第229話 片田舎のおっさん、間に合う
「先生、本日はありがとうございました」
「いやいや、俺はただの付き添いみたいなものだから」
無事アリューシアの新たな相棒が決まり、支払いの約束もした後。俺たちはバルデル鍛冶屋から騎士団庁舎の方へと足を運んでいた。
俺はもう今日の鍛錬は終わっているし家に帰るだけなんだが、アリューシアはそうもいかない。今日だって無理くり時間を捻出しただけであって、彼女じゃないと進められない仕事はまだ山のように残っているだろう。
いったいいつ休憩していつ寝ているんだと疑問に思うのもこれで何度目か。何度か直接聞いたこともあるけれど、休みはきちんととっています以外の返答を聞いたことがない。そして実際、目に見えて彼女のコンディションが悪い日もないから、まあ結局は上手いことやっているんだろうという感想に落ち着く。
「しかし、間に合ってよかったです」
「間に合う? 何に?」
そんな気持ちも抱きながら庁舎への道を歩いていると、アリューシアがふとした拍子に言葉を零す。
間に合う。間に合うとは。これがちょっと前ならサラキア王女の輿入れに間に合ったという解釈も出来るのだが、はて直近で何か予定でもあるのかな。
この辺り、俺は騎士団の運営に噛んでいるわけではないから詳しいスケジュールが分からない。
何か大きなイベントだったりあるいは、アリューシアやヘンブリッツ君といった上層部が離れることになるなら事情の説明は受けるのだが、現時点では特に何もなかったように思う。
「春には騎士団の入団試験がありますので」
「ああ、なるほど」
何の予定があるのかと思えば、どうもレベリオ騎士団の入団試験があるらしい。
俺が特別指南役として招聘されたのは春先のことだから、昨年の入団試験を俺は知らない。そういえば、クルニがうちの道場を離れたのも春先だったなあと微かな記憶が想起される。
となると俺が指南役となったタイミングでいえば、新人の騎士も多く居たというわけか。
確かに、栄えあるレベリオ騎士団にやっとこさ入団出来たと思ったら、剣を教えてくれる相手が得体も知れないオジサンだった、というのは普通なら困惑する。
それらの疑念や疑問を払拭出来たのは、やはりヘンブリッツ君と立ち合ったことが大きかったのだろう。今考えても結果論にしかならないけれど、それでも快く受け入れてくれた土台が整ったのはあの模擬戦が大きいと思う。
「流石に新たな騎士を迎えるにあたって、腰が寂しい事態は避けたかったので……」
「それは確かにそうだ。沽券にもかかわるからね」
各々がどんな想いを持ってレベリオ騎士団の扉を叩くのかは知らない。知らないが、やはりクルニがそうであったように、憧れをもって挑む者も数多く居るだろう。
そのトップであるアリューシアが、皆の前に出る時に剣を持っていないというのは確かに締まりが悪い。聞かされて俺も改めて思うが間に合ってよかったよ、本当に。
「そういえば、騎士団の試験ってどういうことをやるの?」
閑話休題。先ほどの話題から聞いてみたいのはやはり、騎士団試験の内容であった。
別に俺が受けることはないんだけれど、国一番の騎士たちがどのような試験を経て選ばれているのかはちょっと気になるところ。簡単ではないことくらいは容易に想像が付くにしても、腕っぷしだけで合格させるわけにはいかないだろうし、その辺りの塩梅はかなり難しいと思う。
「最初に筆記試験。その後に候補生同士の模擬戦、それに適えば教官役との模擬戦。最後に面接を経て最終的な合否が決まります」
「四段階もあるんだね……。あ、これ聞いてよかったやつかな」
「構いませんよ。試験の工程自体は公開しておりますので」
「そうか、よかった」
試験内容自体が秘匿情報だったらどうしようかとも思ったが、別にそんなことはないらしくて安心。
しかし、筆記実技実技面接の四段階と来たか。これを全部突破するのは相当に難しそうである。特に気になるのは実技が二連発であるところだろう。筆記試験である程度篩にかけるとはいえ、やはり腕っぷしが重要な項目であることは間違いなさそうであった。
「実技が二回あるのはどうして?」
「技量をより正確に測るためです。候補生同士の模擬戦のみですと、一見優秀に見えた者が実は全体のレベルが低かった故……などという事例も過去にありましたから」
「なるほどね……」
その理由を問うてみれば、俺からすれば至極真っ当な答えが返ってきた。
騎士団に求められるのはとにかく絶対的な強さである。村一番の剣士が自信満々で都会に出てきたら、あっという間に有象無象に紛れ込んでしまう、なんてことはよくある話。要はその村全体の技量がそもそも低くて、上澄みが集まる場所ではてんで敵わないということだ。
今まで歩んできた人生でどれだけ自信を付けようが、レベリオ騎士団に求められる水準に達していなければ容赦なく切る。その気概が見て取れる試験構成であった。
クルニよく受かったなマジで。あの子も素質は十二分にあったし実際に今は立派なレベリオの騎士なわけだが、うちの道場で学んでいる時ははっきり言って発展途上の段階だった。サーベルボアの討伐にも連れて行ってなかったしね。
面接で彼女の性格や志を評価された、という見方も出来るが、そもそも面接まで進むには実技二連発をクリアしなければならない。恐らく純粋な技量よりも、彼女の持つ体力や根性が目に留まったと見るべきかな。
技術、あと体力。この辺りは後付けである程度なんとかなる。無論天性の肉体強度というものは存在するから、全員が全員どうにかなるわけではないが。
けれどそれ以上に難しいのが性根や性格の部分だ。俺も剣を教えてそれなりに長いが、この辺りの矯正というか修正というか、その辺りは大変に難しい。ただ厳しい訓練を課しただけではどうにもならないのが精神的な部分である。
その意味でいえば、クルニの性格や持ち前の根性というものは騎士として満点に近い。そこがしっかり見出されて合格しているというのは、嬉しい気持ちが湧いてくるね。
「分かってはいたつもりだけど、レベリオの騎士になるってのは大変だね」
「ええ、狭き門であることは確かです」
そんなレベリオの騎士団長になっているアリューシアはもっと凄いことになるんだが、この子自覚あるのかな。ただでさえ狭き門を潜り抜けた上にその頂点に立っているわけだからな。俺には真似出来ないし、真似しようとも思えない。やっぱり傑物だよこの子。
「では先生、私はこの辺りで。今日中に終わらせておきたいものがいくつかありまして」
「ああ。何度目になるのか分からないけれど、無理はしないようにね」
「はい、心得ております」
そうして雑談しながら歩を進めていると、あっという間に騎士団庁舎の目の前だ。
ここでアリューシアは庁舎の方へ、俺は自宅の方へと足の向き先が変わる。冬は日が短いが、まだギリギリ明るさは確保されている時間帯。足早に家に帰れば日没前には家に帰れるかな、といった感じ。
バルトレーンは昼夜問わず賑やかとはいえ、夜にわざわざ出歩くことは少ない。以前は酒場にちょくちょく顔を出していたんだが、ミュイと一緒に暮らすようになってからはその頻度も減った。時々恋しくなるからまったくなくなったわけではないけれど。
いくつになっても、どれだけ環境が変わっても、やはり一人の時間というものは最低限必要だ。じゃないと精神が物凄い勢いで疲弊していってしまう。
アリューシアはその時間もちゃんと確保出来ているのかな。家に帰ってベッドに寝転がれば肉体的な疲労は取れるものの、心を休める時間はまた別で設けなきゃいけない。
今は若いからいいんだろうけれど、これが年を取ってくるとまたきつくなってくるからな。その辺りもしっかり考慮していることを願いたいところ。
「では先生、お気をつけて」
「ありがとう。またね」
騎士団庁舎前でアリューシアと別れ、我が家へと向かう。
道すがら頭を過るのは、今日の晩御飯をどうしようかなという、なんとも家庭的な問題。
普段は鍛錬の時間も家に帰る時間も大体同じだからいいんだけれど、アリューシアの剣の問題に本格的に取り掛かってから、その時間軸はちょっとずれてきている。
というのも、彼女の隙間時間がいつどこで確保出来るか分からんからである。日々大小さまざまな問題や仕事が降りかかってくる騎士団では、そういう細かい時間の調整が難しい。突発的なものも多分に含まれるだろうし。
なのでバルデルのところにお邪魔する時は、「今日は時間が取れそう」みたいな感じでまあまあ突発な感じで決まる。
そういうもんだから、俺もミュイに「今日は遅くなりそう」といった予定が伝えにくい。アリューシアの仕事の機嫌次第で変わるという、なかなか難しい形になっている。
そういう意味では、今日の帰宅が遅くなっているのも想定外と言える。ミュイもそれで文句を垂れる年齢でもないから、大きな問題として表面化してしまう前に決着がついたのはいいことだ。
とはいえ、俺の帰宅が遅くなるとミュイはいつまでも飯にありつけず、彼女が自分で作ることになってしまう。学院の授業がある時は俺が作るという家庭内ルールになっているだけに、それを個人の都合で反故にしてしまうのはあまりよくない。
「よっほっ」
というわけで、アリューシアと別れてからはやや小走りで家路を急ぐ。日中も寒いが日が傾くともっと寒い。身体を温めるのも兼ねてちょっとした運動だ。
歩く、走る、跳ぶといった人間の基本的動作はどれだけやってもいい。無論身体をぶっ壊すまで続けるのは論外だけれど、動かないと鈍化一直線だからな。
この年になってくると、肉体の現状維持すら難しい。それを考えるとおやじ殿は本当によく持たせていると思う。あの年になってあそこまで鋭い剣を振れる自信は、今のところはちょっと湧かなかった。
「ふぅ」
改めておやじ殿の凄さなどを考えていたら、あっという間に我が家前。適度な雑念を残しながら単純作業を行うと時間の進みが早くていいな。戦っている時には決して味わえない感覚である。味わってたら死んじゃう。
「ただいまー」
道中急いだおかげもあって、まだ日は完全に沈み切っていない。すぐに飯の用意にかかれば、それほど遅い時間にはならないはず。
「おかえり」
「先生、戻られましたか」
「……うん?」
扉を開けて帰宅の一声を飛ばしたところ。ミュイの他にもう一人の声が聞こえた。
ルーシーではない。彼女は俺のことを先生と呼ばない。フィッセルやクルニならこのような言葉遣いはしない。アリューシアとは先ほど騎士団庁舎前で別れたばかり。ランドリドやウォーレンなどでもない。声は女性のものだった。
「スレナ?」
「はい、お邪魔しております」
果たして俺を出迎えてくれたのは、どこか所在無げに椅子に座っているミュイと。
普段よりも厚手のジャケットをしっかりと着込んだ、ブラックランク冒険者であった。




