第208話 片田舎のおっさん、剣を預ける
「アリューシア・シトラス様にベリル・ガーデナント様ですね。サン・グラジェ大聖堂へようこそ」
無事スフェンドヤードバニアの教都ディルマハカへ到着し、ガトガとアリューシアにざっくりとした道案内を受け、その後年明けまで特に予定がなかったために頑張って庭先で自己鍛錬に励み。遠征中お邪魔させてもらっている家主からもようやく鍛錬の理解を得られてしばらく経った頃。
俺はグレン王子とサラキア王女の成婚の儀を見届けるため、そして護衛のためにディルマハカの大聖堂へと足を運んでいた。
年が明けたとはいえ、正直あまり実感はない。自宅でのんびりしていたらミュイとささやかなお祝いくらいはしていたかもしれないが、生憎とそんな状況ではないからな。
ビデン村というごく狭い世界から視野が広がったのは喜ぶべきことではあれど、逆に知名度や立場が上がってしまい、遠征の頻度が増えてしまってもそれはそれで困る。
中々にこういうのは適切な落としどころが難しい。特に俺個人の裁量で落としどころが決められないところまで事態が発展するともっと困る。丁度いい立場ってのはやっぱり難しいね、色々と。
「……間近で見ると凄い大きさだな」
益体もないことを考えながら、眼前に聳える大聖堂に視線を移す。
大聖堂の場所は何となく分かってはいた。大通りの突き当りが大聖堂である、非常に分かりやすい。
ただ別段用事もなかったもので、わざわざ近づいたり訪ねたりはしていない。どうせ王子と王女の結婚式はここで挙げるのだから、その時に改めて見ればいいと思っていた。
しかし今、この大聖堂を目の前にして思ったことは、ちょっとくらい時間を作ってじっくり見に来ておけばよかったなという、なんともな感想であった。
「スフェンドヤードバニアの誇る大聖堂ですから」
「確かに……これは誇るのも分かるよ」
単純に大きい、というのは勿論ある。デカい建造物には皆畏怖を抱きがちだ。
しかしこのサン・グラジェ大聖堂には何というか、得も言われぬ迫力というか荘厳さというか……そういうものがひしひしと感じられるのだ。別に俺は信心深いわけじゃないし、スフェン教を信仰しているわけでもない。だがこの大聖堂からは、そういった信仰に足る神聖さが備わっているように見えてならない。
丹念に積み上げられた石壁からは、相応の年月が感じられる。最新の技術を使って最近建てられたものではないだろう。となると、現在よりかなり昔の人々がこれを一から作り上げたことになる。
無論、都度改修などはされているはず。それでもこの石造りの巨大な建造物を、人の手で作り上げた執念は見事という他ない。これを間近で見ることが出来ただけで、スフェンドヤードバニアに来た甲斐はあったと思わせるほどのものであった。
長らく世界の広さに目を向けず、ビデン村という田舎に引きこもっていたおっさんの貧弱な語彙では、それ以上の表現が難しい。芸術や歴史に興味がないとは言え、ちょっと情けなくなってきた。
「ここで挙式か……きっと素晴らしいものになるだろうね」
「ええ、まったくです」
こんな大舞台で互いに生涯の愛を誓う。勿論今回は王族同士の結婚だから、全部が全部純愛というわけではないにしろ。それでもこの大聖堂で祝福を得られるのは、さぞ素晴らしいことであろうと思う。
俺の場合はどうだろうな。よしんば相手に恵まれたとしても、こんな壮大な場所だとこっちが気後れしてしまいそうだ。慎ましやかに、けれどしっかりと愛を確認出来れば俺はそれで充分。まあ、そんな心配をするより先に相手を見つけろって話ではあるんだが。
「流石に広いねえ」
敷地を区切る大正門を潜り抜けた後、目に入るのはこれまた広大な中庭であった。
スフェンドヤードバニアの国土はレベリス王国や周辺国と比してそこまで広いわけではないが、聖堂一つに物凄い土地の割き方である。それくらいスフェン教に力を入れていると言うべきだろうか。
本日の天候は晴れながら寒風やや強し。壁で区切られている中庭と言えど、こうも広いと中々に風が強い。レベリオ騎士団の外套がなければ隅っこで震えていたかもしれないな。こんなところで身体を温めるために運動するわけにもいかないし。
中庭、あるいは大聖堂に通じる軒下は、成婚の儀が始まるまでの待機地点となっているのだろうか。
こんな寒い中で待たせるくらいならどこかに入れてくれとも思うけれど、まあ大聖堂というくらいだから神聖な場所なんだろうな。普段は礼拝のためなんかに開放しているかもしれないが、王族の結婚ともなれば、お披露目までの間は限られた人しか入れませんと言われても納得するしかない。
「――おや、ベリル君じゃないか。久しいね」
「……イブロイさん?」
特にアリューシアと会話が弾むでもなく、何となく手持ち無沙汰となっていたところ。自分の名を呼ぶ声に気付く。
振り返れば、そこにはいつものようにローブを羽織った細目の聖職者、イブロイ・ハウルマンがやや意外そうな顔つきでこちらを眺めていた。
「イブロイさんもおられたんですね」
「それはそうだろう。僕はスフェン教の信徒で司教なんだから」
「それはまあ確かに……」
まさかここで出会うとは露ほども思っておらず。こちらも大いに意外そうな声で反応してしまったところ、向こうからは当たり前のように返されてしまった。
そりゃまあ言われてみれば、イブロイはスフェン教の信徒であり、最近司教様になったお偉いさんである。感覚が若干麻痺してしまっているが、一宗教の司教ってそう易々と会えるもんじゃない気がする。これもまた、バルトレーンで紡がれた縁の一つと言えなくもない。
「ハウルマン司教。ご無沙汰しております」
「アリューシア君も、壮健な様子で何より」
俺とイブロイの挨拶に一拍遅れて、アリューシアも言葉を交わす。
改めて思うが、バルトレーン内のみに限らず、レベリス王国と関係のあるお偉いさんとアリューシアは大体が知己である。むしろアリューシアが完全に初対面なお偉いさんを探す方が難しい。つくづく彼女はとんでもない立場に居る人間だ。
そしてそのアリューシアに対して、対等な挨拶を交わしているイブロイもまた底が知れない。
そもそも彼はあのルーシーを君付けで呼ぶくらいである。今は司教という一定の立場を持っているものの、彼が司教になったのは割と最近のことだ。
レベリス王国内では国教でも何でもない、一宗教の司祭がルーシーやアリューシアと対等な関係を築けるのかと問われると、ちょっと難しいように思う。いやまあ、それを言うと俺はなんなんだという話にもなるからあんまり言わないけどさ。
「ふむ……二人で観光旅行ついでに見に来た、とか?」
「まさか。サラキア王女殿下をお守りする役を仰せつかっております故」
「ははは、分かっているとも。冗談だよ」
イブロイがこの婚姻の儀に出席することは、考えてみればさほど不思議ではない。
どちらかと言えばアリューシアはともかくとして、俺がこの場に居る方に場違い感がある。少なくとも俺はそこはかとない疎外感を絶賛痛感しているところだ。仕事でもなければレベリス王国どころか、バルトレーンを出る理由すらあんまりないからね俺には。
「ただ、ディルマハカも悪くはない場所だ。時間があればここ以外も見て回るといい」
「ありがとうございます」
彼の言う通り、ディルマハカはなんだかんだでそこそこ栄えている都市ではある。見て回るだけでもまあまあ楽しいというのは間違いないだろう。
しかし、観光旅行か。今まで田舎に引きこもっていた分、まとまった時間が出来ればそういうのも悪くないのかな、とも思う。別に特定の目的地があるわけでもないが、こうやって少しでも外に目を向けることが出来るようになったのも、大本を辿ればアリューシアのおかげと言えなくもない、かもしれない。
いずれ諸々が落ち着いたら、ミュイとどこかに旅行をしてみるというのも悪くないのかな。ビデン村に少し顔を出した程度じゃ旅行とは呼べないだろうし。自分のためというよりは、ミュイの将来のための知見を得る手段と考えれば、まあ適度な頻度の遠征ならアリかもしれん。
なんだか自分の中で意見がころころと変わっているようにも思えるけれど、まあそれくらい考えることが多くて、また先行きに対する不安も大きいということにしておこう。
「おっと、そろそろ入場が出来るようだね。では、僕はこれで」
「ええ、また」
イブロイと簡単な挨拶を交わしていると、どうやら大聖堂の拝廊の方で動きがあったらしい。人の波がぞろぞろと集まっているのが見える。彼の言う通り、入場が出来るようになったのだろう。
「これだけ外観が荘厳だと、中も気になっちゃうね」
「私も中を見たことはありませんが……さぞ美しいものだと思います」
「違いない」
イブロイが去り、アリューシアと二人で雑談を交わしながら拝廊へ向かう。流石にこの位置から拝廊の中は覗き見ることは出来ないものの、言った通りサン・グラジェ大聖堂の内観に対する期待値が上がっている。
無論、今回の本領は観光ではなく護衛である。それは分かっているが、目に見える風景を楽しむくらいの余裕はむしろあった方がいいだろうしね。切羽詰まっていると何事に対しても反応が遅くなる。勿論、何もないことが最上ではあるけれど。
「失礼。こちらで皆様の武器をお預かりしております」
さて、中身はどんなもんかなと少しばかり胸を躍らせながら大聖堂の内部へ入ろうとしたところ。
恐らく警備担当であろう教会騎士の一人から、俺とアリューシアが呼び止められた。
「……我々はレベリオ騎士団の者です。そのような説明は事前に受けておりませんが」
「無論、存じております。しかしグレン王子殿下、サラキア王女殿下双方のご安全確保のため、何卒ご理解ください。周辺は我々教会騎士が責任をもって警備いたします故」
「……」
どうやらここで武器を預けろということらしい。まあ武装解除しろってことだな。
理屈としては通る。なんせ今から執り行われるのはスフェンドヤードバニア、レベリス王国双方の王族同士の結婚だ。万難を排すためにも、一般の人に武器を持ち込ませない処置は当然とも言えた。
問題は、俺たちはその一般の人ではなく、そしてレベリオ騎士団の団長であるアリューシアがその旨の説明を受けていないことにあった。
加えて、これは理屈というより感情論になるが、スフェンドヤードバニア教会騎士団を完全には信じ切れないというのも大きい。
ガトガが苦心して組織の浄化に努めているのは知っている。彼の人柄と能力は今更疑うまでもない。だが、仮にガトガ主導でこの武装解除を進めていた場合、その連絡はアリューシアにあって然るべきではなかろうか。
無論、急遽決まった可能性もあるだろう。最初はレベリオの騎士と教会騎士団は武器を所持してもよい方向で話が進んでいたが、どこからか横槍が入って今の形に収まった、とかね。
しかし、今からそれを確認する術がない。ここにガトガが居れば話は違ったのだろうが、彼は今ここには居ないからな。
ちなみに。サラキア王女殿下の護衛は俺たちの主任務だが、彼女が過ごしているこの国の宮殿にレベリオの騎士は配属されていない。まあこれはある意味で当然で、国の心臓部に他国の人間、それも武力を持った者を複数人常駐させるわけにはいかないからだ。だから俺も別で仮の住まいを充てられたわけだし。
王女様の身辺警護については、ディルマハカに到着してからは主にスフェンドヤードバニアの人間と、王国守備隊が担当している。
きっとこの辺りも色々と思惑があるのだろうと思う。恐らくだが今、サラキア王女殿下の身辺警護をしている者たちは、王女付きのロイヤルガードとしてスフェンドヤードバニアに残留する者たち。
彼女はグレン王子と結婚しても王家の血筋こそ失われないものの、レベリス王国内での実権は失う形になる。他国に嫁ぐのだからそれはそうだ。となると、彼女の意で動かせる戦力にレベリオ騎士団は今後含まれない。他国の人間の命令で国の騎士団が動くわけにはいかないからな。
まあ別に、サラキア王女が直接軍の指揮を執ることはないだろうけれども、そういうのも含めてレベリス王国に居た頃とは環境が変わる。その予行演習といったところだろう。
「このことを、ラズオーンは?」
「勿論、ガトガ団長の承認を得た行動です。参列者の皆様の武器は側廊で一所にまとめてお預かりします。皆様からも見える位置に収め、また盗難等の防止のため教会騎士が二名、専属で見張りに付きます。……この配置案は、ガトガ団長から出されたものです。どうかご容赦頂きたく」
色々と考えていたら、アリューシアが教会騎士に対して結構圧のある態度で接していた。まあいきなり武器を渡せなんて言われたら、ちょっとは抵抗したくなる。俺たちは素手でも戦える魔術師ではなく、あくまで剣士だからね。
けれど、今の会話から少し背景が見えてきたな。具体的には、彼が嘘を吐いていない前提ではあるものの、元々はがさっと武器を没収してしまおうみたいな強硬案だった可能性だ。そこにガトガが待ったをかけて、今の状況になんとか持ち込んだ、という見方も出来る。
まあ、全ては俺の勝手な憶測だけどさ。ただ当たらずも遠からずって感じではなかろうか。多分。
「……分かりました、従いましょう。ただし、剣というものは我々騎士や剣士にとっての命です。丁重な扱いを望みます」
「存じております。私も騎士の端くれですから」
「よろしくお願いします。先生もそれで構いませんか?」
「ああ、君が納得しているなら従うよ。ただ俺からも、丁重に扱ってほしいとは言っておこうかな」
「勿論です。では、お預かりいたします」
ガトガが付け加えたとされる管理条件を、最終的にアリューシアは呑んだ。ここで嫌だ嫌だとゴネても仕方がない部分は確かにあるからな。一応目に見える場所でちゃんと預かってくれるらしいということを、一旦は信じるしかない。
俺もアリューシアに同意を返しつつ、腰から鞘を外す。本来身につけなければいけない状況で剣を手放すというのは、剣士にとっては中々のストレスにもなる。この場に参列する者は皆同じだから、耐えるしかないんだけれど。
「確かに、お預かりいたしました」
俺とアリューシアの剣を受け取った教会騎士は、いっそ恭しくも映る手つきで剣を運んでいた。
あの様子なら、少なくとも彼個人は乱暴な扱いをしないだろう。後はちゃんと見えるところに置いてくれればそこまで不安はないかな。万が一が起きないに越したことはないが、それが起きてしまったらすぐに剣を手に取りたいところだ。
「……ふぅ。落ち着きませんね」
「そりゃあね。アリューシアも言っていたけれど、剣は剣士の命だから」
「それもありますが、先生から賜った剣を一時でも他人に渡すというのが……」
「……これを機にもっと質の良い剣とかに」
「いえ、私にはあれが良いのです。あれが私の剣ですから」
「そ、そう……」
あれ本当にビデン村の鍛冶師に作らせた数打ち物の剣なんだけどな。まかり間違っても国を代表する騎士団長が身に着けていいグレードのものじゃないんだが、こっちの説得は随分と先が長そうである。
彼女がその身分と実力に相応しい剣を新たに装うのと、俺が結婚するのと、いったいどっちが早いんだろうか。本来は比べることすらおかしい二つの事象ではあるものの、双方とも極めて難易度が高い気がするよ。
「では先生、参りましょう」
「あ、うん。行こうか」
そんなどこか気の抜けた考えを持ちながら。俺たちはサン・グラジェ大聖堂の本堂へと踏み入った。




