第260話 片田舎のおっさん、思い切る
「どうか、落ち着いてください。まだ初報の段階です」
「……ッ! ――ああ……」
勢いよく立ち上がった俺を、アリューシアが諫める。
彼女だってスレナとの付き合いは短いものじゃあない。決して仲睦まじく、という様子ではなかったものの、それなり以上に気心が知れて気軽に話せる相手というのは、アリューシアの今の立ち位置を考えると結構貴重だ。
ある意味で、スレナの幼少期を共に過ごしただけの俺よりも付き合いは長いはず。その彼女が比較的落ち着いているからこそ、俺もなんとか平静を取り戻せた。
まあ多少落ち着いたとはいえ、スレナが推定行方不明ともなれば、こんなことをしている場合じゃないという気持ちは依然消えないが。
本当なら今すぐここを飛び出して方々で情報を集めたい。仮に訳も分からん他人に咎められたところで、うるせえと一蹴するだろう。
その感情をギリギリで押し留められたのは、相手がアリューシアだからこそであった。
カタカタと、意図せず膝が細かく揺れる。脳内のもう一人の自分が、あまりにも動揺しているぞと警鐘を鳴らす。
そんなことは分かっている。分かってはいるが、このいら立ちはそうそう収められるようなものでもなかった。
「……情報はどこから?」
「冒険者ギルドです。ですから、報告の精度自体は問題ないものかと……」
「……そう、か」
これが故も何もない他人からのリークであれば、アリューシアもここまで真剣には取り合わないだろう。ただ情報の出所が冒険者ギルドで、内密にとはいえ正式に伝えられたものなら無視は出来ない。
まず前提として、スレナは強い。普通なら窮地に陥って然るべき場面であっても、彼女には独力で切り抜ける実力と経験、そして信頼がある。まさか引き際を見誤るなんて真似はしないはずだ。
そして単騎での実力に加え、報連相の重要性を理解しているからこそ、彼女はブラックランクにまで登り詰めている。
何事かが起きているのは間違いない。しかしその何事かが現時点では分からない。
正確に言えば、俺はその何事かに当たりは付けている。だがその情報があったとして、結局スレナが今どういう状況に陥っているのかは不明なままだ。
単純な連絡のトラブルか、負傷したのか、はたまた――死んだのか。最後の可能性だけはあり得てほしくない。
しかし剣の道を選び、戦うことを選んだ以上、その危険は常に付きまとう。それはスレナに限らず、俺やアリューシアにしてもそう。
ランドリドが妻子を持った際に、それらを天秤にかけて冒険者を引退した理由もそこにある。どれだけ功績を積もうが名声や大金を得ようが、命は一つぽっちしかない。死んでしまえばすべてが水泡に帰す。
改めて、近しい人にその危機が迫っていることに焦りが募るのを感じた。
「これからはどうなる」
「ギルドの方では捜索隊を編成するそうです。並行して連絡員も各所に置くようですが、それ以上は新たな情報待ちかと……」
「……ッ」
いら立ちの感情が、思わず口調となって出てしまった。自身の未熟を嘆くばかりではあるものの、それでもアリューシアは努めて普段と変わらない調子で対応してくれている。
本当に、俺なんかよりはるかに出来た人間だ。だからこそ、若くして騎士団長の座に就けたのだろうけれど。
「騎士団は」
「……動きません。というより、まだ動けません」
「どうして」
「……先生もご承知置きかとは思いますが、管轄として別だからです。冒険者ギルドから国へ事態を上申し、そこから騎士団へリサンデラの捜索命令が下れば動けますが……可能性は低いでしょう。何より時間がかかりすぎます」
「……くそっ!」
短い問答を経て、思わず拳がテーブルを突く。ドン、と。やや鈍い音がレベリオ騎士団の団長執務室に響き渡った。
別にアリューシアは何も悪くない。むしろ、内密に入った情報を俺とスレナの関係性を考慮して特別に伝えてくれている。それは本来なら感謝すべきことだ。
しかし、今の俺はどうだ。何も悪くない彼女を詰問するような真似をしている。どうしようもない無力感と最悪の結果に対する焦燥感ばかりが先走り、迷惑と不満をまき散らしているだけ。
なんとも情けない。曲がりなりにも人に技術を教える身とはいえ、一皮剥けばこんなものかという自嘲の念すら湧き上がってくる。
だって仕方がないじゃないか。命は皆尊いものだが、残念ながらその価値は人によって異なるんだから。
決して覚悟をしていなかったわけじゃない。誰もがそんな危険があることなんて承知の上で剣の道を歩んでいる。
スレナも任務に赴く前、わざわざ俺のもとを訪ねてきたのだ。相応の危険を感じていたからこそ、彼女は事前に情報を伝えた。
だがいくら覚悟をしていたとしても、人はいざその事実に直面した時、必ずしも冷静ではいられない。頭では分かっていても、というやつだ。万事が人の想定通りに進むのなら、混乱なんてものはそもそも起きない。大小問わず。
「組織としては、待つしかない、ということか……」
「そうなります。歯痒い思いはありますが」
今ここでアリューシアを問い詰めたとしても、これ以上の情報は出てこないだろう。彼女自身が知らないからだ。そして外部からの初報だけで騎士団を動かせはしないし、騎士団長である彼女も立場があるから動けない。
冷静にならずとも、ちょっと考えれば分かること。その実感が遅れてやってくるとは、俺も随分と慌てていたものである。
「……ふぅーーーー」
長く。長く息を吐く。
まずは現状を認めるところから始めよう。俺が今どう動いても事態は好転しないし、好転させるに足る情報もない。スレナが危機に陥っている可能性は極めて高いが、その具体的な内容は不明。
生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。結果は蓋を開けてみねば分からないが、その蓋はまだ随分と遠いところにある状況。
その蓋を開けに行くには、現時点ではあまりにも情報が足りない。そして、俺に出来ることも少ない。
「……分かった。アリューシア、一つ頼みがある」
「はい」
ただし。出来ることが少ないというのは何も出来ないこととイコールではない。
俺個人が動きたいという気持ちは勿論ある。逆に、俺個人だからこそ得られる情報というものは基本的には何もない。そのための権力や情報網がないから。
他方、俺という個人でしか動けないことは僅かながら存在している。それはスレナの手伝いで若手冒険者を監督したり、ルーシーやイブロイからの頼みでレビオス司教を捕らえたりといった、非公式な形で動かすには丁度いい駒の立ち位置に俺が居るからだ。
今回はその立場を、俺自身が利用する。俺は叙任を受けた騎士ではないのでね。
「しばらく休暇を貰いたい」
「構いません。書類は今作らせています。どうやら無駄にはならなかったようで」
「……作らせている?」
「ええ、既に」
「……そうか」
レベリオ騎士団は国家組織であり軍隊だ。私用で軍を動かすなど出来ようはずもない。曲がりなりにも国家に忠誠を誓った身で、自分勝手な行いは流石のアリューシアといえど難しいだろう。
だが俺個人となると話は別。俺はレベリオ騎士団付きの特別剣術指南役とかいう大層な肩書を持っているが、所詮は雇われの身だからな。言い方はアレかもしれんが、別にどこかの誰かに忠誠を誓っているわけではない。強いて言えば剣の道に忠誠を誓っている身だ。
そんな俺がちょっと長めの休暇を貰って、その間に私用を片付けるだけなら誰にも文句は言われまい。
無論のこと、その休暇の間に怪我や失踪、あまつさえ死亡などしてしまえば醜聞は避けられないだろう。その程度のリスクには俺ともいえど考えが及んでいる。
だが現時点において、そのリスクを勘案して動かないという選択肢は、俺には取れなかった。
そう考えての進言ではあったが、なんだか既に俺の休暇申請用の書類が作られているという答えを聞いて、流石に驚きを隠せなかった。
やはり彼女は、俺の考えなどまるっとお見通しのようで。俺がどう動くかのみならず、どう動きたいかまで、極めて高い精度で予測を立てられている。
「……恩に着るよ。改めて、ありがとう」
「別に礼を言われるほどのものではありませんよ。休暇の申請を受理するだけですから。今は大きい催事等も控えておりませんし、問題ないでしょう」
「そうか、助かる」
改めて頭を下げると、彼女はさも何でもないかのような様子で頷いた。
スレナが現在行方不明であることの情報は、まだ一般には公開されていない。されるとしても恐らく、相当の時間が経って諸々の確証が得られた後になるだろう。
その間にたまたま外部から雇われた剣術指南役が休暇を取り、しばらく騎士団庁舎を空ける。そこに疑問を差し込まれることはまずない。
とはいえ、ずっと休暇を取り続けるわけにもいかん。それはそれで今度は別の問題が発生する。
別に俺個人が不誠実だとか不義理だとかいちゃもんを付けられる分には正直どうでもいいんだが、アリューシアやヘンブリッツ君など、騎士団の幹部が要らぬ醜聞に晒される事態は出来れば避けたい。
スレナの状況もあるし、時間をかけて良いことなんて一つもないのだ。無論、一両日中に解決なんてスピード感はとても望めないが、出来る限りの早期解決が理想なのは、誰の目から見ても明確なこと。
とすれば、スフェンドヤードバニア使節団の来訪が中止になったのは、結果的にはありがたいこととなるのかな。グレン王太子らが今年もやってくるとは限らないが、他国の王族を迎える準備などは大変に忙しいだろうし、その場に俺が居ないというのは流石にちょっと外聞が良くない。
「さて、となると……」
騎士団庁舎での務めを休めることは分かった。あとは魔術師学院の方だが、これもルーシーかフィッセルに話を通しておけば問題はないはず。
こっちは元々が臨時講師だからな。今までも遠征などで長期間空けることはあったのだから、今回も同様の線でいけるだろう。
とはいえ、問題の内容が内容ではあるので、ここはフィッセルよりもルーシーに相談しておくのが吉となるか。彼女なら遠からず、スレナの問題も耳にするだろうから。
俺がバルトレーンを空けることに問題はほぼない。あとはどうやってスレナの情報を掴むか、である。
冒険者ギルドに訊きに行くのが一番よさそうではあるものの、素直にお伺いして素直に情報を貰えるとは俺も思っていない。そもそもアリューシアが知っていること自体が内密に流されたものなので、理由の立て付けは必要だ。
「――ああ、そういえば」
「ん?」
それらをどうするか考えていると、アリューシアが然も今さっき思い付きました、みたいな様相で口を動かし始めた。
「まとまった休暇を取られるのでしたら、西方都市ヴェスパタまで足を延ばすのをお勧めします。こことは大分趣が違いますので、よい保養になるかと。具体的な旅程や観光地などを知るにはやはり、冒険者ギルドを訪ねるのが一番の良策かと思われます」
「……分かった。ありがとう。楽しんでくるよ」
「いえ、お気になさらず。道中お気をつけて」
本当に、アリューシアには頭が上がらない。外部との軋轢が生まれない形を考慮して、こうやって情報と手法を伝えてくれる。
西方都市ヴェスパタ。レベリス王国とサリューア・ザルク帝国との国境都市となる場所だと聞いたことがある。地理こそ違えど、国境の要所という点ではフルームヴェルク領と被る。
まさか本当に観光して来いなんて意図で言っているはずがない。
つまり、スレナはヴェスパタに赴いている。逆に帝国まで足を延ばさずに助かったと言えるかもしれないな。
バルトレーンからは遠く、さりとて帝国の領土にまで踏み込む必要性は低い場所。必然的に、彼女の行先はアフラタ山脈の線が濃厚となるか。少なくとも、その可能性は考慮して臨むべき。
だが、俺には碌な土地勘がない。その辺りの情報は上手く冒険者ギルドから聞き出せということか。
流石にアリューシア個人では事態に首を突っ込めない。非公式に情報を流したのだってかなりの譲歩があったはずだ。彼女の情報網にこれ以上甘えるのは筋が通らない、といったところだろう。
「それじゃあ、早速準備に入るよ。しばらく空けることになると思うけど、何とかよろしく頼む」
「委細承知いたしました」
さて、やることは決まった。あとは出来るだけ早く行動に起こすのみ。
無論、これらすべての行動が無駄足となり、ひょっこりスレナが帰ってくるのが理想ではある。その時は「いやあ、あの時は焦ったよ」なんて言いながら、酒場でエール片手に愚痴ればいいだけのこと。それくらいは付き合ってもらわないとね。
そして勿論のこと、スレナに加えて俺まで行方不明になってしまっては意味がない。彼女が危機に陥っているのなら救出するのがベストだが、共倒れは最悪の結末。
別に俺の命が惜しいわけじゃない。スレナを助けられるのなら擲つ覚悟はある。しかし、擲った結果何の成果も得られませんでした、では駄目なのだ。その線引きは冷静に行わなければならない。
無論、そもそもとして死ぬのは怖いし嫌だ。俺だって死にたくないし、強敵と戦いたいけど死にたくはない、みたいな感覚は常に持っている。そこまでの達観は流石に出来ないから。
けれど、俺の命を懸けることで可愛い教え子の命を救える可能性が浮上するのなら。それは俺の中で懸けるに十分、値することだ。まあ、親不孝者だとは思うがね。
「先生」
「うん?」
席を立ち、アリューシアの執務室を出ようとした矢先。彼女の方から、再びやや硬くなった声色とともに呼び止められる。
「リサンデラを、お願いします」
そして彼女は、大きく頭を下げた。
心配はあるだろう。自身が動けないもどかしさもあるだろう。アリューシアの声と所作には、その悔しさがありありと浮かんでいた。
「勿論だ」
間髪を容れず、言葉を返す。
どうにかするために俺が動くのだ。結果がどう転ぶかの確証なんて何処にもないけれど、現段階で弱気な言葉を吐く理由はない。
「……よし」
アリューシアの言葉を背に受け、執務室を後にする。
冒険者ギルドでの情報収集、ミュイへの説明、ルーシーへの根回し。やることは多岐にわたるが、出来る限りに迅速にこなしていこう。
状況と時間は待ってはくれないし、止まってもくれないからな。