。もし、宵闇から融通された人たちがあそこに埋葬されている、と考えれば……ぞっとしないね。
「……居るには、居るか……?」
この時間に信者が祈りを捧げているとは考えづらい。多分だが、レビオスの一派が中に居る。流石に物音までは拾えないので、何をやっているかまでは分からない。いきなり殴り込むわけにもいかないし、しばらくは目立たない場所で待機だな。
教会の周囲で独り張り込むおじさんという、傍から見れば怪しさ満点の様子である。いや本当に人影が無くて助かった。俺が通報される可能性もなくはないからな、これ。
しかし、どれくらい張り込めばいいのだろう。何か少し小腹も空いてきたし、何時までもここに張り付いてるのも非現実的な気がしてきた。
かといって、教会の中に居る連中がいつどのタイミングで出てくるか読めない以上、安易にこの場を離れるのもよろしくない。そもそも、こんな夜に北区の店が開いているとも思えないし。
うーむ、このそこはかとない空腹感はやはり我慢するしかなさそうだ。
「……お?」
張り込んでからしばし、緩やかに襲い来る空腹感と精神的戦いを強いられていた最中。教会の方に動きが見えた。
ガチャガチャと施錠を外す音が小さく響き、本堂の正面から幾人かの人影が出てくるのが見える。
しまった、レビオスの人相とか聞いておけばよかったな、これじゃ誰が誰だか分からないぞ。
「……」
見える人影は、数人ってわけじゃなさそうだ。結構な数が居る。
そのうちの何人かは、全身をフルプレートのアーマーで覆った、いかにも重騎士ですよといった風貌である。
間違いなく、礼拝に来た信者ではないだろう。
これから夜逃げをかます司教の護衛、と考えれば辻褄は合う。
合ってしまう。
教会への参道の陰に隠れ、様子を窺う。
どうやら彼らは結構な荷物を持っている様子だ。重騎士たちも含め、数人がかりで大きな木箱をいくつも運んでいる。
これはいよいよ、夜逃げの公算が高まってきたぞ。わざわざこんな時間に教会から大荷物を運び出す理由がない。何か事情があるとみるのが普通。
そしてその事情は、俺たちの予測が正しければ看過していいものではなかった。
さて、ここまで来たら、俺も働かねばならん。
加齢とともに重くなった腰を上げ、集団へと近付く。
「ちょっと、いいですか?」
さも、今たまたまこの道を通りがかりましたよ、といった風に、俺は努めて軽い口調で声を上げた。
「……ッ!」
俺の声に反応して、人の塊が俄かに色めき立つ。
最初に現れた動きは驚愕、そしてその直後に警戒。複数の視線が、俺へと集中する。
彼らの動きは、分かりやすく過敏だった。




