第196話 片田舎のおっさん、疲れる
「きょ、今日はこのくらいにしておこうか……」
「お疲れ様でした!」
「うん……お疲れ様……」
疲れた。物凄く疲れた。年甲斐もなく鍛錬でハシャぐもんじゃないと身に染みて分かった。
ちょっと自分も追い込んでおかないとね、みたいなことを考えていた少し前の自分を張り倒したい。いや、追い込むこと自体は良いことなんだけど、年々低下している己の体力の勘定が甘かった。
最初に追い込んだダッシュもあって、騎士の皆は少なからず疲労を抱えていた。ここで俺だけのほほんと過ごすのは皆に申し訳なかったし、俺も彼らの頑張りを見て改めて気合入れないとな、と思ったのも事実。
しかしやっぱり俺と騎士の皆では、体力の基準値が違う。皆を打倒する勢いで打ち合いを演じ、しっかり勝ち切れたのはいいものの、もはや俺の体力は風前の灯火状態であった。
冬だというのに俺の身体は火照りに火照って汗が止まらない。これはしっかり水分を摂らないと俺が倒れるまであり得る。流石にそれは恰好が悪すぎるので気合で耐えるけれども。
「じゃあ、俺は先に失礼するよ……ゼェ……」
「は、お気をつけて」
「うん、ありがとう……」
訓練用の木剣を立て掛けて、修練場を出る。ヘンブリッツ君がお気をつけてと言ってくれている通り、マジで気を付けないと倒れそうでちょっとヤバい。おうちに帰るまでは何とか持ってほしい俺の身体。ミュイが相手なら恰好悪いところを今更見せたって問題ないだろうし。
そう思えるくらいには、俺はミュイと私生活を共にしているのだなあという感想もまろび出てくるな。彼女には俺のダサいところも見せているし、逆に俺は彼女の情けないところもいくつか見ている。
多分、そういう気を張らずに済む姿を互いに見せられる、というのが私生活における信頼というか信用というか、そんな感じのものなのだろう。今までその相手はおやじ殿とお袋……あとはジスガルトのような同門くらいのものだったが、そこにミュイもいつの間にか加わっていたという形だ。
これでもし俺が所帯を持つとなれば、そういう面も見せられる相手、というのが条件の一つになるわけだが、まあその辺りは今考えても仕方がない。
「うおお、外はやっぱり寒いな……!」
修練場から一歩外に出ると、寒風が全身を叩く。冷え込んだ冬季の風は火照った身体を急速に冷やしてくれた。いやこれはこれでぼけっと突っ立ってると風邪を引きかねん。
さっさと家に帰って身体を正常な状態に戻した上で、今日はミュイに遠征のことを伝えるという重要なミッションがある。
しかも今回の遠征は、以前のものよりも確実に長期化する。単純に行き先が遠いのもあるし、帯同しなきゃいけない期間が長い。その間ミュイを一人にしてしまうわけだが、今回も恐らく学院の寮を使わせてもらう形で進めるだろう。
金銭面の問題はないし、ミュイが置かれる環境という面で見ても学院の寮が最適解。後は一応ルーシーにも改めて話を通しておくか。彼女のことだから、今回の遠征についてもきっと情報は掴んでいるだろうし。
「さて、さっさと帰ろう……」
身体はクタクタだが、とぼとぼとみすぼらしく歩くわけにもいかない。別に誰かが特別見ているというわけではないにしろ、何となく外の目がある場所ではそれなりに気を遣うようになった。
頭のてっぺんからつま先まで常に気を張るのは難しいにしても、ぱっと見でだらけているなと思われない程度にはシャキっとしておきたい。今まで田舎に引っ込んでいた弊害か、そういう気の張り方には慣れないが、これも慣れていかなきゃなとは思っている。
これもまあ一つの成長とは言えるのだろう。多分。アリューシアやウォーレン曰く、俺が気を張らなきゃいけない場に呼ばれる機会は増えこそすれ減ることはないとのことだったから、こうやって日常的な部分から慣れておくに越したことはない。
剣で頼られるのは悪い気はしないし頑張ろうと思えるのだが、それ以外ではやっぱり未だに苦手意識が拭えないね。自分に自信を持つようになるのと同様、こっちもそれなりに長い時間が必要そうだなと感じるよ。
「食材はまだあったはずだし、今日はまっすぐ帰るか」
家の台所事情はミュイと一緒に西区に出かけたり、あるいは俺が指南役の役目の帰りに西区に寄って買っていくことが多い。前者はそこそこの量を買い込むが、後者は俺の趣味というか好みが反映されることが多く、大体はその日限りのちょっと変わった一品程度。この間の魚なんかもそれに当たる。
今日はそんな元気もないので寄り道することなく家に帰ることにした。腹は減っているけれど、市場を眺めて物色するまでの余裕はないのだ。この辺りにも加齢による衰えと限界を感じてしまう。
疲れてはいるけれど、乗合馬車を使う気にはなんとなくなれなかった。この辺りからサボってしまうとどんどん悪い癖になっちゃいそうでね。ただでさえ衰えているのに、楽することを覚えてしまえばあとはもう真っ逆さまである。
「ただいま」
というわけでクタクタになりながらも歩き、特に何事もなく我が家へと到着。誰も居ない家の中に俺の声だけが小さく木霊した。
ミュイが帰ってくるのはもう少し後だから、まだ動けるうちに晩飯の仕込みだけでもしておこう。今なら横になればすぐに意識を手放せそうだけれど、それをやるにはまだ少しばかり早い。
「とりあえず、煮込むか……」
こういう時、煮込み料理というのは実に便利だ。適当に具材をぶち込んでコトコトしておけばなんとかなる。火を見ておく必要はあるものの、楽が出来る料理の一つであった。
鍋に水を張り、まずは沸かす。その間に肉とか芋とか野菜とかを適当にカットしてぶち込む。塩と香草を入れておけば最低限味も整う。こんな体たらくでは料理のバリエーションを増やすなど夢のまた夢ではあるが、何せ楽ちんなので仕方がない。そりゃミュイも煮込み料理ばっかり作るよなという話だ。
「ね、ねむ……」
家に帰ってきてようやく緊張の糸が途切れたのか、料理を作っている最中に凄まじい疲労感と眠気が襲ってきた。今すぐ寝たいけど火をつけたままでは危ない。かと言って今火を消してしまえば料理が完成しない。流石に生煮えの飯は食べたくないし、何より食べさせたくない。
「ぬん……! いててて」
とりあえず気つけに自分の頬を思いっきり抓ってみる。め、めちゃくちゃ痛い。でも目はちょっと覚めたぞ。
こんな時間から眠気が来るなんて随分と久しぶりだ。それくらいには、俺は自分をギリギリまで追い込むことをしていなかったということになる。追い込まなきゃいけない事態に出くわさないのが最善ではあるが、今の立場ではそんな言い訳も立たないからなあ。
体力の下降線はもうどうしようもないので、俺に出来ることはそれを少しでも緩やかにしていくくらい。せめてそのための努力はしっかりしていこうと改めて考える。
「ただいまー」
「あ、おかえり」
そうやって眠気と格闘することしばし。十分に煮込めた料理が完成するのと、ミュイが我が家に帰ってくるのはほぼ同時であった。
な、なんとか本日の役目を終えたぞ。いや、遠征のことをミュイに話すミッションはまだ残ったままだが、最悪それは明日でもいいわけで。とりあえず今日の仕事は公私ともに終わったと見ていいだろう。
「……なんか眠そうじゃん」
「分かる……?」
丁度鍋を火にかけているから、それ目当てに暖を取りに来たミュイが一言。
俺はミュイと共に生活しているが、当たり前ながらミュイも俺と生活を共にしている。つまり互いに観察していれば日常からの違和感はすぐに気付く。ミュイは元々人の機微にそこそこ敏いから、俺が今日は疲れていて眠い、くらいは考えてみれば簡単にばれることでもあった。
「ちょっと今は鍛錬を追い込んでてね……」
「……ふぅん」
煮込んだ料理の味を確認しながら理由を説明すると、ミュイからはあまり興味がなさそうな答え。
「またどっか行くの?」
「……うん、そうなるね」
しかし、次に齎された彼女の言葉は俺を驚愕させるに十分に値するものであった。眠気もちょっと飛んだぞ。察しの悪い子ではないと最初から思っていたが、俺が何も言っていないのにもかかわらずそれを言い当てられたのはかなりの想定外。
けれどまあ、これは隠しておくことでもないし俺からも言おうと思っていたことでもある。ミュイの方から話を振られた以上は隠す意味も理由もない。これはいっそ、話が早くて助かったと考えるべきか。
「騎士団の遠征がまたあってさ。前回よりも長引きそうなんだ」
「……そう」
前回の時もそうだったが、ここに王女がどうこうとか国がどうこうとかの情報は入れない。それはミュイに聞かせても仕方がないことだからだ。余計な心配をさせたくもないしね。
まあ今回に関しては王女様の輿入れということもあって、いずれ遠からず耳にはするだろう。現段階では守秘義務もあるだろうから、身内に数えられるミュイにも易々とは教えられない、という事情もあるにはあるが。
「……アタシさ」
「うん?」
しばしの沈黙の後。ミュイは火に当たりながらぼそぼそと呟き始めた。
「一人で出来るよ。オッサン居なくても」
「……そっか。寮には入りたくない?」
「いや、そういうわけじゃねえけど……」
短い問答を経て、考えてみる。
多分ミュイとしては言葉通り、別に寮が嫌なわけではないだろう。その辺りで遠慮するタイプの子じゃない。実際に前の遠征の時は寮に入っていたわけだから、それで嫌な思い出があったのならそう言うはずだ。嫌な理由を正直に話すかどうかは別として。
となると、それ以外の理由がある。恐らくだが、いつまでも子供に見られたくない、という反骨精神というか対抗心というか、そういう類のやつかな。
まあ気持ちは分からないでもない。俺も幼少時、おやじ殿からガキ扱いされるのが嫌だった記憶もある。思い返してみればあの当時は立派なガキだったわけだが、そんなことは今の立場と年齢になって初めて分かることだ。
そういう思いを抱いた子に対し、いやいや貴方はまだまだ立派な子供なんですよ、などと言ったところで絶対に納得はしない。
それにミュイは、厳密に言えば手のかかる年齢を既に超えている子だ。今までの生活だって一人で何とかしてきたことも多いだろうし、その辺りの成熟性は同年代の子たちよりも勝っているとも思う。
だからこの辺りの心配はミュイを思ってという面も勿論あるが、やっぱり俺の過保護なところなんだろうな、と改めて考えてしまう。前回の遠征時にもルーシーに過保護過ぎだと突っ込まれた思い出が蘇る。
「……前よりも長いよ? 二か月は見た方がいいと思う」
「だいじょぶだよ」
「……そっか」
一応念を押してみるも、ミュイからは改めて大丈夫だという言葉。
うーむ。この言葉を全面的に信頼するか否か、判断の分かれ目だな。
「――分かった。万が一困ったことが起きたら、ルーシーのところに行くようにね。話は通しておくから」
「ん」
不安は勿論ある。金は十分な額があるし流石に餓死することはないにしても、やはり誰の監督もないまま家に一人で長期間留守をさせるのは結構忍びない。
けれど、ここは彼女を信じてみようかとも思う。無論、万が一を考えてのセーフティネットは出来る限り構築しておく。ルーシーに話を通すのは勿論、こっそり学院の方にも伝えておこうと思っている。キネラさんならその辺りも勘案してくれそうだし。
「いつから?」
「んー……今月末からは居なくなるかな。帰ってくるのは年が明けてからだね」
「分かった」
向こうに着いてから何をやるかの具体的な内容はまだ不明だが、まさか王族の婚姻に伴うイベントが一日二日で終わるわけではあるまい。となると、スフェンドヤードバニア領に着いて以降それなりの期間滞留することはほぼ確定で、そう考えるとやっぱり二か月強は帰ってこれない計算になる。
その間、ミュイのことが気にならないと言えば嘘になる。むしろめっちゃ気になる。けれど、信じて置いておくことにした以上、それを今からうだうだ言っても仕方がないしな。男に二言はないというが、分かったと一度頷いたからには、なかなか反故には出来んのだ。
「じゃあ明日から飯とか買い出しとかアタシがやる。……練習にもなるし」
「そう? 悪いね」
「別に悪くもねえよ」
そして、ミュイはミュイでしっかり考えているらしかった。俺が居る間に予行演習をしておこうという心構えは素晴らしい。もしこれで及第点に及ばずであれば、俺も寮に入ろうよと言いやすいしね。その辺りも考えた上での提案だろうな。
意固地になるだけでなく、ちゃんと自分の言葉に責任を持とうとしている。それだけでもとても嬉しいことだ。こうやって子供はどんどん成長していくんだろうなあ、という感慨すら湧いてくる。
「お金は好きに使っていいからね。と言ってもほどほどでお願いしたいけど」
「分かってるよ」
一応お金の使い道だけ軽く言い含めておいたものの、彼女が豪遊するとも考えにくいしそこは大丈夫だろう。怪我の功名と言うには微妙に異なるが、ミュイは盗賊生活時代もあったからお金の価値というものを年齢の割によく分かっている。
「あと服はちゃんと畳んで片付けるように」
「うっ……分かってるよ……」
最後に整理整頓について言及すると、先ほどとは打って変わって微妙な答えが返ってきた。
やっぱり片付けは苦手なんだよなミュイは。まあその辺りも可愛く映るんだけどね。
ちょっとはしゃいだらおじさんはもうヘトヘト
前回やってたのは言うなればバカのシャトルランです
割とああいうのを考えるのは好きだったりします




