第261話 片田舎のおっさん、準備する
「なんだかんだで久々に来たなあ……」
アリューシアからの情報共有を受け、レベリオ騎士団の庁舎を後にしてすぐ。俺は騎士団庁舎とほど近い、冒険者ギルドレベリス王国支部の建物にやってきていた。
思わず声に出た通り、ここに来るのは随分と久しぶりだ。スレナに請われて若手冒険者の監督をして以来になるから、まあ一年くらい前のことになる。
単純に俺が冒険者ギルドを訪ねる理由がないからな。スレナはここの上層階で自分の部屋を持っているらしいが、彼女自身が多忙なのであまりのんびりしている印象がない。大体バルトレーン以外に出かけているイメージだ。
そしてスレナが居ないなら俺から訪ねる理由もまたない。最近は彼女の方から俺の家に訪ねて来ることが増えたから、余計に足を延ばすきっかけがなくなった。
ただし、今回においてはスレナの行方を知るために必須の場所。なんせ彼女が依頼を受けたのはここからだからね。アリューシアも冒険者ギルドから情報を流してもらっているのは明らかだし、何の情報もないまま当てずっぽうで遠方まで足を延ばすわけにもいかない。
ヴェスパタに居るかもしれないが、その何処に居るかがさっぱり分からんのだ。迅速と勇み足はまったく似て非なるもの。焦る気持ちはあれど、ここで選択を間違うわけにはいかなかった。
「いらっしゃいませ。依頼のご要望でしょうか?」
「ああ、いえ。ニダスさんはおられますか。ベリルが来た、と言っていただければ通じると思います」
「はあ……少々お待ちください」
早速中に入り、カウンターへ一直線。そこで受付をしているらしき女性の方に声を掛ける。
向こうはちょっと呑み込めない様子だったが、こっちも時間を無駄にしている場合じゃないんでね、ごめんよ。手早く用件のみを告げ、返答を待つ。
普通、一見さんのおっさんがギルドマスターに会いたいとアポなしでやってきたとしても、恐らくは門前払いを食らう。そう考えれば、スレナの手伝いをしてニダスやメイゲンと知己になれたという状況は、結果的にはありがたいものだったのかもしれない。
あの時はルーシーの無茶振りでスレナと一戦交えることになったけれど、そのことすら最早懐かしい。縁の紡がれ方はともかくとして、こういう繋がりは余程のことがない限り、大切にしていきたいところだ。
「ベリル様、お待たせいたしました。どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます」
受付嬢が奥に引っ込んでそう時間も経たないうちに、最初に対応してくれた女性とはまた違う人が出てきた。どうやら案内してくれるらしい。
ギルドマスターであるニダスが居るかどうかは正直賭けだった。アポなんてないし、彼の予定も分からないからな。少なくとも第一の壁は突破出来たといったところか。
「失礼します。ベリル様をお連れ致しました」
そうして案内された先は、恐らくは彼の執務室。アリューシアの居城となるレベリオ騎士団の団長執務室とはまた趣の違う場所であった。
整理整頓というよりは、どちらかと言えば乱雑。無論散らかっているという程ではないものの、どうしても書類やその他雑多なものが多い印象である。
まあギルドマスターともなればアリューシアと同じく、日常的な業務が忙しいのだろう。俺はほとんど立ち寄ったことがないにせよ、初めて来た時も今日この時も、受付のある広間は忙しなく冒険者たちが動いていたからな。
「どうも、ガーデナントさん。お久しぶり……ですかな」
「ええ、お久しぶりです。すみません、突然押しかけてしまって」
「なに、構いませんとも。どうぞ、おかけください」
ニダスはこちらを見ると、やや皺の目立つ顔をくしゃりと崩し、出迎えてくれた。
相変わらず身体つきがゴツい人だなあ。ガトガやバルデルほど長身ではないが、身体中にみっちりと肉が詰め込まれている感じだ。勿論、それはただのぜい肉には見えない。
「では、失礼します」
「ご苦労。あと、しばらくは人払いを頼むよ」
「はい、畏まりました」
俺が部屋の席に着いたタイミングで、案内してくれた女性が部屋を後にする。その際、人払いを命じたということは、これから話されることがただの雑談ではないことを、ニダスも分かっているということ。
ただし。それはあくまで勘付いているというだけであって、彼には彼の、ひいては冒険者ギルドには冒険者ギルドの流儀がある。建前もなしに直球で話を聞くのは恐らく難しい。これは勝手に感じた直感ではあるものの、そう外れてもなかろう。
「さて、本日はどうされましたかな。まさか……やはり冒険者になりたい……とか?」
「ははは。申し訳ありませんが、今は剣術指南で手一杯でして」
「左様ですか。こちらとしてはいつでも歓迎いたしますので」
「ありがとうございます」
早速会話の初手で冒険者への勧誘とは、それがお世辞であっても食えないおっちゃんだなあという印象だね。
まあそれだけ俺への評価が高いということだと思うので、それはそれで前向きに捉えておく。今だから思うが、ゼノ・グレイブルという特別討伐指定個体は相当な難敵であった。そりゃそんな大層な名前も付くよなという感じである。
その特別討伐指定個体は現在俺の剣となり、大いに助けとなってはいるが。これもまたスレナから紡がれた縁と実績と言えるかな。
「実は……ちょっと長めの休暇を取ることになりまして。旅行でもしようかと」
「それは良いですな。ガーデナントさんほどの人物となると、お仕事もお忙しいでしょう」
「いやいや、ニダスさんほどではありませんよ」
なんだか貴族を相手にしている時のような話の運び方をしているなと、我ながら思った。
ちょっと前の俺なら単刀直入に用件だけを述べていただろう。しかし一応、表向きには発表されていない情報を仕入れようというのだから、相応の会話の仕込みというものは必要になる。まさかこんなところでその技術が必要になるとは、露ほども思わなかったけれどね。
「それで、折角ならヴェスパタ辺りまで足を延ばそうかな、なんて考えていまして」
「ほう……なるほど」
西方都市ヴェスパタ。その名前を出した途端、ニダスの顔付きが変わった。
勿論、あからさまに動揺したり警戒したりという程ではない。けれどその微妙な、しかし確実な変化は注意深く見ていれば気付けるもの。今回はそういう類のお話だという前提を持って臨んでいなければ、俺も気付けるかは微妙だっただろう。
そういえば今更なんだが、今回はメイゲンの方が居ないな。補佐に付けているという話だったから今回も同席するのかと思ったんだけど、今日はそうではないらしい。
まあ俺の訪問自体が突然だったし、四六時中一緒に居るわけでもないか。アリューシアとヘンブリッツ君だって常に一緒に行動しているわけじゃないだろうしね。
「ヴェスパタはここからは少々遠いですが……また思い切りましたな」
「ええ、折角の機会なので遠出でもしてみてはと、教え子からお勧めされたもので」
「なるほど……」
当然、部外者である俺がわざわざギルドマスターであるニダスを捕まえて、ただ旅行に行く計画を共有しているだけ……などとは思わないだろう。彼なりに俺との会話から得た情報を吟味しているはずだ。
勿論これは、ニダスのことを信用している前提の話の運び方である。そこに気付かれずただ雑談に興じるだけになったなら俺の狙いは御終いだが、流石にそこまで愚鈍ではギルドマスターなど務まろうはずがない。
互いにやりたいことと、やってほしいことは共通している。少なくとも俺はそう思っている。
そのやってほしいことをやってくれる人に俺が入っているかは未知数だが、その思いがなければわざわざアリューシアに情報を流したりはしない。
しかし表向き、核心は伏せねばならない。ギルドの責任者としてはスレナの情報を勝手に与えるわけにはいかないし、俺としてもそれをどこで知ったんだという話になる。
はっきり言えば、面倒くさい。だが方々に余計な迷惑をかけず、建前を揃えて仲良く過ごすには必要な工程。
貴族の方々が迂遠な言い回しを好むのも、なんだかちょっと分かる気がしてきたよ。好んでやろうとは決して思わないけれどね。
「それで……ガーデナントさんは何故そのお話を?」
ここでニダスがちょっと踏み込んできた。どうして俺がわざわざそんな話を彼にしたか、というところである。
なんとなく、もう一押しで協力が得られそうな雰囲気を感じる。この感覚が間違っていないことを祈るばかりだ。
「いや、お恥ずかしながらお勧めされたものの、ヴェスパタの土地勘やその道程がほとんど分からず……ここから西ということは分かるのですが。どうしたものかと思い、こうしてご相談している次第です」
「ふぅむ……」
これも一応用意した建前。
ベストはその建前にかこつけて、ある程度の情報を得ること。それが無理であっても案内人を付けてもらえればベター。依頼という体で俺が金を出してもいい。重要なのは、俺個人が勝手にやったという建前を崩さないこと。
今回の件はあくまで俺個人が旅行の最中、たまたま窮地のスレナに出会い、たまたま救出したというポーズを貫かなければならない。もっと時間が進んで話がまとまればその限りではないが、それを待っている時間がないのだ。
これは状況こそ違えど、レビオス司教を捕縛しようとした際、クルニとフィッセルが増援に来たパターンと似ている。
表向きは通りがかりを装い、組織としての関係を隠す。あの時はあれがどれだけ効果的だったかは分からないけれど、少なくとも国際問題になるような事態は避けられた。今回も似たような線でいければいいなという感じである。
「……事情は分かりました。ある程度、旅に慣れている者をお付けしましょう。ただその分、ご依頼を頂くという形をとらざるを得ず、ガーデナントさんにはある程度持ち出しをして頂きますが」
「勿論構いません。ありがとうございます」
しばし思案の後、ニダスは案内人となる冒険者を手配するという方向に舵を切った。
俺の考えるベストではないが、十分及第点以上の結果である。持ち出しが発生するのも想定内。金額の相場を見切っていると言えるほどではないにせよ、そう法外な値段を吹っかけられることもあるまい。
「さて、出立のご予定はどうされますかな。早い方がよさそうな気配は感じますが……」
「ははは、お察しの通りです。可能であれば明日にでも、難しくとも二日後にはお願いしたいと考えています」
「分かりました。人を集める時間も最低限頂きたいところですから、明後日でいかがでしょう」
「助かります」
のんびり旅行に行くはずの話なのに、出来るだけ早い方が助かるという。冷静に考えればおかしな話だ。普通なら、そんな予定を立てるのなら前もって計画しておけよという話にもなる。
だが今回の目的が旅行でないことくらい、俺も彼も十分に分かっていた。しかしそれでも、体裁を崩すわけにはいかない。
貴族の見栄や面子とはまた少し違うが、これもまた組織がある上での弊害の一つなのだろう。ただし通常それは弊害とならず、組織を守る規律となる。今回がイレギュラーなだけだ。
「しかし……ヴェスパタですか。私も過去数度、足を運んだことがありますが、まずまず良いところですよ」
「そうですか。俄然楽しみになってきましたね」
話は一段落ついたと見たか、ニダスがやや雑談向きの話題を振ってくる。
ヴェスパタという都市そのものに興味がないわけじゃないが、別に楽しむために行くわけじゃないからな。文字通り観光を楽しむ余裕なんてないだろう。もし素直に観光出来るとなれば、スレナとしれっと合流出来た後とか、そういう流れくらいしかない。
「ただ、アフラタ山脈にほど近いのが痛いところでしてなあ。特に都市から北東の中腹にはご注意した方がよろしいかと。や、足を踏み入れることがなければ基本問題はないと思いますがね」
「……なるほど。ご忠言、感謝いたします」
「いえいえ、ご安全な旅を願っておりますから」
しかし、続く彼の言葉でただの雑談ではないことを思い知ることとなった。
やはり、スレナの狙いはアフラタ山脈か。それも都市から北東に伸びる中腹。無論、必ずそこに居る保証はないにしても、有力な情報には違いない。
ちなみに。アフラタ山脈へのアタックは基本的に俺一人でやる予定である。流石にそこまで案内役の冒険者を引っ張っていくわけにもいかない。それは依頼には含まれないからだ。
あくまで表向きは、お上りのおっさんがヴェスパタまで観光に向かう旅程の護衛と案内。そうしておかないと多分、冒険者の方が捕まらない。誰がアフラタ山脈への攻略にただのおっさんの依頼で向かうんだという話だ。
「急なお願いにもかかわらず、ご対応頂き改めて感謝します。ありがとうございます」
「ほっほ、構いませんとも。市民の要望を依頼という形でくみ上げ、それを解決するのが冒険者ギルドの在り方ですからな」
情報も得られたし、案内人も付けられることになった。ほぼほぼベストの状況で収まった形だ。
改めて礼を述べると、彼はなんともないように言う。そりゃあ外面上はただの旅行の依頼なんだからそうはなるんだが。こんなやり取りは出来れば二度と御免だね。精神が持たないよこっちは。
「では、旅行の準備もありますのでそろそろ……」
「ええ。明後日の早朝、ギルドの前で人を手配しておきましょう。依頼料は……このくらいで。当日でも、後払いでも結構です」
「分かりました。重ね重ねありがとうございます」
提示された料金は、まあめちゃくちゃ安いとまでは言わずとも、十分に払える範囲の金額。
これがいわゆるお友達価格なのか、適正な価格なのかは分からない。しかし値切らなくても良いものを値切って、質の悪い冒険者を宛がわれても困るしな。言われた通りの金額をきっちり払うとしよう。
さて、後はミュイへの説明とルーシーへの情報共有だな。
明後日にはバルトレーンを発つ予定になった以上、急ぐに越したことはない。その間にスレナから連絡が入って骨折り損になるのが理想ではあるけれど。
「それでは、また」
「ええ、お気をつけて」
出来れば、そうなってほしい。
そんな思いを抱きながら、俺は冒険者ギルドの執務室を後にした。




