第288話 片田舎のおっさん、睨まれる
「先生、今日もよろしく」
「ああ。とはいっても、もうほとんど出番はなさそうだけどね」
今日はいつもの騎士団庁舎ではなく、魔術師学院の方へお邪魔している。すっかり日常の一幕となった、剣魔法科での臨時講師のお仕事だ。
今回は珍しくフィッセルとばったり出くわしたので、そのまま行動を共にすることとなった。俺は剣魔法科の講義がある時だけここに来ればいいんだけど、彼女はそうでもないからね。だからこうして、授業の前から同行することは結構珍しい。
しかし今更ながら、この剣魔法科の臨時講師。いつまでやるべきなんだろうかとはちょっと考えている。
俺に魔法が分からん以上、魔法については教えようがない。剣術については一家言あるものの、フィッセルという正式な講師を差し置いて俺が出張り続けるのも違う。
勿論最初は彼女の教え方という、根本的な部分に問題があったからこうして臨時で務めているわけだが、それもそろそろお役御免の時期だろうか、なんて思うのである。
「フィッセルも流石に板についてきたよね」
「大分慣れた」
「うん、いいことだ」
そんな想いを持ちながら少し話題を振ってみると、既に当初抱え込んでいた苦手意識はほぼなくなったと見ていい。
もともと彼女は極めて優秀だ。優秀であるがゆえに、初心者に合わせる加減を知らなかっただけであって、それが解消されたのなら即ち優秀な講師足りえる。
いや別に、この仕事が嫌いとか嫌気がさしたとか、そういうわけじゃなくてね。
本来収まるべきところに収まり切っていないような、絶妙な違和感がちょっとある。まあ誰も何も言ってこないから、この違和感を抱いているのは俺だけなんだろうけれど。
勿論、最初に請け負ったミュイを含んだ五人の成長は見たい。見たいが、それは俺がここで成さねばならぬ使命や任務といったものからは、やや外れる。
物事が落ち着いてきたから今度は俺が自分の置かれている立場に落ち着かなくなってきた、というか。心の置き所というやつは、なんともままならないものである。
「……?」
「? フィッセル、どうかした?」
さて、それじゃあ皆が待つ教室に向かおうかと思ったところ。フィッセルがこちらをじっと見ながら足を止めた。
「先生、どこか調子悪い?」
「え、いや。んー……まあ、良くはない……かもしれないね」
「……そう」
フィッセルに無表情でじっと見つめられると、何か悪いことしたかなって気持ちになるな。俺だけだろうか。
まあ冗談はさておき、どうやら俺の不調は彼女にもばっちり見抜かれた様子。ちなみにミュイからも何かあったのか聞かれました。よく見てるよ本当に。
今日はヴェスパーと打ち合った数日後、といった頃合いだが、まだちょっと全快とはいっていないのが現状である。骨折などの重傷ではなかったものの、強かに打ち据えられたものだから、未だに少し痛みが残る。
もう少し肉体的に若ければ、この辺りも気にならなかったんだろうけれども。
なんとなく、本当になんとなく、これが年を取るということか、みたいな実感がある。認めたくはない現実である一方、認めなければいけない現実がにじり寄ってきている。ままならないものだ。
「……んんんん」
「……フィッセル? ど、どうしたんだ?」
体調が悪いのか聞かれたので、まあ良くはない、と答えた。問答はそれで終わりのはずなのだが、何故かフィッセルが視線を外してくれない。眉間に皺を寄せ、俺からすればやや珍しい表情で見つめられている。
なんだろう、他に何かあるんだろうか。彼女がこうやって人の顔一点を見続けているのは、かなり見慣れない光景だ。その対象が自分自身となれば尚更のこと。
「……魔力はない。けど、あった痕がある……気がする……?」
「……うぅん?」
しばらく俺を眺めていた、というより睨んでいたに近い相好を見せたフィッセルが、そのしかめっ面を少しだけ緩めて言葉を紡いだ。
魔力はないけど、あった痕があるような気がする、とは。ぶっちゃけ俺にも全く分からない。そもそも俺に魔法の素養はないし、今フィッセルが言った通り俺に魔力はないのだから、それは今後も変わらないだろう。
他方、俺にはまともに魔力を浴びた経験がない。魔力の痕跡があったような気がすると言われる理由にもまた、心当たりがないのが正直なところであった。
「先生。もしかして最近、大怪我とかした?」
「ん? ……あぁーーーー……」
大怪我。そういわれてようやく思い当たった。イド・インヴィシウスと一戦交えた時のアレだ。
確かにあれは大怪我と言ってなんら差し支えない。むしろ未だに剣士として活動出来ていることが奇跡のようなものだ。ルーシーがたまたま居合わせていなかったら、俺の剣士人生はひっそりと幕を下ろしていたかもしれない。そのレベルの重傷。
「……したねえ、大怪我」
何となく居た堪れなくなって、ふいとフィッセルから視線を外す。別に俺の怪我の原因をフィッセルが責め立てる道理はどこにもないのだが、ばつが悪いというか。
「……それで、回復魔法を使われた。合ってる?」
「うん、そうだね……」
そこまで話が進んだところで、ようやく要点が分かってきた。
俺の左腕の大怪我は、ルーシーが回復魔法で無理やり治癒させた。フィッセルが捉えた「魔力があった痕のようなもの」は多分、これを起因としたものだろう。
魔法の理屈的なところは何も分からないけれど、本来なら機能不全に陥っても不思議ではない部分を、魔力で無理やり補強したと捉えることも可能。そのわずかな残滓を嗅ぎ取った、と見るのが妥当だろうか。
それでルーシーの魔力が作用して、俺にも魔力が宿り魔法が使えるようになった。そんな筋書きが通れば、俺もいくらかテンションが上がっていたかもしれない。
けれど現実そんな都合のいいことは起こらず、俺は何も変わらないままだ。怪我が治ったのは喜ばしいと言えど、今回ヴェスパーに敗れたことから始まる一連の不調に、あの出来事は関係がない。
「多分、体調が悪い原因はそれ」
「えっ」
しかし、続いて齎された言葉はあまりにも予想外のもので。素っ頓狂な反応を返すことしか出来なかった。
「……そうなの?」
とはいえ、そうかそうかとすぐに納得出来るものでもない。
確かにルーシーが俺の怪我を治した時、治ったはずの身体に痛みはあったし動かした時の違和感もあった。けれどそれらはあくまで一時的なもの。実際、イド・インヴィシウスと再び剣を交えた時にその違和感は消えていたから、あれっきりだと思っていたのだが。
「そうだと思うけど、説明が難しい。えっと……魔力を持たない人が突然大量の魔力を浴びると、身体がびっくりする、ことがある。影響が残ることもあるし、残らないこともある」
「うーん……?」
フィッセル自身が難しいと言っている通り、俺にすんなりと理解出来る領域の内容ではなさそうだ。まあ少なくとも、頻繁に起こることではないらしい。
そんな現象が常に起こるのなら、回復魔法なんて碌に使えないことになってしまう。魔力がない人を魔法で治療したら漏れなく副作用が付くからね。流石にそこまでの事態になっていれば、回復魔法の行使自体に何らかの制限がついてしかるべきだ。
だが現実そうはなっていない。つまり影響が出ること自体が稀で、俺はその稀なパターンを引いてしまった、ということだろうか。あるいは、あそこまでの大怪我を治すとなるとその影響が出やすくなる、とか?
いやしかし、俺の頭で考えてもこれ以上は何も分からんな。当てずっぽうな推測くらいしか出来ん。
「ふーむ……まあとりあえずそうだと仮定して……治るの?」
それより喫緊の問題は、彼女のいう不調が果たして治るものなのかどうか、というところである。
まだ推測の域を出ないが、もしヴェスパーと対峙した時の違和感が魔力由来のものであり、かつそれが治らなかった場合。俺は老いとはまた別の問題を抱えることになってしまう。流石にそれはごめん被りたい。
「治る。個人差はあるけど、治らなかった例は知らない」
「そっか、よかった……」
そんな俺の想いが天や神という存在に通じたのだろうか。フィッセルは眉間に皺を寄せた表情を和らげ――というかいつもの無表情に戻り――事も無げに告げた。
ちゃんと治るならそれでいいや。引きずる問題でもなく、あくまで一時的なものということだろう。その「一時的」がいつまで続くのかは、ちょっと分からないけれど。
「……何かあった?」
「んー……」
少々考え込んでいると、フィッセルからまた違う角度で突っ込まれる。
この「何かあった」は、俺の不調そのものではなく、その不調が何かを引き起こしていないかという問いだろう。
「まあフィッセルならいいか。実はこの間、騎士との打ち合いで一本取られちゃってね。見えていたけど、身体が動かなかった」
「……見えてたのは、いつもより?」
「うん? まあ、そうだと思うけど……」
てっきり驚かれるかなと思ったが、続けての問いに俺が少々驚かされる羽目となった。
普通この会話の流れなら、身体の不調の方がフォーカスされるはずだ。だが彼女は俺が普段より動きを追えていた方に疑問を呈した。俺はただ、見えていたけど動けなかったと言っただけなのに。
「――あ、分かった。身体の調子が悪いんじゃなくて、目の調子が良すぎる」
「えっ?」
なんだかさっきから驚いてばかりな気がする。それくらい、俺にとっては目からうろこな新情報が盛りに盛られていることになるのだが。
「えっと、身体も多分影響は受けてる。けど、何かがよく見えるようになって、見えすぎて身体が付いてこないことはある。私もあった。でもそれは多分、魔法そのものは関係ないと思う」
「そうなんだ……俺は初めての経験だったけど……」
「先生は元から強いし元の目も良いから」
「そ、そう……」
なんだか最後だけ急に論理的じゃなくなった気がするけれども。
とはいえ、今まで見えていなかったものが見えるようになった経験自体はある。おやじ殿との立ち合いなんかがそうだ。ただそれもある日突然というよりは、長年積み重ねてきた鍛錬が無駄にならず、じわじわと花開いた結果ともいえよう。
しかし、見えすぎて困ったという経験はない。もともと目だけは良かったから。
「うーん。となると、結局魔法の影響ってのはどれくらいあるものなんだろうね……」
「分からない。さっきも言ったけど個人差がある。でもごめん。魔力の影響はもう抜けてるのかも」
「いや、フィッセルが謝ることじゃないさ。俺も分かんないんだから」
結局のところ、俺に魔力の痕っぽいものがあることと、ヴェスパーとの立ち合いで不覚を取ったこと事実は連動していないのかな。マジでよく分からん。フィッセルにも分からないのだから、俺に分かるはずもないんだが、気になると言えば気になる。
でもまあさっきも思った通り、魔力の影響はもう抜けていると見ていいのかもしれん。治ったはずの腕の痛みや違和感が後遺症だったと言われれば、それはその通りなわけだし。
「……ふふ」
「ん? どうした?」
よく分からんという結論が改めて導き出されたところで、フィッセルが小さく笑みを零す。今までの話題からはちょっと続きにくい微笑みに、思わず尋ねてしまった。
「先生もまだまだ成長中。それが嬉しい。これで、見えない人が何かを見えるようになった時の気持ちが分かるようになった」
「ああー……なるほどね……」
小さな微笑みと、そこに交じる僅かなドヤ成分。なんで彼女がこういう態度を取っているのかはまた別の問題として、言われたことに対しては合点がいった。
俺は元から目が良い。だから見えていることが当たり前だった。そこまでは良いとして、更に見えるようになる、という成功体験が今まで碌になかったことになる。いや勿論、そんな経験は贅沢に過ぎるという視点はあるにしても、だ。
身体の動かし方とかなら日々成長を感じていたんだが。もともと良かったものが更に良くなる経験はあまりしてこなかった。
とはいえ、これもまた素直に信じ切るのは危ない。あくまでフィッセルの見立てではそうなったというだけで、実際俺の目に更なる進化が起こり、それに身体が付いていかなかった確証は何処にもない。
他方。無条件に楽観的になることはないが、同時に無駄に悲観的になる必要もない。
これも一つの見方として捉えて、後は自分自身の感覚を納得のいく方向に持っていくしかないだろう。本当に身体にガタが来ているだけ、という最悪の可能性もまだ、拭いきれてはいないからね。
「でも、フィッセルはよくそういう見方が出来たね。俺は身体が衰え始めたとばかり……」
「? だって先生は強い」
「は、ははは……そっか……ありがとう……」
斬新な切り口に感心していると、あまりにもあんまりな答えが返ってきて思わず苦笑が漏れる。
いや嬉しいよ? 曲がりなりにも師の立場としては、弟子たちからいつまでもそういう目で見られることに悪い気はしない。
しないけれどね。俺もずっと若いままではいられないんだ。スレナにも思ったことだが、時々こういう無条件の信頼が重く感じるのは、無理からぬことだろうと思わずにはいられない。
「でもまあ……そういうことなら、もうひと頑張りしないとね」
けれども。
その信頼を自分から勝手に切り捨ててしまうのも、また違う。おやじ殿だって、自分の剣士としての格が落ちたとは一度も思ったことがないと言っていた。
じゃあやっぱり、俺自身が俺の格を落として考えるのは違うんだろう。周りから言われて、あるいは強烈な自覚を得て初めて考え始めるものであって、上にも下にも決め付けるのは良くない、ということかな。
「先生はもっと自信を持つべき」
「いや、これでもマシになったとは思うんだけどねぇ……」
「足りない」
「そ、そう……」
最後に、フィッセルから厳しいお言葉を頂いてこの話はお開きとなった。
自信。あればあるほどいい類のものじゃないが、きっとなさ過ぎても困る。そして少し前までの俺は、明確に後者だった。
言った通り、頑張っている方ではあると思うんだよ、これでも一応は。だけど彼女から言わせるとまだまだ足りないらしい。
この辺りも更なる精進が必要なんだろうね。剣の道の果てを目指そうという人間に自信がないのは如何なものか、などと問われれば、それは確かにそうだな、とも思うわけで。
まだまだ精進が足りていない。それが改めて分かっただけでも良しとしよう。




