第211話 片田舎のおっさん、思考を巡らせる
「な、何者だ! 止まれ!」
拝廊の扉が破られたことで、ようやく室内に居た他の教会騎士も動き出す。
いやー、流石に動き出しが遅すぎないか。ガトガのことは信用しているけれど、こうなってくると教会騎士団の今の練度の方が心配になってくる。
もしかして組織の浄化のために大鉈を振るったとかそういう感じなのかな。実力も実績もあるが、思想的に怪しいやつを積極的に弾いていった結果、ベテランが残らなかったのかもしれない。
まあ、今そのことはどうでもいいか。喫緊の課題は襲撃者どもからグレン王子とサラキア王女を守り、どこかに護送すること。なんだかバルトレーン南区で起きた事件を思い出すね。間違ってものんびり構えていられる状況ではないが。
「き、気を付けろ! そいつら止まらな……ぐあっ!」
外に居たであろう騎士の一人が忠告を飛ばす。恐らく最初に切りかかった騎士だろう。しかし彼はその全てを喋り終える前に、雪崩れ込んできた襲撃者の波に呑まれて沈んだ。
生きているかは分からない。教会騎士は皆堅牢なプレートアーマーに身を包んでいるから、単純な圧力では死なないことを祈るしかない。
「アリューシア! 我々を守りなさい!」
「はっ!」
そして襲撃を受けて誰かが何かを口に出すよりも先。聖堂の最奥近くに居るサラキア王女殿下がまず檄を飛ばした。他方、グレン王子の表情は驚愕に濡れており、前後不覚にまでは陥っていないものの、咄嗟の指示を飛ばせる状態とは思えなかった。
サラキア王女殿下のメンタル、とんでもねえ強さである。普通は戦いに身を置いていなければ、こんな状況下ではまず命令なんて出せない。悲鳴を上げて恐慌状態にならないだけでも凄いのに、瞬時に自分のみならず、我々を守れと指示を飛ばせる強さは流石の一言に尽きる。
名を呼ばれたのはアリューシアだけだが、拝命頂いたからにはしっかりと務めを全うしようじゃないか。
「アリューシア、胴体か下半身を確実に切り捨てるんだ。じゃないとアレは止まらない」
「――分かりました」
迎撃の構えを見せるアリューシアに一つ助言を送っておく。あれは人の形をしたナニカであって人間ではない。よって多少痛めつけたところで止まりはしない。確実に機能停止に追い込む必要がある。
残念ながらというか幸いというか、俺はアレと戦ったことがある。いや、戦ったという表現はやや不正確か。俺がやったことは怒りに任せて切り捨てただけだから。
レビオス司教が祝詞を唱えて木箱から出てきた死体。動きも状況も、あれと酷似している。違いがあるとすれば、推定ミュイのお姉さんのような斬るのを躊躇う顔が見えないのと、数が多すぎることくらいか。
遠慮なく切り捨てられるという点で言えばありがたいのかもしれないが、いかんせん数が多い。
これだけの数の死体を集めるのはさぞ苦労しただろうな。間違ってもこれをやらかした主犯に労いの言葉はかけたくないけれど。
「戦える者は迎撃を! 両殿下をお守りするのです!」
叫びながら、アリューシアが吶喊。先頭をひた走る侵入者を神速の名に違わぬ速度で沈めていた。
一対一なら俺やアリューシア、ヘンブリッツ君であれば絶対に負けない。しかし問題は数である。
突出した個人が俺の周りにやたらと多いせいで誤解しそうになるけれども、戦いの基本は数だ。どんな手練れであっても全方位から囲って殴ればそれで終わってしまう。しかも今回の相手は痛みやショックで止まる手合いではない。
更にはただの殲滅戦と違い、俺たちにはグレン王子とサラキア王女を守り抜くという条件まで付随する超難易度ミッションだ。あまり前に出過ぎるとそれはそれで危険な気がするね。
「くそ! やるしかない!」
「おい! 俺の剣はどこだ!?」
サラキア王女殿下とアリューシアの檄でやっと周囲も動き始めた。我先にと武器を保管してある側廊に人が集っていく。
本当、我ながら良い判断をしたものだ。あんなに人がごちゃついていては、自分の武器を選ぶのすら一苦労しそうである。
「……んん!?」
さて、俺も眺めるだけでなく戦闘に参加せねばと思ったところ。侵入者の波の中から、明らかに動きの違う者が何人か飛び出してきた。
「行かせないよ!」
「……ッ!」
飛び込んできた黒ずくめの人間を堰き止める。手には切れ味の鋭そうな短剣が握られていた。
こんにゃろう、死体の山に暗殺者を隠してやがったな! 中々狡いことを考えるやつも居るものである。
しかしこれは、いよいよもってバルトレーンで起きた王族暗殺未遂事件と色が似通ってきたぞ。となるとやはり、仕掛け人としては教皇派の可能性が濃厚か。まあ今回の婚姻の儀だって、本来は教皇様があの祭壇に立つ予定だったらしいし、こうなることを見越して欠席したのかもしれない。
替え玉よろしく矢面に立たされたダートレス大司教は気の毒だが、彼も教皇派だってこともあり得るからな。見る限り突然の事態にビビり散らかしている様子なので、その可能性は低そうではあるけれど。
「ふんっ!」
「ごっ……!」
短剣での突撃を堰き止めた直後、暗殺者は手首を返して俺の首へと狙いを定める。
しかし悪いが、俺には見えているんでね。返された右手首を左手で掴み、腹に剣を突き刺して終いだ。動く死体と違って普通の人間は致命傷を負わせれば確実に止まる。致命打から発する痛みを無視出来るほどご立派には出来ちゃいない。まあそれは俺も同じだが。
「サラキア王女! とにかく身を屈めてください!」
「はい!」
護送するにしても、道を作らねばならない。そしてその道はすぐに舗装出来るわけでもない。ある程度掃除が終わるまで、彼女たちにはとにかく身を守ってもらわねばならん。
そう思って咄嗟に声を出したが、これマジで南区で起きた事件と同じ流れだな。あの時もこうやって声を掛けていた記憶が蘇る。違いとしてはサラキア王女殿下に戸惑いがなく、グレン王子の肩を押し込んで一緒に屈んだくらい。本当に強い人だと思うよ。
「――!」
そうこうしているうちにも、側廊から武器を持ち出せた人々が各々迎撃を行っていた。その中で一際目を引いたのが、例の仮面を被っている女性。
得物はショートソードだろう。俺たちの持つ剣より幾分か剣身の短いそれを器用に操りながら、物言わぬ襲撃者を切り捨てていく。横合いから突っ込まれた際には、こちらも同じく預けていたのか、左腕に装着したバックラーで綺麗に弾き飛ばしていた。
「あれは……そうか」
見事な体捌き、そして剣捌き。相当な練達であることが窺える。どこの所属かは知らないが、ああいった腕利きが少なくとも敵ではないことは素直に喜ばしい。
しかしそれ以上に。俺には彼女の動きに見覚えがあった。
持っている武器は違う。盾もバックラーなんて使っていなかった。けれどあの動き方は確かに、俺の記憶にある彼女の戦い方と奇妙に一致するのだ。
装備も髪型も違う上に、仮面を着けているもので実際に戦い方を見るまで気付けなかった。いや、一人の女性を思い出す切っ掛けが戦い方でいいのかという疑問は置いておくとしてね。
どんな因果が働いて、今彼女がこの場に居るのかは分からない。だが、何も考えなしでいるわけでもないだろう。今俺が抱くべき感情はそんな感傷ではなく、戦場に於いてよく知った腕利きが確実に味方である事実に感謝すること。ただそれだけだ。
「うぎ……っひえああああっ!?」
「……くっそ!」
仮面の女性に一瞬気を取られていた間に、そう遠くないところで一人の男性が襲撃者に押し倒される。
当然だ、今この場に居る者全員が戦えるわけでは決してない。教会騎士たちも健闘してはいるものの、ただでさえ敵の数が多いのに加え、誰が戦えて誰が戦えないのか、そして戦える中でも一人で大丈夫な者とそうでない者。その区別をつけるのが極めて難しい。
結果として、各々のキルゾーンを保持しながら中央の身廊だけは死守する。そんな形に何となく場が収まってしまった。そうなれば当然、場に適応出来ない者から沈んでいくことになる。
「……数が多いな……!」
はっきり言って、この場に居る全員を守るのは不可能だ。優先順位を付けるしかない。そしてその優先順位のぶっちぎりトップはグレン王子とサラキア王女の二人である。暗殺者が紛れ込んでいることが判明した以上、知らん人間を二人に近付けさせるわけにもいかなくなった。
恐らく、こちら側の被害を考慮しなければ勝てるには勝てる。相手は数こそ多いもののほとんどが動く死体で構成されており、一人当たりの戦力としては低い。
問題は、その被害が絶対に許されない人物が居るということ。逃げるにしても正面は動く死体で埋められており、単身で突っ込むならともかく、重要人物二人を守りながら抜けるのは至難。バルトレーンの時と違い、ある程度自由に動けるフィールドではない事実がかなりきつく圧し掛かってきている。
というか、アリューシアやヘンブリッツ君はまあ自衛出来るからいいにしても、この場には出来れば守りたい人物が多い。トラキアスら外交官もそうだし、イブロイも見殺しにしたとあっては流石に寝覚めが悪い。
「ほっ! ――まったく、品のない者たちだね」
そう言えばイブロイはどうしているんだと視線を回したところ。丁度そこには、腰を落とした見事な構えで拳をぶっぱなす司教様の姿があった。
いや、あのおっさん戦えるのかよ! 確かにスフェン教は回復魔法と強化魔法を奇跡と呼び、それを信仰しているから、彼がその技術を修めていること自体に違和感はない。
それにしたってあの動きは、ただ魔術を修めているだけの人間のものじゃない気がする。胡散臭いとは思っていたが、まさかしっかり戦える人間だとまでは思わなかった。まあこれは現状に即して言えば嬉しい誤算というやつだ。守る対象を一人減らすことが出来る。
「しかし……どうしたもんかな!」
迫り来る死体を斬り伏せながら、考える。
正面はダメだ。動く死体と暗殺者の組み合わせの中を突破するのは絶対に被害が出る。俺たちが多少怪我するのはいいにしても、王子王女に万が一があってはならない。
となると、どこか別の出入り口から脱出を試みたいところ。しかし悲しいかな、俺は教会建築に詳しくない。恐らくこの規模の建物なら裏口の一つや二つあっても何ら不思議ではないが、肝心のその場所が分からない。まさか護衛対象を先行させて逃げるわけにもいかないし。
加えて、正面をこれだけの物量で抑えられている現状、その裏口とやらが安全かどうかという疑問が残る。あえて突撃を正面に限定させ、裏口から逃げる連中を待ち伏せ、なんて可能性も十分に考えられる。誰かを偵察に出せばいいのかしれないが、こんな状況下では人選が難しい。
俺は無理。そもそも場所が分からん。アリューシアやヘンブリッツ君も詳しいというほどではないだろう。大聖堂に足を踏み入れるのは初めてだと言っていたしな。
教会騎士団の誰かというのも完全には信用し切れない。腕もそうだし味方かどうかの確証がない。王子王女を出すのはもっての外。
となると、仮面の女性かイブロイあたりか?
「……ん?」
そこまで考えて二人のどちらかに声を掛けようかと思ったところ。
室内であるはずの大聖堂の中に、突如として靄が掛かり始め。それは間もなく、数歩先を見通すのも難しい濃霧へと姿を変えた。
「げっ」
この霧、めちゃくちゃ見覚えがある。具体的に言えば、フルームヴェルク領からの帰りに遭遇したあれだ。
マジかよ、ここにきてあいつらのおかわりは激烈にしんどいぞ。いよいよ守り通せるか不安になってきた。
「おぅらよっとォ!! 王子サマ王女サマ、こっちだ!」
突然の視界不良に皆が混乱し始めた頃合い。
バカでかい破壊音とバカでかい叫び声を携えながら、黒のロングコートに身を包んだ数人が翼廊の方向から突っ込んできていた。




