第214話 片田舎のおっさん、合流する
「やれやれ、ひでえ有様だな」
合成獣襲来の報を得てしばらく。時間にして数十分かそこらだと思うが、グレン王子とサラキア王女を護送している俺たちは、ようやくこの国の王族の本拠地、スフェンドヤードバニア宮殿へとその足を伸ばしていた。
その間も、街の混乱はつぶさに目に入った。動く死体自体は概ね制圧されたらしいものの、その騒ぎが収まりかけたと思ったら街の外から特大のモンスターが複数襲来である。善良なる一般市民にこの状態で落ち着けという方が些か無理があろう。
スフェンドヤードバニアの宮殿はレベリス王国の王宮と比べるとやや小ぢんまりとはしている。しかし王国とはまた趣の違う煌びやかな装飾は、しっかり最上位者が住まう場所だと主張している気がするよ。こんなところで生活していると目がくらくらしてしまいそうだが、やはり王族の方々にとってはこれがスタンダードなんだろうか。
「グレン王子、サラキア王女! ご無事で!」
此度の騒動を受けて、宮殿周りは当然ながら厳戒態勢が敷かれていた。数多の教会騎士が忙しなく行き来し、一言で言うのならとても殺気立っている。
その喧噪の中、こちらの一行を目にした数名の教会騎士たちが目つきを変えてやってきていた。足早に近付いてきた騎士の中には一際大柄な男も混じっている。先ほどの声はその大男が放ったもの。
「ガトガ。見ての通り私とサラキア王女は無事だ。他はどうだ」
「はっ! 大聖堂内は完全に制圧しました。被害も極軽微と言っていいでしょう」
「そうか、ご苦労」
至極短い状況のやり取りを経て、ガトガが短く息を吐く。
婚姻の儀。あの場にガトガが居なかったのはやや腑に落ちないが、まあこっちはこっちで色々と事情があるんだろう。もしかしたら動く死体どもの襲撃を確実にするために、ガトガは教皇派の思惑で外されていたかもしれないしね。
彼が不在だったことについて、グレン王子が特に何も言わないのはそういうことだ。つまり内心どう思っているかにかかわらず、彼の不在は決まっていた。あるいは直前になって取り決められた。そう考えると、拝廊で武器を接収した騎士の言い分も信ぴょう性が増してくるというものだ。
「シトラス、ガーデナント。すまねえな、また助けられちまった」
「構いません。それが騎士たる者の本分です」
「……ああ、その通りだな」
アリューシアからの返しの言葉を耳にして、ガトガの反応が一瞬曇る。
騎士たる者の本分。それを全う出来なかったことに対する自責の念。そういうものが見え隠れしている。この一瞬を切り取って見てもやはり、彼があそこに居なかったのは不本意であったということ。教皇派と王権派の権力争い、いよいよ遠慮がなくなってきたな。
いや、遠慮がなくなってきたという段階はあるいはとうに過ぎ去っているのかもしれない。
そもそも、権力を握るとは何か。それは金と民と領土の掌握である。普通に考えればそうだ。そして一国家の実権という最高位の権力は、それら全てを高い次元で供給してくれる。
その掌握すべきモノを、自分から破壊しに来ているのはやはりおかしい。人っ子一人いない更地を支配したとて、そこには何の魅力もないはずである。教皇派の凶行と見るべきか、後がなくなったと見るべきか。あちらの思惑は不明なれど、まあどちらにせよ楽観していい状況ではない。
「――で、アンタらは何者だ?」
「傭兵だよ。依頼を受けて王子サマたちのエスコートってな。依頼元は明かせねえ、そういう契約だ」
そしてガトガは、誰もが気にするであろうヴェルデアピス傭兵団への質問を投げかけた。それに対する反応は先ほどと同じ。そこそこ多弁な男にも映るが、依頼に関しては必要以上のことを決して喋らない。そういう線引きがしっかり出来ている。
「……そうか。助かった、俺からも礼を言う」
「構わねえよ、仕事なんでな」
教会騎士団の大多数から見て、この男が信用に値するかどうかは不明だ。しかし、今この場に王子と王女を護衛しながら現れたのは事実。それを勘案して、とりあえず今は信用するしかない。そんな感じだろうな。
「あとの問題は外のアレだが……」
言いながらガトガは、都の外へと視線を移した。
ディルマハカはバルトレーンほどではないが、そこそこ堅牢な都市だ。というか、基本的にモンスターが跋扈している世界である以上、人が集い栄えている都市はそれなり以上の防御力を有する。外敵が現れた途端侵略されましたでは、そもそも人間の数が増えないからな。
なので、余程の天変地異みたいなことが起きない限り、即座に都市が崩壊することはまずない。その例に漏れず、ディルマハカも合成獣の襲撃から今のところは耐えられている様子であった。
ただし、それはあくまで都市の中でもいっとう堅牢な宮殿周辺だから言えること。今頃、外縁部は阿鼻叫喚の地獄になっていることだろう。俺たちも王子と王女を宮殿まで連れて来られたのはいいものの、じゃあお仕事は終わりですね、なんて呑気なことは言っていられない。
「教会騎士の方で当たってはいないのですか?」
「何人かは偵察も兼ねて出したがね、戻ってきていないのが現状だ」
アリューシアからの質問に、ガトガは忌々しそうな表情と声色で返す。
ここに居る誰も、未だ合成獣をその目で見ていない。どれくらいのサイズで、どれくらいの戦闘能力を持つのかは未だに不明瞭である。その点から、まずは偵察を出すという戦略は恐らく正しい。ハノイにしても、他の傭兵を向かわせていた。
「……あいつらも戻ってきてねえな」
そして、その連中が帰ってきていない。避難誘導や救助活動などで時間を取られているのか、あるいは既に打ち倒されたか。教会騎士なら救助活動もあり得るとしても、ヴェルデアピス傭兵団となるとどうか。善戦しているならいいが、一当てする間もなく壊滅している可能性すらある。流石にそのレベルの怪物相手は勘弁して頂きたいところだ。
「ここで固まっていても意味がありません。打って出ましょう」
「そりゃ御尤もな意見だが……ここの守りも軽くは出来んぞ」
「しかし、アレがやってくるのは時間の問題です」
騎士団長の二人が意見を出し合うが、この場をどうするかは非常に切実な問題である。
外縁部で暴れているであろう合成獣を何とかしなければいけないのは当然。しかし、あれらの討伐に全力を出して宮殿周りの守りが疎かになっては意味がない。敵があれだけとは限らないからである。優先順位としてはあくまで王子たちの護衛が一番であって、合成獣の打倒はそれを達成するための手段。
とどのつまり、王子と王女の防衛と合成獣の討伐で人員を分けねばならないのだが、その分け方がまた難しい。本来であれば偵察人員が情報を持ち帰って、敵の脅威度を測定した上で割合を決めるのだろうが、それが出来ていない現状、その判断が付かないのだ。
結果として打って出る意向のアリューシアと、宮殿の守りを優先したいガトガとで、小さな意見の相違が発生した。
「……やはり、少数精鋭で打って出るべきでしょうね」
「そうなるか……」
いくつか意見を交わしていた二人だが、結局のところこの意見に落ち着いた。要は練達のみで突撃するという寸法である。そもそも、悠長に話し合う時間もそんなに残っていないしね。
彼女の案に関しては俺も賛成だ。正直に言って教会騎士団、ヴェルデアピス傭兵団双方の偵察人員が戻ってきていないことを考えるに、中途半端な戦力を向かわせても意味がない。被害がいたずらに拡大するだけ。
となれば、合成獣と張り合えそうな人員を厳選し、向かわせる。よしんば撃破は出来ずとも最低限、情報を持ち帰ることが出来るメンバーで行くべき。大軍で向かってしまうとその辺りの練度に差が出るし、何よりここの守りがなくなる。
こういう時にルーシーたち魔法師団が居れば格段に楽だったんだけどなあ。ないものねだりをしてもしょうがないので、それは諦めるしかないんだが。
「ラズオーンは殿下の守りと指揮のために残ってください。私たちが行きます」
「……すまねえ、頼む」
問題は合成獣の討伐に向かうメンバー。ガトガはアリューシアの言う通り王子殿下の守りに加え、教会騎士たちを指揮する立場にある。この場を離れるのは心情的にも得策ではないだろう。
「合成獣には俺が当たろう。アリューシア、構わないね?」
「……! は、はい。もとよりお願いするつもりでしたので。当然私もご一緒致します」
「心強いね」
そして俺も、討伐に向かうつもりだ。むしろ、俺に出来ることはそれくらいしかない。
俺には部隊の指揮も出来ないし、戦略を練る頭もない。剣を振るしか能のない男である。だが、剣なら振れる。いつだったかアリューシアに語った言葉は決して嘘ではない。俺の剣で事態の解決の糸口が見つかるのなら、喜んで振るう心積もりだ。
それに、これは口には出さないけれど。合成獣とやらが一体どれほどの強さを持つ化け物なのか、個人的に気になっている部分もある。
俺の剣、俺の技術が果たしてどこまで通用するのか。ワクワクすると言ってしまえば非常に聞こえが悪いが、些か気分が高揚してしまっている。隣国とは言え国家の存亡がかかった一戦を、楽しみだと感じている自分が居る。随分と好戦的な性格になってしまったなあと、心の中で一人ごちることになった。
「アリューシア、ベリル。あなた方の剣に、期待しています」
「お任せくださいサラキア王女殿下。必ずや万難を排して見せましょう」
サラキア王女殿下の激励を受けて、一層の気合が入る。事実として俺たちが抜かれたら大分ヤバいので、気合の入れどころではあるんだけれど。
「俺とプリムも行くぜ。受けた仕事だし、クリウの安否も気になるんでな」
「私は団長が行くところならどこでも付いていくよー」
俺とアリューシアの参戦に、ヴェルデアピス傭兵団のハノイとプリムが加わる。まあ気持ちの持ち処はひとまず置いておくとしても、単純な戦力としてはありがたい。特に魔術師が戦線に加わるのは大きい。俺たちじゃ結局、近付いて斬ることしか出来ないからな。
「そう言えばラズオーン。ヘンブリッツを見かけませんでしたか」
「ああ、大聖堂で合流したぜ。制圧後はレベリオの騎士を連れて一般市民の避難誘導に当たってもらってる」
「分かりました。そちらはそちらで継続するようヘンブリッツに伝えてください」
「了解だ」
大聖堂内に残ったヘンブリッツ君も、無事動く死体どもを撃破したらしい。それは素直に嬉しい一報だ。まあ彼があんなところで不覚を取るとも思っていなかったけどね。それでも信頼出来る情報として、無事を確認出来たのは僥倖である。
王子と王女は宮殿で待機。ガトガたち教会騎士団は宮殿と市民の防衛。レベリオ騎士団はヘンブリッツ君が陣頭指揮を執り、避難誘導。王国守備隊の面々もきっとディルマハカの守備に就くだろう。
となると、今この場に居る人間で身の振り方が固まっていないのは、ただ一人。
「……純白の乙女」
その一人に、俺から声を掛ける。
彼女の今の立場は、ただの流れの傭兵だ。どこから依頼を受けているかは分からないけれど、少なくともこの場に彼女を指揮出来る人間は居ない。だから、俺が声を掛けたって構わないはずである。
「君は、グレン王子の傍であのお方を守ってあげなさい。それが、君の役目だ」
「……!」
前線の戦力から純白の乙女が抜けるのは痛い。彼女の強さを知っている身からすると尚更そう思う。
けれど、仮に合成獣討伐が上手くいったとして。別の形で何らかの襲撃があり、万が一グレン王子やサラキア王女の身に更なる危険が迫ったとしたら。一番絶望の海に沈むのは、きっと彼女であろうとも思うのだ。
本来守るべき者を襲った過去。それは消えない。しかしそんな特大の傷を持ちながら、彼女は今ここに居る。であれば、この子が果たすべき最優先の任務は、他の何に代えてもグレン王子殿下をお守りすることにある。少なくとも俺はそう考える。
きっとそれが、彼女の贖罪の一つにもなると思うから。
「……ベリル。この者は」
「信用出来ます。実力的にも、人間的にも」
グレン王子が零そうとした疑問に、即座に答える。王族の言葉を途中で遮るという最高の無礼をかましてしまったが、状況が状況なのでなんとか許してほしい。
「グレン王子殿下。一つだけ質問を許していただけますでしょうか」
「……許可しよう」
合成獣の下へ向かう面子が決まり、あとは出発するだけ。そんなタイミングではあるけれど、誠に失礼ながら一つだけ彼に問いたい内容があった。
「貴方は教会騎士団を、ガトガ・ラズオーンという男を、信頼していますか」
「無論だ。彼らは我が国の誇る矛であり盾である。信頼しないはずがない」
「……ありがとうございます」
そんな俺の問いかけに、彼は一つの間も開けることなく返した。強い確信を持っていないと紡げない言葉である。
これなら安心だ。グレン王子の返答を聞いて浮かんだのは、そんな感想。
純白の乙女。彼女が今後一生涯をかけてその正体を隠し通すのは、現状では恐らく不可能である。
そもそも隠遁するのであれば、傭兵としてこの国の騒動なんかに関わらなければよかった。俺は不才の身ではあるが、そんな俺でも他にいくつかの手段は思いつく。俺なんかより遥かに地頭のいい彼女なら、それこそ様々な選択肢が頭に浮かんだはずだ。
「そうであれば、彼女は信頼に値します。間違いなく」
にもかかわらず、彼女は今この場に居る。それはつまり、形はどうあれこの国の未来に関わる選択をしたということ。ならば、たとえ過去と同じ身分を手に入れることは不可能だとしても。グレン王子の信頼は勝ち取れると思うのだ。彼は決して、凡愚ではないのだから。
それに、ガトガが今この場で何も言わない、というのもその推測の裏付けでもあるしね。彼が本当に拙いと思っているのなら、どうにかして彼女をここから引き剥がすだろう。それを押し通すくらいの発言力はある。
「……分かった。その進言、心に留め置いておこう」
「ご配慮、痛み入ります」
グレン王子が気付くのか、純白の乙女が正体を晒すのか。その結末は分からない。けれど、王子も彼女も、この国の未来を憂う気持ちは本物だと信じたい。そしてそうであれば、二人が再び手を取り合う未来も、きっとある。
「こちらで馬を用意する。使ってくれ」
「ありがとうございます」
俺とグレン王子のやり取りを静かに見守っていたガトガ。話が一段落ついたと見るや、彼が移動手段として馬の手配を申し出てくれた。
教都というだけあってディルマハカは普通に広い。徒の移動だけでは限界があるからな。特に俺は。
「俺たちも使っていいのか?」
「ああ、ただし持ち逃げは許さん。ちゃんと返しに来い」
「おお怖。王子サマの御前での約束だ、反故にゃ出来ねえな」
まあ俺たちだけ馬に乗ってハノイとプリムは徒歩で、なんておかしな話でもある。戦力として頼りがいがあるのは間違いないからな。依頼元がどこかは依然として分からないままだが、今まで見聞きしてきた性分から考えるに、契約を易々と反故にすることもないだろう。
「ではグレン王子、サラキア王女、宮殿の中へ」
「ええ、お願いします」
馬の手配をしている間、王子と王女をここで待ち惚けさせるわけにもいかない。彼らには一刻も早く安全な場所まで退いてもらわねばならないため、ガトガが手近の教会騎士に声を掛け、宮殿内への護衛に就けた。
「……」
その二人に付いていくかどうか。その逡巡が、仮面の女性からは見受けられる。
「行きなさい。俺には俺の役目があって、君には君の役目がある。それはきっと、今この時だから」
「――はい」
そう伝えると、彼女は小さく返事を口にし、宮殿に消える二人の後ろ姿を追いかけていく。
これでいい。純白の乙女には役目がある。グレン王子殿下をこの騒動の最後まで守り抜くという、大事な役目が。そしてそれはただ王子のお身体が大事なだけではなく、彼女がこの世界に再び戻ってきた以上、付けなければならないけじめでもある。
「お待たせしました!」
しばらく後、宮殿の前には教会騎士らに連れられた体格のいい馬が到着する。これで俺たちもようやく移動が出来るわけだ。前線が崩壊していないことを祈りたいところだが、こればっかりは現場に到着しないと分からないからな。
「よ……っと」
馬に跨り、幾分か高くなった視線で外を見やる。宮殿からそう遠くないところで派手な土煙が複数、舞い上がっていた。合成獣さんは今のところ元気に暴れまわっているらしい。腕が鳴るね。
「行きましょう、先生」
「ああ、大捕り物になりそうだ」
アリューシアを先頭に、四騎の馬が駆ける。
さて。純白の乙女――ロゼ・マーブルハートに役目を説いた以上。
俺は俺の、剣士としての役目を果たしに行くとしよう。




