第195話 片田舎のおっさん、追い込む
「はいダッシュ! きびきび走る!」
「うおおおおっ!」
俺の号令に合わせて、騎士たちが吼える。本格的な冬が近づいてきたこともあって、修練場の中も動くか着込むかしないと結構肌寒い気温になってきたが、眼前で動いている騎士たちは皆誰もが汗だくだくであった。
夏と冬で危険度は違うとは言え、水分を出しっぱなしで動いても身体に良いことはあまりない。鍛錬が終わったらしっかり休息と水分補給をさせておきたいところだ。
「も、無理……!」
一人、また一人と騎士が脱落していく。その表情はまさに死にかけといった感じで、アリューシアに言われた通り、マジで追い込んでいる真っ最中であった。
やっていることは至極単純。走らせているだけである。
ただし、ただダラダラと走っていては意味がない。瞬間的な負荷を掛けつつも、その訓練がきっちりと血肉となるように追い込まなければならない。厳しくやるだけなら誰にでも出来るからな。
この修練場が庁舎の内部に作られている通り、訓練を外部の目に晒すのはあまりよろしくない。つまりフルームヴェルク領で私兵軍にやった時のような、外周を走らせるというのは出来れば採用したくない手段であった。
なので今、彼らが走っているのは修練場の中である。
修練場の中は広い。十人以上が自由に打ち合える広さがある。その広さを利用してダッシュをさせているわけだな。ただし、その中にいくつか条件を組み込んである。
一つ。全員が横に並んで壁から壁に向かって走る。で、壁に到達したら折り返す、を繰り返す。
二つ。走る速度は任せる。ただし、次の壁に向かうのは全員が壁に到達した後。つまり、最初に壁に到達した者は一息つけるし、最後に到達した者は休めない。
しかしそれだけでは最後尾が気を抜くと次のスタートが切れず鍛錬にならないので、先頭が壁に着いてから一定時間が経つと強制スタートだ。そして、そこに連続で遅れるとその者は脱落となる。
一生懸命走っている騎士に周りを見渡しながら判断しろというのも酷だから、スタートの合図は俺が出す。なので俺は俺で全員をしっかり見て、最後に壁に到達した人とタイミングをちゃんと判断しなければならない。
これがまあ、普通に走るのと比べてシャレにならんくらい疲れる。単に走り続けるよりも、急激なストップアンドゴーを織り交ぜた方が肉体にかかる負荷がえげつないからね。
けれどその分身体はより強固に仕上がる。無論、この無茶苦茶とも言える鍛錬についてこれるだけの地力があることが前提ではあるものの、レベリオの騎士に限って言えばその心配は無用だ。
しかもこの訓練、上限を設定していない。つまり何回走れば終わりですよ、という上がりがない。気力と体力が続く限り走ってもらうことになっている。残り一人になるまで延々走ってもらうタイプのやつ。
一人だと早々に諦めてしまうかもしれないが、自分のすぐ横では同じ騎士が走っているのである。気力体力根性に加えて、まあプライドが刺激されますよねという話だ。
体力的な面では勿論だけど、精神的な面でもきっちり追い込んで仕上げていく。サラキア王女殿下の輿入れに向けて、アリューシア直々に追い込めと言われている以上は容赦なくやっていく構えである。
ちなみに、俺がこれをやったとしてもあっという間に脱落する自信があります。俺はあくまで四十五歳の割に体力がある方だと思っているだけで、現役バリバリのレベリオの騎士に真っ向勝負で勝てる道理はどこにもない。なんの自慢にもなりゃしないが。
「うえっへへへ……! ラクショーっす……!」
「ヴぉぇ……ッ」
でまあ、こういう訓練をやると当たり前だがとにかく体力のあるやつが残る。純粋な持久力勝負では、技術が介入する隙間は思いの外小さい。
クルニなんかはその典型例だ。彼女の体力と膂力は騎士団の中でも一つ抜けている。今も苦しそうではあるがしっかり先頭集団をキープしているのは流石だ。
一方、つい先ほど脱落したエヴァンスは今にも吐きそうであった。彼も結構食らい付いた方ではあるものの、クルニが相手では流石に分が悪い。剣術の腕では互いに切磋琢磨出来る範囲の差だが、こと体力となると彼女の圧勝だな。
「くっ……!」
そしてまた一人、強制スタートに付いていけず脱落する者が出た。
脱落した者たちにも一声かけてやりたいところだが、こっちはこっちでスタートの合図を送っている立場なので持ち場も視線も今は離れることが出来ない。
それがたとえ、騎士団の訓練に復帰したばかりのフラーウであっても。肩の負傷で結構長い間休んでいたのに、ここまで食らい付いているのは流石の根性と言う他ない。
フラーウは遠征から帰ってきた後、負傷を理由にアリューシアから休養を言い渡された。まあそれ自体は妥当な判断だと思う。怪我を抱えた身で鍛錬を続けても大体ろくな結果にならない。休む時にきっちり休み、快復してから改めて訓練に励むべきだ。
ただしこの休養については、単純に怪我の療養以外の側面もあった。即ち、フラーウの精神的な部分。
結果としてフラーウはこうして職務に復帰出来ている。しかし、ヴェスパーはまだ復帰するどころか自分の足で歩くことすらままならない。命が繋がったとは言え、死人すら出したあの襲撃がフラーウの心に大きな影を落としたのは事実。
そこにはきっと、大きな葛藤があったに違いない。自分はこのまま騎士としての務めを続けるべきなのか。今後もレベリオの騎士を貫く覚悟はあるのか。
彼女の心の決着が完全についたとは思っていない。迷いはすれど辞する覚悟もまた持てず、とにかく身体を動かして気を紛らわせようとしている可能性だってあるだろう。
けれど、それは一つの正解でもあるのだ。頭で考えるだけで正解を選べるのなら人間はここまで苦悩しない。俺だって考えることが嫌で、それから逃げるようにがむしゃらに剣を振っていた過去もある。
その意味ではフラーウは立ち止まらず、確かに一歩進んだと言える。最終的に彼女が選ぶ道筋は未だ不明瞭だとしても、腐らずに身体を動かしに来ただけでも俺は褒め称えてあげたいくらいだ。
「ぬっ、おお……!」
「ふんぬぬぬぬぬ……!」
そんなフラーウをちらりと見つつ訓練に視線を戻す。既に残っているのは僅か二人で、ヘンブリッツ君とクルニであった。
まあこれは予想通りというか何というか。クルニは単純に体力お化けだし、ヘンブリッツ君も副団長の肩書は伊達ではなく、体力気力は図抜けている。
しかも二人とも訓練で手を抜くような性格をしていないから、常にほぼ全速力に近いダッシュだ。それで最後まで残ってるんだから、マジでこの二人の体力はヤバい。俺が二十年若くても勝てたかは大分怪しい。
この訓練は一応、最後の一人になるまでやると話していたから、ここで引き分けで終わらせるのはちょっと不完全燃焼になってしまうだろう。なので監督する以外の道はないんだけど、これが果たしていつ終わるのかはちょっと分からない。二人とも余裕こそないにしても、体力が尽きた後は根性で走り続けそうだ。
ヘンブリッツ君は副団長という立場上おいそれと負けるわけにはいかないだろうし、クルニはクルニで体力に自信がある以上そう簡単には負けられない。いやヘンブリッツ君以外には勝っているんだからいいだろうと思うかもしれないが、そんな半端な志ではこの騎士団内ではやっていけないのである。
というか今更だけど、こんな地獄みたいな基礎練に副団長様を巻き込んでしまってよかったんだろうか。ちょっとそこら辺が不安になってきたよ俺。
「う、ぎぎ……!」
「おっ」
とか思っていたら、ついにクルニが遅れ始めた。うーむ、やはり肉体強度ではヘンブリッツ君の方が一枚上手ということだろうか。
根性だとか火事場の馬鹿力だとか言うやつは、普段出せない力を湧き出させてくれる便利なものだが、その力は長続きしない。むしろ一瞬の類である。根性が長続きする者も居るが、それはどちらかというと能力の低下を抑えるものであって、限界を超え続けるものではない。
なので、既に体力的に限界が迫ってきている中、一度遅れてしまうともう挽回は難しいということ。相手がヘンブリッツ君ともなれば尚更だ。
「そこまで!」
「どぶぇぇ……!」
クルニがスタートに連続で遅れたため、ここで止める。終了の合図を飛ばした途端、クルニがそのまま頭からずっこけていた。まあここまで気力体力を絞り出せる者はそう居ない。それだけでも素晴らしい素質ではある。
「ぶはぁ……!」
そして普段は澄まし顔で騎士たちを模擬戦でボコボコにしているヘンブリッツ君も、流石に疲労の色が濃い様子。というか見た限りではかなりの瀬戸際だったように思える。意地と根性が、クルニよりもほんの少しだけ勝った、という感じだろうか。
「お疲れ様」
「は、はい……!」
ヘンブリッツ君にタオルを持って声を掛ける。ここまで息も絶え絶えな姿は珍しいな。
逆を言えば、それくらい容赦なく追い込んだとも言えるんだが。やらせといてあれだけど俺は絶対にやりたくない。いや、昔はやってたけどね? あくまで今はもうやりたくないという意味でね。
俺も昔はおやじ殿にひたすら走らされたからなマジで。あの当時は何故こんな苦行を続けねばならんのかと不満たらたらではあったものの、今となってはあれもしっかり俺の血肉になっているんだなあと感じ入るばかりだ。つまり、おやじ殿流の修行はキツくはあったが間違ってはいなかった。なので俺もそれを踏襲しただけである。
「ふぅー……! いい鍛錬ですね、刺激にもなる……!」
「そ、そうか。それはよかった」
地味でただキツいだけの基礎練にヘンブリッツ君を巻き込んだ負い目がちょっとあったんだが、当の本人はそんなもん全く気にしていないといった様相だった。むしろ、こういう追い込み系の訓練を好んでいる節すら見受けられる。
ただ、こんなことばっかりやってると絶対に飽きが来るしモチベーションは死ぬ。なのでたまに追い込むくらいが丁度いいんだ。今回は追い込む大義名分もあるからね。
「ふ、ふくだんちょー……次は勝つっす……」
「クルニはまず起き上がって水を飲もうか……」
「うっす……」
地面にべしゃったままピクリとも動かないクルニ。それくらいギリギリになるまで追い込めたということで、まあこの鍛錬は一定の成功を収めたとは言えるかな。
「フラーウ、大丈夫かい?」
「は、はい……お気遣い、ありがとうございます……」
クルニへの心配もそこそこに、ちょっと前に脱落したフラーウに声を掛ける。
まだ息は荒いが喋れる程度には回復している様子で何より。ここまで追い込んでもぶっ倒れる騎士が一人も居ないというのは改めて凄いな。それ程までに騎士団の平均値が突出しているということだろう。
「あまり無理はしないようにね」
「いえ……ここは、無理のしどころですので」
「……そうか」
彼女を気遣っての発言ではあったが、その言葉はやんわりと受け取りを拒否された。
無理のしどころ。そんなタイミングは確かに存在する。今がそうだと言われれば否定も出来ない。そしてその言葉を告げたフラーウの瞳は、決して自暴自棄になったような光を放ってはいなかった。
つまり彼女は、来月に行われるサラキア王女殿下の輿入れに自身も参加する気でいる。そのためには、休養期間に落ちた体力筋力を取り戻さなきゃならない。
要は、俺なんかの心配など無用の長物だったというわけだ。彼女は彼女なりに考えてしっかりと結論を出した。それは、騎士を続けること。その責任を最後の時まで負うこと。
「なら、遠慮はしないよ。他の騎士と同様に追い込んでいくからね」
「はっ。望むところです」
そんな彼女の決断を、俺のちっぽけな配慮で誤魔化してしまうような真似は出来ない。だから容赦なく追い込んでいく。
いや本当に良い組織だよレベリオ騎士団は。アリューシアのみならず、歴代の騎士たちが連綿と紡いできた意地と誇りが確かに存在している。
それを俺が関わった結果、格が落ちたなんてことは言われたくない気持ちが一層強まるね。それはアリューシアに対しては勿論、今俺の教練を受けている騎士に対しても不誠実だから。
「水分補給と小休止が終わったら組み打ち! 疲労の中でも動けるようにね!」
「はっ!」
指示を発する声に、自然と力が入る。
この組み打ちには俺も参加するつもりだ。体力に溢れていた全盛期のようには流石に無理だけれど、俺は俺なりに自分を追い込まなきゃいけないからね。
よーし、気合入れていこう。ここに居る全員を打倒するつもりでやっちゃうぞ。




