第41話 片田舎のおっさん、花を咲かせる
「それはまた、災難でしたね」
「うん、まあ被害はなかったんだけどね。取り逃がしちゃって」
翌日。
いつもの修練場で稽古をつけながら、昨日の出来事について雑談がてら話題を振った相手は、副団長のヘンブリッツ・ドラウトだった。
彼はほぼ毎日、この修練場に顔を出しては鍛錬に精を出している。初めて会った頃よりも更に一段、筋肉の付き具合が増しているかもしれない。
模擬戦も行っているが、最近は力任せの攻撃だけでなく色々と試しながら攻撃を出しているようで、進歩が感じられて大変に良い。
まあまだ負けてはやれないけどな!
相手がレベリオ騎士団の副団長とは言え、一度勝ってしまった以上、おっさんにはおっさんの意地と見栄が一応あるのである。
「しかし……クルニが両手剣とは、また思い切りましたね」
他の騎士たちが修練に励む様子を傍目に、皆の邪魔にならないよう隅の方で大型の木剣を振るっている小柄な騎士に話題が移る。
「今のところはだけど、彼女に合っていると思うよ」
クルニの動きは、地味だ。
華々しく剣を振るって活躍、というステージにまだ彼女は立てていない。それは本人もよく理解しているようで、基本の構えと素振り、そして確認を繰り返していた。
その表情に迷いや不安といった、ネガティブな感情は見られない。
彼女自身が、ツヴァイヘンダーという武器に可能性を見出しているのだろう。俺が薦めたってだけであそこまで精力的になれるかと問われれば、ちょっと疑問が残る。
「将来、化けるかもしれないね」
「それは楽しみです。騎士の成長は、何時だって喜ばしい。私も負けてはいられません」
いい笑顔とともに、ヘンブリッツがそんなことを述べた。
褐色を帯びた肌に切れ長の目が、その頼もしさを倍増させる。
彼は彼で良い人なんだよなあ。武に対して実直だし、負けん気の強さはあるものの認めた者に対しての素直さもある。面倒見の良さだってある。
国民や騎士たちからアリューシアが絶大な人気を誇っているのは事実だが、俺が見た限りではヘンブリッツも負けちゃいない。いやそれは言い過ぎか。流石に人気の面では負けている気がする。
だが、騎士たちからの慕われ方という見方では負けず劣らずだ。
アリューシアの方になまじっか近寄りがたい雰囲気がある一方、彼は誰に対しても気さくである。無論、アリューシアがぶっきらぼうだと言うつもりはないが。
俺から見ても、ヘンブリッツ君は貴重な男性の話し相手でもある。
別に女性が嫌いとかそういう訳じゃまったくないんだけど、女性ばっかりだと息が詰まるんだよな。決して彼女らの相手が嫌だとかそういう話じゃなくてさ。
俺はおじさんだから、同性の話し相手というだけでなんぼか気楽になれるのだ。
「ですが、ベリル殿がスリ程度を取り逃すとは……余程の手練れでしたか」
「それが魔法を使われてね。思わず捕えた手を離してしまったんだ」
クルニから話題が昨日のスリの話へと戻る。
いやあ、俺も取り逃すつもりはなかったんだけどさ。あんな隠し玉を出されてはびっくりせざるを得ない。
「魔法……ですか……」
魔法。
その一言を告げると、ヘンブリッツは何かを考えるように黙り込んでしまった。
「……何か問題でもあったかな?」
「ああいえ、ベリル殿が、という訳ではないんですが……」
まさかそんなやつを取り逃すなんて何事だ、みたいなことを言われるのかと思ってちょっと身構えてしまった。どうやら俺を責める類のものではないようで安心。
いや安心じゃねえな。魔法を使える不届き者が首都に潜んでいるってのは、あまり無視できない内容かもしれん。
「……通常、レベリス王国内で魔法を扱える者は、そのほとんどが魔術師学院に入学します。そこから先は魔法師団だったり冒険者だったりしますが……ベリル殿を怯ませる程の魔法の使い手がスリにまで身を窶している、というのは少し違和感がありますね」
「ふむ……」
まあ、普通はそうなんだろう。俺も同じことを考えたからな。
この世界では、ただ『魔法が扱える』というだけで才能を持つ者の仲間入りだ。扱える者自体が希少だから、国が放っておかない。
魔術師を一人見逃すってことは、それほどまでに国力、戦力に直結する。だからレベリス王国は直轄で魔法師団を持っているし、魔術師学院を建てたりしているわけだ。
他国がどうしているかまでは流石に知らん。ただ、様々な面から考えても、少なくとも冷遇してはいないはずである。
レベリス王国はそういう才のある者を見逃さないように頻繁に告知を行っているし、学費もかなり良心的だと聞く。
確か、ある程度優秀なら無償じゃなかったっけな。折角才能があるのにお金がないので魔術師学院に通えません、では意味がないからだ。
ちなみに、魔法の才能はいつ何処で花咲くか分からないらしい。
血統とか、生まれとか境遇とか、色々と研究はされているらしいんだが、その因果関係は結局のところ判明していないそうだ。それが分かればもっともっと効率的に魔術師を増やせるわけだしな。今のところはとにかく才能のある者を探し出し、確保する方向で動いている。
だから、もし自分に魔法を使える自覚があるのなら、そのまま魔術師学院に自分を売り込みに行けば全て上手くいく。フルオートでビクトリーロードの出来上がりだ。そして少なくとも、レベリス王国民にそのことを知らない者は居ないはず。
魔術師ってやつは本当に羨ましいね。
で、問題のスリの話に戻るわけだが。
魔法を使えるのなら、その足で魔術師学院に行くのがぶっちぎりで手っ取り早い。むしろ、それをしない理由がない。わざわざ暗闇に紛れて窃盗せずに済むわけだ。
だが現実、昨日出会ったスリはそれを続けている。初犯ってわけじゃないだろう、動きに無駄と躊躇が無さ過ぎた。ある程度の期間、それで飯を食ってきたと見える。
「考えられる可能性としては……魔術師ではない、という線でしょうか」
「魔術師じゃない?」
魔法が使えるのに魔術師ではないとはいったい。
「魔装具です。緊急避難的な意味合いで持ち合わせていたのかもしれません」
「あー……なるほどね」
流石はヘンブリッツ君と言うべきか、レベリオ騎士団副団長と言うべきか。様々な可能性に瞬時に思考が及んでいる。
俺は魔装具という単語を聞いた今、初めてその可能性に思い至った。
スリの常習犯が、万が一しくじった時の逃走手段として魔装具を持っている。有り得ない話じゃない。魔術師が落ちぶれているという線よりは余程現実的だ。
「じゃあやっぱり、普通の小悪党って感じかな」
「でしょうな。魔法の才を持つ者が盗みを働く理由がありません」
ふむ、なんだか腑に落ちそうだな。
ただ攻撃的な魔装具を持っていた小悪党。この線が一番しっくりくる。それはそれで逃してしまったことが悔やまれるのだが。
まあそれはそれで、何で小悪党がそこそこ以上に高級品である魔装具を持っているのか、という別の疑問は出て来てしまうが、それを俺が考えたって仕方がない。
この話はここで終わりとしておこう。どうせ俺には関係ない話だ。
「いやはや、都会は違うねえ」
「あまり褒められているようには感じませんが……まあ、人が多く集まると様々な一面が見えるものです」
いやごめん、別に皮肉ったわけじゃないんだよ。ただ本当にそういう感情を素直に持ってしまっただけで、悪意はないんだ。
「あ、そうだ。スリと言えば」
昨日の出来事を思い出した俺は、ついでに拾ったペンダントを見せる。
「これは……アクセサリー、ですかね」
「そう、昨日拾ってね。どこに届け出ればいいのか分からなくて」
別にこのペンダントと件のスリが直接関係しているわけではないが、俺の時系列で言えば地続きの話だからな、ついでに思い出してしまった。
俺の手にあるペンダントをしげしげと見つめるヘンブリッツ。
反応から察するに、どうやら彼はこういう方面にはイマイチ疎いらしい。そりゃ毎日鍛錬ばっかりしてたらそうなるよ。俺も人のこと言えないけどさ。
俺に鑑定眼はない。
このペンダントが果たして値打ちものなのかどうかはサッパリ分からない。
がしかし、少なくともその物自体が大切に扱われていたかどうかくらいは分かる。その視点で行けば、このペンダントは間違いなく大切にされていた。だとすれば、せめて持ち主の手に再び戻ることを期待したい。
「でしたら、この庁舎にも遺失物の預り所はありますので、後ほどそちらを案内致しましょう」
「ありがとう、助かるよ」
じゃあこのペンダントについてはそういうことで。
何にせよ俺が独力で持ち主を探すってのは不可能だからな。地元に根付いている騎士団にお願いする方がその可能性も高くなるというものだ。
「では、ベリル殿。一つ手合わせを願えますか」
「お、構わないよ。やろうか」
話は一段落ついたと見たか、ヘンブリッツが早々に仕掛けてきた。
何だかんだと言ったが、鍛錬に熱心なのは好いことだ。俺もスリやらペンダントやらの話題で花を咲かせるのは一旦置いといて、本来の役目に戻るとしよう。
お久しブリッツ君。
魔法、一度は使ってみたいものですね。
洗濯物が一瞬で乾く魔法とか、部屋の埃が一瞬でなくなる魔法とか。




