第268話 片田舎のおっさん、踏ん張る
俺は右利きだ。左腕が動かなくなると不便はあるだろうが、別に生活出来ないほどではない。
しかし、剣士として考えた時。片腕が使えないというのは致命的な問題である。
無論、隻腕の剣士というやつも世の中には居るのだろうし、隻腕で強い剣士だって探せばきっと居るだろう。けれど、隻腕の方が強い剣士というのは、ちょっと俺の常識に当てはめる限りは可能性が極めて薄い。
当たり前だ。何事を成すにも、片腕より両腕の方が便利に決まっている。剣の頂を目指す道だって例外には当たらない。
「まあ、スレナたちの命と引き換えならそう高くない代償さ。……安くもないし、まだ切り抜けられたわけじゃないけど」
「……あんた凄えな。そこまで他人のために覚悟が決まり切ってるやつは、そうそうお目にかかれねえぞ」
「別に、誰に対してもってわけじゃないしね。俺はそこまでの聖人じゃないよ……っつぅ」
ポーションをぶっかけてから、素早く圧迫と止血。喋りながらだが、流石にピスケスも手馴れている。ばっちり血も止まっているっぽいし、これならもうしばらくは動けるだろう。片手での応急処置はそこら辺に不安が残るから、あまりやりたくない。
「ま、まだです! 腕利きの魔術師に診てもらえれば、まだ……!」
「その魔術師が、都合よく居てくれたらいいんだけどね」
「……ッ!」
スレナが周囲を警戒しながらも、俺の腕について案じてくれている。
勿論、俺だって諦めているわけじゃない。左腕がぶっ壊されたのでこれからは片腕で剣の頂を目指しましょう、なんてすぐに割り切れるほど、俺の頭は上等じゃないからな。
けれど言った通り、スレナを救った代償として持っていかれるのなら、それはまだ俺の中で納得出来る範疇なのだ。スレナのみならず、アリューシアやクルニ、フィッセル、それにミュイ。彼女たちを助けられる対価が俺の左腕なら、同様に納得するだろう。
とはいえこれもまた言った通りだが、俺も聖人ってわけじゃない。
この腕が仮に、もう一生治らないと宣告されたとして。その時と、それから長い時を経た後に、同じように納得し続けられるかと問われれば、確信を持って肯定出来るとは断言しづらいところ。
人の心や感情なんて移ろいやすいものだからね。それは俺自身も分かっているつもりだ。
だが、後悔は後で悔やむから後悔という。今から未来を視て悔やむのは難しいし土台不可能である。今この時に分かる情報だけで決断するしかないからな。その線で言えば、少なくとも今は確かに納得していた。
「……よっし、ひとまずはこんなもんだろ」
「ありがとう、流石に手馴れてるね。痛みはどうしようもないけど……少なくとも邪魔にはならなくなった」
「どういたしまして、とは言いづれえな」
「はは、確かにそうかも」
俺の怪我を処置してくれたのはピスケスだが、まあ言っちゃえば俺が怪我を負う原因の一つも彼ではあるからな。言いづらいってのはその通りだろう。
しかし俺は自分の判断でここにきて、その結果傷を負ったのだ。その責任を転嫁しようとまでは流石に思わない。名誉の負傷というには、少々大きい傷だけどさ。
「足は動く。今は一刻も早く、やつのテリトリーを抜けることを考えよう」
「……分かりました」
立ち上がり、剣は右手に。鞘に納めてしまうと、ちょっと抜くのがきつい。抜けなくはないんだけど、そのワンアクションに時間を取られるのが嫌だ。特に今回は、その時間を許容してくれる手合いではない。
これでこのチームは全員が傷を負ったことになる。程度だけで言えばスレナが一番軽傷かもしれない。助けに来ておいてなんだが、せめて彼らを生きたまま麓まで送らないと、俺が来た意味がなくなってしまう。
移動の再開を進言した時のスレナは、それはもう物凄い表情をしていた。なんというか、鬼気迫るとはまた違った、どちらかと言えばネガティブな意味で。
そりゃあ結果だけ見れば、自分の不手際で周囲にとんでもない迷惑をかけている……というふうに彼女は捉えているのだろう。ある一面から見た時のその事実を、否定まではしない。
ただ、これは俺個人が彼女の救助をどうにか出来んかと足りない頭を使って、そして足りない分を周りに補ってもらって為そうとしていることだ。その点に限って言えば、彼女の責任は発生しない。
とはいえ、それを理屈ですぐに分かれってのも難しい話なんだろう。仮に俺とスレナの立場が逆だと考えれば、俺も納得は行かないよな、なんて結論に達する。
「とにかくこの状況だ。命があるだけ儲けもの、それくらいの気持ちで行こう」
「……はい」
努めて明るい口調で話してみるけれど、スレナの表情は晴れない。
流石にこの一件が尾を引いて動きに精彩を欠くってことはないと思いたいが、もとより負傷している身だからな、彼女も。これ以上イド・インヴィシウスの好きにさせると、本当に生きて帰れるかが怪しい。
とはいえ、やっぱりあの状況で俺にとどめを刺しに来なかったのは気になるポイントだ。
初撃は俺が躱した。それで追撃を諦めて姿を消したのはまだ分かる。だが二発目はこの通り、ばっちりいいのを貰ってしまっている。無論、俺もただではやられまいと反撃の手は伸ばしたわけだが、通る通らないは別として、攻撃は届いた。
その動きを警戒して追撃を諦めた、という推測も出来なくはない。ただ結果として俺の攻撃はやつに何の痛痒も与えなかったので、それでもなお消えるってのは、やはり野生に生きるモノを相手にしていることを考えると解せない部分がある。
あるいは、これまで仕留められなかったスレナに加えて俺が出てきたことで、その警戒を一層強めたか。
多分、その違和感が突破のカギになるんだとは思うけれど、現時点ではあまりに情報が少ない。というか、もともと俺はそういう頭脳労働には不向きだ。
戦いの最中での分析はそこそこ出来る自信はある。しかし、こういう限られた情報から真実に辿り着くような、細い紐を辿る作業はどうにも苦手だ。
更に相手は魔法を使って姿と気配を消すという、インチキじみたカードを持っている。流石にそれは俺の専門外。ルーシーでも居れば何か分かるのかもしれないが、今この状況でそれを望むのは無理筋が過ぎる。
あと単純に、血を失った影響と痛みで考えがまとまらない。許されるのならすぐにでも寝っ転がりたいくらいには、正直きつい。
ただここに関しては気合で耐えるけどね。火事場の馬鹿力ってやつは存外に強いが、長続きするもんでもないから、なんとか馬鹿力が発揮されているうちに安全を確保したいところであった。
「……ん?」
「! 先生、これは……!」
とにかくこれ以上の襲撃を受けるのは拙い。非常に拙い。そう考えながら歩みを進めていたところ。
俺とスレナが、ほぼ同時に周囲の変化に気が付いた。
「……抜けた、かな」
そう。周囲の気配が復活したのである。
巨大な山脈の中腹に相応しい……という表現も合っているのか分からないが、とりあえず何の気配も感じられない異常な事態は突破した。
「……気配を感じて安心するってのも、おかしな話だけどね……」
普通はこんな山中で周囲の気配がうようよしていたら、そっちの方が安心出来ない。いつ何時、どんなやつに襲われるか分かったもんじゃないからだ。
しかし今回に限って言えば違う。イド・インヴィシウスの影響下で空白地帯となったエリア……即ち、やつの縄張りを抜けた。そう判断してもいい状況に、自然と安堵の息が零れる。
となると、二回目の襲撃を受けた場所がやつのテリトリーの境目付近ということだろうか。俺は自分が来た道からしか計っていないから何とも言えないけれど、まあまあ広い感じはする。広さの要因として、やつが暴れまわったのか、周囲の動物が恐れをなしたのかまでは分からないけれど。
「ここで立ち止まる理由はない。急ごう」
「はい!」
警戒する相手がイド・インヴィシウスであろうとそれ以外であろうと、こんな場所で気を抜けないという状況自体は変わらない。状況の難易度は随分と変わるが。
とにかく急ごう。後方警戒はスレナに任せて、俺は前のみを注視する。そもそもテリトリーを抜けられたのだとしても、イド・インヴィシウスが襲ってこない保証はないからな。一刻も早く山を下りる以外、残された道はない。
「……お、パープルパイク……」
そうして警戒しながら来た道を戻ることしばし。やってくる前に一撃でしばいたパープルパイクの死骸が目に入った。
死体の斬られ方を見ても、俺がやったもので間違いない。当たり前だけど、ちゃんと来た道を戻れてきているという事実は結構、心理的に安心するね。
まだ陽射しはあるし暗いわけじゃないが、山中で正しい道を進み続けるのは存外に難しい。この辺りは、アフラタ山脈を練り歩いた経験をなんとか活かすことが出来ている、といったところだろう。
「これは……先生が仕留めたものですか」
「ああ、ここに来る途中でね……何匹仕留めたかは正直覚えてないけど……」
スレナが死骸を見て感想を零す。歩みの邪魔になるやつだけとにかく叩いて進んできたから、何匹仕留めたかなんていちいち覚えていない。どうせ数えきれないくらいの数が、このアフラタ山脈に潜んでいることには違いないんだから。
しかしここまで来ることが出来れば、ひとまずのゴールは近い。この近辺からは麓といって差し支えない位置だから、出てくるモンスターや動物も脅威度が比較的低いものばかり。
無論、突発的に何かが襲ってくる可能性は否定出来ないものの、流石にそんなおかわりは御免だ。いや勿論警戒はするけれどね。
「……まさか生きて帰れるとは思わなかったぜ。ありがとうよ」
「その言葉は、まだちょっと早いと思うけどね……ふぅ……」
「それもそうか。……あんた、大丈夫か?」
ピスケスが漏らした安堵に、気を引き締めるよう言い添える。しかし返す刀で自身の心配をされては、なかなか強気な言葉を返しづらいのが正直なところ。
ぶっちゃけしんどい。言っておいてなんだが、周囲の気配が正常化したおかげで保っていた緊張感がやや緩んでいるのを、肌で感じてしまっている。
応急処置はしたものの、怪我が治るわけでも血が増えるわけでもないのだ。失った体力を取り戻すには、相応の休息と治療が必要になる。それを無理やり根性で引き延ばしているだけなのが現状であった。
「大丈夫、とは、言い難いかな……でも、頑張るよ」
「……すまねえな。パウを背負っている以上、二人は無理だ」
「ああ、分かってる」
大の大人二人を背負える人間なんて、そう居ない。もしかしたらクルニなら出来るかもしれないが。
まだスレナが動けると言えば動けるけれど、ここで俺が倒れたとしたら彼女は俺を背負うだろう。そうすると、周囲を警戒出来る人間が居なくなってしまう。
ビデン村からアフラタ山脈を攻めた時だって、クルニがサーベルボアを背負い、俺とヘンブリッツ君で前後を固めていた。やはりこの環境で十分に警戒する場合、最低でも手練れが二人は必要だ。
「ここまでくりゃ、麓はすぐそこだ。頼むぜ……!」
「ああ、なんとか持たせてみせるよ……ほっ!」
ピスケスから応援の言葉を頂きながら、道なき道を下る。その最中に出くわした小型の魔物を一刀のもとに切り伏せる。もう相手が何なのかを気にしている余裕すらない。とりあえずこっちに向かってきたから斬った。それだけ。
「……見えた……!」
そうして気合と根性のみを頼りに無心で山を下る作業を繰り返した末に。今の心境では非常にありがたいものを目にし、思わず感嘆が零れる。
西方都市ヴェスパタ。その外壁が視界に収まった。つまり、アフラタ山脈を下ることに成功したわけだ。
あっぶねえ。まじでぎりぎりだった。これ以上は本当に気をうしないそうなじょうたいだったので、なんとか面目をたもったというかたちである。
「助かりますよ、先生! ……先生!?」
「ん? ああ……そうだね……」
ここで倒れてはならんと、右腕にちからをいれる。いや左腕だったか? 今うごいている手はどっちだったっけな。たぶん右腕だったはずだが。
足がまえにうごかない。なんだか先ほどまでと比べて、ずいぶんと視界がひくい気がする。
ああ、俺は今、ひざをついているのか。そのことに気が付いたのは、恥ずかしいことにスレナの声をみみにしてからであった。
「あとはまっすぐ走れば都市につく……と思うよ……」
「分かっています、分かっています! 先生……!」
「おい、俺とパウはいい! リサンデラ、この人を背負って走れ!」
「……すまん!」
ぐわ、と。俺のからだが持ち上げられる。
奇妙な浮遊感を覚えた直後。俺はその後の記憶を一時的に失った。




