第215話 片田舎のおっさん、馬を駆る
「はあっ!」
手綱に気合を入れて、教都をひた走る。
ディルマハカは都市としてかなり極端な構造をしている。大聖堂や宮殿など、主要な建造物に連なる大通りがいっそ過剰なほどに整備されており、その通りからまるで枝葉のように道が分かれている形だ。
故にたとえ馬であっても、大通りなら結構な速度を出すことが可能となっていた。しかも今は活気よく街を行き来する市民の姿もほぼない。既に家や避難所に閉じこもっている者が大半で、道行く途中に見かける人影と言えば外縁部から避難してきた市民と、それらを誘導している騎士。それくらいのものだった。
「流石は騎士サマ。器用に乗りこなしやがる」
アリューシアの馬術にハノイが感嘆と口笛を漏らす。
俺も乗馬の経験くらいはある。田舎に住んでいるとちょいちょい乗る機会はあるからな。ただそれはあくまで「乗れる」だけであって、「乗りこなせる」レベルにまでは達していない。少なくとも俺はそう思っている。
それにアリューシアの操縦を見ていると、やっぱりこの辺りにも才能の差が如実に出てくるんだなあとも感じてしまうのだ。
俺はアリューシアが馬に跨っているところを見たことがない。ビデン村の道場時代に馬上訓練は取り入れていなかったし、バルトレーンに来てからも街中で乗馬する機会がそうそうないからである。
にもかかわらず、彼女は素人目に見ても馬に乗るのが上手だ。恐らく騎士の嗜みとして訓練する機会があったのだとは思うが、それにしても見事という他ない。こんなところでもアリューシアの才気を見ることになるとはね。喜ばしいことである反面、発生している状況自体はとても喜べるものではないが。
「意外と街並みは無事みたいだね」
「はい。単純に合成獣の足が遅いのか、上手く足止め出来ているのか……どちらかは分かりませんが」
文字通り駆け足で進む中、目に入ってくる光景は意外と綺麗なものであった。
勿論、教会騎士たちに連れられて避難している市民たちも居る。居るが、あくまで彼らは外縁部に住んでいたから慌てて都市の中心部にやってきたのであって、街並み自体が破壊されているわけでもない。
つまり、合成獣は未だディルマハカの外縁部で手こずっているということになる。アリューシアが返した通り、足が遅いのか足止め部隊が上手くやっているのか、その真相は分からないけれど。
都市全体が厳戒態勢に入っているものの、直接の被害はまだそれほど大きくはない状況だ。
このまま俺たちが無事到着して合成獣とやらを倒すことが出来れば、当初の想定よりは大分被害は抑えられるんじゃないか。そんな希望さえ持てるくらいには、ディルマハカの少なくとも中心部は綺麗な状態を保っていた。
「これは……」
合成獣の震源地に近付くにつれて、目につく人の数がより増えてきた。そして増えた数のほとんどは、何らかの負傷をしている者とそれらを介護する者たちとで別れている。彼らは無事な建物の壁沿いや中で寄り添い、嵐が過ぎ去るのを待っているようにも見えた。
まあ予想はしていたけれども、教会騎士たちの手に負える相手ではなかったらしい。被害が小さく見えていたのはあくまで大聖堂や宮殿の近くに居たからで、そりゃあ都市の中で化け物が暴れていれば、怪我人なんてわんさか発生してしまう。
先ほどまでのいくらか楽観視してしまいそうな感覚は、ものの見事に吹き飛んでいた。
「おおい! 待った! ちょい待ち!」
「! クリウ!」
傷病者が集っている避難所らしきところを通り過ぎようとした矢先。横合いから投げかけられた声に反応して、ハノイとプリムが馬の行き脚を緩めた。そこには慌てて馬と並走しようと走り出す青髪の剣士、クリウの姿。
「無事だったか」
「ああ、なんとかな! けどあいつらやべぇぞ!」
彼らの動きに合わせて、俺とアリューシアも少し馬を抑える。今は時間が惜しいが、合成獣と直接やりあったらしいクリウの情報は聞き逃せない。アリューシアと渡り合えるほどの剣士が「やべぇ」と漏らす相手だ。情報はどれだけあってもあり過ぎるということはないだろう。
「デカいし速い。それだけならまだいいんだが、硬すぎる! 俺の剣も通らねえから退いてきたんだ。多分団長の得物くらいしか通らねえ。そんくらいの硬さを感じた」
「なるほどな、了解だ。クリウはそのまま他の連中のフォローに当たってくれ」
「あいよ!」
とりあえず伝えることは伝えたと言わんばかりに、クリウはそのまま馬の横から離脱していく。というかこっちが手綱を緩めたとはいえ、短時間ながら馬と並走出来る彼のスピードも大概ヤバい。そんな手練ればかりの傭兵団、改めて恐ろしい集団だ。
「硬い、か。強敵だね」
「ええ、私の剣が通るといいのですが……」
単純に敵が硬いというのはシンプルに脅威である。なんせダメージが与えられない。ゼノ・グレイブルの時も自前の剣じゃ柔らかい部分以外ほとんど攻撃が通らなかったし。ロノ・アンブロシアはそもそも物理の効きが極めて悪かったからあれは別だとしても。
そして相手に強固な装甲があるとすれば、この中で一番火力に不安が残るのはアリューシアだ。だってこの子、未だに道場卒業時に渡した餞別の剣が主武装だからね。
流石に研ぎ直したり何らかの手は加えているとは思うが、合成獣が仮にゼノ・グレイブル以上の堅牢さを持っていたとしたら、あんな数打ちの剣では致命傷どころか傷をつけることすら難しいだろう。
本当に硬い相手というのは刃の立て方とか通し方とか、そういう技術の関係がほぼなくなる。マジで普通に刃が通らない。
人間相手なら研いでさえあればまあ斬れるが、これがモンスター相手だとそうはいかないからな。天然の分厚い皮や強靭な筋肉は、細長い鉄の棒では如何ともしがたいのが現実である。
一方、ゼノ・グレイブルの骨やら爪やらをふんだんに使い、エルヴン鋼でコーティングしたというこの剣は、切れ味という点では申し分ない。ロノ・アンブロシアの核ですら一刀両断出来たのだから、恐らく合成獣相手でも通るだろうという自信がある。
また、ハノイの持つ武骨な大剣も攻撃力という点では逸品だ。
彼の人間離れした膂力と確かな技術で放たれる一撃は、斬るというより叩き潰すという表現の方がしっくりくるほど。斬れない相手なら殴ればいいと言わんばかりのストロングスタイルは、恐らくほとんどの相手を苦としない。
これを機に、彼女も質の良い剣というものに興味を持ってくれればいいのだが。まあ今の切羽詰まった状況でそんなことを口にすることはしないけれども、曲がりなりにも彼女に剣を教えた師範としては強くそう思う。
あの剣を粗悪品とまで言うつもりはないが、決して一級品ではない。現状のままでは彼女の素晴らしい素質を半ば殺しているのと同義ですらある。人間相手ならまだしも今回のような化け物相手では、武器の優劣は強烈な問題となって立ちはだかってしまう。
「……」
他方。アリューシア・シトラスという優れた剣士が、その問題に気付いていないはずがないのだ。彼女が餞別の剣を使ってくれていることは嬉しいものの、騎士団長の職位と職務を考えれば、手放しで喜んでいい話でもなかった。
「……ッあれか!」
そんなことを悶々と考えつつ馬を急がせる。大通りを真っ直ぐ通り過ぎ、視界が徐々に広まってきたところ。元気に暴れまわっている合成獣とやらを、ついにこの目で捉えた。
「でけえな、潰し甲斐がありそうだ」
ハノイが漏らした感想通り、デカい。まだ至近距離にまで接近したわけでもないけれど、その大きさは遠目でもはっきりと分かる。目測だが、ゼノ・グレイブルよりも二回りくらいは大きいと見たね。それらがある程度の距離を取って四体、気ままに暴力を振るっていた。
「四体か……」
複数とは聞いていたが、四体となるとちょっとどうするか悩みどころである。
こちらの手勢も四人。普通に考えれば一人一体を担当するのが妥当な案に見えるが、それは相手が普通の手合いである前提。あんなサイズの化け物に一人ひとり当たっていたのでは逆に各個撃破される恐れもある。
しかも、四人のうち一人は魔術師だ。ルーシーほどの使い手、あるいはフィッセルのような剣魔法の使い手でもなければ、前衛なしの単独で大物相手はやや分が悪いようにも感じる。
かと言って、怪物四体が場に乱れるような大乱戦も避けたいところ。やはり少人数で相手取り、逆にこっちが各個撃破するくらいの心持で行くのがいいか。
「……酷いな……!」
そして。こんな規格外の超獣が四体も居て、未だにディルマハカの外縁部以外が無事な理由。震源地に近付くにつれて、その真相が判明した。
やつらは決して足が遅いわけではない。少なくとも鈍重という印象は受けない。それこそゼノ・グレイブルのように、俊敏な動きも出来そうだなというのが素直に抱いた感想だ。
思ったより攻撃力がない、という線でもない。やつらはちょっとした建造物くらいは容易に踏み倒せるサイズを持っている。実際に倒壊した幾つもの家屋を見れば、その破壊力は一目瞭然。
にもかかわらず、合成獣らは都市の中心部に進撃せず、結果として全体的な被害はまだ収まっている。
何故か。その理由は、目の前にあった。
「……うごっ……ぉごぇっ……」
合成獣の一体が、一人の人間を弄んでいる。左腕は捥がれ、両足があらぬ方向に折れ曲がった人間を。
装備から見るに教会騎士の一人だろう。スフェンドヤードバニアを象徴するかのような重厚なフルプレートはしかし、合成獣の爪や牙の破壊を真正面から受けて平気なものではなかった。
そんな瀕死の教会騎士を、弄んでいる。喰うでもなく棄てるでもなく、ただ振り回したり噛み付いたりして。
「……くそっ!」
こいつらが教都の中心部まで進軍していないのは、何も足止めされていたわけではない。盾突いてきた人間をなぎ倒し、遊んでいただけである。
普通のモンスターならこんなことはしない。障害と見て殺すか、食料と見て食うかの二択だ。
まるでこの惨劇を生み出した黒幕のような、度し難い悪逆さがその合成獣からは滲み出ていた。
「……へっ、流石に胸糞悪ぃな」
「同感だね……!」
性格としては決して相容れないハノイとも、思わず意見が合致する。それくらいには、同じ人間であれば等しく激しい不快感を抱くであろう光景であった。
「右翼の孤立している一体。あれは俺とプリムが仕留める。美味しいところは譲ってやるよ」
「……分かった。そっちは頼む」
尊い犠牲によって都市への被害が抑えられていると言えど、じゃあそれはのんびりしていいことにはならない。素早く戦況を確認したハノイが合成獣の四体のうち、やや孤立している一匹を桃色髪の魔術師とともに担当するという。
「うっし、一仕事すっかぁ。プリム!」
「うん!」
一足先に標的を定めたヴェルデアピス傭兵団の二人は、目標に向かって馬を駆っていく。
合成獣の力のほどはまだ不明なものの、教会騎士たちがことごとく敗れている様を見れば、どうまかり間違っても弱くはないだろう。であれば、化け物四体と人間四人ががっぷり四つではいくらなんでも分が悪い。乱戦になったら本当に勝ち目がなくなる。
なので少数で一体ずつ受け持ち、当初考えていた通りの各個撃破と相成りそうではある。連携面を鑑みても、あの二人で組んでもらう方が相性もいいはず。
しかし問題は残りの割り当てだ。ハノイとプリムが一体に向かうとなれば、残るは三体。こっちには俺とアリューシアしか残っていない。どちらかが分身でもしなければ、全部を一気に相手取るのは不可能である。
さて、どうするか。俺とアリューシアで分担しても一体は野放しになる。であれば、二人で協力して一体ずつ可能な限り仕留めていく線もあり得るか。
いやでも、その間にあの怪物が二体もフリーになるのはちょっとどうなんだ。流石に俺と彼女の二人で組んでも、あれを瞬殺出来るとは考えにくい。そうなると戦っている間、どんどん被害は拡大していくことになってしまう。
フリーとなった合成獣が増援としてやってきたらもう最悪だ。流石に俺もあのサイズの化け物を相手にして一対二で勝てるとは思えない。それはきっとアリューシアも同様だろう。
「先生、私たちも分散しましょう。一体でも多く仕留めなければ」
「……考えている暇もないか……!」
アリューシアの言う通り、とにかく被害を抑えることに重点を置くのであればこちらも分散するしかない。もっと頭数が欲しいところだが、贅沢は言っていられないからな。
仕方ない。武器の面ではアリューシアが明らかに不利。となれば、俺がめちゃくちゃ頑張ってどうにかしてあのうちの一体を沈めて、アリューシアの援護か残る一体に回るべきか。もうそれしか手は残されていない。
「……あれっ?」
そこまで考えて、よしやるかと腹を決めたところ。右翼に流れていた合成獣の一体とはまた別に。
三体がおおよそ纏まっていたはずなのだが、そのうちの一体が左方向に大きく進路をずらしていった。
「……誰かが釣ったのか……?」
「先生、どちらにせよ好都合です。今のうちに一体ずつ相手取りましょう」
「うん、そうだね。了解だ」
まあ何にせよ、二対三から二対二になったのは好都合ではある。この状況ならお互いタイマンに持ち込めそうだからな。
「……アリューシア、死なないようにね」
「無論です。先生も、ご武運を」
最後に互いに声を掛け、アリューシアと進路を別つ。
一歩間違えれば死ぬかもしれない。けれど、だからと言って尻尾巻いて逃げるわけにもいかない。剣士としての役目を求められる限り、俺はそれに最大限応えると決めたから。
「……よっし!」
手綱を握る手に、自然と力が籠る。
さーて、化け物退治の始まりだ。気合入れて行くとしよう。




