第280話 片田舎のおっさん、茶を淹れる
「とりあえず、上がっていきなさい。特に持て成せるものもないけれど……」
「いえそんな、恐縮です。お邪魔します」
ひとまず立ち話もアレなので、スレナを家にお招きしておく。彼女は軽く頭を下げると、そのまま俺の後ろを付いてきた。
「今日は休みかい?」
「ええ、まあ」
案内しながら、彼女に声を掛ける。休みかと聞いたのは、訪ねてきた服装が普段と違うから。
いつものジャケットに短パン、といういで立ちではなく。シャツに薄手のケープを羽織り、下はタイトめのロングスカートという、まあなかなかお目にかかれない恰好であった。
そういえば、私服のスレナの姿というのは、バルトレーンに来て再会してからは目にする機会がなかったな。基本的にいつでも動きやすい恰好をしているから、女性的な服装に身を纏っている彼女を見るのは新鮮だ。
とはいえ、別段それでどうこうは思わない。綺麗だなーとかやっぱり似合うなーとかは思うけれど、それだけである。
けれど、今日のスレナはなんだかいつもより柔らく見えるな、という感想は抱いた。それは服装からくる印象もそうだし、表情や声色などから察する限りでもそうなる。
「まあ座って」
「ありがとうございます」
居間まで来たところで、とりあえず椅子を勧める。屋内で立ち話もなんだしね。
さて、火を熾しかけていたんだけれど、どうするかな。まあ何か適当に作りながらでもいいか。
この辺り、普通の来客ならそれなりにピシッと対応するものだろうが、相手がスレナなので俺もちょっとなあなあ気味である。
勿論いい意味でね。俺にとってはあまり気を張る相手ではないから、気軽に接せられるというものだ。
「まあ座って。そっちは落ち着いたかい?」
「はい。……とはいっても、もともと大騒ぎになっていたわけでもありませんので……」
「あー……それもそうか」
鍋に水を張り、火にかけながら近況を尋ねる。
言われて改めて思ったけれど、スレナが帰ってこないという事件は別に公表されていたわけではない。関係者の間でやべーぞとなっていただけで、世間にとってはまったくあずかり知らぬ事象だ。
結果的に、騒ぎにならなかったのは幸いだろう。ブラックランクの行方不明など、一般に知られれば結構なスキャンダルである。醜聞とまでは言わないものの、多少なりギルドへの評価だとか評判だとかには影響が及ぶ。
そうならなかったのはひとえに僥倖だな。そこに一枚どころかがっつり噛んでいた事実は多分、墓まで持って行くべき内容かもしれん。スレナも同行した者も、それをわざわざ喧伝はすまい。
「しかし、随分と晴れやかな顔をしているね」
「そう、でしょうか? まあ……一つ、肩の荷が下りたのは事実です」
ここで、彼女が訪ねてきた時に抱いた感想を改めて伝えてみた。
言った通り、明るい表情になった。冒険者になってからはあえて強気かつ活発に動こうとしていたのだろうが、その張りが良い意味でなくなったというか。一言で言えば、雰囲気が変わったという表現になるんだろうか。
イド・インヴィシウス。スレナの両親の仇。これを討てたことは、確かに大きなことだ。
彼女の中でずっと重しになっていた事実が一つ、解消した。それはとても良いことだと思う。月並みながら。
誰だってネガティブな気持ちを抱えたまま剣を振りたくない。いや剣に限らずとも、出来ればそういう憂いが少ない人生を歩みたいと考えるのが普通だ。
でもそれは望む望まないにかかわらず、大なり小なり必ず発生する。後はそれをどう解消していくか、それとも抱えたままある程度許容して生きていくかの二択になるわけだが、彼女は長い時間をかけて前者を選択した。
無論、冒険者になったきっかけが復讐だけであるとは考えていない。その思いがゼロだったとまでは言わないが。もしそうなら彼女はもっとピリピリしていたはずだし、それだけでブラックランクまで登り詰めるのは難しいだろう。
「……良かったね」
「――はい」
万感を込めての一言。恐らく色々と言葉を飾ったところで、今この場面においてはあまり意味がない。それに、俺自身がそういうのがいまいち得意ではないこともある。
良かった。その一言でいい。彼女が歩んできたこの道のりが間違っておらず、そして結果が出せた。
当然、最短距離というわけではなかっただろう。それでもへこたれずに歩みを続け、一つの目標を達成したことは素晴らしい。それがたとえ仇討ちだったとしてもね。
「そういえば。以前聞いた、君のやりたいことの一つというのは、このことだったのかな」
「ええ。やつの足取りはその特性柄なかなか掴めず……今回はそこそこ確度の高い情報でしたので、ようやくといったところです」
「なるほどね……消える相手じゃ足跡を掴むのも苦労するわけだ」
ふと思い出した、以前彼女と交わしたやりとり。あの時はミュイも居たかな。冒険者の最高位ランクに辿り着いたスレナに対し、今の目標はあるのかと尋ねたこと記憶が蘇る。
目標の仔細まで聞き出すようなことはしなかったけれど、確かに言いづらい類のものではあるだろう。俺の言いづらいとは全然タイプが違う。俺のは単純にこっぱずかしいだけだからね。
けれど因縁の相手が姿と気配を消せる怪物となれば、その捜索は大変に苦労しただろう。どういう経緯でやつの情報が入ったのかは分からないが、そもそも既に特別討伐指定個体として認識されていた以上、存在自体は認知されていたはず。
冒険者ギルドと一言で言ったとて、その実態は国に拠らず勢力を築いている一組織である。相応の組織力と戦闘力を保持していなければ、そもそも存続すら難しい。少なくともレベリス王国内に限れば、レベリオ騎士団と王国守備隊、更に魔法師団という三組織が存在している。
それでもあえてそのような組織に、自国での拠点を許可しているのはそれなりのメリットがあってのこと。
幅広い情報源という意味では、やはりギルドとある程度距離を縮めておくのは基本的にはお得だな。
俺個人では拾える情報もかなり限られる。いやまあ、そういうところのお世話にならんよう立ち回るのが一番の得だってことには変わりないが。
他方、俺個人が厄介ごとに首を突っ込まないよう気を付けたとしても、厄介ごとが向こうから舞い込んでくることも大いにあり得るからな。特に今はただの田舎村の剣術師範ではなく、騎士団の特別指南役という肩書がついているので、その悉くを回避するのはあまり現実的ではない。
基本的な情報はアリューシアやヘンブリッツ君に訊けば分かるにしても、騎士団に入ってこない情報というものも当然存在はするだろう。
俺が積極的に拾いに行くかどうかはまた別として、そういうパイプ自体は持っておいた方がいい。
まあ何より、スレナが居るしね。彼女の動向に不安が残れば、すぐに聞ける相手は居た方がいいに越したことはない。
「っとっと」
雑談を交わしながらそんなことを考えていると、鍋からぽこぽこと泡の音がし始める。
うーん。流石に客人を置いたままがっつり何かを煮込み始めるわけにもいかないか。ここは紅茶でもお出ししておこう。
ちょっと前から安物とはいえ、とりあえず置いておくかと買ってみた茶葉は、結果として俺やミュイが時たま手慰みに淹れたりすることがほとんどであった。来客がゼロではないといえども、限りなくゼロに近いからな我が家は。
その意味で言えば、この家のお茶の味を一番知っているのはスレナとなる。それくらい、我が家には来客が少ない。でもまあ、ビデン村のような安ワインか白湯かの二択でなく、お茶を出せるようになったのは立派な進歩と言えよう。
「茶でも淹れようか。ちょっと待っててね」
「いえそんな、お気遣いなく……」
「いいのいいの。俺が淹れたいだけだから」
この反応も想定通り。彼女は俺に対して妙に遠慮しがちなところがあるから、俺が淹れたいという一言でその反論を封殺する。
威張り散らしているとまでは言わないけれど、普段は割と気丈なスレナがちょこんと縮こまっている様を見るのは、なんだか微笑ましい。借りてきた猫ってのはこのことを言うのかな。なんだかミュイとの奇妙な共通点を見つけたような気がして、少し頬が緩む。
「まあ下手の横好きというか、大した腕前でもないけどね」
「とんでもないです。いただきます」
別にいう程好きではないのだが、俺が淹れたいと言った以上はそれっぽいことは申し添えておこう。まあ嫌いでもないし。
とはいえ、やることなんて目分量で茶葉を適当に放り込んでお湯を注ぐだけである。多分正しい手順というか、美味しくするための小技みたいなものって沢山あると思うけど、そこまでの熱は今のところ、ちょっと持てなさそうであった。
俺もミュイも飲むから少なくとも不味くはないとは思う。上流階級の方々の舌に見合うとは口が裂けても言えないが。
仮にこれをルーシーに出せと言われても俺は断固拒否するだろう。ボコボコに言われる予感しかしないからだ。
アリューシア相手に出すのも、やや憚られる。フィッセルやクルニなら多分大丈夫そうな気はする。
そう考えると、スレナに対しては気楽に出せるものだな。やはり幼少期に僅かでも面倒を見ていた事実は、俺の中で結構大きいようだ。
これも以前から一貫して感じていることだが、彼女に対して弟子という見方がいまいち出来ないというかね。まあ俺はこれを良い意味に捉えているので、問題はないけれど。
「どうぞ」
「ど、どうも……」
スレナの分と、ついでに自分の分。二つの茶を用意してテーブルへ。
うーん。安物ではあるが香りはちゃんと紅茶っぽい。いやまあ当たり前かもしれんけどさ。そんな嗜好品を味わう性格も生活もしていなかったから、こういうちょっとしたことも地味に新鮮である。
「……ふふっ、まさか先生にこうして、何度もお茶を淹れて頂く日が来るとは思ってもいませんでした」
「俺もこんなことになるとは思ってなかったけどねえ」
互いに一口二口含みながら、雑談に花が咲く。
いやホント、こうなる未来なんて誰が予測出来たのか。まさかバルトレーンに居を構え、最高峰の冒険者となったスレナを幾度となく家に招き、こうして俺自身が手ずから茶を淹れるようになるとは。でも結果的には良かったのだろうと思う。
恐らくアリューシアが俺を強引に連れ出さなければ、俺は今でもおやじ殿の呪縛に縛られたまま、あの村で平穏な人生を歩んでいただろう。
別にそれが不幸だとは思わない。田舎村出身の男が歩むにはごくごく普通の人生だ。しかし現実はそうならず、俺はバルトレーンでの生活と色んな人との新たな繋がりを得た。
それらを一切排してなお、ビデン村に再び引き籠りますとはもはや言えなくなったし言いたくない。それくらい、俺に齎された変化は劇的だったし、概ね肯定出来る内容のものではあったから。
「あ、そうでした。私も先生に訊きたかったことが」
「ん。何かな?」
ここでスレナが、やや改まって口を開く。なんだろうな聞きたいことって。
「エーベンライン……彼も先生の教え子だったと」
「ああ、ジョシュアのことね……」
話題に出たのは、サリューア・ザルク帝国の冒険者ギルドを拠点とするブラックランク、ジョシュア・エーベンラインについて。
確かに俺は彼に剣を教えていた時期がある。そしてそのことを俺は勿論、ジョシュアも特に喧伝はしていない様子だった。スレナが知らないのも無理はない。というか普通に考えたら、ジョシュアの同期しかその情報は知らないはずである。
「事実だよ。ただあの時は、俺も若かったからねえ……。結果として、放り出してしまった」
「……放り出した、というのは……」
「端的に言うと、破門にした」
「!」
スレナの眉が、ピクリと動く。
ジョシュアは、一言で言うなら天才であった。恐らく剣術のみに限って述べれば、アリューシアと系統は違えど同程度の天才。身体の使い方が抜群に上手く、力を乗せるのが極めて巧かった。
俺も教え始めた頃は楽しかったよ。こっちが言ったことをすぐに吸収して、どんどん強くなる。うちの流儀が彼に合っているかは最後まで分からなかったが、それでも才能という一点では当時、突き抜けていた。
「別に威張り散らしていたとか、弱い者いじめをしていたとか、そういうのじゃないんだ」
「……確かに、あいつは高慢ちきな物言いこそ時たましますが……それも自信からくるもので、いう程では」
「うん」
剣技には真面目。別に対戦相手を卑下したり虐めに走ることもない。だからこそ、俺も気付くのが遅れた。より正確に言えば、彼の技量が他を圧倒し始めた頃にようやく気付いた。
「ジョシュアは……強者こそを、殺めたがる」
「ッ!」
弱い者いじめはしない。技に劣る者など、彼は歯牙にもかけない。
しかし見込みがあると彼が感じた者に対しては、容赦がなかった。それこそ、うちの道場でも相手を殺めかけたことがある。
一見すると矛盾した感情のようにも思える。ただ、彼の中ではそれこそが、武を磨く意味だと強く捉えていたらしかった。
恐らく授けられた才能が違えば、稀代の魔術師くらいにはなっていたはずだ。もしそうなっていたら、彼の覇道の途中で犠牲になるであろう人々の数は、想像もつかないけれど。
「無論、どうにかして矯正しようとはしたけどね……。終ぞ、変わることはなかったよ」
「そう、でしたか……」
相手に勝とうと思う気持ち。それ自体はなんらおかしくはない。むしろ武の道を歩むのであれば必須の心構えでもある。
だがジョシュアの場合は……なんといえばいいのか。力を持つ者こそを屈服させ、殺め、自身がその頂に立つ。その気質が重すぎたと言うべきか。
だから、そんな彼にはこれ以上うちの技を教えるわけにもいかないし、うちの流派を名乗らせるわけにもいかないと。最終的には放り出した。放り出してしまった。
ある意味で、責は俺にもある。師としての実力不足だと言われたら、それには反論が出来ない。
「でもまあ、今はなんとかうまいことやっているのかな……?」
「……どうでしょうかね」
「……と言うと?」
ただ相応の時が過ぎれば、人は変わるもの。そう思って何気なく呟いた一言は、スレナの神妙な表情と声色で迎えられることとなる。
「エーベンラインの実力は申し分ありません。ギルドからの信用もあります。ただ……黒い噂もちらほらと」
「……そうか」
黒い噂、ね。まあ上位冒険者にしか知り得ないこともあるんだろう。それを今から根掘り葉掘り聞こうとは思わない。そもそも、俺とジョシュアが再び交わるとも思えないし。
容易に想像はつくが、誰かを騙して金を集めているだとか、変な思想に肩入れしているだとか、そういうものではないだろう。そんなものに執着していないという点ではある種、俺とも似ている。
その黒い噂というのはほぼ間違いなく、人の生き死にに関することだ。少なくとも、俺の知るジョシュア・エーベンラインが変わっていなければ、そうなる。
「スレナは、その噂を?」
「微妙なところですね。やつは冒険者としては割かしきちんとやっています。噂も妬みや逆恨みから生じたもの、という捉え方も十分出来ますし。何より、証拠がありません。私も今、先生から話を聞くまでは眉唾物だと思っていました」
「ふむ……」
まあ当たり前の話だが、ジョシュアの欲求を無計画に満たそうと思えば、速攻でお縄になる。強いやつの大体は名が知られているものだ。
めちゃくちゃな仮定だが、もし彼がアリューシアやルーシーに狙いを定めた場合、それが表沙汰にならない方がおかしい。それはスレナが相手でも同様。
なんだかナチュラルに彼の嫌疑を肯定する方向に進んでいるけれど、もしやるなら、という話ね。腕の立つ有名人を襲おうと思えば相応に波風が立つし、ジョシュア自身も色々と無事ではいられない。
つまり、普通はやっていない公算が高い。もしやっているのなら、巧くやっている。そういうことになる。
「気を付けるに越したことはないだろうけど……それ以上は意味がなさそうだね」
「そうなりますね。エーベンラインが犯罪を犯した証拠などありませんから」
お前になんか変な噂が立っているから断罪するぞ、なんて誰も言えないからな。向こうの偉い人が言い出したら分からんが。
他方、俺は少し安心もしている。ジョシュアが分かりやすい非道に堕ちていないことが判明したからだ。誰彼構わず強者と見た者に襲い掛かる殺人鬼になってなくてよかったよ。
そもそも、今の俺が彼をどうこうってのも少しおかしな話ではある。何かが起こった時に、師として責任を取れと言われたらちょっと反論しづらいところはあるけれども。
流石にその辺りの分別は付いたと見ていいだろう。じゃないとブラックランクになんて上がれないはずだしね。
「それに、ミスティだっけ。良い腕の付き人も居るようだし、大丈夫そうかな」
「彼女に関して私はほとんど知りませんが……まあ、そうであることを祈りたいですね」
ジョシュアに付き従っていたミスティという女性。彼女も寡黙で内面までは分かりかねるが、悪人という感じではなかった。それを言うなら、ジョシュアだって悪人ではない。行き過ぎた精神を持ってしまっているだけで。
その精神をコントロール出来ていれば悪人にはならないわけだからな。これはスレナの言う通り、そうであることを祈るしかなさそうであった。
「――いやすまない。変な話の流れになっちゃった」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。私が話題を振ったばかりに……」
「いやいや、気になるのは仕方ないよ」
無事に帰還と目的の遂行を果たしたスレナと楽しく歓談……のつもりが、ジョシュアの話題になってからちょっと神妙な空気になってしまった。
とはいえその話題を振ったスレナに責はない。あの場では聞けなかったことだろうし、気になるのも尤もだから。
逆に二人きりの時に話せてよかったとすら思う。みだりに言いふらすものじゃないからね、こんな話は。
「ただいまー」
「ん、おかえり」
ジョシュアについての話が一段落ついたところで、我が家のお姫様のご帰宅である。ミュイに聞かせる話でもなかろうしな。ここは一旦切り上げて彼女の出迎えをすべきだろう。




