第264話 片田舎のおっさん、合流する
「ちょっと日が傾いてきたか……」
歩く先の気配がなくなってしばらく。ふと上を見上げると、早朝に出発した時には東の地平から顔を覗かせた灼熱の根源は、今や頂点を過ぎ、少しずつ西に傾いてきているところであった。
ここから日が完全に沈み切るまでには、まだ結構な猶予がある。しかし、アフラタ山脈で個人を捜索するという状況下においては、時間が足りない。
勿論、一日の探索ですべての決着が着くとは思っていない。思っていないが、初日から有力な感触を得られた以上、出来る限り粘りたいという欲もまた出てきていた。
とはいえ、俺自身が遭難するわけにはいかないから、進路はそれなりに慎重に取っている。帰り道が分からなくなりましたではお話にならないからな。仮にスレナが負傷していたとして、連れて帰るためにも俺が道を見失うわけにはいかなかった。
「ふぅー……ッ流石にちょっと休憩……」
上手く陽射しを隠せる一本の木に身を寄せ、少々の休息をとる。
体力という面で見れば、やっぱり俺は下り坂だ。スレナやクルニ、ヘンブリッツ君といった者たちなら、もっと進むペースは速いし休憩の回数も少なく済むだろう。
こればっかりはマジでどうしようもない。気持ちが若返っても肉体は若返らないんだから。老化というものは、完全に不可逆の変化だ。その壁を何故かぶち破っているルーシーがおかしいだけである。
「……」
腰を下ろして息を整えている間。聞こえてくる音は風の音と、風に起因する木々のさざめきくらいのもので、いわゆる鳴き声みたいなやつはてんで聞こえなかった。
やはり、この一帯を縄張りとしている強者の存在がより色濃くなってきたな。そいつが姿を現すかは未知数だが、逆に警戒するポイントが絞れたのは良いことかもしれない。
探らずとも感じられていた気配が消えた、というのは結構大ごとである。特に武の道に生きる者にとっては。
逆に言えば、新しく気配が生まれた時は気付きやすい。それだけ人も獣も居ない場所を前進しているわけなので、その分危険も大きいわけだが。その存在が同様に気配を隠せる相手だとしたら、相当に厄介である。
俺は目に自信がある。あるが、その良さが発揮されるのは当然ながら、相手を視認した後の話。
気配を殺し、俺の認知の外側から奇襲を受けでもしたら死ぬ。それは俺であろうとアリューシアであろうとルーシーであろうと同じだ。人間という大枠の中に皆居る限りは。最後のやつは若干怪しいけどさ。
ただ人間でもモンスターでもなんでも、相手を仕留めようと思ってなおかつ完全に殺気を消すのは、多分不可能である。多分とつくのは、俺自身は無理だろうと思っているけれど、それが出来る存在が居るかもしれないから。
魔法で殺気を殺せる、なんてやつも中には存在するかもしれない。まあそんなのがやってきたら俺に限らず誰でもお手上げなんだけどね。下手をしなくとも人類は容易く滅ぶ。
まあ逆説的に今現在そうなってはいないので、多分居ないんだろう。これから生まれてくる可能性は否定出来ないが、その時はその時だ。
「さて……うん?」
身体を休めていると、割とくだらないことに頭が回る。そういう余裕が出てきたと前向きに捉えて、移動を再開しようと腰を上げたところ。やや奇妙な地形を発見した。
なんというか、まだ距離があるから断定こそ出来ないが、ちょっと凹んでいるように見える。可能性としては、周辺の山肌が崩落したか、天然の洞穴などがある場合か。
見つけられたのは完全に偶然だ。この場で腰を下ろして休んでいなければ多分、気付けなかった。
「……ふむ」
可能性は、ある。
仮にスレナが生き残っているとして。四方八方から外敵に晒されるリスクを取るよりは、少しでも身を隠し、そして身を休ませられる場所を選ぶ。洞穴とまでは言わずとも、ちょっとした陰になるところとか、少しでも生存の可能性が高い立地を目指すのは常道。
無論、そこにスレナが居る保証なんて何処にもない。そもそもここまで大きい山脈なら、こういう天然の凹み、みたいなやつはいくらでもあるだろう。見つけられるかは別として。
ただしスレナは超一流と言っていい冒険者だ。撤退や隠密を視野に入れた時、あるいは入れる前でも、そういう状況の予測と精査はしていてもなんらおかしくはない。
「……行ってみるか」
流石にそんなスポットを発見して、行かないという選択肢は取れなかった。
別にスレナがおらずとも、そこを中間拠点に出来る可能性もある。気配を殺して潜んでいる魔物が潜んでいれば、ぶち倒してもいいだろう。
「よし、と……」
荷物を背負い直し、いざ前進。
ただやはり、ここまで生物の気配を感じられない、その一点は思い返すと気がかりだ。何か超常的なことが起こっているのは確実だが、それが起こってしまった要因と現状がいまいち掴み切れなくなっていた。
いや、多分こうなんだろうなっていう推測は出来るよ。ゼノ・グレイブルとやり合う直前にも、スレナはモンスターが少ないと言っていた。つまり同様の事態が起きている可能性は大いにある。
けれど、ゼノ・グレイブルの時はあいつがすぐに襲ってきた。今回はそうじゃない。もしかしたら監視されているのかもしれないが、近くに居るのなら何らかの気配はあって然るべき。
それがてんで感じられないのは、やっぱりそれはそれで違和感が残る。
もしそいつがもうここに居ないのなら周囲の気配は復活するべきだし、そうでないのならここが何故、空白地帯として未だ残っているのかが分からない。
たまたまここの親玉が遠出をしている、という線はなくはないんだけれども。動物でもモンスターでもそうだが、自身の縄張りをずっと空けておくってのはちょっと考えにくいんだよな。
最初は当たりだろうと思ってはいたんだが、その時はちょっと舞い上がっていたのかもしれん。冷静に考えれば、ここまで広範囲に及んで気配がなくなり続けている、というのは立派な異常であった。
もし、魔法的な何かで気配を遮断されているのなら俺にはお手上げだ。一方で、そんな大掛かりなことをしておきながら未だ襲われていない、というのも腑に落ちない。
なんだか起きている現象がちぐはぐな感覚を覚える。この辺りも探索を続ければ解明されていくのだろうか。
とはいえ、俺の使命はこの現象の原因を知ることではなく、スレナを救出することにある。興味は尽きないけれど、目的と優先順位を見誤ることは避けないとね。
「……!」
しばらく歩を進めたところ。やはり目についた場所は小さな洞穴になっている様子で、まるでひっそりと佇む隠れ家のようにも見受けられた。
そして、奥から気配がする。人か魔物かは分からないが、気配がある。無人であればこんな空気は流れない。
さて、こちらは当たりかはたまた外れか。愛剣に手を添え、ことさら慎重に足を進めていく。
「――ふっ!」
「うおっ!?」
洞穴の入口に手をかけ、少しでも奥の情報を得ようと覗き込もうとした瞬間。暗闇の中から一筋の剣閃が迸り、俺の眼前へと迫った。
柄に手を添えていたものの、抜剣はとてもじゃないが間に合わない超速度。慌てて取った手段は、柄をそのまま引き付け、盾として剣先に添えるという荒業。一応首も捻ってはいたけど、柄を合わせていなければ頭か首の半分は持っていかれたかもしれん。
「……ふう、無事でよかったよ。お互いにね」
「……先生!? な、なぜ……!」
出会い頭の剣閃を飛ばしてきたのは、俺の探し人であるスレナ・リサンデラその人であった。
そりゃまあ、こんなところにまでやってくる人間ってのは自分以外を勘定していなかっただろうし、魔物の線の方が遥かに高い。不意打ちでぶっ殺してやろうという判断自体は正しいものだ。
「君が依頼期限を過ぎても帰ってこないどころか連絡もないと聞いてね。思わず飛び出してきちゃった」
「……ッ!」
手短に事情を説明すると、スレナからは分かりやすく悔恨の念が見て取れた。
依頼の期限を過ぎてしまった後悔、周囲を巻き込んだ後悔、結果として俺を引っ張り出した後悔、自身の不甲斐なさ等々……様々な思いが巡っているのだろう。そのこと自体は否定しない。彼女が結果として連絡すら寄越せなかったのは、事実ではあるから。
「……スレナも万全じゃないね。それと……他にも人が居るのか」
「はい。……お恥ずかしながら」
突然の不意打ちに面喰って確認が遅れたが、彼女は彼女で無傷ではなかった。どうやら左肩と左下腹部を負傷している様子。
ただ先程の剣撃は決して緩いものではなかった。動くことには動けるが、といった感じだろう。彼女はポーションも常備しているからな。どうやら致命傷には至っていないようで、まずは一息、ほっと胸をなでおろす。
しかしその程度なら、彼女は独力で山を下るくらいは出来たはずだ。そう思い至ると同時、洞穴の奥の更なる気配に気付く。
……なるほどね。スレナが独りで山を下らなかった理由はこれか。
「……容態は」
「……探索役が一人、亡くなりました。他に一名が軽傷、一名が重傷です」
「そうか……」
察するに、どうやらスレナは彼女含めた四人のチームで事に当たっていたらしい。
その中で、探索役が死んだ。一名は軽傷だが、もう一人が重体。これでは迂闊に動けないと判断し、この洞穴まで避難した上で粘っていたと見える。
というかその基準で言えば、スレナも軽傷と重傷の間くらいの怪我を負っている。つまりこの場で万全に動ける人間は俺だけということだ。
スレナは俺の家を訪ねてきた時、基本はソロで動く予定だと言っていた。ただ最終的にはチームを組み、アフラタ山脈の調査に出かけた結果となる。
どこでどのような事情が絡み合ってそうなったのかは知らないし、特段聞くつもりもない。今現在の状況において、その情報はまったく必要がないからだ。
「君と、君のチームに大きな傷を負わせた相手だ。一筋縄じゃ行かないんだろうね」
「ええ。……恐らく今も、監視されていると思われます」
「ふむ。気配は感じなかったが……」
監視されている、というスレナの言葉を聞いて、やや疑問が生じる。
言った通り、気配がない。見られている気配というものは、割と素人でも気付きやすい類のもの。更に敵意や殺意が乗ったものであれば、結構な距離が開いていたとしても分かる時は分かる。
それが感じられないのに見られているというのは、正直不気味なことであった。ただスレナも恐らくと言ったように、確実に見られている保証があるわけでもないらしい。
「見られている根拠は」
「何度かチームを連れて脱出を試みましたが、その度にヤツが現れます。ただ、ここで引きこもっている分にはほとんど手を出してきませんので……執拗でかつ嗜虐趣味を持っているのか、臆病なのかは不明ですが」
「なるほど……」
彼女の語る推論に、俺は納得を示した。
モンスターが臆病とはこれ如何に、と人によっては感じるかもしれない。けれどこれは立派にあり得る可能性だ。
だってそのモンスターが、生物界の頂点に立っている保証なんてどこにもないんだから。より強い者を怖れ、生き抜くために臆病になる可能性は十分にある。
ただし。それはそいつが、恐怖という感情を上手く飼いならせる知能を持っている前提だ。要するにそれだけの強敵が居るということだな。そりゃスレナが派遣されるわけだよ。
「姿を現してくれれば、何とか対処出来ると思うんだけどね……」
「……難しいでしょう」
「どうして?」
スレナは負傷しているが、動けないほどではない。俺も多少疲れてはいるものの、状態はほぼ万全。俺たち二人でかかれば、姿さえ視認出来ればやりようはあると考えた。
しかしその案には、すげなくスレナが厳しい判断を下す。てっきり「先生と二人なら百人力です」みたいな言われ方をすると思っていただけに、彼女の反応は少々予想外であった。
……うん? 俺は今ごく自然に、俺ならなんとか出来ると思っているし、頼られる前提でここまで来ていたな。一年前の俺では考えられなかった思考回路だ。
いやまあ、こんなところに単身乗り込んでおいて今更どの口が、とも言われそうだが、自覚というのは得てして遅れてやってくるものでね。
人はこういう変遷を経て、場合によっては増長したり傲慢になったりするのかもしれない。俺も改めて気を付けよう。
ついつい思考が逸れたが、本題は全く別。即ち、何故俺とスレナの二人での対応が難しいか、である。
「見えないからです。ヤツは……自分の姿を自在に消すことが出来ます」
「え、えぇ……?」
次いで示された情報は、ちょっとどうしようもないもののように思えた。
自由自在に消えるってのはちょっと、いやかなりずるいんじゃないかな、流石に。




