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片田舎のおっさん、剣聖になる ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~  作者: 佐賀崎しげる
第七章

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第193話 片田舎のおっさん、魚を食べる

「ただいま」

「おかえりー」


 西区でスレナとたまたま鉢合わせ、少しばかりの歓談を楽しみ家に帰ってしばらく経った後。

 とりあえずで買ってしまった魚を冷所に吊るしておき、今日の晩飯のための仕込みをどうするかやや悩み、とりあえず手軽で量を仕込めるスープでも作っておこうと火を熾したり具材を投入したりしていると。

 魔術師学院での講義を終えたミュイが我が家に帰ってきた。いつもの制服姿の上に、学院で支給されたコートを羽織っている。剣魔法科の講義で身体を動かしている間はまったく問題ないのだろうが、机に向かって講義を受けていたり、単純に通学している最中は結構肌寒い季節になってきたからね。


「うぅ、寒……」

「はは、こっちで温まるかい?」

「うん」


 今は丁度スープの仕込みをしているので、火を熾している。外に比べれば室内もいくらか暖かいし、台所の傍はもっと暖かい。外で冷えた身体を休めるには丁度いいだろう。

 しかし出会った当初に比べ、ミュイは大分丸くなった。これまで何度も抱いてきた感想ではあるが、思う度に丸くなっているなあと感じる。


 最初はむやみやたらに叫ばなくなったところから始まり、次に周囲に対する警戒の閾値が下がり、言葉尻も穏やかになり、最近は目に見えて素直になった。

 実に良い傾向である。このまま健やかに育ってくれれば御の字だが、その責任の一端を担っていると考えると、ただ彼女の成長を喜んでいるだけではいけない。一番身近に居る大人として良い背中を見せていかねばならない以上、俺も背筋が伸びるというものだ。


「……あれ、これ魚?」

「そうそう。市場で珍しくて買っちゃった」


 火に当たりながら周りを見回していたミュイが、目聡く魚を発見した。そりゃまあ吊るしてあれば目立つと言えば目立つ。普段家に存在していないものがぶら下がっていれば流石に気付くか。


「今日の晩飯にしようと思って」

「……ふぅん」


 ミュイは一見素っ気ない反応を見せたものの、その視線はチラチラと魚の方に寄せられており、興味が隠しきれていない。その辺りもまた可愛いのである。


「ミュイは魚って食べたことある?」

「……ない」

「じゃあ俺と一緒だ」


 分かりやすくそわそわしている彼女に気持ちの方向を合わせておく。俺は厳密に言えば魚を食べるのは初めてじゃないが、ビデン村で食っていたのは一口で齧れる雑魚ばかりだ。それを今吊るしている魚と同じと言うにはちょっと憚られる。

 なのでこれは嘘ではない。捉え方の違いというやつだな。


「シンプルに焼いて食べようと思ってるんだけど」

「ん、良いと思う」

「じゃ、そうしよう」


 お姫様の承諾も得られたし、今日のメニューは具材たっぷりのスープとパン、そして焼き魚に決まった。

 ちなみに食事のレパートリーについて、どうにかした方がいいよなと思いつつ中々手を付けられていない。結局具材を雑に投入して煮込めばそれっぽいものは出来てしまうので、俺もミュイもそれで満足している節がある。

 別にそれを悪いことだとは言わないけれど、見たこともない食材でやったこともない調理をするのはちょっと怖いしなあ。その辺り俺の精神は未だ片田舎の平民のままだ。多少懐の余裕が出来たとは言え、食材の無駄遣いはやっぱり避けておきたい。


 まあ、何か一風変わったものが食べたくなったら外食でいいや、とも最近思い始めた。それを容易に実行出来る財力に改めて感謝である。

 たまには肉に思いっきりかぶり付きたい時もあるし、人目を気にせずエールを流し込みたい時もある。しかしながら、俺はそういう欲求は極力独りの時に解消している。単純に、今のミュイを酒場に連れて行くのはちょっとどうかなと思っているからだ。


 流石に暴れたりはしないだろうしそこは信頼しているが、変な連中に絡まれでもしたら困るからな。

 俺の顔と名前は、騎士団の皆と王国守備隊の間では多少なり広まっているものの、一般に浸透しているとはまだまだ言い難い。別に有名になりたいわけじゃないけどさ。

 なので、ミュイの風除けとしての機能はまだ弱い。そもそも酒場に子供を連れてくるなと言われたらそれまでなんだが、何かの機会があればそういう店に入るのも悪くはないのだろう。それがいつになるかは分からんが。


「ミュイ、温まったら着替えておいで」

「ん」


 火に当たって暖を取るのもいいが、早めに着替えさせておく。

 魔術師学院の制服は結構いい生地なので、下手に汚したくはない。まあ剣魔法科の講義で多少なり汚れたり破れたりするだろ、というのはその通りではあるけれど、必要に迫られて汚すのと怠惰で汚すのでは雲泥の差がある。美意識、というほど上等なものじゃないが、その辺りの意識というのもしっかり根付かせてあげたいところ。


「ちゃんと畳みなよー」

「……分かってるよ」


 スープの中身を転がしながらミュイに声を掛ける。この子隙あらば脱ぎ散らかすからな。気持ち的には、どうせ明日も着るんだからわざわざ仕舞わなくてもいいだろう、みたいな感覚らしい。


 仮にも異性の前でそんなはしたない行動をとるんじゃないよと、以前それとなしに言ったこともある。しかしどうやら俺はその異性にカウントされていない様子だった。まあ義理の娘に欲情するほど下衆ではないつもりだけれど、そういう話でもないんだよな。

 恐らく、宵闇の下で動いていた時にはそんなことを気にする余裕も必要もなかったのだろう。一応今は真っ当な生活を送れているのだから、少しは気にしてほしいというのが正直な感想である。


 この辺り、俺とミュイの関係性だけじゃなくて社会的な云々が入ってくるから、家で教えるだけでは限界がある。どこかに良い手本があればと思うものの、わざわざそんなことを外部に頼むのもまた難しい。

 そういう意味では、魔術師学院の寮に入らせる方が良かったのかもしれん。フルームヴェルク領に遠征に出た時に一時的に入ってはいたが、その時は個室だったらしいし。

 子育てはかくも難しい。最初から簡単だとは思っちゃいないが、予想だにしていない問題が次から次へと湧いて出てくる。世のお父さんお母さんは凄いよ本当に。


「腹減った」

「もうちょっと待っててね」

「ん」


 着替え終えたミュイが台所に戻ってきて一言。まあ俺も腹は減ってるし、スープはもうすぐ出来上がるから、魚の調理に入るとしよう。

 えーっと、まずは内臓を取り除いておくんだったか。雑魚ならそのまま丸齧りでもいいんだけれど、このサイズだとそうはいかないんだろう。ワタの味にちょっと興味はあるが、わざわざ魚を売っていたおじさんの言葉に逆らう理由もない。ここは素直に言われた通り処理しておくか。


「よ……っと。あれ……?」

「へたくそじゃん」

「う、うるさいなあ……!」


 多分ここら辺だろうと当たりを付けてナイフを滑らせてみたものの、何だか上手いこといかない。とりあえず内臓らしきものは取り出せはしたが、絶対に食えるだろう部分も結構グチャついてしまった。

 うーむ、魚を捌くのって難しい。肉ならまだマシな出来になるはずなんだが、ろくに経験がないとこんなもんなのかな。ミュイも見ている手前、少し恥ずかしい気持ちだ。

 剣と同じように料理包丁が使えれば苦労はしない。それとこれは全く別のスキルなのである。


「……こっちは俺が食べるよ。よし、次こそは――」

「オッサン、貸して」

「ん? ナイフ?」

「うん」


 気を取り直して二匹目を捌こうとしたところ、ミュイがその作業に興味を持ったのか、俺の持つナイフを寄越せと言ってきた。

 うーん。まあ失敗しても全部駄目になるってことはないだろうし、これも経験のうちかな。実際俺が一発目を失敗しているから余計に止めておけとは言いづらい。


「気を付けてね」

「大丈夫だよナイフくらい」


 さしたる逡巡もなく、ミュイにナイフを渡す。さてさて、彼女のお手並み拝見といこうか。間違っても俺がデカい顔出来る状況じゃないんだけど。


「……んん」


 先ほどまで俺の作業を見ていたからか、魚の内臓がまとまっている部分に慎重に刃を滑らせるミュイ。

 ぷつ、と刃の先端が魚の肉を捉えると、彼女はそこから少しだけ手を動かし僅かな切れ目を作る。人差し指くらいの大きさで切れ込みを入れた後に今度は角度を変え、こそぎ落とすように中身をかき出していた。


「多分……こう……」

「おお、上手だね」


 切り落とすのではなく、かき出す。きっと俺の失敗を見て学んだのだろう。いや、俺も単純に切り落とすのはなんか違うなって思ってたけどね? 同じ失敗は俺もしないつもりだったけどね?

 まあそんな大人げない感情は隅に置いておくとして、ミュイのナイフ捌きは随分と様になっていた。野菜を切るのにも苦戦していたあの頃とは正しく雲泥の差である。これが成長というものか。


「……出来た」

「上手い上手い。ミュイは器用だなあ」

「……ふん」


 程なくして、綺麗さっぱりワタを抜かれた魚が出来上がった。うん、普通に上手い。本当に初めて魚を捌いたとは思えない出来栄えである。

 過去に盗みをやっていた事実から見ても、手先が器用なのは間違いないのだろう。ただ、その器用さを活かす下地が今まで窃盗以外になかっただけのことで。

 たとえそれが小さな才能であっても、それをちゃんと後ろめたいことなく、明るいところで発揮出来る環境というのは誰にとっても喜ばしい。料理のために魚を捌くだけであっても、だ。


「これ、結構得意かも」

「いいね。これから魚を手に入れたらミュイにお願いしようかな」


 野菜を切るのは苦手なのに魚は捌けるのかよ、なんて無粋な言葉はかけない。俺だって肉ならそこそこ上手く捌ける自信はあるけど魚はダメだったし、似たようなもんだろう。


「じゃあ後は串に刺して塩を振って、と」


 一匹目はともかくとして、二匹目は無事に用意出来たので焼きの工程に入る。とは言っても、後は言った通り適当に塩をまぶして火に当てるだけで調理もくそもあったもんじゃない。けれど、こういうのは何となく楽しくなるね。ただ鍋に具材をぶち込んで煮るだけとは異なる趣がある気がする。


「おー……」


 ぱちぱちと火に当たる音を楽しむことしばし。じわじわと魚の表面が焼けていき、同時になんとも食欲をそそる香りが漂ってきた。


「……美味そう」

「だね」


 まあ何と言うか、魚が一般に食えるものであることくらいは俺もミュイも知っている。しかしこうして目の前で焼くのは初めてだ。正直言ってかなり美味そう。なんとも魅惑的じゃないか、おさかなさんというものは。


「よし、他も準備しちゃおう」


 焼き魚の監視をミュイに任せ、十分に煮詰まったスープと付け合わせのパンを用意する。

 いつも通り何の代わり映えもない食卓ではあるが、そこに魚が一匹加わるだけで心なしか彩りが出ているように思えるから不思議だ。家でもこういう楽しみ方が出来るんだなと、今更ながら新たな境地を覗き見た気分でもある。


「ミュイ、魚の方は?」

「いい感じ」

「よしよし」


 食卓を整えている間に、焼き魚の方も無事に仕上がった様子であった。まあ塩振って火にかけただけなんだが。

 スープから漂う肉と出汁の香り、そしてそれとは趣の異なる魚の香ばしさ。うーん、匂いを嗅いでいるだけで更に腹が減ってきた気さえしてしまうな。


「いただきます」

「ん、いただきます」


 食前の挨拶を終えて、いざ実食。

 火に焙られてパリパリになった魚の皮ごとむしゃり。


「お、美味い」

「……うまっ」


 獣の肉とは明らかに違う食感と風味、そして旨味。それらがぎっちりと詰まっている感じがする。これは煮ても良い出汁が取れそうだ。あのおじさんの言葉はどうやら真実だったらしい。

 油分が少なくかなり淡白だが、そこにシンプルな塩のみの味付けがまたいいアクセントになっている。うーむ、これは酒が欲しい味だな。

 そしてこのサイズの魚でこれなら、もっと大振りで身の詰まった魚などはかなりの上物になるだろう。如何に輸送と保存のコストが掛かるとはいえ、この味なら市場で価格が高騰するのも頷ける。


「これは食が進むなあ」

「うまい」


 初めて口にする旨味にやられて、ミュイの語彙力がほとんど消滅している。こういうところも可愛いんだよな。今まではそういう感情の昂りをあまり露にしなかったが、最近はちょっとしたことでもちゃんと喜怒哀楽を表せるようになっている。実に嬉しい変化だ。


 この変化を楽しみつつ。そしてその変化が少なくなってやがて固まる時が、俺の下を離れて独り立ちする時なんだろうなと、ふと感じた。

 その時が待ち遠しいような、来てほしくないような。そんな微妙な感情は、多少時間が経っても変わらない。


「おかわり」

「ははは、今日の魚はこれだけだよ」

「……そうだった」


 お姫様はどうやら魚の塩焼きを余程お気に召したらしい。

 既に俺が口を付けているものをあげるのは流石に気が引ける。でも確かにおかわりを無心してしまう気持ちが分かるくらいは美味い。冬の間は市場にも出回るらしいから、今後も見かけたら積極的に買ってみようかな。無論、お値段次第ではあるけれど。


「また見つけたら買ってくるよ。安かったらね」

「……ん」


 食べ物は美味しいに越したことはない。誰だって不味い飯よりは美味い飯を食いたいのは不変の道理だ。

 その意味では、今回魚を購入した意義は十分にあったと言える。俺たちの調理技術が追い付いていない問題もあるにはあるが、たまにはこういう贅沢もいいだろうと思える一時であった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 鱗と鰓はどうしなのだろう?
[一言] 最初読んだとき、抱いてきた(いだいてきた)を抱いてきた(だいてきた)って読んでしまっておっさんがミュイちゃんに手を出してたのかと思っちゃったw
[気になる点] 食べ物に対してはやっぱり貴重なものっていう世界観というか価値観なんでしょうね。ある程度年齢が大きくなるまで魚を食べたことない人は絶対抜けない生臭さを苦手とします。アメリカや大きな大陸の…
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