第253話 片田舎のおっさん、驚かされる
「久々になるけれど、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
冬を越え、春が訪れ、その春もじわじわと快適というよりは暑くなってくる頃合い。俺は言った通り、久しぶりに魔術師学院の剣魔法科へとお邪魔していた。
最近は遠征遠征また遠征と、バルトレーンを空けていることの方が多かったからな。自然と皆を教える時間は減ってしまうもので、剣魔法科の講義に顔を出す機会を随分と逸してしまっていた。
「じゃあ、準備運動に素振り三十回。真剣に」
「はい!」
最初の頃とは似ても似つかない、現実的な数字で指示を飛ばすフィッセル。未だに千回とか言っていたらどうしようとちょっと思ってはいたのだが、流石にそこは彼女も学習したらしい。
生徒の数は、前回の事件以降大きくは変わっていない。つまりは数十人規模で収まっている。まあこれ以上増えると逆にフィッセルの負担が馬鹿にならなくなるから、これくらいが丁度いいかつ限界のラインだろうな。
俺の道場ではスペースの都合もあって、繁盛していた時でも十数人程度。それ以上は道場の広さが足りないし、俺の目が届かなくなってくる。学院の場合は広大な敷地面積があるからもう少しキャパシティはあるにしても、監督者の数が一人ではどうしようもない。
フィッセルと俺の二人ならもう少し人数を見れるとは思うが、そもそも俺が常勤ではないからな。フィッセルもいい意味で俺をアテにはしていないっぽいので、その辺りは織り込み済みだろう。
教える側の感覚というものは当然ながら、教える側に立たないと身につかない。こればかりはいくら知識を詰め込もうが誰だって同じだと考えている。
相手は一人ひとり考え方も個性も違う人間なのだから、それらを導くのは頭で考えるよりも遥かに難しい。だからこそ遣り甲斐もあると言えるけれどね。そう捉えられる人は中々貴重ではないかとも思う。
実際フィッセルも、教えることに向いている性格だとは現時点では言えないだろう。それでもその工程のどこかに楽しみを見出してくれれば幸いだ。
「……皆、随分と剣筋が良くなってきたねえ」
「当然。先生の教えを守ってるから」
「仮にそうであったとしても、その教えを継承したのは君だ。これからも俺の剣術に拘らず、良いと思ったものをしっかり伝えていきなさい」
「……うん。頑張る」
俺が学び、伝えてきた剣がこうしてまた皆の役に立っているのは嬉しい。誇らしいともいえる。
けれど、それを後進に伝える判断を下したのはフィッセルだ。つまりは彼女の功績……はちょっと言い過ぎかもしれないが、彼女の持ち込んだ成果には違いない。
だからそれは、彼女が誇るべきなのだ。そのことはしっかりと伝えて、そして褒めてあげねばならない。
そうして先人からの知恵やら想いやらを継承し、技というものは磨かれ、広まっていく。まさか俺の剣術がそうなるとは露ほども思っていなかったけれど、少なくとも悪い気分じゃないね。
何というか、道場で教えていた頃には味わえなかった感覚である。ここから長い歴史を経て、俺やおやじ殿の剣術が連綿と歴史に紡がれていくようにもなるのだろうか。
まあそれは流石に未来の人間に託すしかないんだけれど、そうなってくれると嬉しいな、くらいには思っている。そんな先のことは本当に分からないけどね。
「二十九! 三十!」
「うん、いい感じ。グッド」
ちょっと想いを馳せているだけで、たかだか素振り三十回なんてあっという間だ。フィッセルも不器用ながら褒める行動をとっているようだし、最初のとん挫を考えれば随分と持ち直した方だろうな。これなら少なくともすぐに閉講とはならなさそうで何よりである。
「音頭はルーマイト君がとってるんだね」
「自然とそうなった。私も見るのに集中出来る」
「いいことだ」
普通こういうのは指導者が回数を数えたり、一緒に木剣を振ったりするものである。
だが今回の素振り三十回は、ルーマイト君が声を出して数えていた。しかもそれがフィッセルのご指名などではなく、生徒から自発的にというのは素晴らしいことだ。それだけこの講義に対する熱量が高いとも捉えられる。
なあなあでグダってしまうよりはまったく健全で大変よろしい。
言わされてやるのと自発的にやるのとでは、こなす量は同じでも得られる成果は断然違う。本当に、前途有望な若者が集まるだけはあるよ。俺も負けてられないなという気持ちも湧いてくるものだ。
「次、魔力錬成。先生はちょっと待ってて」
「ああ、分かった」
「はい!」
素振りを終え、程よく身体が温まったところに告げられた次の指示。それは魔力錬成という、まあ俺としてはまったく聞き覚えのないワードであった。
剣魔法科と銘打っているものの、その肝は魔法にある。間違っても剣が主ではない。いや勿論剣も大事なんだが、剣だけを学ぶ場であるのなら魔術師学院で行う必要がないからな。
フィッセルの指示を受けた生徒たちは、剣を構えた姿勢のまま動かない。しかし各々がよく集中していることは分かる。
聞きたいことはあるけれど、俺の声で彼らの集中を欠いてしまうのもきっとよろしくない。よってここはどっしりと静観の構えだ。なんも分からんともいう。
「集中を切らさない。動いてない状態で魔力を練るのは最低限」
「は、はい……!」
俺に魔力は見えないが、フィッセルには見えているのだろう。専門的な指示を飛ばしながら生徒たちの合間を縫うように進み、一人ひとりの進捗を確認していた。
当然だが、剣魔法は戦いながら発動させなければならない。普通の魔術師より戦闘距離が短くなるだろうから、動きながら魔術を発動出来ないと文字通りお話にならないというわけだ。
しかし恐らく、最初からそれをやらせようというのは非常に難易度が高い。
以前ルーマイト君と組打ちした時も、彼は一瞬とはいえ立ち止まって魔力を練っていた様子であった。あれでは流石に実戦で使い物にならん。ロノ・アンブロシアを仕留めた時のような、特大の攻撃を準備するのならまだしもね。
なので普段から魔力を纏う練習をしておく必要があるってことなんだろうな、多分。俺にはサッパリ分からないけどさ。
静止した状態で出来ないことを、動きながら出来るわけがないというのもまた道理。だからこうして、まずは動いていない状態で魔力を練る練習をさせているのだろう。
「全員出来たら次は維持。最低一分は持たせること」
「はい!」
うーん。粛々と講義は続いているように見えるのだが、俺にその進捗が分からないのはちょっとつらい。何というか、手持ち無沙汰感が凄い。魔力が見えないこともそうだが、俺には今、彼らがやっていることの難易度が分からんのである。
フィッセルの様子からして初歩っぽい話ではあろうものの、完全な門外漢の立場だとその初歩の初歩でも見事な置いてけぼりを食らってしまうことが分かった。
これはいつの日か、剣の話をまったく知らない人にする時には参考になりそうだな、なんて思う。俺からしたら当たり前のことでも、相手にとっては必ずしも当たり前ではないという認識。
業界というにはやや大仰だが、限られた世界に長く身を置くと外の景色が分からなくなる。俺の周りなんて生まれてこの方、剣を志す者しか居なかったからな。その辺りは改めて気を付けようと感じた次第であった。
「ぬ、ぐ……!」
「……」
生徒たちが魔力錬成なるものに苦戦している間、俺はマジでやることがない。精々暇そうな表情を出さず真剣に彼らを眺めることくらいしか出来ん。
最初の頃は剣術の基本を教えていたから俺にも出番があったが、流石にこの段階まで魔法の講義が進むと、本当にやることがなくなる。
ただまあ、仕組みとしてはそれが正しいのだろう。そもそも魔法を教える学校に俺が居ること自体が場違いなのだ。フィッセルやミュイの成長を見れる立場はそれはそれで役得ではあるものの、俺の個人的感情を主幹に置くわけにもいかないからね。
こうして剣ではなく、本格的に「剣魔法」の講義が進めば進むほど、俺の出番はなくなる。
無論、フィッセルからお呼びがかかれば今後も馳せ参じるつもりではあれど、そろそろ俺の手を離れてきた実感も同時にあるからな。あと機会があるとすれば生徒たちの組手の相手か、新入生が入ってきた時くらいか。
その辺り、今後の魔術師学院での身の振り方というか、そういうものは考えておいた方がいいのかもしれない。ルーシーと会う機会があればそれも相談してみようかな。
「……ふぅ……!」
「……ふむ」
今俺たちの目の前には数十人の生徒たちが居る。当然彼らを公平に見るべきなのだろうが、魔法という分からん領域に授業が片足を突っ込んだ以上、俺が全員を見張る意義は薄い。
故に、最初に受け持った五人に視線が行きがちである。その中でもやっぱり、ミュイに対しては一層の視線を注いでしまうのも無理からぬこと。
そして俺が見る限りではあるが、彼女は今の状況にそこまで置いていかれてはいないように見える。いや俺に魔力は見えないんだけどさ。ミュイの表情や所作から焦りの感情が見られないからそう思えるのである。
人間、周りとのレベル差を感じるとどうしても焦る。俺だってそうだった。それを上手く隠せる人も居るが、少なくともミュイはそうじゃない。でも今の彼女は特に焦ってはいない様子であった。
つまり、魔力錬成という工程に際して、彼女がそこまで苦戦はしていないだろうということが汲み取れる。確信を持ってまでは言えないけれどね。あくまで見る限りの予測に過ぎない。
フィッセルは以前、ミュイのことを物凄く不器用だと評した。それは後にルーシーによって正確ではないと訂正されたわけだが、どちらにせよやや尖った個性を持っているのは事実。
それが上手く、癖ではなく個性に昇華されたのだろうか。そうでなくとも、本人の中で自身の特性とある程度折り合いがついたと見るべきか。
どちらにせよ喜ばしいことだ。それも一つの成長には違いないからね。
「そこまで。これからも魔力を常に感じ取れるように。沢山練習するといい」
「は、はい……!」
フィッセル基準で沢山練習させたら誰も残らないんじゃないかなあ。
そんな不安も微かに過るけれど、まあここまで来て余計な口出しはすまい。そもそも魔法に関しては明らかに俺の方が素人だし、そっちの方がいいかもしれない可能性だってある。見る限りは、運動するのと遜色ないくらい疲れるっぽいけどさ。
「小休止した後に組打ち。皆どんどん打ち合って」
「……もう全員が組めるのかい?」
「最低限は出来た。あとは反復練習」
「そうか」
ちょっとした休憩を挟んだ後、次はどうやら全員で組打ちを行うようだ。俺が以前お邪魔した時は、最初の五人以外はまだまだ基礎の段階だったはずだけれど、その段階は脱したらしい。
彼女のことだ、こと剣術において甘い裁定は下さないだろう。つまり文字通りの意味で、全員が最低限は剣を振れる状態に仕上がっている。
しばらく見る機会がなかったとはいえ、この速度には恐れ入った。
剣をまったく振ったことがない素人が相手として、数か月で最低限の体裁を整えるのは大変に難しい。勿論、俺の道場の場合は型稽古も含むから時間はかかるんだけれど。
魔術師学院では型を教える必要性があまりないからね。どちらかと言えば折角の攻撃手段なのだから、型に依らない自由な発想で剣を振ってもらいたいところ。その考えが根底にあるからこそ、フィッセルは型稽古よりもとにかく素振りを重視しているようにも思える。
「オッ……ベリル、さん」
「ん? どうした?」
さて、それじゃあ剣を振れるようになった皆々様のお手並み拝見といこう、と思ったところ。やや遠慮がちにミュイから声を掛けられた。
俺と彼女の正確な関係性を公言はしていない。なのでミュイもこういう場では、それなりに気を遣って喋っている。まあ講義中はあまり話すことがない上に、ちょっとオッサンって言いかけてたけどさ。それもまたご愛嬌というやつである。
とはいえ、ミュイの方から話しかけられるのは結構珍しい。自宅でも向こうから話題を振ってくることは少ないからな。
恐らく何か、剣術に関する質問的なものだろうと思う。ここはいっちょ、剣の師匠らしさってやつをしっかり見せておかねばなるまい。
「アタシと……一手、お願いします」
「――! 分かった、やろう」
どんな質問が飛び出してくるか、色々と想定しながら相槌を返すと。
告げられた言葉は、まったく想定しておらず。しかし、大変に喜ばしい一言であった。
第九章開幕となります。また一つ、お付き合い頂ければ幸いです。
TVアニメの方も先日より放送が開始されました。アニメについては活動報告に待機所を作ってますので、そちらで語ることがあれば仰っていただければと思います。




