第223話 片田舎のおっさん、提案する
「さて……」
バルデル鍛冶屋を発ち、しばし移動した後。
目的地は同じ中央区とは言えども、バルトレーン、ひいては中央区自体は結構広い。ミュイも自宅から学院に通う時は乗合馬車を使う程度の距離はある。まあ魔術師学院は中央区じゃなくて北区にあるんだけれど。
それを差し引いても、街の端から端まで徒歩で行くのは非現実的。以前、住宅街の東区から騎士団庁舎までランニングしていたクルニと鉢合わせることもあったが、彼女は彼女でスタミナお化けなのであれは参考外として。
そんな中央区の街並みを視界に入れながら、俺はのんびりと歩いて来ていた。時間にしたら結構かかってしまったが、別にアポイントを取ってあるものでもないので深夜早朝でなければいいだろう、くらいの感覚である。
いつも通り昼過ぎに日課の鍛錬を終え、その後アリューシアを連れてバルデルのところにお邪魔し、そこでウンウン唸ってから今に至る。
年が明けてしばらく経ったとはいえ冬であることには違いない。時に凪ぎ、時に吹き荒ぶ冬の風に煽られながら、えっちらおっちらと歩いたわけだ。
これも以前から変わりないことだが、基本的に俺は移動手段に徒歩を選ぶ。この年になると日常的に動かなければすぐに身体が鈍ってしまうからね。レベリオ騎士団での鍛錬にしてもずっと張り付いているわけじゃないから、動かせる機会に出来るだけ動かしておこうというのが俺の判断であった。
今のところその判断は、無論しんどい時はあれども良いことも多く、結果としてこの年になった今でも元気に剣を振るえている。足腰が動かなくなったら剣どころじゃないからな。健康意識、というほど立派ではないものの、その辺りは人並みに気にしていきたいところだ。
「おお、レベリオの騎士さんじゃないですか。お勤めご苦労様です」
「あ、はい。どうもありがとうございます」
こうやってぶらぶら歩いていると、特にここ最近は市民の方々からお声がけを頂く場面が増えた。
より正確に言えば、アリューシアから頂戴したレベリオ騎士団の外套を着るようになってから一気に増えたという形である。
俺も防寒着自体は持っているが、普段外出する先が騎士団庁舎なもんでついついこれを羽織ってしまう。その結果、俺の顔……ではなく、俺の服装が騎士団外にも認知されてきたという感じだ。
声をかけてきた人も二十代の青年といった風体の方。当然ながら俺は顔も名前も知らない他人になる。向こうだって俺の顔と名前は知らないだろう。レベリオの騎士、と言ったことからもそれは明らかである。
けれど俺は今、レベリオ騎士団の外套を着込んでいる。服装で身元が保証されているわけだ。しかもその保証先はレベリオ騎士団ということもあって、こんな冴えない顔のオジサンであっても、市井では一目置かれることとなった。
これは状況こそ違えど、ミュイが普段から魔術師学院の制服に袖を通していることと似ている。学院の生徒ということは誰もが多少なり魔法を使えるわけで、そんな相手に下手に絡もうという手合いは少ない。
その相手がレベリオの騎士となればもっと少なくなる。むしろ今のように、好意的な視線が多くなるといった具合だ。
「俺でこれなんだから、アリューシアやヘンブリッツ君はもっと大変だろうなあ……」
道行く青年と挨拶を交わし、そんなことを考える。
俺のようなオジサンでも騎士団の外套を着ているだけでこうなのだ。騎士としての身分のみならず、その容姿や名声も十二分に広まっている彼らだと、その視線や声は一層大きなものになるだろう。
それ自体は喜ばしいことだと思う。言い方はちょっとアレかもしれんが、武力集団のトップが市民の方々に良い目で見られているのはありがたいことだ。
けれど、方々で顔と肩書を認知されていたら、それはそれで過ごしにくくなりやしないか。皮肉にもフルームヴェルク領での夜会でそのことを身をもって知ってしまった故に、そんなことも考えてしまう。
その意味では、俺は今くらいが丁度いい。まったくの無名というわけでもなく、さりとて市民全員に顔と名前を知ってもらっているわけでもなく。面映い気持ちもあるが、まだ心地よいと感じられる範疇の話である。
逆に言えば、これ以上とんとん拍子で俺の顔と名前が知れ渡ってしまうのは出来ればご遠慮願いたいところでもあった。とはいえ、騎士団の指南役として勤めている以上は遅かれ早かれという感じなのだろう。
「でも逆にそうなれば、大手を振って酒場にも行けるか……?」
以前、俺の歓迎会という名目で酒場で一席設けてもらった時も、確か治安維持の一環として騎士たちは時折酒場に赴くとヘンブリッツ君が言っていたな。
ということは、飲みたい時に酒場へ足を運んでも「これも治安維持のためです」なんて大義名分がまかり通るかもしれない。
いや別に肩書を振りかざして好き勝手やるという意味ではなくてね。
ただ考えてみれば、騎士になったらお酒も自由に飲めません、では流石に肩身が狭すぎる。ことの始まりは知らないけれど、そういったお題目を掲げることでレベリオの騎士たちも気後れすることなく大衆店に入れるというのは、上からの気配りの影も見え隠れするな。
俺の立場としてはそういった見えない気配りに全力で相乗りする形になるわけだが、そこに申し訳なさは特にない。周りに迷惑を与えていなければ享受出来るものは受け取っておこうと思うのだ。
この辺りの考え方ってやつも、バルトレーンに来てからは少し変わった気がしないでもない。この年になって自身を取り巻く環境が激変するなどと露ほども思っていなかったけれど、それもなんとかいい方向に消化していきたいものだね。
「……相変わらずでっかいなあ」
そういう市民の方々とのコミュニケーションもほどほどに歩を進めた先。俺が今日目指す目的地に辿り着いたところで、思わず感嘆の息が漏れる。
この国が誇る魔術師、ルーシー・ダイアモンド様のご自宅だ。立派な門構えと個人の家としては些か広すぎる庭、そして一人で住むには実に広すぎる邸宅。どれだけの金と手間がかかっているんだという大豪邸である。
それを個人で手に入れてしまうルーシーの財力と権力に改めて驚く。
ただまあ、それを成していても不思議ではないほどの実力と実績を持っているのもまた事実だからな。多少剣の腕に自覚が追い付いてきたとは言えども、未だ彼女に平押しで勝てる気がまったくしない。
幸か不幸か、彼女は力をみだりに振るう人ではない……ないよな? 多分そうだと思う。なので俺としても、そこまで警戒せずに友人付き合いが出来ているわけだけれど。
「……よし」
しかしいくら気安く話せる相手とはいえ、それは相手の肩書や権力を無視していいことにはならない。
ルーシーがこの国全体で見ても、上から数えた方が遥かに早い権力者であることに違いはないのだ。そこにアポなしでいきなり訪ねようとしているのだから、多少なり緊張はしてしまう。その辺りの性根はやっぱり簡単には変わらないということだろう。
「ごめんくださーい」
門に設置されたドアノッカーを二度、鳴らす。カツンカツンと、耳に心地よい音が響いているのはいいんだが、これ家の中にまでちゃんと音が届くんだろうか。そんな変な心配を思わずしてしまうくらい、彼女の家の敷地は広大である。
「はい……ああ、ベリル様でございましたか」
ドアノッカーを鳴らして程なく。俺の心配なんてまったく必要なくて、門から少し離れた先の玄関からこの家の使用人であるハルウィさんが顔を覗かせた。
「突然すみません。家主は在宅でしょうか?」
「ええ、おりますよ。どうぞ、おあがりください」
「ありがとうございます。失礼します」
なんとなくだが、この人の前でルーシーを呼び捨てにするのはちょっとだけ憚られた。かといって今更あいつを敬って呼ぶのもな……なんてちんけな気持ちも同時に湧いてくる。その結果、家主という表現に落ち着いてしまった。
ハルウィさんの先導を受け、屋敷内に足を踏み入れる。相変わらず外観も内観も広い家だ。
彼女以外の使用人はミュイを預かってもらっていた時にも他に一人見たけれど、こういう外との応対では大体ハルウィさんが出てきているように思える。ルーシーが何人雇っているのかなんて知らないし別段知ろうとも思わないが、恐らく彼女が最も家主からの信頼を厚く受けているのだろう。
「では、こちらで少々お待ちください」
「はい、ありがとうございます」
そんなことを考えながら案内された先は、俺も何度か足を運んだことがある応接室。
時間帯としては昼過ぎから夕方に差し掛かった頃合いなので、ルーシーも流石に寝ぼけているということはないだろう。
相変わらず俺たちとは対極と言っていい生活を送っている彼女。一度改めた方がいいんじゃないかとそれとなく伝えたことはあるが、にべもなく一蹴された記憶が蘇る。
魔法の研究という、かなり頭を使う仕事ならしっかり規則正しい生活を送るべきだと思うんだけれど、彼女には彼女のリズムがあると言って憚らない。まあそれでしっかり仕事が出来ているならいいんだが、俺にはなかなか実感が湧きづらい内容であった。
「おうベリル、お疲れさん」
「やあルーシー。悪いね、いきなり」
「構わんよ。朝早くでなければの」
ぼけっと待っていると、案内されてから程なくしてルーシーが現れる。
髪はきちっと整っているし服装も普段見かけるものだ。どうやら少なくとも寝てはいなかったようで、ちょっとだけホッとした。流石に安眠を妨害してまで訪ねるのは少し気後れしちゃうからね。
「ベリル様、どうぞ」
「ありがとうございます」
ルーシーとともに姿を現したハルウィさんが、二人の前に紅茶のカップを静かに置いた。フルームヴェルク領やディルマハカで飲んだ紅茶も美味かったが、ここで飲む紅茶もなかなか美味であった記憶がある。
こういう風に上流階級に触れていると、俺の舌もじわじわと肥えていくのだろうか。美味しいものを口にする機会が増えるのはいいが、それに慣れきってしまわないような心構えは常に持っておきたい。この年で贅沢を覚えても碌なことにならないからな。
「で、どうしたんじゃいきなり」
ハルウィさんが下がり、応接室の中は俺とルーシーの二人となった。頂いた紅茶に口をつけると、早速ルーシーが切り出してくる。
まあこちらとしても変に先延ばしするものでもないしな。貴族さん方はあれやこれやと言葉に装飾を付けたがるから、どうにも肌に合わない。これくらいザックリしていた方が互いに時間の無駄もなくて助かると思うんだが、相変わらず上位者たちのマナーというものは謎であった。
「えーっと……ロノ・アンブロシアの核ってルーシーに渡したまんまだろう?」
「そうじゃが……あれがどうかしたのか」
ルーシーの方でもいくらか話題の想定はしていたのだろうが、それを恐らく俺は外したらしい。彼女の片眉が怪訝そうにピクリと揺れていた。
いやまあ勿論、スフェンドヤードバニアが今どうなっているかとか、そういう興味はあるよ。
あるがしかし、喫緊で俺に関係する形でもなさそうなのでね。今は国の上層部同士がてんやわんやしている状況であって、俺たち一般人が関わるような事象まで落ちてくるのはもう少し後だろう。
今現在、俺が全力で取り組まねばならないことは、アリューシアの新たな剣を拵えること。そのためには今まで培った……とは言えない細く薄いものではあるけれど、そういうものは存分に使っていく腹積もりであった。
「あれさ、譲ってもらうことって出来ないかな?」
「……ほう?」
こちらの用件を伝えたところ。
先ほどと同じ、しかし少しばかり様相を違えながら。ルーシーの片眉がピクリと動いた。