第216話 片田舎のおっさん、相対する
「よ……っと。ありがとうな」
アリューシアと別れ、合成獣の一体のもとへと向かう。その道すがら、適当な場所で俺は馬を降りた。
馬に乗ったまま近付き過ぎると馬ごとやられる恐れがある。これはスフェンドヤードバニアからの借り物だから一応、傷つけないように配慮は必要だろう。
それに俺は馬上戦闘が出来ない。そりゃやろうと思えばまったく出来ないということはないと思うが、それでも地に足ついた剣士としての戦い方が俺の十八番だ。不慣れな戦い方で不覚を取ってしまえば元も子もないし、ここは徒で攻め入るべきだと判断した。
右翼の合成獣はハノイとプリムが。残る三体のうち、一体は何故か左翼に大きく逸れた。後は中央の二体を俺とアリューシアでそれぞれ対応すれば、とりあえず被害の拡大は防げる。無論、その誰しもが負けないという大変に厳しい前提条件は付いて回るが。
「……やっぱり大きいねえ……!」
馬を手近な柱に括り付け、合成獣の下へ急いだ先。
俺が対応する合成獣の一体は、犠牲になったディルマハカの一般人を啄ばんでいるところであった。
狩りのため、自身が生き残るために人間を襲うというのは百歩譲って分かる。しかしこいつは合成獣という名の通り、人為的に作られた災害だ。その犠牲になってしまった罪もない人々の無念は、俺の手で晴らしてやりたいと強く思う。それが餞になるかは、分からないけれど。
「ギュオッ?」
近付いてくる俺の存在に気付いたのか、合成獣は死体を貪る手を止めて、こちらに視線を向ける。
……まるで知性が感じられない瞳の色だ。俺もモンスターに特段詳しいわけじゃないけれども、これまで戦い、そして屠ってきた経験で言うならば、ロノ・アンブロシアに近い。あれはあれでちょっと今回とは趣が違うかもしれないが、知性を感じられないという点では一致している。
本来は自然の理に則り、死した後に安らかに眠るはずだった彼ら。その境遇に僅かながら憐憫の情は芽生えども、しかし見過ごすわけにはいかない。ここでこいつを仕留めなければ、更なる被害が生まれるのは必至。
「……恨むなら、君を生み出した人こそを恨んでほしいね」
「ギュッ! ギュアッ!」
抜剣に合わせて、合成獣が吼える。どうやら俺を異物と認定したらしい。まあ変に懐かれたり逃げられたりするよりはマシだ。遠慮なく斬り伏せられる。
眼前の合成獣は、やはり大きさで言えばかなりのサイズであった。遠目からの目算通り、ゼノ・グレイブルと比べても二回りはデカいな。理論上は継ぎ接ぎし続ける限り無限に大きく出来そうではあるが、とは言えここまでのサイズを相手にした経験はない。
獅子の頭に、恐らく牛やらグリフォンやらの胴体を継ぎ接ぎして使っている。尻尾は大蛇と、見た目もかなりグロテスクだ。どんな戦い方を想定すればいいのか少し悩む。
「まあ、まずは一当て……かな!」
一気呵成に踏み込み、まずは小手調べとなる横薙ぎを放つ。クリウが硬すぎると言っていた合成獣の防御力がどれほどか、本格的な攻略を開始する前に手応えとして知っておく必要がある。
「ギュッ?」
俺もそれなりに殺す気で突っかかってはいったんだが、こいつはどうも殺気の類にはあまり反応しないらしい。ゼノ・グレイブルなどの生物と明確に違う点はここか。それが御しやすいかどうかはまた議論の余地があるけれど。
「っし!」
俺を認識してはいるものの、ある種呆けているようにも見える合成獣に向けて、横薙ぎを一閃。
前脚一本は頂戴する腹積もりで打ち込んだ剣撃はしかし。外皮を突き破りはしたものの、脚の中ほどに到達するかどうかというところで刃が止まってしまった。
皮は切れたが、凝縮された筋肉までを断ち切るにはやや不足。手応えとしてはそんなところ。
「ギュアッ!?」
「硬いね……!」
前脚に食い込んだ剣を引っ張り抜いて後ろへ下がる。俺が飛び退いて一呼吸くらいの間が空いたところで、先ほどまで俺が居た場所にもう片方の脚が勢いよく振り下ろされた。
うーん、これは想像よりちょいと硬いな。なんだかんだでこの赫々の剣なら切り通せると踏んでいただけに、少々戦い方を考える必要が出てきたかもしれん。余程の隙を晒してくれない限りは、瞬殺はちょっと難しい。そういった塩梅のように感じられた。
それと気になるのは、この合成獣の反応の遅さ。
俺の剣撃に対して防御どころか警戒すらしないというのはかなり大胆ではある。それか、俺のような矮小な人間一人如きは警戒にも値しないということだろうか。
なんだかそれはそれでちょっとムカついてきたぞ。以前までの俺ならこんな感情は抱かなかったはずだが、これも成長と呼べるのだろうか。慢心だとか増長だとかには類しないものであると願いたいばかりである。
ただ少なくとも、この剣なら斬れないことはない。斬撃が全く通用しないなら考え物ではあったが、とりあえず理論上倒せることは判明した。
それなら体力の続く限り被弾を避けつつ、斬り続ければいいだけである。ロノ・アンブロシアなんかよりもその点は遥かに楽だと言えるね。
「ギュオロロロロッ!!」
「うおっと!」
どうやら先ほどのダメージによって、俺は警戒に値すべき敵だと評価を改められた様子。耳障りな叫びとともに、合成獣は続けざまに前脚を振り下ろしてきた。
ダン、ダン、ダン、と。巨大な前脚で踏み付ける音が重く鋭く鳴り響く。だがその全てが地を均す以上の成果を出せずに、俺が先ほどまで立っていた場所を平たくするだけにとどまっていた。
「……ふむ」
あくまで初見。あくまで接敵したばかりの第一印象にしか過ぎないが。
俺の脳に去来したのは「こんなもんか」という、なんともな感想であった。
デカいことは認めよう。その強大な体躯から繰り出される攻撃も、破壊力という一点のみで述べれば驚異的であると言わざるを得ない。一般市民どころか、堅牢な鎧に身を包んだ戦士であっても、この一撃を食らえば終い。それくらいの破壊力はある。決して油断をしていい相手ではない。
しかし、それだけ。攻撃には速度もあるし、鈍重ではない。むしろ体格を考えればかなり俊敏に動いている方だろう。だがそれでもゼノ・グレイブルよりは遅い。サーベルボアなんかよりは流石に速いけどね。
まだ隠し玉を持っている可能性もあるから油断は出来ないが、この程度なら俺でも十分に勝てる手合いである。それはアリューシアやハノイであっても同様。
問題はやはりあの硬さ。多分口腔内とかは相応に柔らかいのだろうと予想は付くが、そこに剣を届かせるのがゼノ・グレイブル以上に難しい。相手が大きいと単純に剣が届かないからだ。
「……なら、こうしようかな!」
「ギュエッ!?」
攻略プランをひとまず定め、再度吶喊。再び前脚を狙って今度は突いていく。
狙いと寸分違わず前脚に吸い込まれた剣先は、やはり貫くまでには至らず。剣先が少し肉の中に埋まったところで勢いが完全に死んでしまった。
だが、これでいい。手応えを確認した俺はすかさず剣を引き抜き距離を取る。数瞬前まで俺が居た地点に獅子頭の噛み付きが降り注ぎ、何もない空間を食む。
一撃で相手を戦闘不能に陥らせるのはほぼ不可能。少なくとも俺の火力では無理だ。
となればちくちくと削っていくしかないんだが、削り方を間違えればいくら時間をかけても優勢にはならない。つまり、とどめの一撃を放てるような状況に持っていくための削りが必要になる。
まあ要するに、前脚を削りに削って姿勢制御を出来なくさせてしまい、強制的に顔面の高さを下げようという話だな。そうすれば逃走防止にもなるし、なにより顔に剣が届く。
合成獣の弱点なんざ俺は知らないが、曲がりなりにも生物を模して動いている以上、他とそう大きくは変わらないだろう。
脳が駄目なら心臓。それでも駄目なら当たりを引くまで斬り続ければいい。前脚を破壊した後ならそれも容易い。勝利への道のりは遠いが、勝ち筋ははっきり見えている。そんな状況であった。
「ふんっ!」
近付いて、斬って、離れて、また近付いて。
敵方の力量も概ね把握出来た。今やっていることは戦闘ではなく、もはや作業に近い。恐らく尻尾に相当する大蛇も何かしら能力を持っているのだろうが、俺が真正面でしか戦っていないから逆に出番がない様子。
これは逆に単騎で当たったのが功を奏した形となったのかな。複数人で囲おうとすれば、あの尻尾が牙を剥いていたに違いないだろうから。
しかし、飛び道具とか持ってないのだろうかこいつは。ただ単純に硬い外皮を持つだけのゴリ押しでは素人はともかくとして、アリューシアやハノイといった練達を相手にするには荷が重いようにも思う。
まあ今出てこないからと言って持っていないと決めつけるのもよくないか。ゼノ・グレイブル戦では少々痛い目も見てしまったことだし、ここは油断せずに行こう。
「ギウエエアアアッ!!」
観察を続けつつ、ひたすら切り刻むことしばし。
度重なる俺の剣撃に、とうとう合成獣はキレたらしい。地団駄を踏むかのように両の脚を上下させ、地面が激しく揺れる。振り下ろされる前脚からは、普通の生物なら無視できない量の血が流れ出ていた。
これ以上暴れられると俺としてもちょっと面倒なんだが、それでも逃げられるよりは何倍もマシである。恐らくこいつが全力疾走すれば、俺の足では追い付けない。向かってくるならその全てを迎え撃ち、地に頭を擦り付けてやるとしよう。
とは言え、地道に前脚を削り続けた成果はようやく出始めたようで。
自ら地団駄を踏んだせいでより出血と傷口が広がり、その大きすぎる自重を満足に支えられていない様子が見て取れた。
つまり、好機。向こうが逆上しているのも今なら好都合。不完全な状態で攻撃してくれた方が、こちらとしても与しやすい。
「ふぅーーーーッ」
柄の握りを確認し、構えを大上段に。こいよ、という挑発を視線に乗せて、合成獣を睨む。
うちの道場では、大上段はほとんど使わない。そもそもが体捌きからの回避、そして反撃に繋げることを主としている流派故に、攻撃一辺倒の大上段は結構相性が悪い。こういうのは多分、クルニやヘンブリッツ君のようなパワータイプにこそ似合う構えのように思う。
しかし。ほとんど使わないというのは、まったく使わないわけではない。数は少ないながら、ちゃんと技として継承されているものがある。攻めの型が少ない流派ではあれど、それは攻め手が貧弱なわけではない。
「ギュロロロアアッ!!」
四肢をばたつかせながら不格好に、合成獣が迫る。やはり前脚のダメージは無視出来ないらしく、その突進も一合目を打ち込んだ時よりも遥かに遅く、迫力もない。
それでも執念を燃やしながら突撃してくる様は、果たしてこの獣が持つ本来の獰猛さ故か、それとも歪な形で再び生を受けてしまった悔しさ故か。
俺には分からない。けれど、多数の人を殺めた罪はどうあろうと消えない。ならばそれは、今この場で清算してやるべきだろう。
「――ふしっ!」
真っ直ぐ迫り来る合成獣相手に一歩も引かず、真正面から受けて立つ。
木葉崩しのように相手の攻撃を絡めとったりはしない。そもそもこのサイズが相手では流石にいなせない。
蛇打ちのように体捌きを駆使した返し技でもない。あれは間合いを潰しながら引き打ちするには便利だが、この大きさが相手では有効打たり得ない。
「――ギュエ……?」
故に。
全身の筋肉と、手の内に持つすべての理力を総動員した、全身全霊の振り下ろし。この一撃でもって、確実に相手の命を屠る。
鳶落とし。うちの道場に伝わる唯一の、大上段からの技。空高く舞い飛ぶ鳶すら撃ち落とすという、大言壮語にも捉えられる一振り。
振り下ろされた一閃は、遥か彼方の蒼空にはとても届かないけれど。合成獣の頭蓋の守りを打ち砕き、確実にその命を破壊する分には、十分な手応えを俺の手の内に齎した。
「……ふぅ」
ズズン、と。こと切れた巨体が地に沈む。当初の予定とは仕留め方が大分異なってしまったが、まあ結果オーライということにしておこう。最終的にこちらに被害なく倒せればよいのだ。
念のため剣先で小突いて反応があるかを確認しておく。野生の動物やらモンスターやらは時々、劣勢を悟ると死んだふりをしたりするからな。こいつは人為的に作られた合成獣だが、それでも擬死をしないとも限らない。
「……うん、大丈夫かな」
前脚を小突き、念には念を入れて獅子頭に軽く斬撃も入れておく。
反射もないということは完全に生命活動を停止しているということ。まあ脳天から頭蓋を派手にかち割ったので、これで生きている方が困るんだが。血以外のモノも大量に漏れ出ている様は、控え目に言っても凄惨である。この場の清掃とか絶対にやりたくないなとか思っちゃうね。
「よし、アリューシアの援護に――」
しっかり倒しきったのを確認し、剣を鞘に納める。だが今回の戦いはこいつを一体屠ったからとて終わらない。
俺の場合はゼノ・グレイブルの剣があったからなんとかなったけれど、ただの数打ちの剣でこいつと打ち合うのはかなり厳しい。単純に攻撃が通らないだろう。
故に、アリューシアへの援護は必須。彼女のことだから負けることはないにしても、あの装備では勝ち切るのは至難の業。時間を無為にするよりはささっと仕留めて事態の収拾を図りたいところだ。
「――シュアァッ!」
「ッ!?」
合成獣から視線を外した直後。確かに殺したはずの骸から、不穏な音が耳を劈く。
俺が慌てて振り返るのと、合成獣の尾の役割を果たしていたはずの大蛇が、猛烈な勢いで突っ込んでくる様を視界に収めたのは、まったくの同時。
「しまっ――」
こいつら、独立して動くのか!
油断。その二文字が脳裏を過る。
次いで剣。駄目だ、抜くのが間に合わない。
なら回避は。既に戦闘態勢を解いた後。どうしたって一拍は遅れる。
「――先生!」
ああ、これは腕の一本くらいは飛んだな。そんな間抜けな感想が浮かんだところで。
俺の身体は何かに突き飛ばされ。
俺の視界は銀色に輝く分厚い盾に阻まれた。




