第248話 片田舎のおっさん、偵察を終える
「ふぅ、なんとか捌けたぞ……うわ臭っ!!」
「気を付けろよ、野生動物のはらわたは大体くせえから」
「先に言ってくれよぉ……」
アフラタ山脈北端の麓にほど近いところでキャンプを設営し、周辺偵察を行い安全を確保出来た後。
まだ日も高いしちょろっと山の方まで行ってみるかというケニーの鶴の一声で始まったちょっとした行軍で、なんと麓まで降りてきたボアを二匹ほど仕留めてこれ幸いと持ち帰ってきたのが今である。
サーベルボアじゃなくて普通のボアでよかったわ。こいつらは家畜化されている種類の動物ではあるが、当然ながら野生で生きている連中も数えきれないほど存在している。その中でたまたまはぐれっぽい二匹を仕留められたのは幸運と言っていいだろう。なんてったって晩飯がちょっと豪華になるからな。
で、仕留めたボアを素早く血抜きし、皆で食えるように掻っ捌いていた時の声が先ほどのものだ。当然、血抜きも解体も新人の出番である。
俺はビデン村に居た時からサーベルボアのみならず、結構いろんな動物を捌いてきた経験があるから分かるんだが、あいつら基本的に物凄く臭い。
そりゃ野生の動物に衛生の概念なんてないから当たり前ではあるんだけれど、あの類の臭いは身体が慣れていないとまず拒否反応が出る。うわくっさ! って身体が硬直しちゃうのだ。
「駄目だ、臭さで手が止まる……」
「慣れだ慣れ。あと頑張って口で呼吸しろ」
「うええ……」
そしてその洗礼を新米騎士の一人が受けていた。騎士に動物を掻っ捌く経験がこれから積めるかと言われたらちょっと微妙なので、まあ貴重な経験として糧にして頂きたいところ。
こういう一幕を見ても、レベリオの騎士が出自を問わず様々な出身の人間で構成されていることが分かる。臭さに慄いた彼はきっと今まで、そんな生活とは無縁の人生を歩んできていたのだろう。
他方、そういうのに慣れっこな連中も居る。元狩人か単純に田舎村の出身なのか、そこまでは分からないが。
様々な背景を持つ人間が一つの組織で切磋琢磨する、というのは結構良いことだと思う。剣の腕だけでなく、その人が歩んできた人生から学べる点は数多くある。そういうところに気付けるかどうかも、今後の成長を占う意味では大事だ。
「こりゃあ今夜は新鮮な肉をたっぷり頂けそうだな」
「ありがたいことにね」
若者の解体作業を眺めるおっさんが二人。言わずもがな俺とケニーである。
騎士団や王国守備隊などが遠征を行う時、通常は戦闘糧食といって日持ちする食べ物を持ち出す。まあ大体が干し肉だ。パンも欲しいところだが、あれは重量はともかくとして案外嵩張るから優先度はちょっと落ちる。
今回の遠征もある程度実戦を想定したもので、持ち込んでいる量は最低限とまでは言わずとも少な目。それもほとんどが干し肉なので、食事はどうしても味気ないものになりがちである。
そこに転がり込んできた新鮮な肉。これを食さない手はない。ボアの肉は普通に市場でも出回る程度には広く食されているし、やや身は硬いものの干し肉に比べたら雲泥の差だ。
後は調理の技術と味付けがどうなるかという話になるが、ミュイの得意料理である煮込みでもそこそこ美味いので、そこまで心配しなくてもいいだろう。
「しかし皆優秀だね。剣を抜く必要もなかったよ」
「そりゃ新人だろうが若手だろうがレベリオの騎士だからな」
周辺の偵察には俺とケニー、そして二つの小隊が向かい、アリューシアとフラーウ、残りの人員はキャンプでの居残りとなった。当然ながら指揮官クラスが全員出払ってしまうのは良くないからね。
で、俺は一応この集団の中で上位者ではあるが指揮官ではない。なので大手を振って前線に向かうことが出来た。拠点でじっとしているよりは偵察でもなんでも、歩いた方がいくらかマシというものである。
周囲を警戒しつつ、帰りの時間も考えてちょっと山中に入ってみるか、といったところでボア二匹と遭遇したのがつい先ほどの話。
向こうはちょっと気が立っていた様子でこちらを見るなり威嚇してきたが、新人といってもボア程度にビビる奴は流石に居なかった。ケニーの指示で一つの小隊がかかり、さしたる被害もなく二匹を仕留めた、といった塩梅である。
単純な剣の技量だけで見ればまだまだ成長の余地は感じられるものの、なんというか皆の気概が凄かったね。
普通の人間は、敵対的な何かと遭遇した時にまず撤退を考える。積極的に打ち負かして勝ち切ろうと考える方が少数だ。しかし、そんな後ろ向きな考え方ではレベリオの騎士としては生き残れない。
いや勿論、それで挑んで負けてしまったら元も子もないんだけれどもさ。その辺りの前進気質と、冷静に戦力を見極める目。この二つを両軸で持ち合わせていないと一流の剣士にはなれないのである。
その意味でいえば、今回ボアと遭遇した小隊の皆は一流になれる素質があると言っていいのだろう。
実際そうなれるかは分からないけれどね。剣の女神は実に気まぐれなのだ。
「そういえば、ヒューゲンバイトで主に相手する外敵ってどんなのが居るの?」
人間側の都合よくボアを仕留められたところで、ケニーに話を振ってみる。
ヒューゲンバイトはガレア大陸北端に位置する都市だ。気候こそバルトレーンとそう大きく変わらないが、生態系という意味で見ればこれだけ離れていれば多少の変化はあるだろう。
バルトレーンはレベリス王国の首都であるからして、野生動物やモンスターの相手をすることは少ない。大体そういうのが粗方駆逐された後に集落が出来て発展していく。
ぶっちゃけ都会ではそんじょそこらのモンスターなんかより悪意を持った人間の方が大変に厄介だ。
宵闇の魔手なんて名乗る物騒な連中も居たし、魔術師学院のブラウン教頭のようなよからぬ考えを持っている者も居る。騎士団が相手するまでもない小悪党などを含めたら、その潜在的な数はかなり多いだろう。
田舎村などでは逆に、人間同士で醜く争い合っている余裕がない。村の柵を一つ越えれば、凶暴な生物やモンスターがすぐ傍らに居るからだ。
フルームヴェルク領もそこそこ栄えているが、あそこはスフェンドヤードバニアとの国境都市であるという事情がある。仮想敵国とまでは言わずとも、文化も文明も違う人間の集合体がお隣さんなわけだから、常にある種の緊張感は持っている様子であった。
ではヒューゲンバイトのような、田舎ではなくそれなり以上に栄えており、更に国境という問題を抱えていない都市ではどうか。少し興味をそそられる内容である。
「基本はモンスターだな。まあ人間の悪党もちらほらとは居るが、バルトレーンほどじゃない。一角狼とかたまにワーム系とか、まあ小物が多いぜ。たまーにグリフォンが来るくらいか」
「グリフォンねえ……」
グリフォンと言えばアザラミアの森で出会った特別討伐指定個体、ゼノ・グレイブルが真っ先に思い出される。
そもそもグリフォンって山岳地帯に棲んでるものだからね普通は。なんであんな森の中に居たのか未だに分からない。特別討伐指定個体だからこその行動範囲の広さと見るべきか。あれを咎められる生物なんて、世界全体を見回しても少ないだろうし。
ゼノ・グレイブルが炎を操ったような、そんな大それた力は普通のグリフォンにはない。
勿論、デカくて速くて強くて更に空を飛ぶという、人間からしたらたまったもんじゃない大敵なのは違いないが。俺もビデン村に居る時、多分あれグリフォンだろうなあという影が遠くを飛んでいることを見たことがある。
人間から見れば恐ろしいアフラタ山脈も、グリフォンからすれば都合のいい狩り場だ。わざわざ麓先まで出張して美味いかどうかも分からない人間を襲うより、もっと身近に美味い獲物がわんさかいるからね、あいつらからしたら。
なればこそ、同じグリフォンであるはずのゼノ・グレイブルが森に棲んでいたのが解せない。仕留めてしまったのでその謎は恐らく永遠に残り続けるだろうが、気になると言えば気になるところだ。
「ケニーはグリフォンを仕留めたのかい?」
「ああ、二年前にな。あの時は大変だった……」
大型のモンスターは基本的に中立というか、人間なんて種を気にかけない。そりゃちょっかいを出されたら反撃はするだろうけれど、余程近付いたり攻撃を仕掛けたりしない限りは向こうから出張してくることは存外に少ない。
だからこそビデン村みたいな田舎村も案外存続出来ていたりする。あんな大型から頻繁に襲われていたんじゃ、防御力の整った大都市以外では住めたもんじゃないからねマジで。
しかし別に意思疎通が出来るわけではないので、時折人間の事情なんざ知ったこっちゃねえと言わんばかりに襲ってくることもある。
たまたま虫の居所が悪かったのか、他の誰かが過去にちょっかいを出したのか、その理由までは当然分からない。分からないが、突然襲われる側としては本当にたまったもんじゃない。気まぐれ一つで人は死ぬわ下手したら集落一つ潰れるわで散々である。
そんな強烈な外敵に対抗するためにも、レベリオ騎士団や魔法師団といった人間側の戦力は重要だ。
そして話を聞く限り、グリフォン単騎程度なら撃退出来る戦力がここヒューゲンバイトにはある。普通の村落ではまず無理な話である。大人しく一人ずつやられるのを見守るくらいしか出来ない。
逃げるにしても、空を飛ぶグリフォンの方が圧倒的に速いからね。ゼノ・グレイブル戦で俺やスレナが撤退を選択しなかったのもそこに起因している。まああの時はポルタたちも居たから、はなから逃げる選択肢は取れなかったが。
「海の方は?」
「こっちから何もしなけりゃ基本なんもねえよ。漁船は時々モンスターに襲われているがね……浜辺ならともかく、遠洋じゃ何も出来ん」
「それもそうか……」
海の方からあがってくる脅威、なんてのは流石になかったようだ。というかそんなもんが存在していたら海沿いの都市なんて繁栄しない。
ただ陸と違い、海上あるいは海中から仕掛けられるのはかなり厳しいな。少なくとも剣士では手も足も出ない気がする。具体的にどんな脅威が海にあるのかは分からないままだが、船に乗らない限り不要の知識ではあるので、今の俺には必要ないだろう。そして極めて高い確率で今後も必要のない知識だ。
「うおぉ……やっと終わった……臭ぇ……」
「お疲れさん。手と身体洗ってきな」
ケニーと話し込んでいると、どうやらボア二匹の解体が終わったらしい。
意外と軽視されがちだが、中型以上の動物をしっかり捌くのには結構な体力、知識、技術が要求される。勿論これらは売りに出すわけじゃないから最低限肉が食えればいいんだが、可食部をちゃんと取り出すことすら未経験ではかなり厳しい。
しかしこれらの技術は長距離行軍をする予定があるなら必須だ。折角野生の動物を捕まえても上手く捌けませんでしたでは食料が手に入らない。俺も綺麗に皮を剥ぐのは無理だけど、食える部分をちゃんと切り取るくらいは出来る。
特にボアなんてありふれた食材ではあるから、こいつを一人で捌けるかどうかはその人のサバイバル能力に直結する。無論、そんな状況に陥らないことが最善ではあるけどね。
「後は飯の出来上がりを待つだけか。腹減ってきたなァ」
「いい御身分だねえ」
「そりゃ大隊長様だからよ」
「はは、違いない」
もう間もなく日も落ちる頃合い。豊富な光源があるうちにボアを捌き切れてよかった。暗い中で動物の解体はあんまりやるもんじゃないしね。
夜間行軍の演習も出来そうではあるけれど、それは経験に乏しい新人を引き連れて、しかも山中で行うものではない。そんなことをすれば高確率で死人が出る。その辺りはまた追々、といった感じだろう。
一気に全部を詰め込もうとして詰め込める人間なんてこの世に存在しない。誰だって少しずつ成長していくのだ。
「明日から本格的に山に入るぞ! 今日はボアの肉で鋭気を養っておけ!」
「はい!」
さて、今夜肉をたっぷり頂いたら明日からいよいよ山攻めだ。
俺もしっかり飯を入れておこう。沢山食べないと沢山動けないのは自明の理。今はそうではないけれど、食事が喉を通らない状況であってもがっつり食えるやつが最終的には生き残る。
折角だ。道場の練習とも、騎士団庁舎での鍛錬とも違う雰囲気を俺も存分に味わい、自身の糧としていくとしよう。




