第207話 片田舎のおっさん、大通りを歩く
「お待たせ」
「いえ、大丈夫ですよ」
さっと踵を返して使用人にこれから出かける旨と、自身を迎えに来た人物がレベリオ騎士団長と教会騎士団長であることを添えておく。これなら問題あるまい。
あとは自分の部屋に戻って外套を一掴み。外套の下は平服だが、まあこれも問題ないとは思う。そう言えば、アリューシアもガトガも騎士の鎧を着込んでいたな。恐らく完全なオフではないために、余計な見られ方をされないようにしているのだろう。
俺の場合は鎧がないもんで、騎士団由来の装備と言えばこの外套だけだ。俺の顔が全く知られていないディルマハカでは、この外套が唯一の身分証明手段となる。
それを考えると、不用意に平服で出かけるのも遠征中は控えた方がいいかもしれん。誰にどのような絡まれ方をするか分かったもんじゃないし、仮に力技で解決するとしても、面倒なことが起きる可能性がある。
身分を表す装備というのは存外に強力だ。それはミュイが魔術師学院の制服を着て出歩くことと規模こそ違うが似ている。彼女は決して人当たりの良い性格ではないものの、魔術師学院の生徒に手を出そうと考える輩は少ないからな。
「それで、今日はどういったルートで?」
レベリオ騎士団の外套に身を包み、これで余計な絡まれ方もしないだろうと安心したところで。本日の散策スケジュールを聞いてみる。アリューシアのことだし無計画な当てずっぽうというわけではないだろう。
「とりあえず大通りを中心に案内する。パレードじゃ脇道になんて入らねえからな」
「なるほど」
俺の質問に答えてくれたのはガトガであった。まあ普通に考えたらアリューシアより教会騎士であるガトガの方が地理に詳しいのは当たり前だ。ならば素直に彼の言葉に従っておくのが吉であろう。
それに言われた通り、グレン王子とサラキア王女の婚姻を祝したパレードを行うとして。わざわざパレードの本隊が路地に入る理由がない。大通りで盛大にやるはずである。
無論、路地裏も含めて警戒は必要だろうが、その辺りは教会騎士たちが担ってくれると思いたいね。
「最低限、迷わないくらいには覚えたいところだね」
「さほど心配はありませんよ。ディルマハカでは教会以外の尖塔がありません。高い建物を目指せば、基本的には大通りに出るはずですから」
「へえ……」
別に単独行動をするつもりはないけれど、肝心のパレードの護衛中に迷うような事態は避けたい。そう思っての発言だったが、どうやらあまり心配は要らないようである。背の高い建物を目指せば大きな通りに辿り着くというのは、まあ外部から来た人間にとっては割とありがたいことであった。
「名前の通り教都だからな、一番権威を持ってんのは教会だ。それより高え建物なんざ建てようと思っても許可が降りねえよ」
「そういうものなんですね」
歩きがてら、ガトガが補足の説明を入れてくれた。
言われてみれば論理の理解は出来るものの、この辺りの常識の違いというか、随分とバルトレーンとは趣が違うなあと改めて感じ入るばかりである。
バルトレーンで一番デカい建物と言えば当然王宮になるが、王宮のある北区と大型の建造物の多い中央区は、結構距離的に離れている。もしかしたら王国の法律か何かで高さ制限はあるのかもしれないけれど、普通に住んでいる限りは気にもしないことだ。
「おー……確かに」
しかしディルマハカでは、その規則が大分厳密に運用されているように感じられた。
試しに視線をあげて上の方を見渡してみても、確かに目立つような建物は少ない。そして目立つ建物は大体似たような尖った形をしている。きっとあれが教会のある場所なんだろう。
そう考えれば、いくつか教会の場所さえ覚えておけばおおよその地理は把握出来るようにも思えるな。パレードの行進中であっても、向かう先にデカい建物がどの方向にどれくらいあるかを分かっておけば、そうそう迷うことはなさそうだ。
「コツさえ掴んでおけば本格的に迷うことはそうないぜ。ちなみに今俺たちが居るのはランパウロ教区ってところだ」
「ランパウロ教区……?」
都市の歩き方を伝授頂いたところで、いきなり知らん名前が出てきたぞ。
「バルトレーンで言う中央区や北区のようなものです。ディルマハカでは教区という括りで都市内を管理していますので」
「なるほどね……」
要は都市内の区切りか。まあ統治する側としても土地の名前はあった方がいいからね。あのへん、このへん、では何も伝わらない。
しかし気になるのはランパウロ教区という呼び方である。スフェン教が国教として定められている以上、教区という名称に違和感を抱くほどではないにしろ、その前に付いているランパウロという名はどこからきたんだろうか。別に北教区とか南教区とかでいい気もする。
「ランパウロ、というのは……」
「区画を制定した時のお偉いさんの名前らしいぜ。俺もそこまで詳しくは知らんが――」
続く俺の疑問に、ガトガが彼の知る国の歴史を語ってくれた。
ガトガ曰く。
スフェンドヤードバニアという国はその成り立ちこそ古いが、別に最初からスフェンドヤードバニアとして在ったわけではないらしい。
この国で語られている歴史としては、昔の王国だかが求心力を高めようとして、スフェン教を国教として認定し、国名もあわせて変えたんだそうだ。だから、狭義のスフェンドヤードバニアとしての歴史はそこからがスタート地点になるんだってさ。
で、別に国の名前はどうでもいいにしても。当時の為政者の目論見通り、信徒を味方に付けたことで国は発展した。そうなると当然、居住地も含めた都市の支配面積は広がるわけで、発展に合わせて区画ごとに新たな名称を、あるいは既存の呼称の変更をしようということになったそうだ。
そこで候補に挙がったのが、当時その地を治めていたお偉いさん……司教とか大司教とか、そういう人たち。彼らから名前を拝借し、土地の名称とした。
つまり過去には、ランパウロさんという名のお偉いさまが実際に存在していたということになる。
まあ名付け方としては妥当だとは思う。権力者や多大な功績を挙げた者に肖って、土地や町村の名前を付けるというのは、昔から割とよくあることだ。
俺の故郷であるビデン村だって、昔ビデンさんが居たかもしれないしね。村の歴史については俺もそんなに詳しくないし、誰もそこまで興味を持っていない。実際どうだったかまでは正しく神のみぞ知るといったところだろう。
「――とまあ、こんな感じだ。スフェンドヤードバニアでは一般教養みてえなもんだな」
「なるほど、ありがとうございます」
とりあえず国の歴史の触りを教えてもらったところで、ガトガの説明は一息ついた。
まあ当たり前だけど、国にしろ土地にしろ人にしろ、何かしらの歴史がある。それを知ろうとするかどうかはまた別問題として。
俺としてはぶっちゃけた話、そこまで興味を惹くものではない。そりゃ知識の一つとして蓄えておくことに損はないけれど、積極的に学ぶかと言われたらちょっと怪しい。それよりも例えば、スフェンドヤードバニアで紡がれる独自の剣術などがあれば、そっちの方がよっぽど興味深いしね。
「教会騎士団がエストックを使っているのも、やはり歴史の一面があるんでしょうね」
「そうだな。唯一神スフェンが扱っていた武器として伝わっている」
騎士として扱う武器にケチをつけるつもりはないが、刺突剣というのは標準的な長剣に比べると扱いが難しい。斬れるには斬れるし長剣と同じ扱い方も出来なくはないものの、文字通り刺すことが重視されている剣なので、受けるには不向きだ。ちょっと間違えたら結構簡単に折れる部類の剣である。
一流の使い手なら、絶え間ない斬撃と刺突を織り交ぜた脅威的な攻撃が実現可能な武器ではあるんだが。まあそんなもんはどの武器でも同じだとしても、習熟難易度の差は如何ともしがたい。
それを考えるとロゼは勿論、レビオス司教を捕縛する際に対峙したシュプールという名の教会騎士は相当な手練れであった。あいつは正直メチャクチャに強い。ゼノ・グレイブル製の剣でなければ俺が普通に負けていた可能性があるくらいには。
教会騎士たちの平均値は分からないままだが、ロゼが副団長を務めていたということは、彼女は上澄みの部類だろう。流石にロゼやガトガ、そしてシュプールといった存在が平均であったならば、スフェンドヤードバニアはもっと存在感を放っているはずである。
「言ってる間に到着だぜ、大通りだ」
「おお……」
ガトガからこの国の歴史について聞きつつ、それらに少々の思いを馳せながらのんびり歩くことしばし。俺たち三人はディルマハカの大通りに辿り着いていた。
「中々の広さですね。これなら行進も問題なさそうだ」
「ああ、これをあっちにまーっすぐ行くと大聖堂に辿り着く」
大聖堂。聞くからに重厚な響きである。きっとこの教都ディルマハカの中心的な建物なのだろう。バルトレーンで言えばレベリス王宮みたいなもんかな。
「年明けに、グレン王子とサラキア王女の成婚の儀が大聖堂にて執り行われます。それから三日間、パレードを行う予定となっています」
「ふむ……」
ここでアリューシアから、今回の遠征のスケジュールについて情報が齎される。
それ自体に反対することはないものの、年が明けてから早々に儀式というのは俺の持つ常識からはやや外れる。大体こういうのって過ごしやすい季節というか、暖かい時期にやるものだと勝手に思っていた。
これは田舎だけが持つ考えなのかもしれないが、冬という季節は基本的に引き籠る時期である。
作物が育たないし収穫も見込めないし、加えて肉体労働にも不向きな季節。バルトレーンやディルマハカといった都会ではまた違うのかもしれないけれど、それにしたってわざわざ年始に慶事を合わせるというのは、やや奇異に映る。
「どうしてまた年明けの寒い時期にやるんだろうね」
「そりゃスフェン教の教えだな。年が明けると良否かかわらず、また新しく積み直されると信じられている。んなもんだから、年明け早々挙式する連中は多いぜ」
「はー……なるほど……」
どうやら宗教の教えだったようだ。それならまあ納得は出来る。
俺は別に神様や宗教といったものを殊更信じているわけではないが、もしも剣の神様が居たとして、寒風吹き荒ぶ時期にこそ剣を振れば真理の一端が見える、なんて言われたら多分振ってたと思う。そんな神様聞いたこともないけどね。
「今はサラキア王女殿下に、スフェンドヤードバニア様式のご説明と練習をして頂いているところです」
「他国に嫁ぐというのは大変だねえ」
良し悪しや優劣は一旦置いておくとしても、国が変われば文化が変わる。
今回は他国へ嫁ぐ形になるので、サラキア王女側がスフェンドヤードバニアに合わせることになる。そこではレベリス王国の方がとか、スフェンドヤードバニアの方がとか、そういう話はあまり関係がない。郷に入っては郷に従えという話だ。
しかも挙式の形式だけならいざ知らず、日常生活を送る上でも文化の違いというのは、小さいながら確実に差異として現れてくるだろう。あの王女様がそれでへこたれるとは思わないけれども、慣れるまでは中々にストレスを溜めてしまいそうだなと感じるね。少なくとも俺には難しい。
「ま、そこらのお勉強は置いておくとしてだ。とりあえず脇道に迷い込んじまったら、尖塔を探して歩くといい。大体は大通りに出られるし、最悪でも教会には着く。そこで道を聞けば問題ないだろうよ」
「分かりました。ありがとうございます」
バルトレーンと違って建物の背が平均的に低いから、尖塔を見つけるのは余程縮こまった路地にでも入らない限りは容易だ。そこから大通りに、最悪でも教会に着けば人に尋ねることが出来る。
わざわざ一から地理を叩き込むよりは大分シンプルで、かつ割と実用的な手に思えた。俺も道を覚えるのは苦手というほどではないにしろ、得意ではない。この辺りは冒険者とかの方が得意そうだな。
「……おっと」
ディルマハカの景色を堪能していると、くぅ、と腹の音が一つ。
そう言えば朝方に軽く鍛錬をして、彼らに呼ばれて街を散策して。今日はあまり腹の中にものを入れていなかった。散策もどこかに立ち寄るというよりは歩きっぱなしだったので、疲労感はそこまでではないにしろ腹が減ったな。
「よっしゃ、そんじゃどこかで飯でも食うか。基本的に大通り沿いなら何かしらあるからな」
「ははは、お恥ずかしいところを……」
腹が減っているのは事実だが、腹の虫を聞かれるのはなんだかちょっと恥ずかしい気持ちになる。
「では、私もお供いたします」
「ああ、うん。ただ飯を食うだけだからそんな大仰に言わなくても……」
別にアリューシアが付いてくることに問題は何もないんだけれども、そんなキリッとした顔で言われても反応に困る。ただ少し早い昼飯を食べるだけなのに。
こういうところ、なんだかんだでアリューシアとスレナって似ているところもある気がするんだよな。そんなことを本人の前で言うと互いに不機嫌になりそうなので、今のところ言うつもりはないけれど。
「適当に見かけたところに入るとするか。それでいいか?」
「ええ、ガトガさんに任せますよ」
「かっかっか! こりゃ責任重大だなァ」
まあ腹の虫も鳴ってしまったので、とりあえず飯を食おうということになった。ただし俺は店を全く知らないし、アリューシアも似たようなものだろう。なので先導役は自ずとガトガになる。
少しばかり暇があるとはいえ、任務期間中に昼間っから酒を飲むのは流石に拙い気がする。出来ればスフェンドヤードバニアの現地酒なんてのも楽しみたいところだが、それはまた次の機会に取っておくとしよう。