第275話 片田舎のおっさん、提案する
「――しっ!」
俺がイド・インヴィシウスの攻撃をギリギリのタイミングで受け止めたと同時。アリューシアが短い呼気とともに地を蹴った。仄暗い薄墨色の鋭刃が、特別討伐指定個体の前脚へと突き刺さる。
そう。突き刺さったのだ。今までのように弾かれることなく、アリューシアの一突きは確かに、イド・インヴィシウスの硬い防御を攻略した。
「グァウッ!?」
恐らく自分の体に剣が突き刺さるなんて思ってもいなかったのだろう。イド・インヴィシウスの反応が遅れ、その間にアリューシアが素早くやつの射程範囲から離脱する。
ふーむ。これはやっぱり、ルーシーの強化ってやつが効いているのかな。
攻撃が入るとなれば、攻略の難易度は随分と変わってくる。あとはこいつが気配ごと姿を消してしまうカラクリさえどうにか出来れば、勝ちの目は十分に見通せるように思えた。
「ルーシー!」
「くっくく、任せぃ!」
つまるところ、ダメ押しの一手はやはりこの魔術師に任せるしかないわけで。アリューシアが攻撃に参加したため守る騎士の居なくなった魔術師は、それでもなお単身で一歩前へと踏み出した。
「ガアアッ!!」
「ふん……格下としか戦らんからそうなるんじゃ。ま、獣に言っても無駄かもしれんがの」
ルーシーがいっそ、優雅ともいえる所作で手を翳す。
すると、今までは一撃を加えてから姿を消していたはずのイド・インヴィシウスが、身体は逃げながらも姿が消えないという、まあ普通かつ、今回に限って言えば異常な状況が発生した。
「グゥルルル……!?」
「消えない……? いや、消せないのか!」
特別討伐指定個体のみならず、普通の動物にまでスケールを落としたとしても。大なり小なり気配というやつには聡い個体が多い。
風とか雰囲気とか視線とか、そういうものに対して野生の生物は人間が思う以上に敏感なのだ。つまりやつも、自分の姿が消えたはずなのに視線が追ってきているという、奇妙な状況を本能で理解したはず。
ルーシーが具体的に何をどうやったのかは知らないし分からない。どうせ俺の頭では理解出来ん事象だ。なので、眼前に在る事実に即して動く。
即ち、イド・インヴィシウスが姿と気配を消せなくなっている。こちらの手勢は俺を含めて練達ばかり。ビッグハントにはこれ以上ない好機であった。
「わしが離れると意味がなくなる! 肉薄せい!」
「移動は!?」
「自分で動くわい!」
「分かった、スレナ!」
「合わせます!」
ルーシーから齎された追加の情報と、短い確認。この辺りの意思疎通が瞬間で出来るあたり、やっぱり彼女もこと戦闘においては鼻が利く。
まずアリューシアが既に飛び出していた。彼女は彼女で攻撃を敢行するだろうが、合わせるには少々、距離と呼吸がズレている。ルーシーは合わせられない、攻撃の種類が違う。ジョシュアとミスティは手が分からない。
であれば、スレナと合わせるのが今この瞬間においては最良。言いながら飛び込んだ俺に合わせて、赤髪の影が鋭く切り込んだ。
「はあああっ!」
「ふんっ!」
あの体躯で逃げに徹せられたら、人間の足では普通追い付けない。
しかしイド・インヴィシウスは自分を捕捉されているという異常事態に対し、幾ばくかの空白を生んでしまった。一息二息あるかどうか、という僅かな隙間ではあるものの、そこに差し込めないようでは一流の剣士は名乗れない。
つまり、間に合うのだ。それだけの間隙があれば、俺とスレナなら。
「ガゥアアアッ!!」
「よし、通る!」
そして、俺とスレナがあの馬鹿デカい巨体のどこを狙うか。そんなものは打ち合わせなんかしなくても通じるし互いに分かりきっている。
一撃必殺を狙うのでない限り、手足から削いでいくのは常道。対モンスター戦であればなおの事そうなる。あるいは目か。
その辺りの判断は個人個人の考え方や置かれた状況によって微妙に揺らぎそうなものではあるが、こと今回に限っては、外す方が難しい。
俺とスレナの斬撃はイド・インヴィシウスの両前脚に確かなダメージを負わせた。やつが突然二足歩行でも始めない限り、すぐさま逃走される可能性はこれで潰えただろう。
「斬れたは斬れたけど……」
「あまり馴染みたくはない感触かもしれませんね……」
「そうだね。まあ、それは後で考えよう!」
で、最初のアリューシアの攻撃が通ったことからこれも予測は出来ていたのだが。俺とスレナの剣撃はイド・インヴィシウスの外皮に弾かれることなく、確かに通った。それ自体は喜ばしいことである。
ただ、入った時の感触ってのがどうもね……。斬れた事象と手元に残った感覚がまったく一致しないというか。
ちょっと表現が難しいが、物凄い違和感を覚えたのである。巨大なバターの塊をこん棒で殴りつけたらスパッと両断してしまった、みたいな。いやこれで合っているのかは分からんけれども。
恐らくこれが、ルーシーによる強化の真相なのだろう。武器本来の切れ味ではなく、魔法的補助で無理やり相手の防御をこじ開けるような、そんな感じ。
威力という面で見れば恐ろしい。しかし、剣士の感覚としてこれを良しとは捉えられない。スレナも同様のことを感じたようで、その表情と声色はやや複雑であった。多分アリューシアも同じだろうな。
いやはや、剣士という人種はとかく生きづらい。剣の通った感触一つにすら文句を垂れるんだからね。それを共有出来るレベルの仲間が居る、というのがせめてもの救いだろうか。
「ミスティ!」
「はっ!」
まあそんなこの場に不要な苦情は今は脇に置いておこう。まずは目の前の特別討伐指定個体を仕留めることが最優先。
そう考えると同時、ジョシュアが息を吐く。間断なく呼応したミスティが、腰に提げていた鞭を素早く標的へ届かせていた。
腰に提げていた時から思っていたが、大分長い鞭だなあれは。基本的に得物が大きく長くなればなるほど扱いは難しくなるものだが、彼女はしっかりと鞭を伸ばし、先端まで撓らせていた。あの扱いは少なくとも俺には無理だ。剣とは習得する技術に違いがあり過ぎる。
「ジョシュア様!」
ミスティの放った鞭は、しかし攻撃的な意味で振るったわけではなく。イド・インヴィシウスの前脚にくるりと絡みつき、一瞬ではあれどその動きを止めた。
彼女自身はあの巨体と押し引きが成立するフィジカルは持っていないだろう。というかそれは彼女でなくとも普通の人間には無理だ。絡め捕った瞬間にその差を感じたか、ミスティは無理に踏ん張ることをせず、引っ張られるがまま空中に身を投げ出した。
「よくやった!」
普通なら、自殺行為。しかしミスティとジョシュアはチームで動いている。
鞭の絡みつきを鬱陶しがったイド・インヴィシウスは振りほどく仕草を見せたが、それはワンアクションの余計な隙を生んだに等しい。
「――ッちぃ……!」
その間に駆け付けたジョシュアがフランベルジュを一閃。再三になるが、ワンテンポの乱れがあれば、一流の剣士なら十分に差し込める。それはジョシュアとて例外ではない。
が。確かに届いた剣閃はしかし、イド・インヴィシウスの体躯を傷付けるには至らなかった。
彼の体捌きは見事なものだ。伊達や酔狂でブラックランクの称号を得ているわけでは決してない。手に持つ得物だって、それなり以上の上物。
それでも。普通の得物ではあいつの硬さを抜くことが出来ない。ジョシュアの手にも、その感触は色濃く残ったに違いないだろう。
姿と気配が消え、普通の武器では傷すら付けられない硬い外殻を持つ化け物。そんなもんどうやって討伐するんだという話になる。だからこそこいつは今まで、のうのうと狩りをしながら生き延びてきたわけだ。
「くくく、お主の切り札はもしやそれだけか? つまらんのぅ……」
だがそこに、ルーシー・ダイアモンドという異分子が紛れ込んだ。
姿と気配を消す技を彼女に消され、絶対的ともいえる物理防御もまた、彼女によって攻略されてしまった。
普通なら、その二つを併せ持っていれば無敵だ。勝てるやつなんてこの世に存在しない。
けれど、魔法技術というただ一点のみが、イド・インヴィシウスの無敵のヴェールを引っぺがしてしまった。
魔法ってやつはかくも恐ろしい。ただ剣を振るって戦うだけでは決して到達し得ない領域である。国を挙げて魔術師の確保と魔術の研究に躍起になっているのもよく分かるよ、本当に。
「グゥウウウッ!!」
「ふぅむ、肚を決めたか。こやつらを相手にその判断は、ちと遅いがの」
イド・インヴィシウスの唸りに、ルーシーが冷たく呼応する。
今俺たちが戦っている場所は山肌といえど、比較的足場が整っており動きやすい。どうしてこうなったかと言えば、イド・インヴィシウス自身が逃げるのに都合がいいからここで襲ってきたと考えるのが一番辻褄が合う。
何故なら。姿と気配を消したとしても、木々に身体がぶつかりでもすれば気配は生じてしまう。やつは虚空に消えているわけではないからね。
だから標的を襲うなら障害が少ない方が都合がいい。襲うにしても逃げるにしても、だ。
他方、その一手を封じられてしまったら、それは途端に不利な戦場になり得る。まあそんなもんを想定しろというのは、たとえ人間でも難しいだろう。
この教訓をやつに今後活かされるような事態になってはならない。つまり、ここで確実に仕留める必要がある。
無論、俺とスレナの因縁を晴らすという意味でもね。
「はっ!」
「ガゥアアッ!!」
俺とスレナが斬り込んで、ミスティが飛び込み、ジョシュアが合わせた。その間に態勢を立て直したアリューシアが再度吶喊する。
わざわざ声を掛けたりせずとも、こうして無言の連携が高度な水準で取れるのは大変に気持ちがいいものだ。互いに剣士としてやりたいことを理解しており、更に場の状況に対する思考の瞬発力がかなり高い。
その一員として連携の輪に加われていることは僥倖。これは田舎に引きこもっていては、恐らく体験出来なかった類の感覚だろう。
「……本当に隠し玉はないようじゃな。はー、ちとがっかりじゃのー」
「よく言うよ……!」
隠蔽術と絶対防御。この二つを剥がしてなお、ルーシーはやや不満げであった。マジでどの顔で言ってんだよという感じである。こちとらその二つに手も足も出なかったんだぞ。
俺たち剣士にそこまでの余裕はない。このレベルの相手が更なる隠し玉を持っていたら、一瞬で戦況を覆される可能性がある。
「この手傷ではもう逃げられまい。仕留めるとするかの」
「ああ。……ルーシー、一つ頼みがあるんだけど」
「おう、どうした?」
大勢はおおよそ決した。間断なく注ぎ込まれる斬撃に対し、イド・インヴィシウスは有効な手立てを持たないままであった。だからこうして、話をする隙間も見つけることが出来る。
普通の使い手が相手ならまだ、そのフィジカルでどうにか出来たんだろう。けれど今回こいつが対峙しているのは、普通の相手じゃない。国家基準でトップクラスの武力を持つ剣士と魔術師だ。
とはいえ。イド・インヴィシウスをここまで追い詰めることが出来たのは、偏にルーシーの存在が大きい。彼女が居なければ、持ち得る武力もまったくの無駄であった。
「俺とスレナの、武器の強化を解いてくれないか」
「……なんじゃと?」
その結論を素直に受け止めてはい終わり、とするには。
剣士という人種は聞き分けがよくないのである。残念ながらね。




