第244話 片田舎のおっさん、噴き出す
「そんじゃまあ、久しぶりの再会を祝して乾杯」
「乾杯」
北方都市ヒューゲンバイトに到着し、ケーニヒスとまさかの再会を果たしてから、しばらく時間を進めた後。
彼の案内で町酒場へと繰り出し、頼んでいたエールを互いに手に持ち、ジョッキをゴツンとぶつけ合ったのが今である。
「ふぅーーーッ! やっぱ仕事上がりの一発目はこれに限る」
「そこは同感だね」
ゴッゴッと派手な音を鳴らしながらケニーはエールを喉に叩き込む。俺も彼ほどとは言わずとも、それなりの勢いをつけてエールを流し込んだ。
やっぱり落ち着いた飯時の一発目はこいつに限る。そりゃあ高級なワインだとか蒸留酒だとかに比べればお上品さには些か欠けるだろうが、この黄金色の麦酒にはそれらにはない魅力があるのだ。大体の酒飲みはそう感じていると思いたい。いや別にワインや蒸留酒を否定するわけじゃないけどね。
「ここは酒も美味いが飯も美味い。ヒューゲンバイトの海産物は絶品だぜ」
「おお、そいつは楽しみだ」
口泡を拭いながら、ケニーが嬉しい情報を伝えてくれる。
いいね、海鮮料理はヒューゲンバイトへ来る上で一つの小目標にしていたものである。この地で活動するケニーの太鼓判があれば間違いはあるまい。
旧友と美味い酒を楽しみ、美味い飯を突き、語らう。今まで生きてきた人生の中では意外と果たされていないことだ。あの片田舎だと旧友と呼べる人間もそう多くなかったし、俺は最近までずっと村から出ていなかったから。
「……で、ケニーはどうしてここに居るんだ?」
「んー……別にそう大層な話があるわけでもないんだが」
互いの喉を酒で潤し、最初に出てきた疑問がやはりこれである。
勿論最初に会った時や、この酒場まで来る道中で聞くことも出来た。けれど、なんだかこういうのは腰を落ち着けて聞いておきたい気がしたのだ。
本人はそう大層な話でもない、と前置きを作っているが、そんなものなんとでも言えるからな。
俺だって今やレベリオ騎士団の特別指南役に就いているという驚きの結果だけれど、そこについて何か広大な物語があるとか紆余曲折があったとかでもないし。
ただアリューシアに突如として外堀を埋められて連れ去られたというだけである。それが大層な話だよと言われたら、ちょっと否定は難しいかもしれないが。
「とりあえずでっかくなりたいってのはちっせえ頃から言ってただろ」
「言ってたね」
でっかく、というのは勿論物理的な話ではない。歴史に名を遺すような大物になってやるという意味である。
大体の子供はこういう類の夢を抱くんじゃないだろうか。俺は将来ビッグな男になってやるぜ、みたいなやつ。俺も持ってたしね。
「真っ先に思いつくのはやっぱり剣だったが、お前以外は碌に剣も振るわねえしよ」
「道場に来ればよかったじゃないか」
「いやなんつーか、人の剣で成り上がるのは当時の俺の流儀からしたらナシだったんだよ」
「め、面倒くさ……」
幼少時、確かにこいつも剣を習えばいいのにとは思っていた。村の友達と習う方が純粋に楽しいだろうという、まあ子供らしい考え方だ。
けれど、こいつはそれを良しとしなかったらしい。俺も表立って誘うことをしなかったから理由までは知らなかった。どうせ一緒にやりたくなったら勝手に来るだろう、くらいに捉えていたからな。
だがこいつはそれでも強かった。振る剣こそ思いっきり我流なれど、なんというかセンスがあった。
そんなところでそんな剣筋を見出すのかよという戦い方。相手の不意を突くのが極めて巧いタイプである。俺は当時から目だけは良かったから、何かをやってくる起こりこそ見えていたが、それに対応する技術と経験がなかった故にまあまあ負けた。
今思うと、彼の独特な発想を剣術の一流派に無理やり当て嵌めていたら、確かにケニーの良さは消えていたのかもしれない。あくまで結果論ではあるけれど。
「そんでまあ、村を飛び出して……最初は傭兵の真似事をやってたな。本業の連中に無理やり頼み込んで引っ付いたりもした」
「へえ……」
なんか流れで頷いちゃったけど普通に迷惑なことやっとるわ。
ケニーが村を飛び出したのは十代前半から半ばくらいだった気がするから、まあ本職の方々からすればガキンチョもいいところだろう。それが無理やり引っ付いてくるんだから、迷惑以外の何物でもない。よく死ななかったなこいつ。
「それが今やレベリオの騎士、ねえ」
「自分の食い扶持くらいは稼げるようになってからかな……もうちょい上を目指せるんじゃね? って思ったわけだ。傭兵で成り上がるっつーのも難しい話だしよ」
「それはまあ確かに」
名うての傭兵というものは探せば居るだろう。だが探さないと見つからない。それくらい傭兵全体の知名度というものは高くないのだ。
ヴェルデアピス傭兵団も練度は相当だったが、俺はおろかアリューシアも知らなかったからな。どうしても騎士や冒険者に比べると、その知名度は限定的になりがちである。
で、そんな「知る人ぞ知る」くらいでケニーは満足しなかった、ということだろう。一旗揚げるならレベリオの騎士になるのが一般的な早道であることには違いない。なれるかどうかはまた別として。
「それでレベリオの試験を受けたんだが、二回落ちた」
「あら」
試験は年に一回らしいから、ケニーはそこで二年間は足踏みしていたことになる。堪え性のないこいつがよく我慢出来たものだ。
逆に言えば、そこで足踏みしても将来はお釣りがくると考えられるくらいには、レベリオの騎士の肩書は安くない。
「冒険者になるのは考えなかったのかい」
「いや考えはしたけどよ。傭兵から冒険者ってのはあんまり新鮮味がないっつーか……それなら傭兵のままでいいや、とも思っててな」
「ふむ」
一応分からなくはない。多少生活の保障に違いがあるとはいえ、やることの新鮮味でいえばあまり変わらないだろうしな。それなら今まで曲がりなりにもやりくり出来ていた傭兵でいいや、と考えるのはある種自然なことだろう。
「それに、冒険者はなろうと思えばなれるじゃねーか。だが騎士はそうはいかねえ。ここで落とされるくらいなら俺に先はねえなって発起する切っ掛けにもなった」
「なるほどねえ」
レベリオ騎士団の受験資格では出自を問わない。誰だろうと受けるだけは出来る。だがその倍率は恐ろしく高く、難易度も最高峰。
入団試験で篩い落とされるのなら、今の自分には足りないものがある。そう考えて食らいつけるのもケニーの性格ならあり得るか。
ビッグになると言い残して村から出て行ったように、こいつにはやると決めたらやる心の強さがある。二年間の雌伏の時を経て、ケーニヒス・フォルセの人生は無事レベリオの騎士として花開いたわけだ。
なーにが大層な話でもないだ。俺なんかよりよっぽど大層な人生を送っているじゃないか。
「で、あとはまあ時にしくじり時に出世して今に至る……って感じだな」
「ここに来たのは何年くらい前だい?」
「五年は経つかな。良いところだぜ、潮風は時々キツいが」
「ははは」
五年前というとどうだろう。アリューシアが騎士団長になっているかどうかは大分怪しいタイミングである。
そう考えると元々アリューシアはケニーの後輩でもあるんだよな。そんな女性が超速度で出世していく様を見ている時の心境は如何ほどか。間違っても心穏やかではなかろう。
そんな心境をおくびにも出さず、しっかり上司と部下をやっているのは立派に思う。俺も頑張ろうとは思うが、中々にその割り切りは難しい。
「っと。すんませーん、エールおかわりで!」
「あ、俺の分も頼むよ」
「エール二つねー!」
話し込んでいると、最初の駆けつけ一杯なんてすぐに尽きてしまうもの。ほぼ同じタイミングでジョッキを空けた俺たちはすかさず二杯目を頼む。
エールを流し込むのもいいが、そろそろ飯も食べておきたい。最初に頼んでいるからもうやってくる頃だとは思うけれど。
しかし仮にもこの都市における指揮官が酒場にやってきているというのに、周囲は驚くほど普通である。つまりここの住民にとってこれは慣れ親しんだ風景ということ。
バルトレーンでもそうだったんだけど、治安維持の一環で騎士たちは結構酒場に繰り出すらしいから、ここでもその伝統が紡がれているということだろう。
個人的には良い試みだと思う。市井との交流も図れるし何かあればすぐに気付ける。都会は何かと乱痴気騒ぎが多いが、その発生源としてはやっぱり酒場が特に多いからね。
「こちらエールと海鮮シチュー、白身魚の炙り焼きになります!」
「お、きたきた」
ジョッキを空けてからしばらく。エールのおかわりと、待望の海鮮料理がやってきた。
白身魚の炙り焼きはまあ分かりやすく魚を焼いたもの。シチューはぱっと見そこまで違和感は持たないが、言い方からして肉の代わりに魚介類が入っているということかな。お味が楽しみである。
「とりあえず食おうぜ」
「そうしよう。いただきます」
ある程度味の予想がつく炙り焼きの前に、海鮮シチューを先に頂くことにしよう。
とろみのある液体をスプーンで掬い、ついでに細切れにされた具材も乗せておく。海鮮の何かだとは思うが、見ただけじゃ正体が分からない。それがまた興味をそそるね。
「……ん、美味いね」
「だろ?」
口に運ぶと、まずやってくるのはスパイシーな香辛料の香り。その後に肉とは違う、しかし確かな旨味が口腔内を支配する。
美味いは美味いんだが、なんというか感想を言いづらい。いや微妙だとかいう話ではなくてね。今まで食べたことのない味わいなもので、この旨味を具体的に表現するのが難しい。
とにかくバカ美味いということだけは俺の舌と脳が理解している。何と言えばいいのか、肉とは違った柔らかい当たり方の旨味で、それでいて薄くない。
ガツン、という言い方は違うな。まったり……うぅん? これもなんか違う。まあいいや。とにかく美味い。するするといくらでも食べられそうな味わいであった。
「いや、ホント美味しいな」
「ビデン村じゃあまず食えねえ料理だからな。バルトレーンでも珍しいんじゃねえか」
「そうだね、中々出会えない味だよ」
以前ルーシーに連れて行ってもらった高級店ならこういう料理も出すのかもしれない。ただあの時に食ったのは結局肉だったから、俺も経験があるわけではない。スレナに案内してもらった時も味わったのはフリッターとムニエルだった。
単純に焼いただけでも十分に美味いが、こういう煮込みでも力を発揮するのは魚介類の凄いところ。これだけのためにヒューゲンバイトに住んでもいいんじゃないかと一瞬思ってしまうくらいには美味しい。いや引っ越しはしないけどね。
「くぅーーっ、エールが合うねえこれは」
「ははは! 俺の仕事上がりの楽しみの一つだからな。気に入ってもらえて嬉しいぜ」
そしてまたたっぷり煮込まれた深い味わいがエールに合うんだこれが。たまらんね。
「……で、お前はなんでまた特別指南役なんてものになってんだ?」
「アリューシアに請われて、かな。国王御璽を持ち出されたら断ることも出来ないし……」
「あの騎士団長直々にってのもすげえしグラディオ陛下の御璽が出てきたのもすげえし、何よりお前が騎士団長の師匠っていうのが信じられんわ……」
「俺もそう思う」
ケニーの話を一通り聞いたところで、会話のターンが変わる。
まあ気になるでしょうよ。俺がレベリオ騎士団の特別指南役に収まっているなんて想像すら付かなかっただろう。俺だって付かなかった。
けれど言った以上のことはないんだよな本当に。本当に突然現れて呼び出された形だからな。
「あの子の強引さにびっくりはしたけどね」
「騎士団長のことをあの子って呼べるのは多分、お前の他には両親くらいしか居ないんじゃねえかな……」
「ははは」
ケニーは結構動揺している様子だが、事実だからね。立派な姿にはなったけれど、やはり俺の目から見ると彼女はあの子なのだ。
こればかりは立場が変わろうと、年代を重ねようと変わらない気がする。無論呼び方一つとっても時と場合を考慮せねばならないが、心持ちはきっと変わらないんだろう。
「――で、抱いたのか?」
「ぼっふっ!?」
続いて放たれたケニーの言葉に、俺は口につけたエールを盛大に噴き出した。




