第227話 片田舎のおっさん、感嘆する
バルデルにルーシーから譲ってもらったロノ・アンブロシアの核を預けてから、およそ二週間が経った。
その間は普段通り、騎士団の鍛錬に赴いたり魔術師学院の剣魔法科の講義を覗いてみたり。家に帰ればミュイと食卓を囲んで寝る、といった日常を過ごしている。
アリューシアの剣を拵えるために俺が出来ることは現時点では特にないからな。そりゃワクワクやドキドキのような感情はあるが、だからと言ってそれで仕事や家事が手に付きませんでは話にならない。
心の持ちようと毎日の過ごし方は連動しているに越したことはないけれど、心に引っ張られ過ぎてもよくない。それを改めて体感した二週間でもあった。
「楽しみですね」
「ああ。以前聞いた話だと上手くいくっぽかったけど……」
そして俺は今、午前の鍛錬を終えてアリューシアとともにバルデル鍛冶屋へと歩を進めている。
あの日、バルデルに核を渡した三日後。当初の約束通りバルデルのもとへ顔を出した俺を迎えてくれたのは、疲労困憊であり、かつギラギラと闘志を燃やした目をした鍛冶師だった。
最初は目の隈もあってびっくりしたんだが、体調はすこぶる良いらしい。それテンションがぶち上がった際の一時的なやつじゃないの、なんて思ったりもしたが、まあ彼も鍛冶師としてはしっかりやっているはずだ。その辺の管理は俺なんかが口を出すことでもないだろう。
「すみません、なかなか時間が取れず……」
「いや、仕方がないよ。アリューシアは忙しいんだから」
道すがら、アリューシアが申し訳ないといった様相で零す。
結局ロノ・アンブロシアの核がどうやら使えるらしいと判断されてから今まで、二週間近く期間が開いてしまったのには理由がある。単純にアリューシアが忙しかったからだ。
普通に考えて、彼女をほいほいと日常的に連れ出すわけにはいかない。指南役としての働きこそ今はほとんど俺が担っているが、そうでなくとも騎士団長としての務めがある。その忙しさは、午前中に鍛錬を切り上げてのんびりしている俺とは比ぶべくもない。
日によっては一日中みっちり予定が詰まっている、なんてのはザラで、彼女を連れ出して気軽に鍛冶屋で物色とはいかないのだ。前回も彼女のスケジュールの合間を縫って、そして彼女の希望もあってどうにか時間を捻出したという感じである。
俺の感覚でいうと、二週間でも大分短い方。それだけアリューシアが頑張ってミチミチのスケジュールをどうにかしたということ。改めて彼女の辣腕ぶりに感服するばかりである。
これで俺が来る前は指南役としての務めも並行していたというのだから、その多忙さは何をか言わんや。普通の人間ならぶっ倒れてもなんら不思議ではない。
更に今は、スフェンドヤードバニア絡みでも色々と物と人が動いている。あるいは動こうとしている。
アリューシアは立場上、政治や国交の舞台にがっつりかかわるわけではないにしろ、それでも騎士団長の椅子は軽くない。やらねばならぬことも考えねばならぬことも山積みだろう。
「まあ前回会った時の感触なら、剣は完成していると思うよ。今はそれを楽しみにしよう」
「――はい。ありがとうございます」
そう言うと彼女は端正な相好を僅かに崩し、微笑みを浮かべた。
……うん。やっぱり綺麗だ。文句なしの美人である。街行く男性が彼女を見かければ、十人中八人くらいは振り向くんじゃないだろうか。
とはいえ、今それ以上の感情は特にない。綺麗だし美人だとも思うが、それだけだ。ただ純粋にアリューシアの美貌は凄いなと思いはすれども、それに付随して劣情の類はほとんど湧かない。いや全く湧かないわけではないのだが。
彼女は大切な教え子である。まずその前提が覆らないため、その先に感情が向かない。
うーん。となると、ウォーレンのところにお邪魔した時に抱いた感情はやはり、彼女が普段あまりしない恰好をしていたから、という線が最もしっくりくるな。子供だと思っていた相手が大人顔負けのプロポーションを突如披露すれば、そりゃあ健全な男ならびっくりするだろう。
そういう意味では俺も健全な男の一人というわけになるんだが、まあそこを否定したってしょうがない。男女の営みがなければ俺もアリューシアも、誰も彼もこの世に生を受けていないのだ。
「……あの、何か……?」
「ん? いや、アリューシアは綺麗だなと思って」
「は、はい……!? あ、ありがとうございます……?」
こういう台詞も普通に言える。いや別に褒め殺そうとかポイントを稼ごうとかそういう話ではなく、純粋な感想を述べただけに過ぎない。
多分、相手がスレナやクルニ、フィッセルたちであっても同様だろうと思う。スレナなんて下手に幼少期を知っているからか、女性として見る方がもはや難しい。
ドギマギ感というか、そういうものがほとんどないんだよな。弟子を褒めるのにいちいち照れてなんていられないというか。シュステやキネラさんを相手に話をする方がよほど緊張するくらいである。シュステ相手に綺麗だよって言う方が物凄く難易度が高いのだ。それはそれでどうなのとは思うけどさ。
「……」
いかん。なんか俺の余計ともとれる一言のせいで微妙に空気が固まってしまった。
流石に俺だって、成熟した女性の容姿を褒めることがどういうことかってくらいは分かっている。分かってはいるが、それを元弟子たちに適用するのが難しい。
こういう態度が良くないんだろうなあ、色々と。分かってはいるものの、矯正出来るかどうかはまた別問題だ。誰もそれをきつく叱ってくれないから難しさに拍車をかけている。
無論、それを他人のせいにするほど俺も落ちぶれちゃいないつもりだが、自意識だけでの改善というものはなんとも骨が折れるね。今まで剣を振り、剣を教えているだけだった生活がここにきて仇になっているとも言うべきか。
「……そ、その」
「うん?」
なんて情けない男の思考に沈んでいたら、アリューシアがややまごつきながら切り出した。
「先生も、私が知っているあの時から……変わらず、す、すす素敵な男性であると」
「ははは、ありがとう。その像を壊さないようにこれからも頑張るよ」
「は、はい……」
言いながら視線を預けると、彼女はきめの細かい白い肌をいくらか上気させ、やや俯き加減に返事を紡いだ。
きっと俺が突然褒めたから、彼女も何か褒めなきゃいけないと考えてしまったのだと思う。その意味では余計な気を遣わせてしまったなと感じる。
こっちとしては、照れるくらいなら言わなきゃいいのに、なんて言葉は吐けないからな。同時にはぐらかすようなこともしない。ありがたく彼女の評価を噛みしめるとしよう。
前者の感情はともかくとして、後者の感情は恐らく、ビデン村に籠っていた頃には湧かなかった気持ちだ。そんなおべっかを使っても何にもならないよ、などと言っていたと思う。
けれど俺は、アリューシアに連れ出されてから変わった。別に剣の腕が飛躍的に伸びたわけでもないが、精神的な気の持ちようは大分様変わりした自覚がある。そして、それを悪い変化だとは思っていない俺も居るわけで。
一言でいえば自信が付いたということなのだろう。
しかし剣士としての自信は多少ついてきたものの、男としての自信は未だ地を這っている状況にある。これもなんとかせにゃならんと思いはするが、まあ難しい。そんなことをアリューシアに愚痴っても仕方がないので、ここで口を開くようなことはしないけれどね。
「よし、着いた」
そんなことを考えつつ、時折アリューシアと取り留めのない雑談を重ねつつ。歩いた先に見えてきたのはバルデル鍛冶屋。バルトレーン中央区の中枢からはやや外れたところにある、小ぢんまりとした鍛冶屋である。
彼の腕ならもっと沢山の武器を作って売り捌いて、なんてことも出来そうなものだが、どうやらそういう手法はあまり好みではないらしい。
まあそんなことを考えているのなら、一人で切り盛りしていない。弟子を取るなり受付の人を雇うなりするはずだ。それをしないということは、自分の店をすべて己のみで仕切りたいという思いがきっとあるのだろう。
彼の性格的にもその方が合っているだろうしね。どちらかと言えば、過剰な金銭や名誉についてあまり頓着していないとも言う。その辺りの性格も個人としては好ましく映る。
「お邪魔するよ」
「おう、先生か。らっしゃい」
俺の下で剣を学んだことがあるという贔屓目を抜きにしても、彼は鍛冶師としても優秀だし一人の人間としても好感が持てる。そうでなければわざわざ名指しで剣を作ってもらおうとは思わない。
そんな優れた鍛冶師が、あの素材を使って如何ほどの剣を仕上げたのか。その興味を胸に抱え込みながら、鍛冶屋の扉を開く。
見る限り、あの時のような隈はなさそうであった。しっかり休息を取れている様子で何より。根を詰めるのも時には大事だけれど、詰めすぎると人間は簡単にぶっ倒れてしまうからな。
「お邪魔します」
「おお、お出でなすったか。剣は出来てるぜ、ちょっと待ってな」
次いでアリューシアが顔を覗かせると、バルデルは用件も聞かずにカウンターの奥へと慌ただしく引っ込んでいった。
そりゃまあ俺とアリューシアがこの鍛冶屋に訪れる用件は現時点では一つしかないわけだが、相変わらず武器のこととなると忙しない男である。そこが信用出来る点でもあるんだけれどね。
「よかった、ちゃんと完成しているみたいだね」
「ええ、俄然楽しみになってきました」
とはいえ、俺もほぼ確実に剣は出来ているだろうと思っていたものの、実際にバルデルから完成したという連絡を受け取ったわけではない。これだけ期間が空いてれば出来とるやろ、くらいの感覚である。その辺りもまあ、彼を信用しているからこそと思っていただきたいところだ。
しかしやはり、剣士が新たな得物を手にする瞬間というのは心が躍るね。クルニがツヴァイヘンダーを手にした時もそうだし、俺自身がゼノ・グレイブル製のロングソードを手にした時もそう。そこに自分だとか他人だとかはあまり関係がないように感じている。
しかも今回は超一流の剣士と言っていいアリューシアの新たな武器だ。これがワクワクせずにいられようか。
俺は剣を新調する原因になってしまったり素材の提供をしたりといっちょ噛みはしているが、剣と剣士という関係だけで述べれば今回は外野である。それでもこういう出会いに立ち会えるのは僥倖に違いない。
「待たせたな!」
これから紡がれる新たな出会いに人知れず感慨に耽っていると、カウンターの奥からバルデルが再び姿を現した。その手には布に包まれた長物が抱えられている。あれがアリューシアの新たな相棒となるのだろう。
「――拝見しても?」
「勿論だ」
一息置いてアリューシアが言葉を紡ぐ。呼応してバルデルは、手に持った包みをカウンターへ置き、丁寧な所作で布を脱がせていく。
「ほう」
「これは……」
程なくして現れたのは、艶のある黒拵えの鞘。
余計な装飾はなく、正に質実剛健を地で行くような造り。まだ剣身を見ていないにもかかわらず、俺とアリューシアの感嘆の声が重なった。




