第279話 片田舎のおっさん、報告する
「それで、如何でしたかな。ヴェスパタへの旅行は」
「ええ、楽しめましたよ」
「おお、それは重畳」
イド・インヴィシウスとの激闘を終えて、しばらく経った頃。具体的には二週間弱くらいかな。一応報告はしておいた方が良かろうということで、バルトレーンに戻ってきてからしばらく経った日。俺は冒険者ギルドの方へお邪魔し、再びギルドマスターのニダスとの面会を行っていた。
行きの時は馬をとっかえひっかえしてぶっ飛ばして行ったんだが、帰りはそこまで緊急という程でもなかったのでね。往路と復路で倍近くかかった時間が違うけれど、あんまりぶっ飛ばすと俺の体力が持たない。
特に帰りは緊張感も抜けていたもので、心身の休養も兼ねて本当にぶらり旅のような感じで帰ってきた。
とはいえ、ミュイを待たせているし騎士団の鍛錬もあるから、めちゃくちゃのんびりしてきたというわけでもないが。あくまで行きと比べればという話である。
「ガーデナントさんがお出かけの際に、たまたまこちらも厄介な面倒ごとが片付きましてな。タイミングよく、こうして時間も取れているというわけでございます」
「それは良かったですね。組織の長ともなれば、お忙しいでしょうし」
「ははは。まあ普段は椅子でふんぞり返っているわけですから、たまには働きませんと」
で。俺としてはこの茶番、ぶっちゃけいつまで続けるべきなのかを大いに悩んでいるわけではあるが。今のところ向こうからポーズを崩す素振りは見られないので、俺も倣っている状況だ。
中々難しいよな、こういう組織や大人のしがらみってやつは。俺も出来ればそんなものとは無縁の生活を営みたかったのに。流石に今回に関してはそうもいかなくなったから、納得はしているけどさ。
思い返せば、ミュイと出会った時もそうだった。当時こそ無茶振りするなよという不満が結構な割合を占めていたけれど、思い返すと俺に矛先が向いた理由も分からんでもない。
一歩間違えれば国と国がぶつかる戦争だ。それを回避するために、都合のいい個人を非公式に使うというのは、使われる側の事情を加味しなければ理に適っている。
出来ればそっちの気持ちは分からないままで居たかったんだけどね。厄介ごとに振り回されるのは勘弁だが、別に誰だって好きで厄介ごとを振り回しているわけでもないのだ。それが分かっただけでも一応進歩したと捉えておくのが、まあ妥当だろうか。
「それに今回、我々側の面倒ごとを片付けてくれた功労者も外部におりましてな。なんとかして報いたいと考えておるのですが……」
「ははは。それはその方が望めば、でよろしいでしょう」
「ふむ。そういうものですか」
「ええ、そういうものだと思いますよ」
そんなことを考えていると、ニダスの方から暗に何かお礼を……みたいな空気を出してきていた。
いや要らないよそんなものは。と、面と向かって言えれば楽なのだが、建前がある以上そうは言えない。本当にめんどっちいやり取りである。やらなきゃいけない事情があるからお付き合いはするけれど、率先してやりたいとは決して思わないね。
今回の件、別に冒険者ギルドに対して恩を着せた、とは考えていない。
そりゃ結果的にそう映るのはその通りだろうとは感じるが。最高位であるブラックランクの窮地を救ったというのは、まあ向こうからしてもありがたいことなのだろうとは思う。
しかし俺は、ブラックランクの冒険者を救ったのではなく、スレナ・リサンデラという個人を救いにいったのだ。たまたま彼女が冒険者ギルドの最高位ランクであったというだけである。
これが仮に名も知らぬ他人であったなら、たとえ頼まれたとしても渋るだろう。それは俺の管轄じゃありませんと。流石に縁もない他人のために、自己を犠牲にすることは出来ない。
だから、個別のお礼なんてものは不要である。これが依頼を受けてとかなら受け取った方がいのかもしれないけれども。そう思えるようになっただけでも進歩したと思うよ。
「それでは、あまり雑談で長居するわけにもいきませんので、この辺りで……」
「おお、そうですか。またいつでも訪ねてきてください」
「ありがとうございます」
ちょっとこのまま居座るとなんだか粘られそうな予感がしたので、早めに席を立っておくか。
いち戦力として単純に換算しても、俺は多分、相当上の方に位置している。抱き込んでおきたいという組織としての思惑は分からんでもない。
でもそういうのは既に、アリューシアから招聘された時点でお腹一杯なのだ。それに騎士団員の皆を鍛える仕事で暇しているわけでもないしね。むしろ一本に絞っているからこそ充実しているともいえる。魔術師学院の方も、最近はほとんど俺の手を離れたことだし。
ただまあ、今回のような件が今後も起こり得ないかと言われたらちょっと微妙ではある。スレナも勿論そうだし、ジョシュアの動向も気になることだし。あとポルタたちのパーティに何かあれば、出来る範囲で手助けしてあげたいなとも思う。
なのでぶった切るよりは、適度な距離感で付き合いを続けるのが一番いいんだろう。俺としても敵を作りたいわけではないからな。
「それでは、失礼します」
「ええ、また」
簡素な挨拶を紡ぎ、ギルドの応接室を後にする。
特段の用事がなければ訪れることはない場所ではあるものの、その特段の用事が発生した時には、否が応でも訪ねなければならない場所だ。まさかここまでかかわるとは思っていなかったが、一応バルトレーンに来てから紡がれた縁、とも言えなくもない。
ビデン村から引っ張り出されて一年と半年、といったところだが、なんだか随分と身を置く環境が様変わりしてしまったな。時々疲れることはあるにしてもそこまで不満はない辺り、俺もまあまあ満足しているのだと思う。
「はぁ……帰るか」
ただ報告に来ただけなのに、ちょっとした疲労感に見舞われる。
頭では分かっているんだけどね。スレナを個人的に助けただけですべてが丸く収まるほど、今現在の彼女が持つ地位と実力は安くない。相応の影響もあるだろう。
でもそのとばっちりを食らうのはなー、なんかなー。という気持ちは少なからず存在している。いや言っても詮無いことではあるんだが。
むしろ、それだけの影響力を持つ個人に成長したスレナこそ褒められるべきだろう。
いくら幼少期に多少面倒を見たからといっても、それはあくまで幼少期の話。そこからひとかどの剣士として、物凄い成長曲線を描いたことには驚愕だが、それ自体を否定するわけにはいかないしね。
「随分とごちゃついたけど、皆無事なら、まあそれでいいか……」
軽く思い返してみても、まあ激動と言える時間だったのではなかろうか。
結局イド・インヴィシウスを撃破してヴェスパタに戻った後は、各々の役目とやりたいことが異なるので各自解散となった。
ルーシーやアリューシアは無理を通してヴェスパタくんだりまでやってきていたので、出来る限り早急にバルトレーンまで戻らなきゃいけなかったしね。ルーシーは素材に関して大分気になっていた様子だが、それはジョシュアが約束を果たしてくれていることを祈るしかない。
スレナに関しても、各所への報告やらなんやらで忙しそうであった。建前上、俺は冒険者ギルドとかかわっていないので、同席することはなかったが。
ということで結局、ヴェスパタからバルトレーンへの帰りは行き以上に寂しい一人旅となったわけだ。護衛の冒険者を雇うかどうかは迷ったものの、往路である程度のルートが分かっていたので一人でのんびり帰ってきた次第である。
まあ全部一人で馬に乗って帰ってきたわけでもない。都市と村の間では定期便だったり商人の馬車だったりが普通は動いている。タイミングよくそれらに同乗出来れば、適度に雑談しつつの旅にもなった。
「うーん……でもやっぱり、どこか遠くに行くなら誰かと一緒がいいよな」
そうやって旅路を思い返してみても改めて思うが、どうやら俺は一人旅ってやつにそこまで適正はないらしい。
景色を楽しむとか、一人でこそ味わえる醍醐味とか、そういうものもあるとは思う。
ただやっぱり、俺自身が長旅の経験がないことと、ずっと実家で暮らしていた影響からか、誰かと一緒に居る方がなんだかんだで落ち着く性分になってしまっていた。
無論、相手が居たら誰でもいいというわけではなくてね。ああいう旅程も、例えばミュイと一緒なら随分と見える景色は違ってきたはずである。
恐らく、そういうことが苦も無く過ごせる相手というのが一緒に生活する上では望ましいのだろう。それで言うと、アリューシアとは任務絡みではあるものの、ともに過ごす機会が多かった。
別段息苦しくはなかったから、そういう意味での相性は悪くないのかもしれない。いやまあ彼女に関しては俺に気を遣って、という可能性も大いに残るから、一方的な安心は出来ないけれど。
「いやしかし、暖かくなってきたねえ……」
てくてくと歩きながら我が家を目指しているのだが、動いているとほんのり身体が汗ばむ程度には暖かく、いや暑くなってきた。
もうそろそろ、本格的な夏の訪れが近付いてきている。今年もビデン村に戻るべきかどうかは悩みどころだな。サーベルボアのことも勿論気になるが、アデルとエデルが騎士団入りしたということで、それより下の世代も増えていることだろう。
そうなると、俺と面識を持つ子は自然と去年より減っている計算になる。なかなか顔を出しづらくなってきたというか。
ランドリドの教え方も上手いものだったし、わざわざ俺が口を出すこともないだろう。となると、火急の事態を除いて積極的に地元に帰る理由が、いう程なくなってしまったという側面もある。
ちょっと前まではさっさと戻って長閑に剣を教えることが出来ればいいや、なんて思っていたのにね。人の心は割とこの年になっても移ろい行くってのは新たな発見だ。
別にビデン村に帰りたくないわけではない。おやじ殿もお袋も高齢だし、心配なのもある。それにやっぱり、ずっと過ごしてきた故郷であることには違いないからな。
ただ今は、それ以上にバルトレーンでやるべきことがある。四十を過ぎて課された新たな役目ではあるけれど、やれるだけやってやろうと思うのだ。
「ただいまー……っと」
アリューシアがビデン村を訪ねてきてから先、振り回されることばっかりではあるけれど。
改めて今後の身の振り方も考えた方がいいのかな、とか。そういうものを思案しながら歩けば、我が家はすぐそこまで迫っていた。
ミュイは学院で講義を受けているから今の時間帯は居ない。俺一人だ。
しばらくバタバタした後の日常って、ふっと気が抜けるというかなんというか。そういう緩急は人生においてもやっぱり重要だね。ずっと張り続けていると何もかもが疲弊しちゃうからな。
「んー……なんか作っておくかな」
ミュイが帰ってくるまではまだ時間がある。俺もちょっと小腹が空いているし、何か適当に作っておこう。
最近……というか、レベリオ騎士団の特別指南役となってからは幸いにも、金に困ることはなくなった。分不相応だと思えるくらいの大金が定期的に入ってくるからだ。
けれどまあ、根っこが田舎民なものだから、それで豪遊しようとかそういう気持ちにはならない。指南役になってしばらくのタイミングでミュイとの一件もあったもんだから、どちらかと言えば使うべきタイミングをしっかり見極め、それ以外は基本的に抑えようと思うようにもなった。
逆に言えば気軽に外食にも行けるし、興味の出た食材をついつい買ってしまうくらいは出来る。別にそれが家計を圧迫するわけでもないしね。
「すみません、いらっしゃいますか」
「ん?」
今日は今から改めて外食という気分でもないし、適当に何か作ることにしよう。
そう思ってとりあえず火を熾そうとしたところ、外からの声が我が家への来客を告げる。
流石に聞き間違えることはない。多少距離があってくぐもっていても、声を発した者の当たりは容易についた。
「スレナ。変わらず元気そうだね」
「はい、おかげさまで」
結局これで、我が家に訪ねてきた回数が一番多い人物は彼女になったな、なんて思いながら。
ある意味で想定されていた客の一人である、スレナ・リサンデラが晴れやかな様子で佇んでいた。




