第43話 片田舎のおっさん、連れて行く
「返せ! 今すぐ返せッ!」
「おっと」
落し物がペンダントなのかどうか問うた瞬間、少女は勢いよく立ち上がり、俺の胸倉を掴もうとする。
ただしこっちも黙って掴まれるわけにもいかんので、ひょいと躱してしまったわけだが。
動き方を見る限り、戦闘の心得があるとは思えない。持っているのはあくまで、スリのために特化した俊敏さのようだ。
「……このッ!」
「まあ落ち着いて。返さないとは言ってないだろう」
掴みかけた手を躱された少女は勢い余って二、三歩前によろけると、フー、フーと、鼻息荒く俺を睨み付けている。
おぉ怖。この殺気はとてもじゃないが、年端もいかぬ少女が放っていいそれではない。これまで余程過酷な環境に身を置いてきたと見える。
おじさんからしたら少女が放つ殺気そのものよりも、この年齢の少女がこれほどの殺気を放つまでに育ってしまった環境の方が怖いんだけども。
何にせよ国家繁栄の裏でこういった日陰者が出てきてしまうのは、ある意味で致し方ないことなのだろう。だがどうしても、やるせない気持ちは持ってしまうな。
まあ、俺にはどうしようもないことか。
「人目に付くのも困るだろうから、そのまま静かにしてくれると嬉しいんだけど」
「……」
あまり騒がれても困るので提案してみたんだが、どうやら俺の言いたいことは正しく伝わった模様。
相変わらず目付きは鋭いままだが、その口は閉じてくれたようで何よりだ。
彼女としても、周囲に騒がれるのは望むところではないはずである。やましいことをこれまで繰り返してきたわけだし。
「結論から言えば、今俺はそのペンダントを持っていないんだ」
「何だと……?」
ただでさえ険しかった少女の顔付きが、一層の棘を持つ。
「レベリオ騎士団の庁舎に預けてある。落とし物としてね」
「……ちっ!」
これだけ伝えれば、大まかな事の顛末は彼女にも理解出来るだろう。
俺は何一つ間違った行動をとっていない。たまたま拾い物をして、それが大事にされてそうなアクセサリーだったから、バルトレーンでも有数の組織に預けた。
そして眼前の少女も、その行動を咎めるのは違うということくらい分かっているはずだ。だから、どうしようもない苛立ちを前面に押し出した舌打ちしか出来ない。
「俺は意地悪ではないつもりだからね、落とし主が見つかったと伝えてペンダントを返すことは出来る。だけど、君にも一緒に来てもらうよ」
彼女が昨日、俺から財布をスろうとしたことはほぼ確実だ。
同じく、彼女が初犯ではないこともほぼ確実ではある。
しかし、証拠がない。
見目だけで述べれば、そういうことをやっていてもおかしくない恰好はしているだろう。だが実際にやっているところを捕らえたわけじゃないから、連れて行ってそのまま突き出すってのはちょっと非現実的だ。
とはいえ、推定犯罪者を野放しに出来るかと問われれば、それもちょっと良心の呵責がある。
俺がペンダントを取りに騎士団庁舎まで行く間に、誰かがスリの被害に遭わない保証はないのである。
それで出てきた折衷案が、とりあえず連れていくといったものだ。
アリューシアあたりにお説教でもしてもらおうかな。レベリオ騎士団の団長を使うには少し案件の規模が小さい気もするけど。
「……クソ、分かったよ」
少女もどうやら、これ以上の妙案は思い付かないらしい。
数瞬の逡巡を見せた後、俺に従うことを決めた。
しかし、間違っても俺を信用したわけではないだろう。それでも大人しく付いてくることを選ぶあたり、あのペンダントは相当大事なのだろうか。だったら落とすなよって話でもあるんだが、まあ落としちゃったものは仕方がない。
「じゃあ行こうか。君が何かしない限り、俺も何かするつもりはないよ、一応ね」
「……ちっ」
いかにもしぶしぶといった感じで俺の言葉に舌打ちを返す少女。本当に素行が悪いなこの子。
その育ちも気になるところだが、こういうお年頃の子はどうにも道場で教えていた門下生たちと被ってしまう。
かつての門下生の中には乱暴というか、有り余るエネルギーの発散先として道場にぶち込まれた悪ガキも居たからなあ。何だか懐かしい気持ちにもなる。
「君、名前は?」
「うるせえ。オッサンに教えるもんは何もない」
歩きがてら、話を振ってみてもこれである。
おっさんの自覚は勿論あれど、こう真っ直ぐに言われるとちょっとへこむ。
「そ、そうかい。……まあ君にも事情はあるんだろうし、分かっているとは思うけど。あまりお勧めしないよ、ああいうのは」
「……うるせえ」
説教くさいことを言ってみれば、少しばかりばつが悪そうな反応が返ってきた。
うーん、今の反応だけ見ても、別に彼女は好き好んでスリをやってるわけじゃあなさそうだ。
俄然その事情が気になるところではあるが、俺はこの少女の親でも保護者でも後見人でもないからなあ。わざわざ首を突っ込む理由がないのである。
俺の少し右斜め後ろを追従してくる彼女は、やはり見た目通りの少女のようにも思う。ルーシーのような異質な雰囲気は感じられなかった。
くすんだ青髪は肩に届くか届かないか、といったところ。頬は少しこけているようにも見え、健康的とは言い難い。
目尻はやや吊り目がちで、これまた色素の薄い茅色の瞳が、油断なくこちらを覗いている。
身長は小柄なクルニよりもやや小さめに見える。ローブでよく分からないが、体型も女性的と言うには程遠い。スレンダーなフィッセルを更に一段細くした感じだ。
総括して、貧相な身体つきの攻撃的な少女といった容貌である。
スリを働くくらいだし、日々の食事情もそこまで良くはないだろう。
なんだか捨てられた猫を偶然拾ったような気分になる。別に養うわけじゃないし、今後更なる縁が紡がれるわけでもないけどさ。
「着いたよ。まあ知ってると思うけど」
「…………」
「別に君を突き出そうとは考えちゃいないさ。今は、だけどね」
騎士団庁舎が近付くにつれ、明らかに警戒度を増した少女。
そりゃまあいつ捕まってもおかしくないようなことをやってたんだし、今の彼女から見れば騎士団なんて天敵みたいなもんだろう。
ただ言った通り、別に彼女を突き出すつもりはなかった。
お偉いさんからのお説教は食らってもらうつもりだけどな。
「すみませーん」
今にも咆えそうなくらい硬い表情をした少女を連れたまま、庁舎横の詰所に声を掛ける。
「はい……あれ? ガーデナントさんじゃないですか。……今度は迷子のお子さんですか?」
「いや、違う違う。さっき渡したペンダントの持ち主らしくて」
声に応じて出てきた騎士は、先程ペンダントを預けた人物だった。
連れている少女に一瞬視線を預けた後、迷子かと問われたがそこは否定しておこう。というか騎士団は迷子の保護もしてんのかな。仕事の幅が広いな本当に。
「ああ、なるほど。じゃあ持ってきます」
俺の説明に納得してくれたのか、応対した騎士が奥に引っ込む。
「……一応言っておくけど、受け渡しの瞬間を狙っても無駄だよ」
「……ちっ」
先んじて可能性を潰せば、返ってきたのは苦々しい舌打ち。
まあ俺が彼女の立場なら、間違いなくそうする。残念ながらおじさんは子供、特におてんばな子が考えることはよーく分かるんですよね。
「お待たせしました。これですかね」
「それだ! 返せッ!」
「……らしいです。それじゃ今度はこっちが預かりますね」
騎士が戻ってきてペンダントを差し出した瞬間、少女が咆えた。
ただし騎士から直接は渡さない。しっかりと俺が預かっておこう。
「オイ! もういいだろうが! 返せよ!」
「えーっと……ガーデナントさん?」
「はは……申し訳ない、ちょっとやんちゃみたいで」
俄かに騒ぎ出した少女を尻目に、受け渡しを終えた騎士が遠慮がちに聞いてくる。
返すには返すがそれはもうちょっと後である。アリューシアかヘンブリッツ君あたりから、ありがたーいお説教を頂戴した後だ。
「どうしました、騒がしい……おや、先生」
いっぱいに手を伸ばし、何とかしてペンダントを強奪せんと騒いでいる少女を苦笑とともに躱していたところで、第三者の凛とした声が響く。
「アリューシアか、丁度良かった」
声の主に応える。
恐らく、今日の執務を終えて帰るところだったのだろう。服装は俺をビデン村まで迎えに来た時と同じく、レザージャケットを中心とした比較的ラフなものだった。
いや本当にナイスタイミング。ここまで連れて来たはいいものの、果たして勝手に中に入れていいかは悩みどころだったからな。
「ええと……先生、その子は……?」
俺と、騎士と、少女。
一通り視線に収めた後、やや困惑を織り交ぜたアリューシアの声と視線は、俺ではなく隣の少女へと向けられていた。
「ああ、えっと、なんて言えばいいのか……」
「まさか……先生の隠し子……!?」
「いや違うよ!?」
危うく吹き出すところだった。
違う。そうじゃない。
聡明な読者の皆様は既にお気付きかもしれませんが、アリューシアさんはほんのちょっぴりだけポンコツです。




