第218話 片田舎のおっさん、辿り着く
「リサンデラ……?」
思わぬ人物の登場に、アリューシアが不穏な音とともにその人物の名を告げる。
どうしてお前がここに居るんだと言わんばかりの表情だ。ただその点に関しては俺もまっこと同意である。何故冒険者であるスレナがこんなところに、しかも手勢を引き連れての参戦となっているのか、皆目見当が付かない。
「シトラスと……お前は見たことがないな、教会騎士でもない……傭兵か? まあいい。ひとまずは無事でよかった」
馬を停止させたスレナはその場で下馬し、状況を確認する。よもや最高位の冒険者が終わった戦況を見誤ることはあるまい。俺たちの勝ちで、合成獣の負けだ。
「スレナ、どうしてここに」
彼女の下馬に合わせて、疑問が思わず口を突いて出る。
さっきからロゼといいスレナといい、こちらの想定にない人物の参戦ばっかりである。いやまあ結果として助かってはいるのだが、何故この状況に至ったのか、誰かに説明して欲しい気持ちで一杯だった。
「端的に言えば、依頼を受けました。色々と複雑な経緯があるにはあるのですが……」
「そ、そうか」
恐らくその依頼の詳細に関して俺はおろか、他の人間には口外出来ない。俺の言葉に反応したスレナの表情と声色は、その推測を裏付けるには十分なものであった。
流れとしてはきっとハノイたちと同じ感じなんだろうな。彼らもどこからか依頼を受けてスフェンドヤードバニアにやってきたのは間違いないが、その詳細は頑として語ろうとしない。語れない契約になっている。
冒険者としてもそれは同様で、多分依頼の詳細について口外するなみたいな契約が盛り込まれた依頼なんだろうね。
何が起きているのかの説明が欲しいのは事実だけれど、言外に「言えない」と主張している者たちに強引に言い寄るのも、なんだか憚られる気がした。
「とりあえず、納得はまだ出来ないが……理解はしたよ。左翼の合成獣はスレナたちが?」
「はい。同時に相手取るのは得策でないと判断し、一体を釣り出しました」
「なるほどね、いい判断だと思う」
「ありがとうございます!」
やはりこの辺りの判断の早さと良さは流石だ。あれを複数体まとめて相手取るのは如何なスレナと言えども厳しい。たとえ他の冒険者の援護があったとしても、である。俺だって流石にあれと多対一が出来るとまでは慢心していない。ルーシーならやりそうではあるが。
「じゃあ残すは後一体か……」
一体は俺が仕留め、一体はアリューシアがとどめを刺した。一体はスレナたち冒険者が片付けた。
となると残るはハノイとプリムが向かった一体のみ。プリムの方は正直どれほどの実力かは未知数なところがあれど、ハノイほどの練達であれば勝てはするだろう。魔術師の援護を貰えれば尚更余裕をもって始末出来るはずである。これ以上の増援がないという前提ではあるけれど。
「一応、見に行こうか。あの二人が負けるとも思えないけど」
「そうですね。状況は己が目で確認してこそです」
俺の提案に、アリューシアが同意する。言っていることも至極真っ当だ。百聞は一見に如かずとは言うけれど、こと戦場においてそれは一層大事である。
そしてアリューシアは先端が完全に駄目になってしまったロングソードを数瞬愛おしそうに見つめ、その後に鞘へと戻した。
ちらっと見えただけだが、あれはもう無理だ。研ぎでどうにかなる段階を遥かに超越してしまっている。
柄だけ残して剣身を新しく拵えるか、完全に別の剣にするかはまだ悩みどころだけれど、それは全てが終わってから考えればいい。アリューシアやスレナほどではないにしろ、俺の財布は今結構暖かいからね。
「スレナも確認していると思うけど、合成獣はもう一体残っている。俺たちはそっちに行くけどどうする?」
「無論、お供します」
一応確認を取ってみるけれど、やはりついてくる様子であった。
俺に加えてアリューシア、スレナ、ロゼと揃っていれば正直負ける気がしない。連れてきている冒険者たちもスレナには及ばずとも練達には違いないだろうし、あっちにこれ以上の隠し玉がなければ事態は遠からず収束するはず。
「俺たちは一度馬を取りに行こう。徒歩はちょっと遠い」
「そうですね。では現地で集合ということで」
「ああ」
俺とロゼ、アリューシアは現場の途中まで馬に乗ってきたが、留めている場所はそれぞれ異なる。仲良しこよしで馬を拾い集めていては余計な時間を食う。ならば各々で動いて現地集合が一番合理的だろうな。
「では我々は先行します。行くぞ!」
「はっ!」
既に馬を用意しているスレナたち冒険者パーティが、残る一体の下へ走る。
連れてきている冒険者は四名。スレナと合わせて五人の練達。走り去る間際にちらりとプレートが見えたが、どうやらプラチナムランクが中心らしい。十分な戦力と言えよう。
「では先生、後程」
「ああ、またあとでね」
ここでアリューシアとも別れ、ロゼと二人で馬を拾いに行く。
逆に言えば、二人で気兼ねなく話せる恐らく最後の時間だ。なので、気になったことを尋ねておこう。
「ロゼ。今回の事件の黒幕が教皇様というのは」
「事実です。現在教会騎士団が各教会を回っています。成果はまだ上がっていないようですが」
「そうか……」
俺の質問に、彼女は淀みなく返した。ロゼが言うなら間違いはない、か。
今回王子殿下の婚姻の儀に水を差し、合成獣という化け物を都内に放った重犯罪者。宗教団体のトップが起こしたとは思えない事件ではあるものの、それを否定する要素が今の俺にはない。
「……どうやって、そこまでの情報を?」
次いで気になったのはここだ。彼女の持つ情報は、どう考えても一介の傭兵が持つべき範囲を逸脱している。協力者が居ることはほぼ確定だが、その内情はどうしても気になってしまった。
「……すみません、お伝え出来ません」
「……そうか。分かった」
返ってきた言葉は、半ば予想していたもの。そりゃ言えるならもっと大々的に情報を流しているだろうしな。まさかロゼが確証も何もないただの噂話程度で動くわけもなし。
それに彼女は騙されていたとは言え、教皇派に積極的に協力していた一人。情報の大切さというものは身をもって実感しているはずである。逆説的に、教皇が黒幕である信ぴょう性が増すというものだ。
「お、いたいた」
「ブルルッ!」
しばらく考え込みながら走っていると、足となる馬を見つけた。どうやら戦闘音で多少気が立っているものの、外傷などはなさそうで何よりである。精神的に消耗しているところ悪いけれど、もうひと頑張りして頂こう。
「よっ」
手綱を解き、馬の背にひとっ飛び。少々暴れているがまだ操縦出来る範囲で助かった。俺には完全に入れ込んだ馬を御せるほどの技術はないからな。
「では先生、参りましょう」
「ああ」
意外なことに、ロゼも俺とあまり離れていないところに馬を止めていた。まあ俺の救援に来たのだから辿った道筋は凡そ同じなわけで。その分ロゼの馬を探す手間が省けたというのは地味に大きい。
「はっ!」
馬を駆り、目的地を目指す。
正直最後の一体は結構遠い場所に居たから、合成獣に至るまでの正確な道が分かるかどうかは微妙だ。とりあえずそれっぽい方角に馬を走らせるしかない。
まだ戦闘中なら近付けば音は聞こえるはずだし、もし既に終わっていたとしても、何かしら目立つものはあるだろう。あれだけの巨体が暴れていたのなら、相応の傷痕は街のあちこちに残っているはずである。
この事件の幕が降りたら、この国はどうなってしまうのだろうか。馬に跨りながら考えたのは、そんな少し先の未来のこと。
しばらくはディルマハカの復興に力と時間を注ぐしかないだろう。統治する土地が死んでいては意味がない。問題はその後にある。
本当に教皇がこの事件を起こしたとなれば、スフェン教も今まで通りとはいかないはずだ。それは、スフェン教を国教と定めているスフェンドヤードバニアとしても同じことが言える。
きっと俺たちは今、一つの国家における歴史の転換点の中心に居る。転換点となった出来事自体は、とても歓迎出来る内容のものではないけれど。
恐らくこれから、グレン王子やサラキア王女の肩には多大な重責が降り注ぐだろう。俺なんかが想像しているよりも遥かに大きいであろう重責が。
願わくは、それらの問題に二人で手を取り合って向かい合ってほしいものである。なんだか物凄く他人事のような感想に落ち着いてしまったが、実際に他人事ではあるからな。勿論求められれば協力はするが。
けれどそんな忙しい日々も、今この場を片付けないことには訪れない。彼らが様々な問題にひいこら言いながら国を導くためにも、今この国を瓦解させるわけにはいかない。
俺の剣でその未来が少しでも切り拓けるのなら、喜んで振るおうじゃないか。
「……あっちか」
ディルマハカの広過ぎる大通りから脇道に入る。多分角度的にここで曲がるのが一番早い。多分ね。
その方針はどうやら正解だったようで、街並みの破壊痕が視界に入ってきた。この辺りで合成獣が暴れたのは間違いない。
戦闘音は聞こえてこないから、もしかしたらもう決着がついているのかもしれないな。もしついていなくとも、ハノイとプリムに加えてスレナやアリューシアが加わったのでは遠からず終わる。俺とロゼの到着をいちいち待つ必要もないし。
破壊という名の痕跡を辿り、合成獣が今居るであろう場所を目指す。
行き着いた先は大通りでもなく、教会のような建造物がある場所でもなく。それでも広大なスペースが見受けられる、農地のような場所であった。
規模は違えどバルトレーンの南区を思い起こさせる風景だ。あそこも王族暗殺未遂事件で凄惨な現場になってしまったが、小麦が肥ゆる平和な時期に一度見てみたいものである。
「……!?」
視線の先。広い農地の奥で、合成獣が横たわっていた。
それだけならまだいい。無事に勝利を収められたという事実があるだけだから。
「ちっ……!」
ハノイが、膝を突いていた。あのヴェルデアピス傭兵団の頭領、ハノイが。
彼の相棒であるはずの桃色髪の魔術師の姿は見当たらない。既にこの場を去ったのか、それとも倒れ込んでいるせいで俺の視界に入らないのか。嫌な汗と予感が、背中を一筋伝った。
まさか、やられたのか。しかしあいつとは直接やりあった仲だが、たとえ合成獣とタイマンだったとしても負けるとは思えない。油断をするようなタイプでもないだろう。
ならば何故、膝を突いている。その原因は、ハノイからやや距離を置いて佇んでいる一人の人影にあるように思えた。
「ふむ、増援かね? 骨は折れるが……まあ、ここで厄介な種は全て摘んでおく方がいいのかもしれん」
その男は、はっきり言って戦う類の人種には見えなかった。
皺が深く刻まれた様は、相応の年齢を思わせる。魔術師学院のブラウン元教頭程とは言えないまでも、少なくとも俺よりは遥かに年上。
けれども何というか。立ち居振る舞い。雰囲気。それら全てが、この人は戦える人ではないと強烈に訴えかけている。
それ程までに男は、一般人であった。スフェン教らしい重厚なローブを身に着けてさえいなければ。
「モーリス……教皇……」
俺のすぐ隣で、ロゼが呟く。
「君は――ああ、過日はご苦労であった。もう一息だったと聞いていたんだがねえ。これも運命の思し召しかな」
男は、さも日常を紡ぐかのような口調で応える。
この状況で、微笑みすら浮かべているこの男。
端的に言って、壊れていた。あまりにも真摯に、あまりにも誠実に、彼はナニカによって壊れている。手強い剣客と相対した時とは全く別種の緊張感と不快感が、鋭く全身を駆け巡った。




