第59話 片田舎のおっさん、宗教を知る
「ふふ、神は嫌いかね?」
「ああ、いえ、そういうわけでは……」
しまった。面倒くさそうで帰りたいという感情がやはり表情にいくらか出てしまったようである。それをイブロイがどう捉えたかは分からないが、少なくとも肯定的には見られなかっただろう。僅かな含み笑いとともに、信心の有無を問われていた。
俺は特定の宗教を信仰していない。言い方で言えば無宗教である。
かと言って、別に信心深い人を馬鹿にするつもりはない。宗教は立派な文化の一つだし、人々の心の拠り所になっている事実もある。
ただ、俺にとっては単純に神様という不確定な要素より、剣の方が信ずるに値するものだったというだけの話だ。
「ベリルはスフェン教のことは知っとるかの?」
「まあ、名前くらいは」
ルーシーが確認を入れてくる。
俺だって余程マイナーな宗教などでなければ、一般教養として名前くらいは知っている。それが一定の勢力を持っているスフェン教となれば尚更だ。
スフェン教。
俺も内情を詳しくは知らないが、唯一神スフェンを信仰する宗教だったと記憶している。
発祥の地はこのレベリス王国ではなく、隣国のスフェンドヤードバニアという国だ。
ガレア大陸の北部に広大な領土を持つレベリス王国だが、国境を構えている国は二つある。
一つは王国側から見て南東に位置する小国、スフェンドヤードバニア。
ここは領土も狭く国力も王国と比して高いわけではないが、スフェン教という国教を掲げている宗教国家である。国民もほとんどがスフェン教徒らしい。俺もスフェン教徒の知り合いがひとりだけ居る。今何をしているんだろうな。
もう一つは、南西に広がるサリューア・ザルク帝国。
こっちは王国より領土が広いが、その半分くらいは砂漠という、王国とは対照的な立地である。
サリューア・ザルク帝国はその名の通り帝政で、こことは昔やりあっていた歴史もあるらしい。が、今では割と平和なお付き合いが出来ていると聞く。勿論詳しいことは知らないが。
まあ、そんな二国がレベリス王国と国境を隣する国だ。
この二国より南にも当然大地や国はあるのだろうが、詳しくは知らない。俺は多分、レベリス王国から出国することは一生ないだろうし、知らなくても生きていけるからである。
スレナなどの冒険者ならもっと大陸について知っているかもしれないけどね。今度そういう暇が出来たら話を聞いてみようかな。
「なに、そう警戒しないでほしい。別に今日は勧誘に来たわけじゃないんだから」
「……そうであれば助かります」
色々と考えていたら、イブロイからは警戒するなとの言葉。まあ、勧誘されるのは御免だしここは素直にその言葉を信じておこう。
目の前に座る彼が良い人なのか悪い人なのかは分からんけれども、少なくともルーシーと浅くない仲であろうことは分かる。ということは多分、悪人ではないのだろう。
しかし、じゃあそれが即ち信用に値する人物か、というのはまた別問題だ。わざわざこんな席を設けて話をするということは、ただの世間話ってわけではないはずである。
どんな内容が飛び出してくるか分からない以上、呑気に話を聞くわけにもいかなかった。とは言え、何をするってわけでもないんだけどね。ここで暴れるわけにもいかないし、イブロイだって害しようと思って来ているわけじゃないだろう。
「以前、宵闇の奴を捕まえたじゃろ。口を割らせるのにはちと苦労したが、気になる情報も出てきたのでな」
ここでルーシーが口を開く。
宵闇さんというとあれだ、以前ミュイを誑かした悪漢としてルーシーが成敗した男だな。騎士団庁舎の地下に捕えられたまでは知っているが、やはりそこから事情聴取を行っていたと見える。
口を割らせるために何をしたのかは知らないし、聞きたくもない。別段聞く必要もないと思うし。俺はそんな世界とは無縁に生きていたいんです。
「気になる情報、ね。それはイブロイさん……も関係している、ということかな」
「ま、そういうことじゃ」
普通に考えればそうなる。
だが、ただの小悪党がスフェン教と繋がる理由が見えてこない。仮に宵闇がスフェン教の敬虔な信者だとして、それがわざわざ司祭様が出向くほどの案件かと問われると疑問符が付いて回る。
具体的なことは何一つ分からんが、とりあえず面倒ごとの気配がプンプンに漂っている。いやだなあ。
「少し、僕たちの話をしようか」
先程のやり取りを切っ掛けと見たか、イブロイが語り始めた。
今更宗教の成り立ちなんかを聞いてもなあ、とも思うが、それを今突っついても仕方がない。大人しく耳を傾けてみることとする。
「ベリル君がどこまで知っているかは知らないが、僕たちスフェン教徒は唯一神スフェンを信仰している。スフェンが行使したと言われる『奇跡』がその信心の発祥とされているね」
「……奇跡?」
「怪我を治し、肉体の損耗を回復させる魔術だ」
「イブロイ、よいのか。魔術と言ってしもうて」
「はは、その方が伝わりやすいだろう。僕だって信者でもない人を相手に教典を振りかざすつもりはないさ」
ふーむ。どうやらスフェン神は肉体を回復させる魔法の使い手が元になっているらしい。それがただの人だったのか、本当に神だったのかは知らないが。
しかし、奇跡か。本質を求めれば魔法という一言に収束されるはずだが、世は様々な呼び方をするもんだ。
ただまあその点、剣も同じなのかもしれない。本を正せば全て剣術だが、世の中には何々流とかが溢れているわけで。
「スフェン教では魔術と奇跡は区別されている、ということですか?」
「その通り。僕も本質は同じだと思っているけどね。まあ、教徒たちの前では口が裂けても言えないことだけど」
ははは、と笑いながらイブロイ。
いや、それ間違っても笑いながら言うことじゃないと思う。教典って神に仕える者にとっては最重要だと思うんだけどな。とんだ狸司祭である。
「その中で、スフェンが行使したと言われる、最上位の奇跡があってね。――死者を蘇生する奇跡だ」
声の調子を少し変えて、イブロイが語る。
おっとぉ、一気に胡散臭くなってきたぞ。
そういえばミュイも宵闇も、蘇生魔法について言及していたな。そこが関わりのファクターか。
伝説として、死者を蘇生した奇跡が語り継がれている、ということ自体はさして不思議ではない。伝説ってのは得てしてそういうものだ。剣術にだって色々な逸話は残っているだろうし。
しかし、そんな非現実的なことを今の時代に行使しようとすれば色々と問題がある。伝説は、再現性がないから伝説なのだ。
「念のため伺いますが、その奇跡の再現は……」
「出来るわけがない。あくまで伝説の一幕……というのが僕の認識だ」
「ですよね」
まあそれが出来てりゃ苦労せんわな。
ただ、イブロイが語るということは当然、スフェン教の教典にも記載がある事項なのだろう。ということは、それを信じている者も少なからず居るはず。
「ふん、脚色に決まっとるわそんなもん」
「ルーシー君。信心を持てとは言わないが、そういう言葉は時と場所を選んでくれ給えよ」
鼻を鳴らしたルーシーを、イブロイが諫める。
この二人のやり取り、何というか、慣れのようなものを感じる。多分、この二人には短くない付き合いがあると見た。だからと言ってそれで何か話が進むというわけでもないんだが。
この話の肝は、もうちょっと先だ。
「スフェン教の教典にそのような記述があることは理解しました。しかし、未だ俺が呼ばれた理由が見えません」
そうなのである。
イブロイだって、教典の内容を語るためだけにここへ来たわけじゃないだろう。スフェン教の司祭となれば、そう暇を持て余しているとも思えない。
こんな場を設けて、更には俺なんぞを呼ぶ理由があるはず。そしてそれは、スフェン教のあらましに直接的な因果関係はないはずだ。
「……宵闇らに、魔装具を流しとる奴の名が割れた」
俺の疑問を聞いて、口を開いたのはルーシーだった。
その口調は、先ほどまでとは違ってやや重たい。
「レビオス・サルレオネ。スフェン教の司教だ」
こっちも宗教関係者かよぉー。しかも司教様じゃん。
まあ百歩譲ってそれはそれで事実としていいよ。
で、それが俺が呼ばれたこととどう関係しているんだ。
「単刀直入に言う。彼の捕縛をベリル君に依頼したい」
どうしてそうなるの。
きな臭くなってまいりました