第240話 片田舎のおっさん、三度遠征に出る
「よし、行ってきます」
「ん、いってらっしゃい」
ミュイに見送られて、随分と慣れ親しんだ居場所となった我が家を発つ。
なんだかんだでバルトレーンに来てから一年が過ぎたところだ。この家をルーシーから貰ったのは夏前の出来事だから、もうすっかり馴染んだと言える。それは俺のみならず、ともに暮らすミュイもそう。
ビデン村の実家に居る時はそんなことを考えることもなかったんだが、曲がりなりにも自分の家を持つというのは、愛着ややる気が湧いてきていいなと思う。この家とこの家に住む人を守らねばと、気持ちを新たにしてくれるからね。
新人騎士たちを出迎え、アリューシアから北方都市への遠征計画を聞かされてから、おおよそ一か月。今日はその出立の日である。
流石に遠征自体がこれで三度目なものだから、俺もいい加減慣れてきた。それはミュイも同様で、また長期間家を空けることを伝えるも、特段何事もなく日々は進んでいった。
ちなみに今回もミュイは我が家でお留守番のパターンである。前回と違って季節的にも暖かく過ごしやすい。また彼女自身が二度目の独り暮らしということで慣れもある。俺としても、ミュイを家に置いておくことに然程心配をしなくなった。
まあ万が一の保険はかけてあるけどね。今回も、恐らく騎士団の事情も知っているであろうルーシーと、魔術師学院のキネラさんにはご挨拶をしてある。
彼女たちの出番がないことが一番ではあるけれど、だからと言って何も言わずに出ていくのはちょっと違うからな。これもまた過保護と言われたら、それはもう甘んじて誹りを受ける覚悟である。ルーシーからはしっかりと言われました。
その辺りの感覚をしっかり今に合わせねばとは思うのだが、田舎で長いこと醸成されてきた価値観や考え方は、まあなかなか頑固にこびり付いている。最近はそれも幾分かマシになってきたかなと感じはするけれど。
「流石にちょっと暑いな……」
まだ朝方とはいえ、ほんのりと暖かい空気が都市を包む。その中で外套を着て歩いているんだから、正直ちょっと蒸し暑い。我慢出来ないほどじゃないけどさ。
そんなに暑いなら脱げばいいじゃんと思う。実際思った。けれど、この厚手の外套が手荷物になってしまうのが嫌だったので結局着たままだ。いよいよ辛抱たまらんとなればその時に脱げばいいやと考えている。
遠征についてはアリューシアから追って詳細の説明があったが、まあ最初に聞いた内容とそう変わりはなかった。新人たちの行軍演習と、あとついでにちょっとした実戦。
広大なアフラタ山脈ではあるが、北の端っこであればそう脅威になる存在も居ないらしく、また別に山の奥深くに足を踏み入れるわけでもなく。恐らく中型のモンスターがそこそこ生息しているはずなので、それをチームを組んで狩っていく予定らしい。
この世界では、剣士をはじめ戦う術を持つ者が相対する相手は人間に限らない。というか大体の場合は人間以外を相手にすることの方が多い。騎士団にしても魔法師団にしても冒険者にしても傭兵にしてもぜーんぶ同じだ。
そりゃあ悪い人間が襲ってくる可能性も勿論あるけれど、全体的な割合で見れば獰猛な野生生物や魔物を相手にすることの方がずっと多い。ビデン村のような片田舎では尚更だった。
これが首都バルトレーンに籠りっぱなしということであれば、人以外はほとんど相手にすることはないだろう。
ただそうなってしまうと、別にレベリオ騎士団でなくても王国守備隊があれば事足りる。わざわざ組織を分けてまで、腕自慢を国中から集めるのには相応の理由があるということだな。
今回の遠征では新人騎士十一名と、そこに引率役の騎士五名が付く。それに加えて総大将としてアリューシア、あとついでに俺が引っ付いていく形である。
この遠征、聞けば聞くほど別にアリューシアがわざわざ出向かなくてもよくない? という規模なんだが、一応北方駐屯所との顔合わせがあるため、幹部クラスが引率するのが団の通例なんだそうだ。ちなみに前回はヘンブリッツ君が行ったらしい。
武に重きを置く前提とはいえ、やっぱり組織となると色々としがらみや調整が発生する。剣を振り回すだけで騎士を名乗れるなら苦労はしないわけだ。
騎士団長という職務にのしかかる重圧に比べれば非常にちっぽけなものだが、俺は俺で呑気に田舎で剣だけ振ってりゃいい人生ではなくなってしまった。無論、良い意味を多分に含む。
こういう重圧、プレッシャーを心地いいだとか上等だとか、前向きに捉えられるようになるにはまだ時間がかかりそうだけどね。ヘンブリッツ君なんかはその辺りが非常に巧い気がする。そういう点も見習いたいところだ。
「やあベリルさん。おはようございます」
「おはようございます」
春先の早朝。心地いい風に包まれながら歩みを進めていると、あっという間に騎士団庁舎前。いつものように守衛さんと挨拶を交わして奥へと入っていく。
俺の家から騎士団庁舎まではそう距離があるわけでもないが、すぐお隣さんというほど近くもない。ただまあこの道も都合一年近く歩み続けているわけで、そうなってくると流石に慣れる。肉体への負荷という観点で見れば、まったくないくらい。
まあそこに関しては普段の鍛錬で補えているからいいとして。いずれこの道を歩くことすら困難になるほど年を取るのだなと考えてしまう。
こればっかりはたとえどんな天才であろうと逃れられない。老いは必ずやってくる。おやじ殿だってその流れには逆らえなかった。
いや、ルーシーだけは例外か。あいつ本当に世の理に対して真っ向から反発しているから、深く考えるとドツボに嵌る。あれはもう天才を飛び越えた、人類史における特異点くらいに考えておいた方がいいのかもしれない。
「先生、おはようございます」
「おはようアリューシア。早いね」
庁舎前を抜けて中庭に入ったところで、アリューシアと遭遇。相変わらず登場が早い。
俺も時間には遅れないよう基本的には割と早めに家を出るけれど、それには前日の夜にちゃんと休めている前提がある。
アリューシアが具体的にどういう生活リズムを刻んでいるのかは知らないが、それでも俺と同じ時間に顔色一つ変えずに現れるのは凄いとしか言いようがない。そりゃ体調を崩さないよう、こちらとしても思わず心配してしまうものである。
概ね午前中に指導を切り上げる俺よりは確実に忙しいだろう。それでも少なくとも、俺がバルトレーンにやってきてから彼女が体調不良を起こしているところを見たことがない。
先ほどルーシーを人類史における特異点と評したが、彼女もその二歩手前くらいまでは来ている気がするよ。今は大丈夫であっても、どうか早世だけはしないでほしいと願うばかりである。それはこの国にとっての大いなる損失である以上に、俺が悲しい。
「ベリル特別指南役殿! おはようございます!!」
「うおっ!? あっ、うん。おはよう……?」
騎士団長であるアリューシアが既に到着しているのに、新人たちが遅れるわけにはいかない。ということで、既に十一名の新人騎士たちは顔を揃えているのだが。
そのうちの一人。まだまだピカピカのアーマーを着込んだ一人が、物凄い勢いで挨拶の言葉を投げかけてきていた。
アデルである。お前そんな丁寧な性格じゃないだろ。いったい何があったんだ。
「元気なのは相変わらずだけど……どうしたの?」
「はっ!! ヘンブリッツ副団長殿にご指導を賜りました!!」
「ああー……」
たまらず聞いてみると、これまた威勢よく言葉が返ってきた。
なるほどね、ヘンブリッツ君からの指導……というか教育かなこれは。多分、上下関係を叩きこまれでもしたか。
彼はそういう規律やら上下関係やらに特に厳しい。その上で不合理だと感じたら、相手を立てた上できっちり反抗する気概も持ち合わせているナイスガイだ。
ビデン村の道場で初めて二人が出会った時。めちゃくちゃ悪い言い方をすれば、アデルはヘンブリッツ君に舐めた態度を取っていた。あの時は場所と彼女の所属がうちの道場であったこと、ヘンブリッツ君が俺の顔を立ててくれたことで大事には至らなかったが、状況が変わればそうも言っていられない。
今のアデルは、ヘンブリッツ君の視点だと部下の一人だ。それも新人の、右も左も分からぬひよっこ。
仮に。もし仮にだ。新たなレベリオの騎士としてやってきたアデルが、ヘンブリッツ君のことを呼び捨てにでもしていれば。
それはもう、即座に教育的指導の発動待ったなしである。死ぬほどボコボコにされても文句ひとつ言えないだろう。だって相手は所属する組織の上司であり、更にはナンバーツーなんだから。
しかも、その場面がアデルの場合は想像出来てしまうのが一層つらいところ。あの鼻っ柱の強いアデルがこの短期間にここまで矯正されたとなれば、相当な教育的指導が発動したに違いない。
ご愁傷様とは思うが、まあ組織で生き抜くためには必要な措置でもあるのだろう。何より、ヘンブリッツ君がただの私情でそんなことをするはずがないという信用がまず第一にある。
騎士の不作法は全体の不信に繋がりかねないからね。そこは俺も方向性こそ違えど、意識している点でもある。俺の立ち居振る舞いでレベリオ騎士団の評価が下がるのは御免だ。
「そこまで畏まらなくても大丈夫だよ。外の目がある時は最低限気を付けるに越したことはないけどね」
「分かりました!!」
本当に分かってんのかなこの子。ちょっと不安になってきた。
ただこれは、一時的に針が振り切れているだけだろうとも思う。ある程度環境に慣れてくれば良い具合に落ち着くはず。
落ち着かなければそれはヘンブリッツ君が行き過ぎていたということにもなり得るんだが、もしそれ程の重症であれば、彼にちょっと伝えた方がいいかもしれない。彼女も可愛い教え子の一人であることには違いないからね。
「準備の方はどうかな」
「万事滞りなく。皆優秀ですから」
「それは何より」
わざわざ俺が確認するまでもないだろうけれど、一応聞いておく。なんというか、場の空気的にね。
さて。俺自身の遠征はこれで三回目になるが、バルトレーンより北に向かうのは初めてである。フルームヴェルク領もスフェンドヤードバニアも南だし、何ならポルタたち冒険者に付き添って向かったアザラミアの森も南だった。
別に領土の北に向かったって気候は大して変わらんだろうが、その土地でしか味わえない空気というものは大変に興味がある。あと地酒と地料理。フルームヴェルク領も料理が美味かったからな。北方都市ヒューゲンバイトにもその類の期待はある。
なんてったって海の方角だ。前回ディルマハカに向かった影響で、海鮮に対する期待がかなり大きい。まさかレベリオ騎士団の遠征に引っ付いてろくな食事も出てこない、なんてことはないだろうから、弥が上にも期待せざるを得ないといったところ。
勿論、遠征の本領はそこじゃないから履き違えはしないけどね。ただ、個人的な胸中で興味を抱くくらいはしてもかまわないだろう。
「団長。時間です」
今回の遠征に帯同する教導役の騎士五名。そのうちの一人が、出立の時間が迫ったことを告げる。
「分かりました。――では総員、移動開始!」
「はっ!」
それを受け、彼女は即座に出立の号令を切った。
新人諸君にとっては緊張の旅が始まることだろう。俺も最低限の緊張感は失わないようにしたいが、せっかく遠出をするのだから、何かしら収穫を得たいという感情も無下には出来ない。
色々な意味で良い旅になればいいな。そんな呑気な感情を抱きつつ、レベリオ騎士団の北方遠征演習は幕を挙げた。




