第287話 片田舎のおっさん、座り込む
「ベ、ベリル殿……!?」
「あ、ああ、大丈夫……骨まではいってない……多分ね……」
俺も予想していなかった衝撃。そして恐らくヴェスパーは、俺以上に予想していなかったのだろう。病み上がりの自分の剣撃が、特別指南役の腹に直撃することなど。
言った通り、骨が折れた感触まではない。正直な話、骨が折れたら直感で分かるからな。折り慣れている、というには表現が大変物騒だが、まあ慣れるとそうなってくる。大体自分の身体がどれだけのダメージを受けたかがふんわりと分かるんだ。
その観点から述べれば、重傷ではない。ただ、すぐ元気に動き回れるほどの軽いものでもなかった。病み上がりとはいえ、レベリオの騎士の攻撃をまともに受けたら普通はこうなる。
「ふぅーーーー……いや、凄い気迫だった。君に中てられたかな……」
「そんな……いえ、ありがとうございます……? あの、お身体は……」
「大丈夫大丈夫」
負けた俺は俺でテンパっているんだけれど、勝った方がそれ以上にテンパっていた。ヴェスパーが割と面白い顔をしているおかげで、俺の痛みがちょっと引いたくらいである。
彼はフルームヴェルク領への遠征時にずっと同じ馬車に乗っていたが、フラーウと同じく鉄面皮そのものだったからな。ここまで乱れるのはかなり珍しい。
ヴェスパーにとっては、それくらいの大きな出来事だったということなんだろう。いや、俺としても結構ショッキングではあるけれども。
「ふぅ……ありがとう、ございました」
「あっ、はい! ……ありがとうございました」
とにかく、打ち合いは終わった。であれば終わりの挨拶を述べねばならない。これが模擬戦である以上、勝っても負けても同じこと。負けたから挨拶しないってわけにはいかない。
腹を摩りながら頭を下げると、俺の動きを見て慌ててヴェスパーも追随する。
流れの剣客なら別に無視してもいいかもしれないが、俺は指南役だ。剣技のみならず、こういう部分をおろそかにしてちゃいけないよな。腹はクソ痛いけどさ。
「……なんだ? ベリルさんをヴェスパーが……?」
「……いや、しかし……」
落ち着いて耳を澄ませると、いくつかの声は漏れ聞こえてくる。
幸いながら、この打ち合いを眺めていた他の騎士は少ない。故にこの事故も多くの人の目には晒されていない、はず。けれど、大勢が鍛錬している騎士団庁舎の修練場で起きた出来事な以上、完全な秘匿は難しい。
でも騒ぎ立てられずに済んで俺としては助かっているよ。流石にその辺りの礼節というか、そういうものはきっちりしている。これがギャラリー有りの野試合とかだったら、きっと大変だった。
普通、模擬戦一回こっきりの勝ち負けなんて気にしない。そんなもん常に転がり回るからだ。
だが今回多少なり波風が立ったのは、俺が騎士団の指南役としては初めて負けたからだろう。
これでも一応、アリューシアにもヘンブリッツ君にも勝ちを拾わせていなかった。それが思わぬ伏兵が飛び出してきたことで、どうしても無関心ではいられない。彼らの心持ちとしてはそんなところだろうか。
まあ土台ごまかすのは不可能だし、そもそも剣の勝ち負けをごまかしたって何の意味もないからな。ただ己の矮小なプライドを守るだけの行為にしかならず、俺にその類のプライドはほとんどない。
まったくない、と言えないところが成長なのか増長なのか、悩ましいところだけどね。
一方、どんな形とはいえ俺から一本を取ったヴェスパーの顔色は晴れない。それでもこの結果を前に、色々と質問したり疑問を呈したりをしないのは正直助かっている。
油断されましたか、実は体調が、私に手心を――そんな言葉を掛けられたとしても、俺が惨めになるだけだ。俺は俺で、この結果を真摯に受け止めなければ。
「うーん……動けはするが、痛みは無視出来ない、か。まあ安くついた方かな」
「……その、謝るのも筋違いな話だとは思いますが……私としては全力で打ち合う外なく……」
「ああ、それは正しい。だからヴェスパーは気にしなくていいよ」
この辺り、ヴェスパーは色々と分かってくれているからありがたい。いや気持ちは痛いほど分かるけれどもね。
ただ言った通り、レベリオの騎士の剣撃をまともに食らって骨が折れていないのは普通に運がよかった方である。文字通り安く済んだというやつだ。これも恐らく、彼が万全の調子であったなら危うかった。
まあ問題は、その剣撃に俺が当たってしまったことなんだが。
「すまないが、ちょっと休憩させてもらおうかな」
「はっ! 承知いたしました」
この状態でも指南が出来ないことはない。けれどじくじくと痛む脇腹は、その存在をこれでもかという程に主張してきている。一旦考える時間を設ける意味でも、一息ついておきたいところであった。
その点で言えばヴェスパーも結構息が上がってきているので、ひとまず区切りをつける意味もあって助かる。いきなり俺だけ座り込んだのでは流石に違和感が出るだろうから。
「ふぅ……」
修練場の壁にもたれながら腰を落ち着けて、先程のやり取りを考える。
ヴェスパーの一撃と、その直前に見えた奇妙な未来。恐らくあれは合ってはいたはずだ。想定通りにヴェスパーが動いたことから、少なくともまったく見当違いの読み外し、というわけではないだろう。
問題は、予見した通りに彼が動き、俺もその動きを察知した上で、更に防げなかったことにある。
見えてはいた。ヴェスパーが突きから薙ぎに切り返す瞬間を、確かに俺の目は捉えていた。
「……」
しかし、そこに反応が間に合わなかった。動けなかった、と言った方が正しいだろうか? どうにもそこの違和感が拭えない。見えていたし、俺はいつも通り身体を動かそうとした。けれども動かなかった。
反応が遅れた、というには少し違う気がする。このモヤモヤは出来る限り早急に解消すべきなのだが、そのためには動かなければならない。けれど今はダメージがあって満足に戦闘機動が取れる状況でもない。
うーん、困ったな。考えるだけで剣が上達すればそれでもいいんだけれど、現実そういうわけにはいかないのだ。
「ふーむ……」
この違和感は追々追及するとして、もう一つの問題はあの先読みのカラクリだ。まさか自分自身が訳の分からない感覚を得るとは露ほども思っていなかったよ。
俺には魔法の素養がないしそれはきっとこれからも変わらないので、突如魔法的な何かに目覚めた線は消していいだろう。フィッセルも「魔力に目覚めた瞬間に分かる」と言っていたし、未だその実感がないということは、俺に魔力は宿っていないということだ。
俺は目が元々良かった。自信を持って誇れる数少ない長所でもある。この目があるからこそ、俺はこれまでなんとかやってこれた。
順当に考えれば、その目が更なる進化を遂げた……とかになるのかな。
まあ確かに昨年、おやじ殿との模擬戦を制した時も、今まで見えなかった剣筋が見えるようになってはいた。つまり、自覚を持てるレベルで成長していることになる。
それが更に一段階覚醒した。恰好よく言えばそう捉えられないこともなさそうだが、さりとて一回こっきりの偶然という可能性もある。むしろ普通に考えればその可能性の方が高い。アレが毎回見れると信じ込むのはどう考えたって危険だ。
「っ痛て……」
そこまで考えたところで、反射的に右の脇腹を摩る。
いやーしかし、良いのを貰ってしまったな。とりあえず後でポーションぶっかけておくのは確定として、下手したら翌日以降も引きずるかもしれん。木剣がばちーんと当たったらそりゃ痛えよなという話である。
不思議と悔しいという感情はあまり湧かなかった。微塵もないと言えば嘘になるけれどね。
多分良くも悪くも、理由の見えない負け方をしたからだと思う。これが純粋に読み負けや当たり負けであったなら相当地団駄を踏んだかもしれないが、そういう感じでもない。
とにかく今は、あの奇妙な現象に至った理由を知りたいというのと、右の脇腹がひたすら痛いという二つの感情で一杯いっぱいであった。いやマジで痛いな。骨はいってないと思うんだけどちょっと自信なくなってきたぞ。
「おや、ベリル殿。珍しいですね」
「ああ、ちょっとね……」
情けなく座り込んでいる姿は、少なくともここに来てから見せた記憶はない。きっとそれが言葉通り珍しく映ったのかな。ヘンブリッツ君が鍛錬の手を止めて、こちらへと歩み寄っていた。
「ヴェスパーも休憩ですか。彼も相当体力は落ちているでしょうし」
「まあそれもあるんだけど……」
どうやらヘンブリッツ君は俺が一本取られたところを目撃はしていなかったようだ。もししていれば、多分こんなに和やかな話し方にはなっていないだろう。
自惚れかもしれないけれど、俺は彼に結構認められていると感じている。恐らく初めて顔を合わせた時の模擬戦のおかげだ。結果としてあの打ち合いがかなり空気を緩和してくれたから、今では感謝しているくらいである。
うーん、しかしどうするべきか。ヴェスパーの体力が落ちているのは事実だし、そこに異論はない。
けれど俺が座り込んでいるのはもっと別の理由なのだ。これを伝えるべきかどうかで、やや逡巡を生んだ。
やっぱり剣士である以上、最低限のプライドがあったらしい。自己完結で収まらず、他者の耳に敗北の事実を伝えるのは、ちょっぴり悔しさが募る。
「……ヴェスパーに一本取られちゃってね。脇腹に良いのを貰ったから、少し休憩だ」
「なんと……!?」
でもまあ、ここで意固地になっていいことはなさそうだしね。特に相手はヘンブリッツ・ドラウトという信頼のおける聞き手。そもそもヴェスパーが俺から一本取ったことを誰かに伝えればそれは広まるわけで、隠しても仕方がない。
返ってきた反応は、予想通り。分かりやすい驚愕に濡れた表情とともに、彼は言葉を詰まらせた。
「――いやはや、腐ってもレベリオの騎士ですな。ベリル殿から執念で一本をもぎ取るとは」
「はは、そうだね。俺も中てられちゃったかもしれない」
数秒は間が空いただろうか。それでもヘンブリッツ君は表情と声色を整えて、言葉を紡ぐ。
皆出来た騎士だと思うよ本当に。下手な慰めの言葉を選ばず、一本を取ったヴェスパーを褒めている。
こういう時に慰めの言葉が必要な人は確かに居るだろう。それを軽視はしない。けれど、俺の立場と感覚でいえば不要なものだ。なんであろうが負けは負け。それを一旦は素直に呑み込まないと、成長なんて見込めないからな。
「して、脇腹の方は……」
「折れてはいないと思うけど、結構痛いね。まともに食らっちゃったから」
「ではポーションを手配させましょう。……私が取ってきましょうか」
「うーん、流石にそれには及ばないよ。副団長殿に使い走りをさせるわけにはいかない」
そしてここでも気が利きまくるヘンブリッツ君。流石の手腕である。
誰かにポーションを手配させたとなると、じゃあそれが必要な人は誰だという話になる。そこで俺の名が挙がることを良しとしなかったわけだ。ありがたい気遣いだし実際ちょっと迷ったが、ヘンブリッツ君をパシらせることの方が俺としてはつらい。
「承知しました。……アデル! エデル!」
「はいっ!!」
「は、はいぃ!」
俺の返答を受け取ったヘンブリッツ君は、修練場で元気に鍛錬していた新人騎士二人の名を呼ぶ。
相変わらずアデルの返事は元気いっぱいだな。レベリオの騎士となりいくらか時間が経ち、少しは落ち着いたところもあるが、基本的には大変元気かつ実直である。
改めて思うけれど、あの跳ねっ返りの権化みたいなアデルをここまで素直にさせた騎士団の教育は凄まじいね。色々な意味で地元の道場ではやりにくい手法だ。
エデルはエデルで対照的な落ち着き……というか気の弱さを持っているんだけれど、こっちもいい意味で変わってきた。相変わらずおっかなびっくりではあれど、しっかり腹から声を出せている。
二人ががっちゃんこして、一人の剣士になったら色々とバランス良くなりそうなんだけどなあ。そんなことを考えてしまうくらいには双子の割に正反対。
だけど、二人ともに今まで持ち得なかった部分を備え始めている。いいことだ。これからも是非そのまま精進を重ねて、成長していただきたい。
「保管庫からポーションをいくつか運んでおけ。そろそろお前たちにも慢性的な疲労が溜まる頃合いだ」
「分かりましたっ!!」
指示を受けたアデルとエデルがすかさずぶっ飛んでいく。クルニとはまた趣が違うが、ちょっと犬っぽいところが見えたような気がせんでもない。
まあ少なくともレベリオ騎士団内でアリューシアやヘンブリッツ君に逆らう理由はないからね。頑張って順応してほしいところ。
「悪いね。上手く誤魔化してもらって……」
「いえ、お気になさらず。新人たちの疲労が溜まってくるのも事実ですので」
「……そうか、ありがとう」
そして更なる気遣いを見せた彼に、思わず苦笑を浮かべながらお礼を述べておく。とはいえ、彼は決して嘘を吐いたわけでもない。
新人たちがレベリオの騎士となったのは春。今は夏前。今までとはまったく環境も負荷も異なる場所で鍛錬していると、確かにこのくらいの時期から慢性的な疲労ってやつは溜まってくる。
勿論、各々でケアしてはいるだろう。しかし、一日分の疲労が一日の休息でまるっとなくなるわけでもない。
慣れない環境、高まる負荷、自身が感じるプレッシャー。そういうものがじわじわと己の体力と精神力を削る。
ある程度無理を利かせないと成長しないのは事実ではあれど、その見極めはかなり難しい。大体事故というやつはそういうタイミングで起こるものだ。
だから俺の負傷を誤魔化すのと同時、新人騎士へのケアも付け合わせてポーションを運ばせる指示を出した。
俺は彼の行動を見てからその思考に至ったけれど、誰に言われずともその思考に辿り着けるのがやっぱり、組織の上に立つべき人間なのだろう。俺にはちょっと無理だね。
「ふう……。今日は申し訳ない、あとはだましだましやっていくよ」
「は、ベリル殿もご無理はなされませんよう」
「ああ、ありがとう」
一息ついて呼吸も整ったし、動けないほどではない。ポーションが到着したらさっと使わせてもらい、あとは打ち合いではなく指導に回ろう。流石にこの痛みを抱えて元気よく動き回るのは、ちょっと苦しい。
アデルとエデルには、可能な限りポーションを迅速に届かせてほしいものである。
自身の脳裏を過った、一つの思考。
老いの可能性を努めて押し殺し、俺は腰を上げた。




