第200話 片田舎のおっさん、関所に向かう
「失礼します。間もなくフルームヴェルク領に到着いたします」
「そうか、分かった」
伝令役の騎士が馬車の扉を叩き、顔を覗かせる。そこから齎された情報は、ようやくこの長旅の往路が佳境に入ったことを示していた。
いやあ、やっとこさフルームヴェルク領か。ただ今回はここで止まらず、さらにその先にあるスフェンドヤードバニアまで行くから終着点というわけではない。しかし、自国領土の最終地点ではあるからして、最後に息抜き出来るのも多分ここだろうなという妙な予感があった。
前回の遠征でやってきた時に比べると、フルームヴェルク領到達までに要した日数はそれよりも長い。単純に連れている人数が桁違いで行軍の速度が落ちたためである。
今回は王女殿下をお連れしているということもあって、計画は相当緻密に、かつ柔軟に練り込まれている。万が一にも野宿をするわけにはいかないから、そのおかげで俺たちもしっかり宿場のベッドで休めたのは幸運というべきだろう。その分時間はかかっちゃったけどね。
「では、我らも外に出る準備をしましょうか」
「そうですね」
トラキアスの言葉に相槌を返す。
この辺りは以前の遠征で来た時と同じだ。領土間で護衛に就く貴族の私兵が変わるため、そのための挨拶と顔見せである。特に今回はサラキア王女殿下がいらっしゃるために、万が一にも知らん人間が潜り込んでいては困る。
なのでこうやって、私兵軍の方々にも顔を覚えてもらうと同時、俺たちの間でもするりと他人が潜んでいないかの確認をするのだそうだ。
なかなかに想定しづらい事態ではあるものの、手練れの暗殺者や隠密が警備の目を掻い潜ってどこかの馬車に侵入し、中に居る人を殺して成り代わってしまう可能性もあり得る。
何をバカなと言われそうな内容だけれども、そういう可能性すら考慮し、そして排除していくのが今回の遠征では必須。まさに万難を排す構えであった。
「フルームヴェルク領の関所に到着いたしました」
外に出る準備と言っても特にやることはない。皆の前に出る心構えをしておくくらい。そんなことをぼけっと考えていたら、関所に到着した様子。
ここで俺たちは外に出て顔を合わせ、私兵軍が交代する。やることは前回と同じだが、違うのはその規模だ。
「ふぅ……」
トラキアス、キフォー、アデラートとともに馬車の外に出て、まず真っ先に目に入るのは人、人、人。そして馬。
護衛の騎士が約五十名、王国守備隊がおおよそ三百名。加えて領土を渡る度に加わる貴族の私兵が数十名から百数十名。とんでもない数の人である。
加えて、普段なかなかお目にかかれない頭数の馬も居る。なので視界に余計な圧迫感があるんだよな。
と言うのも、バルトレーン北区を出発して外周で守備隊と合流した際。彼らがおおよそ五十頭の馬もあわせて用意してきていたのである。それなら外で合流するのも納得で、あの数の人間と馬が北区に押し寄せていては首都内の交通が完全に麻痺してしまう。
で、その馬にはレベリオの騎士が乗る。これで文字通りの騎士となるわけだ。まあバルトレーン内の移動でわざわざ乗馬する必要性はないから、今までは単純に見る機会がなかっただけであるが。
颯爽と馬に跨り、はきはきと指示を飛ばすヘンブリッツ君は普段より何割増しにも恰好よく見えてしまったね。俺もビデン村で多少馬に跨る機会はあったし、乗馬は出来なくはない、という程度だけれど、あそこまで機敏に馬を操作することは出来ない。
何より、馬上戦闘は俺の得意分野ではないのだ。やっぱり剣士の戦いはシンプルに地に足つけてなんぼである。これは完全に俺の好みだけどさ。
「フルームヴェルク領私兵軍兵士長、サハト・ランバレンと申します。スフェンドヤードバニア国境までの警備は我らにお任せください」
「ええ、よろしくお願いいたします。こちら通行届となります」
「拝読いたします。……確かに」
人と馬を眺めながら歩を進めることしばし。関所の前で、これから警備を交代する私兵軍の皆様が綺麗に整列をして待機していた。
王女殿下とお付きの侍女を除く、馬車に乗っていた者たちと兵士長であるサハトが挨拶と確認を取る。
サハト・ランバレン。ウォーレンの持つ私兵軍の兵士長を務める男だ。相変わらず切れ長の目は中々の威圧感を持っている。まあ彼もこの任務を失敗するわけにはいかないから、気合の表れと見ておくとしよう。
以前の遠征の際、ウォーレンに乞われて稽古を付けた記憶が蘇る。あれから鍛錬はしっかり続けている様子で何よりだ。彼もまた発展途上、そして根性と意欲は申し分ない。その腕を磨き続けて欲しいと思うと同時、その実力がこの遠征中に発揮されないことを願う。
そして彼らが書類のやり取りをする間、サラキア王女殿下は馬車に籠ったままである。
如何に顔と護衛対象を確認するための儀式とは言え、こんな場所でホイホイと王女様のご尊顔を表に出すわけにはいかない。そもそも謁見することにすら許可が要るレベルである。言ってしまえば、たかだか辺境伯の私兵ごときに易々と顔を晒すことはあってはならないのだ。
そして今回に関しては外交要素も多分に含む。アリューシアも外に顔を出してはいるものの、表に立つのはトラキアスのような外交官やキフォーのような紋章官。アリューシアはあくまでただの護衛なため、この場での発言権はほぼない。
それは当然俺も同じ。なのでいくらサハトが顔見知りとは言え、ここで気軽に挨拶を交わすわけにはいかんのである。
いや、ほんっとうに面倒臭い。確かに地位や名声を築くことによって得をする面もあるだろう。主には金銭面だとか諸々の融通だとか。
一方、顔と名前が知られてくるとこのような、俺にとっては非常に厄介なものが加速度的に増えてくる。
無論、得られた地位や名声分の働きはせねばならんと前向きに捉えることは可能だ。可能ではあるが、そもそも俺はそれらを欲していないわけだから、ただの面倒な、かつ押し付けられた義務でしかないという見方も出来てしまう。
剣を振るい更なる強者と相まみえるためには、それなりの地位や名声、影響力があった方がいいのは分かる。その点に関して言えば納得はしている。俺の肩書がただの田舎の剣術師範のままであったなら、その望みは到底叶いっこないからだ。
けれどまあ、その望みも俺がビデン村に引きこもっていたら多分生まれなかったわけで。その辺り鶏が先か卵が先かみたいな話になっちゃうね。現状に概ね満足はしているものの、じゃあ不満がないかと問われれば、やっぱりそれは少々難しい問題であった。
別に俺は豪奢な椅子にふんぞり返りたいわけでも大金を手にしたいわけでもない。ただ愚直に剣の道を突き進み、まだ見ぬ地平に辿り着きたいだけである。
そのためにはある程度の地位と名声を得て動きやすくした方が良い、というのは理屈では分かるけれども。じゃあ気乗りするかと言われればそれはちょっと違うよね、という話だ。少なくとも俺はね。
「それでは移動を開始します」
関所の通行に関するあれやこれやも無事終わったようで、これからフルームヴェルク領へと入ることになった。
俺単独で国を跨ぐような移動はしないだろうから、この辺りの細かい手順は別に覚えなくてもいいと自分では思っている。どうせ長距離の移動をする時は、誰かに連れ出された時だ。少なくとも俺の場合は高確率でそうなる。まあ、ミュイが諸国漫遊をしてみたいなどと言い出したらちょっと話は変わってくるけれど。
「さて、馬車に戻りますか皆さん」
「ええ、そうですね」
とりあえずの一仕事を終えたトラキアスが、同席する俺たちに声を掛けていた。
一応、彼ら三人とはこの移動中に最低限の交友は紡げたつもりである。交わす言葉はほとんどが他愛もないもので、頻度もそう高くないから仲良くなったとまでは言い難いが。
まあそれでも、何も知らん何も分からん連中に囲まれてずっと無言を貫くというのもかなりきつい。ずっと陰に潜んでいられるヴェスパーやフラーウの方が特殊なのだ。あれはあれで相当な訓練を積んでいるとは思うけれど。
「フルームヴェルクはなかなかに栄えていると聞きます。良い酒が出てくることを期待しましょうか」
「はは、飲み過ぎには気を付けてくださいね」
「その言葉、そっくりベリル殿にお返しいたしましょう」
なので、こうやって上辺だけでも円滑な会話をしておく方が、精神衛生上ちょっとだけマシなのである。
トラキアスもこうして軽い冗談を挟みながら仲良くやっている、ように見える。彼だって勿論、言葉全てが本心のはずはないだろう。その辺りの機微は未だに良く分からないままだが、そういうものだという認識自体は前回の遠征で嫌と言うほど学べた。これもまた一つの成長かな。
この後は恐らく前回と同じで、ウォーレンの屋敷まで向かってそこで一泊、といった感じだろう。
ウォーレンはサラキア王女殿下のお相手をするんだろうけど、ジスガルトやシュステがどう動くのかは分からない。今回の遠征では俺の存在は木っ端であるからして、流石にシュステが俺に付くことはないと思う。
あれからまだ幾分も時は経っていないが、彼女がどのように成長したのかはちょっと気になるところ。出来れば前回の遠征後から、シュステがどのような我が儘を発揮するようになったのか聞いてみたい部分はある。
ただまあ、それを伺う機会はないだろうな。かと言って、個人で気ままに旅するにはフルームヴェルク領はちょっと遠い。なんともままならんものである。
「ベリル殿は、フルームヴェルク領に来たことがあるとか」
「ええ、まあ」
移動の道すがら、トラキアスから話題を振られる。
いやまあ、来たことがあるのは事実だし、それ自体は隠すものでもない。夜会に招待されて騎士団が動いたことくらいは、王政に関わるものなら知っていてもさほど不思議ではないだろう。
けれども、その裏に隠された密命については誰がどこまで知っているかが分からないために、安易に口を割れない。なので返す言葉はひどく曖昧な相槌に留まってしまった。あまり深く突っ込まれると困るんだけどな。
「どうですか、食事などは」
「美味しいものですよ。特に宿で頂いたミルクは絶品でしたね」
「ほう」
ふう、一般的な雑談の延長で助かったぜ。
基本的に俺はそこまで上等な舌を搭載していないので大体のものは美味しく頂けるのだが、それでもあの宿で頂いた朝のミルクは絶品であった。濃厚でかつ喉に引っ掛からない爽やかさもあり、自然の味わいというものを存分に楽しめたものだ。
トラキアスやキフォーといった者たちが普段どのようなものを食べているのかは知らない。知らないが、基本的にバルトレーンで生活していると何でもかんでも高品質なものが割と簡単に手に入ってしまう。
フルームヴェルク領がそれなりに栄えているとは言え、言葉を選ばずに言ってしまえば辺境だ。普段口にする料理の質が気になるのはまあ、致し方ないことだろう。
「それはそれは、今夜の食事が楽しみですね。ねえキフォー」
「……不味いよりはマシだな」
トラキアスが振って俺が反応した話題に、アデラートがさりげなく乗っかった。
まあこんな感じで和気あいあいとまでは言わずとも、そう悪くない雰囲気で馬車の旅はここまで続いてきたというわけだ。
例外としては紋章官のキフォー。彼は最初の挨拶の時から一貫してそうだったが、口数がかなり少なく、愛想はかなり悪い方だろう。それでも自身が的になった質問や話題などには最低限応じているので、無視を決め込んでいるわけでもない。
何気に、このくらいの距離感の人が一番ありがたかったりする。まるきり無視はしないから会話は成立するし、用があれば口を開く。その上であまり余計な詮索も質問もせず、こちらも必要以上は答えないぞと暗に態度で示している。
旅をする仲間として見たら微妙かもしれないが、一時を共にする他人として見た時は結構気が楽な相手であった。
まあそれも、俺自身があまり他人との、それも高位の方々とのコミュニケーションに慣れていないという根本の問題があるにはあるんだが。
ただ彼らはそれをある程度察した上で、当たり障りのない話題を振ってきてくれているようにも見える。その辺りの気遣いは素直にありがたかった。
相手の力量を勘定し、その場に合わせた適切な行動を取る。剣での戦いならそれは得意分野だけど、人付き合いの技術としては全然学んでこなかったからなあ。比べられると悲しいが、これも一つの経験として割り切ろう。
本作が200話目に到達しました。
節目っちゃ節目なんですが、特に何も起こらない回です。そうそう上手くは嵌らないということで。
今後とも小説、コミックともにお付き合いくださると幸いです。




