第257話 片田舎のおっさん、隣国の変化を知る
「皆、おはよう」
「おはようございます!」
スレナからの訪問を受け、彼女の任務について情報を得た翌日。俺は本来のお役目を果たすべく、レベリオ騎士団の庁舎に足を運んでいた。昨日は魔術師学院、今日はレベリオ騎士団での鍛錬と、まあ変わらずそこそこ忙しく、大変充実した日々を送らせてもらっている。
流石に一年と少々も経てば、修練場に足を運ぶ騎士はほとんど顔と名前が一致するね。頻度が低い人は単純に顔を合わせる機会が少ないから全員とまでは言わないが、それでも俺も大分馴染んできた方じゃないだろうか。
「さて、と。俺も準備してから交ざろうかな」
「あ、ベリルさん! 今日こそ一本……は難しいかもしれないですけど、粘らせてはもらいますよ!」
「ははは、楽しみにしてるよ」
家から庁舎まで歩いてきて多少は解れている身体を、今度は戦闘用に組み立てていく。勿論、実戦において十全な下準備が常に出来る保証などどこにもないが、訓練で余計な事故を起こさないためにもウォームアップは大切だ。
その間に、新人の入団試験も担当したエヴァンス君が活気よく声を出していた。
かつてヘンブリッツ君も言っていたが、若手の躍進というものは大変に喜ばしいものである。ベテランの妙味というやつは確かに存在するし、一般的に技術や経験は長い時間をかけた者の方が高いし多い。
しかしだからといって、下が育たなければその技術や経験はそこで途切れる。先達として若者を導く存在は確かに必要だ。俺の持つ技術だって、おやじ殿が居たからこそ引き継げたわけだからね。
他方、上が威張り散らすばかりでもダメなのが難しいところ。勿論、俺個人にそういう気持ちがあるわけじゃないけれど、本人にそのつもりがなくとも周りからそう捉えられたりしたら困る。
そうならないように、節度をもって指導に当たりたい所存だ。道場時代と違い、教える相手は厳しい試験を潜り抜けてきた猛者たちだからな。
「そういえばエヴァンス君。今日はクルニは居ないのかい」
「あいつなら今日は警ら番です。今頃バルトレーン中を走り回ってるんじゃないですかね」
「なるほどね」
グループというほどではないにしろ、何分騎士も人数が多いから、それなりに年齢や実力が近しい者などで固まりやすい。それ自体は別に悪いことじゃない。
その意味で言えば、クルニとエヴァンス君は比較的よくつるんでいる印象である。まあ単純に同期ということもあるだろうし実力も近いからな。二人ともウマが合うんだろう。
そんな彼にクルニが居ないことを聞いてみると、どうやら今日は街中のパトロール番な様子。レベリオの騎士も常日頃修練場に篭っているわけにもいかないからね。今日は鍛錬ではなくお仕事の日ということか。
第一騎士の皆だって、なにも毎日毎日四六時中仕事をしているわけではない。当然持ち回りで休みがあるし、俺がビデン村へ帰省した時など、ある程度長期の休暇を取ることだってある。
どっちかと言えば、貴重な休日すら鍛錬に費やし、仕事中でもわずかな暇を見つけてほぼ毎日修練場にやってくるヘンブリッツ君とかの方が異常である。アリューシアとはまた別の意味で身体を壊さないか心配だ。
騎士団の中でも、修練場に足繁く通う者とそうでない者で割とバラつきがあるのは、そういった仕事の関係があるのだろうな。
俺は基本的に剣術指南役として、この修練場くらいしか足を運ぶ機会がない。たまーに応接室やアリューシアの居る団長執務室に顔を出すくらいである。
レベリオ騎士団も一つの組織である以上、事務方というか裏方というか、そういう役目を担っている人が居る。アリューシアも普段は執務室に篭っているわけだから、そのような仕事は絶対にある。
つまり、常日頃修練場に顔を出さない人たちは最前線で武を振るう任務を主に熟していない人たち、ということ。まさかアリューシア一人ですべてを捌いているわけではあるまい。
騎士である以上は全員が戦えることは間違いないが、それでも組織を運営するには戦い以外の素養が必要になる。極端な話、俺が百人居ても組織運営なんて出来ない。戦うことは出来るかもしれないけどね。
フルームヴェルク領への遠征もサラキア王女の輿入れもヒューゲンバイトへの遠征も。すべてそういう人たちが滞りなく計画を組み上げてくれているからだ。剣を振るうしか能のない人間としては、彼らへの感謝は忘れないようにしたいところ。
「おはようございます」
「やあアリューシア、おはよう」
準備運動をしながらそんなことに思いを馳せていると、それらを統括している総大将のお出ましである。
しかし彼女がこの時間から修練場の方に顔を出すのは珍しいな。普段から結構執務に忙殺されているイメージがあるんだが。
「珍しいね」
「そうかもしれませんね。最近は書類仕事が例年よりも少ないので」
なので素直にそれを聞いてみると、どうやら例年より書類仕事が少ないからという、まあ割と単純な理由であった。
彼女の負担が減っているのは喜ばしい点だろう。その分アリューシアも余暇がとれるし、こうやって身体を動かす時間も増える。
人間、常に机に齧りついていてもいいことなんてあんまりない。いやまあ、これは剣士としての持論だけどさ。別に彼らの働きを否定するわけではなくてね。
それに何か考えが詰まった時などは、適度に身体を動かすのが結構馬鹿にならない息抜きになる。アリューシアほどの人物がそこに気付いていないわけがないから、浮いた時間で軽く運動、という線も大いにあるだろう。
「ふむ……いいこと、として捉えていいのかな」
「今回に関しては、少々難しいところです」
しかし、書類仕事が減ったことはイコールいいことか、というのはやや判断が難しいらしい。仮に俺が彼女の立場なら無邪気に喜んでいたかもしれないが、どうにもそういうわけにはいかなさそうであった。
「というと?」
「スフェンドヤードバニア使節団の来訪。今年は中止となりました」
「ああ……」
彼女の言葉を聞いて、そういえば、と思い出す。確かに昨年はこの時期にスフェンドヤードバニア使節団の来訪があった。互いの国の友好を確かめるための国際行事の一つである。
その時にグレン王子やガトガとの出会い、ロゼとの再会があったわけだが、まあ良い思い出ばかりのイベントでもなかったのは事実。
それにスフェンドヤードバニアは、今は国内の立て直しの真っ最中だ。とてもではないが、隣国へ首脳陣を動かす余裕はないということだろう。
「流石に向こうもそんな余裕がないってところかな」
「それはそうですが、外交や国際情勢を考えると無理をしてでも行うべき、のような意見もあったようですね。随分と割れたそうで」
「へえ、意外だね」
「内部の混乱一つで大いに乱れる国だと思われたくない、そのような意図もあるかと」
「なるほどなあ……」
俺のような庶民の頭でも、あんな大ごとが起きてしまった以上、今は他国に赴く余力がない、というのは十分に理解出来る。なんなら今年の使節団来訪は中止になるだろうなくらいに思っていた。
しかし政治を司る方々の中では、じゃあ止めておきましょう、と一声で決まるようなものでもなかったらしい。そこにはどうやら、様々な思惑が入り混じるようだ。
大変なことが起きたので今年は行事を止めます。それだけで終わらないのが国家運営の難しさというところか。確かに容易に弱みを露呈させるのは、国家としてはよろしくないのだろう。
いやはや、国を導く立場に立つ者は本当に色々なことを考えねばならない。そんな立場になる気はないしなれる気もしないが、グレン王子やサラキア王女には頭が下がる思いだ。
「先日ようやく、グレン王太子の名で使節団の派遣中止の書状が届いたところです」
「……王太子?」
普通はこういう行事は毎年恒例といえど、それなり以上の準備期間が必要だ。国家を跨ぐ行事なのだから尚のこと慎重になるのが道理。しかし書状が届いたがつい先日ともなれば、結構ギリギリまで粘ったな、という感想が出てくる。
だがそれ以上に気になったのは、グレン王子のことをグレン王太子と敬称を改めてアリューシアが呼んでいること。
「あちらとしても、ようやく王位継承が内外ともに固まったということでしょう」
「……ふむ?」
えーっと、王子と王太子ってどう違うんだっけな。その辺りの知識が俺にまったくないからいまいち分からない。なんだか王太子の方が偉そうには聞こえる。めちゃくちゃ失礼かつ無知な感想だけどさ。
「……王太子は一般に、王位継承権第一位の者を指します。その名で署名もされるということは、グレン王太子こそが揺るぎない次代の王であることを広く知らせる狙いもあるものかと」
「ああ、そういう……いやお恥ずかしい、無知なばかりで」
「いえいえ」
俺の困惑を汲み取ったか、アリューシアが追加で説明をしてくれた。本当にありがとう。
つまりグレン王太子は、国内のみならずレベリス王国という外国にも王太子として名乗り出たこととなる。いよいよ地盤が固まってきたということかな。
俺にはその良し悪しはよく分からないけれど、良いことであると祈りたい。グレン王太子も決して悪い人ではなかったし、愚鈍な印象も持てなかった。まあ傍にはガトガが居るだろうし、なんとか国を良き方向に纏めていただきたいところだ。誰も戦争なんて望んじゃいないだろうから。
「じゃあサラキア王女は……王太子妃?」
「そうなりますね」
ディルマハカで行われた婚約の儀自体は邪魔が入ってしまったものの、グレン王太子とサラキア王女の婚約自体が破棄されたわけではない。法律上、彼女はグレン王太子のお嫁さんになった後だ。
肩書としてはレベリス王国第三王女殿下ではなく、スフェンドヤードバニア王太子妃となるわけか。
うーん、難しい。そういうものだと言われればそれまでなんだが、やっぱり政治やら国家やらの枠組みは、俺にとって複雑で堪らんよ。
「でも、よかったのかい。そういうのを俺に伝えちゃって」
「近々公開される内容ですので、問題はありません」
「そうか」
念のため情報の扱いについて聞いてみるも、大丈夫らしい。まあ昨年も遊覧中は結構市民の目があったし、いずれ公開される情報には違いないのか。その辺り、未だに言っていいことと良くないことの境目がよく分からない。
そういう大事な情報を俺が扱わないに越したことはないんだが、なんだか近い将来的にそうも言ってられない予感もしている。出来れば外れてほしい予感だ。
「で、使節団関係の仕事が浮いた分、こちらに顔を出す余裕が出来たと」
「はい。先生に大部分をお任せしているとはいえ、私も指南役ではありますので」
「はは、それもそうだ」
俺の言葉に、アリューシアは微笑みとともに答えた。
今更という感じではあるが、俺の肩書は「特別剣術指南役」である。
そう、特別なのだ。じゃあ特別じゃない剣術指南役は誰かというと、アリューシアとなる。結果として今は指南役のほとんどを俺が引き受けているわけだが、騎士団長の任の傍ら指南役も務める、というのは本来とても大変なことだ。
その意味では、俺は彼女の負担をある程度肩代わり出来ているとは思う。仮にアリューシア一人が倒れたとして、それで直ちに組織が瓦解するわけではないにせよ、上が健全であるに越したことはないからな。
「……それに」
「ん?」
微笑みを湛えたまま、彼女は続ける。
「先生が剣の頂に至るためのお手伝い。それも、私の大切な務めですから」
「……そうか。心強いね」
騎士団庁舎の修練場という、どう考えても公の場ではあるものの。彼女の声色と表情は騎士団長のそれではなく、アリューシア・シトラスという一人の女性のものであった。
まったく、素晴らしく魅力的な女性だ。今では掛け値なしにそう思える。そして、そんな女性からこれほどまでに心強い言葉を頂いたのであれば、俺としても剣の果てに辿り着く努力を怠るわけにはいかない。いや勿論、最初から手を抜くことを考えていたわけじゃないけれども。
「それじゃあ、存分に頼らせてもらうとしよう。その上で、辿り着いてみせるさ。……いつになるかは、まだちょっと分からないけどね」
「ええ、その時をお待ちしています」
目指す先は、恐らくまだ遠い。具体的な距離なんて分かりゃしないが、少なくともすぐそこってわけでもないだろう。
ただ、余計な思考で足踏みするような無駄足は踏めなくなった。俺一人ならそれでもよかったかもしれないが、人の想いも背負って目指すものとなると、そうも言っていられないからね。
まずは頂に至るための第一歩として、騎士たちをしっかり鍛え上げていこうではないか。後進を教え導くことで学ぶこともまた多い。少なくとも俺はそう思っているし、道場で教えていた時は実際にそうだった。
であるならば、手を抜いたり気を抜いたりはしていられない。誰も見果てぬ道の先なんて、己の力で切り拓いていくしかないんだからな。




