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第202話 片田舎のおっさん、困惑する

「では、失礼いたします」

「いやいやいやいや」


 何食わぬ顔で俺の部屋へ侵入し、そのままパタンと扉を閉めてしまったシュステ。にっこりと微笑みを湛えたままの彼女に対し、俺はただただ困惑して手を振るしか出来なかった。


「……何か問題でもございましたでしょうか?」

「いや、うーん……うぅん……?」


 俺が戸惑っているところに、シュステの疑問が差し込まれた。これはどう返すのが正解なんだろうか。

 正確に言えば、俺個人に問題はない。シュステは既に知己の仲だし、顔も名前も知らない侍女などよりは気が楽なのも確かだ。

 しかし今回は何も俺の個人旅行というわけではない。フルームヴェルク家長女という肩書は、この遠征で俺なんかを相手に消費していいものではないような気がしてならない。


 いや、来賓の接待をしようという心意気自体は分かるんだよ? 分かるけれども、わざわざシュステ自身が俺なんかを相手しなくてもいいだろうに。トラキアスとかもっとお偉いさんが居るだろ。

 俺は肩書こそ騎士団の特別指南役という大層なものを持ってはいるものの、今回の遠征においては外交的価値のないただのお荷物である。

 辺境伯家としては、折角スフェンドヤードバニアに渡るためにぞろぞろと政治屋たちが付いてきているのだから、そちらとの人脈構築に尽力した方がいいのではないのだろうか。俺と仲良くする利点って特にないと思う。自分で考えて悲しくなってくるけれど、それは事実だろうから。


「それでは問題もなさそうですので、お食事にいたしましょうか」

「ああ、うん……ありがとう……?」


 実際腹は減っているし食事はありがたいんだけど、彼女の行動が唐突過ぎてお礼の言葉が疑問形になってしまった。

 でも田舎出身の平民が辺境伯家の長女に配膳してもらうというのは、それはそれで罪悪感が凄い。今この部屋の中には侍女が居らず俺とシュステの二人きりである。


「あ、手伝うよ」

「いえ、ベリル様はお待ちいただければ」

「そ、そう……」


 流石にシュステを働かせて俺が待っているのは気が気でないために手伝いを申し出てみるものの、やんわりと封殺されてしまった。どうにも彼女の愛嬌のある笑顔には強く出られない不思議な力がある。

 アリューシアのような有無を言わさぬ類のものではなく、柔らかくこちらを包み込んでしまうような、そんな感覚。相手は遥か年下のはずなんだけどな。この辺りにもやっぱり人生経験の差というものは出てしまうんだろうか。俺なんて今まで只管剣を振っていただけだし。


 そんなことを考えていたら、部屋のテーブルの上にどんどんと料理が並べられていく。

 お貴族様って普通は自分でこういうのをやらないイメージなんだけど、シュステの所作はそれを感じさせない。普段から侍女を差し置いて自分で飯を取っているとは思えないからなんだか不思議だ。


「それでは、いただきましょうか」

「ああ、うん。いただきます」


 パン、肉料理、スープなどが並べられた二人きりの食卓に向かって、食前の言葉を告げる。

 フルームヴェルク領の料理が美味いことは前回の遠征で知っていることなので、味の心配をしなくていいというのは意外と安心感がある。

 これがバルトレーンやフルームヴェルクといった比較的大都市なら問題ないものの、地方の町村では必ずしもそうではないからね。事実、ビデン村に誰かを招待したとしても、出せる料理は高が知れている。

 今回の遠征においても、宿泊先で出される料理には場所によってかなりの差があった。仮に良いものが出せたとしても一番いいものはサラキア王女殿下の方に行くから、それはそれで仕方がないことではあるのだが。


「うん、相変わらず美味しいね」

「ふふ、ありがとうございます」


 お偉いさんと二人きりでディナーなど、少し前の俺であれば緊張と不安で飯の味など分かるはずもなかったが、多少なりそういう経験を積んだ上、相手がシュステとなればその緊張も大分緩和されるというもの。適度に脂の乗った肉はいい具合にローストされているし、付け合わせのパンももっちりとした柔らかいものである。


「エールもありますので、どうぞ」

「おお、ありがとう」


 食卓には料理と合わせてワインが並んでいたが、言いながら彼女はトロリーの下段に用意してあったエールを取り出した。

 エールがあるのは嬉しいとは言え、あるなら最初から並べておけばよかったのに、わざわざ宣言してから取り出したのは何か理由があるのかな。いやエールは好きだからいいんだけどさ。

 多分俺がサハトら私兵軍に訓練を付けた後、エールを飲みたいと言って融通してもらったことを覚えていたのだろう。なんだかむず痒い気もするが、自分の好みを覚えられていることに悪い気はしないね。


「では、僭越ながら」

「いや、なんだか申し訳ないね……」

「いいのです。今回は……いえ、今回もおもてなしをするのが私の役目ですから」

「そ、そうか」


 瓶を傾けながら、俺のグラスにエールを注ぐシュステ。

 この図だけを見れば、仲睦まじい男女の二人に映るのかもしれない。それくらいには彼女の所作は堂に入っていた。単純な動作もそうだし、俺という個人に対して向けるものとしてもそうだ。これはまたウォーレンからの余計な情報が入っているんじゃないかと、思わず邪推をしてしまう程度には。


「明日にはこちらを発たれ、スフェンドヤードバニアへ向かうと伺っています。今夜は是非羽を伸ばして、ゆるりと過ごしてくださいませ」

「うん……ありがとう」


 今回の遠征の目的と日程くらいは、流石にシュステクラスの立ち位置の人間であれば知っている。

 恐らくだが、誰が誰を相手にするかなどは事前に取り決めがあったはずである。その舵取りは勿論のこと、現領主であるウォーレンの差配になるだろう。ジスガルトやシュステも口は挟んでいるかもしれないが、最終的な決定権はウォーレンにある。


 となると、彼女が今俺の相手をしているのは辺境伯家全体の総意、ということになるのかな。初対面の時から謎に好感度が高かったシュステだが、その振る舞いは今回においても変わらない。むしろ食事とは言え、日が沈んだ後に彼女と二人きりになるのは前回ではなかったことだ。

 これやっぱり、ウォーレンの思惑がどこかに潜んでいる気がしてならない。いやまあ、あれからシュステがどう過ごしているか気になっていたのは事実ではあるんだけれども。


「……あ、そういえば」

「はい」


 そこまで思考が及んだところで、ふと思い出す。彼女に近況を聞きたかったのもそうだけど、伝えておかなければいけないことを一つ思い出したからだ。


「以前貰った押し花、家で飾ってるよ。狭い家だけど、彩りが増えた気がするね」

「まあ! ありがとうございます」


 そう。フルームヴェルク領からの遠征の帰り、シュステに手渡された額縁に収められた押し花。あれは今、自宅の壁にささやかな彩りを添えてくれている。

 ミュイの押し花に対する反応は極めて渋かったけどね。彼女は育ちもあって、芸術だとかそういうものにとんと興味がない。いや、俺も興味があるかと言われれば返答に困るが、シュステの気持ちが込められた押し花をただの枯れ草と断じる感性は流石にない。


「ふふ、嬉しいですね」

「君の発揮した我が儘が今、俺の家を彩ってくれている。それは多分、良いことだよ」

「……はい。ありがとうございます」


 あれは、シュステの小さな我が儘が発揮された最初の一品。言うなれば原初の作品だ。それを賜った側としては、やはり大切に扱いたいものだった。まあ、それが俺の家にあるというのもなんとも不思議なものではあるけれど。


「その後はどうだい? ウォーレンやジスガルトとは」


 そして同様に気になるのは、彼女がその後どう過ごしていたかである。

 シュステはフルームヴェルク家の末っ子としてと同時、長女として蝶よ花よと育てられた。その教育は恐らく功を奏し、彼女は一流と言ってなんら差支えのない淑女に育った。

 本人がそれ自体に不満を持っていたわけではないにしろ、結果として良い縁談に恵まれず、ずっと屋敷の中で過ごしていたのでは思うところもあるだろう。

 その小さな心の燻りに、最終的にささやかな火を灯したのは俺であった。だから責任を感じている……なんて大仰なことを言うつもりはないが、彼女の心の模様と行動にどのような変化が齎されたのかは気になるところであった。


「そうですね。まずは兄と話をして、中庭の管理を一部、私自身で行うことになりました。楽しいです」

「それはよかった。理想の庭に頑張って近づけないとね」

「はい」


 まあ、とは言っても俺がシュステと初めて会った時から今まで、そこまで長い時間が経過したわけでもない。せいぜいが数か月程度だ。そんな短い期間で何かが劇的に変わる、というのも難しい話だろう。

 そもそも彼女はただの女性でなく、辺境伯家のご息女である。ウォーレンの意向もあるだろうし、シュステだって無理難題を押し付けたいわけじゃない。結果として訪れた変化は、今のところは微笑ましく、そしてささやかなものであった、ということかな。


「それと今、もう一つ我が儘を伝えているのですが……なかなか良い返答を頂けなくて。こちらの解決は長引きそうです」

「へえ、それは内容が気になるな」


 以前中庭で食事を共にした時のように、上品な所作で料理を口に運ぶシュステ。その傍ら、やや眉尻を下げて困ったように笑みを湛えながら、ほんの僅かな不満を漏らしていた。

 ウォーレンは前提として頭がいい。そもそもがフルームヴェルク領主の椅子に座っているからして、頭が悪くてはやっていけない。能力が足りていなければジスガルトもその席を譲らなかっただろう。

 加えて口も回るし気も利く。いくら分があったとは言え、アリューシアを完全に言い包めるのは決して簡単ではない。


 そんなウォーレンが、シュステの我が儘に困っている。それはある意味で予想通りであり、またある意味では少々意外であった。

 シュステが今までと違っていい意味で我を出し始めた。その対応に苦慮しているというのは予想出来た結果。他方、ウォーレンが彼女の我が儘にこれと言った解決策を見い出せず、問題が尾を引いているのはやや珍しい。


 シュステも自身の立場は分かっているはずだ。どうしようもない無理難題は流石に言い出さないと思う。しかし実際そのお願いはまだ実現されていない。

 果たしてその内容とは。これで気にするなという方が無理である。


「ベリル様もいらっしゃるバルトレーンに居を移したいと伝えているのですが、兄は首を縦に振ってくれず」

「なんで?」


 シュステが苦笑を浮かべながらとんでもないことを言い出した。そりゃ無理だと思うよ。

シュステはこの作品に登場する女性の中ではかなりパンチがある方だと思っています。

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― 新着の感想 ―
ベリルさん言質というか断れない口実与えてしまったか。 これで「男女2人きりで部屋の中に居た、責任を取ってもらおう」と言われても断れないし、断れたらおかしい。 さて、どんな展開になるのかな?
扉閉めて異性と二人きりって、貴族の体裁的に思いっきりアウトじゃ
[気になる点] なんで? どっちの意味にも取れるからw  「引っ越してくる理由」  「引っ越しを反対される理由」
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