第192話 片田舎のおっさん、話し込む
「お久しぶりです。奇遇ですね」
「いや本当にね。買い物かい?」
俺に気付いたスレナは一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐに態勢を持ち直した。この辺りの切り替えの早さはアリューシアにも通ずるものがあるね。二人ともそうなんだけど、何らかの事態に直面して焦ることはあれど、次の瞬間には少なくとも外面は整っている。俺には難しい芸当だ。
「ええ、冬物が大分傷んできたので、いっそ新調も視野にと」
「なるほどね」
声を掛けた時、スレナは厚手のジャケットを手に持ってその感触を確かめていた。きっと冬物の仕入れだろうと当たりを付けてみたのだが、どうやら正解だったらしい。
基本的に俺のような平民は、同じ服を長期間使うことが多い。単純に買い替えるための金が勿体ないし、修繕する方が安上がりだからだ。
その分新しく買う時は生地や縫製、値段なんかを吟味して少しでも長く使えそうなものを選ぶ。そもそも片田舎に住んでいると衣料品の仕入れにも苦労するので、一回のチャンスでなるべく長持ちしそうな服を選びたいわけだな。
これが都会に住む金持ちや貴族様だとまた違うんだろうけどね。聞く話によると、煌びやかな服を一回の夜会で使い捨てるような人も世の中には居るらしい。俺には到底信じられん話である。
で、スレナに関して言えば間違いなく金は持っている。ゼノ・グレイブル製の剣の製作費をポンと出してしまえるところからもそれは明らかだ。なんてったって冒険者の最上位だから、その収入は俺なんかよりも遥かに多いだろう。
ただ、だからと言ってむやみやたらに浪費しているようには思えない。今だってじっくり見極めようとしているから、とりあえず買うだけ買って後で考える、みたいなことはしない様子。
まあ彼女の場合、依頼や戦闘で着る服にもなるだろうから、その辺り妥協は出来ないんだろうけどね。
「先生も服を買いに?」
「うん。俺のもそうだけど、ミュイの分を考えなきゃいけなくて」
「ミュイ……ああ、あの」
「そうそう」
俺の返しに一瞬考える素振りを見せたスレナ。しかしすぐに思い浮かんだようで何より。まあミュイとスレナは一度シャルキュトリで会っているからな。あの時はスレナが随分とミュイを威圧していたが。
「彼女もまるきり幼子というわけでもないでしょう。わざわざ先生がやらずとも……」
「いやいや、そうはいかないよ。これでも後見人なんだから」
「……それはそうですが」
どうにもスレナの目から見ても、俺は少々過保護に映るらしい。
とは言っても、なかなか周りに参考に出来る人が居ないというのもあるしなあ。おやじ殿とお袋は俺の幼少時代どうだったかなと思い返してみるも、ほどほどに優しくほどほどに厳しかった、くらいの感想しか出てこない。
そもそも記憶が古すぎてしっかりと思い出せないし、何より俺が剣士を志すようになってからのおやじ殿は相当厳しかった。ミュイの教育方針について、あれを参考にするのはちょっと拙い。
結局、大した参考資料もないままぶっつけ本番でことに当たっているようなものだ。準備期間だって何もなかったし。ミュイを預かることになった結果に不満はないが、その経緯については未だにルーシーを一発しばいてもいいんじゃないかと思っている。やらないけどさ。
面倒を見るにしても、一応俺の中で優しいと甘いの区別はつけるようにしている。しかし、それもどこまで正しく線引きが出来ているのかはやっぱり怪しい。
俺の周り、子育てについて相談出来そうな人が少な過ぎる。ミュイの年齢で子育てというのも少し違うのかもしれないが。
「とは言え、今日は下見みたいなものだよ。やっぱり服は着る本人が選ばないとね」
「まあ、そうですね。私も人が選んだ服には袖を通しづらいですし」
こっちの理屈にはどうやらスレナも賛同らしい。彼女の場合は最高位冒険者という立ち位置もあるから、身なりには常人以上に気を遣うのだろう。
「……しかし、スレナは寒くないのかい」
「多少は我慢出来ますし、我慢出来ない時のための服ですから。それに、私はあまり着込むのが好みではないので」
「……まあ、単純に動きにくくなるしなあ。スレナの戦い方としても身軽な方がいいだろうしね」
「そういうことです」
言いながら彼女は、再び服の物色をし始めた。ちなみに店主さんはまさかブラックランクの冒険者がやってくるとは露ほども思っていなかったようで、先ほどから完全に空気に徹している。いや気持ちは分かるよ。
服にはその人個人個人の好みとかセンスとか、そういうものが出る。一方で、その個性の主張がまかり通らない時もある。スレナやアリューシアのような者はその機会が特に多い。
極端な話、もしスレナがめちゃくちゃ鎧が好きで、ばっちりプレートアーマーを着込みたいんですと言ったとしたら俺は多分反対する。それは彼女の戦い方に合わないからだ。そして自分の好みを優先して戦いに支障が出てしまえば、最悪死ぬ。
逆にロゼみたいな防御重視の人間に対してなら、しっかり着込んだ方がいいと言うだろう。
スレナの最大の武器は極めて高い機動力と、その機動力を長時間支えられるスタミナにある。あの儚い少女がどうしてこんなパワフル冒険者になったのか、その疑問は尽きないがそれはそれとして。
動き回る上に、防ぐというより躱すスタイルのスレナに鎧、それも重鎧は絶対に合わない。同様に、俺も金属鎧は身に着けたことがないし身に着けるつもりもないしね。状況に合わせた正装はするけれど。
「そういえば先生、その手の物は……」
「ああ、これ? 見ての通り魚だよ。珍しくて買っちゃった」
着こなしについての話題が一段落付いたところで、スレナが服を選ぶ傍ら、俺の持つ荷物に目を付けた。
さっき買った魚は紐で括って二匹を吊るして持ち歩いている形だ。気温が低いからこそ出来る持ち運び方でもある。まあこんなもんぶら下げて服を物色するなと言われたらその通りではあるんだが。
「バルトレーンでもそろそろ出回る時期ですからね」
「やっぱりそうなんだ」
この辺りの物流というか、世界の流れというか、そういうものについてスレナは恐らく相当詳しい。バルトレーンのみならず、各都市を色々と依頼で動き回っているらしいからな。
その分、同じ騎士団に居るアリューシアやクルニ、バルトレーンを拠点とするフィッセルらと比べて会える機会が格段に少ないのは痛し痒しといったところ。会いに行くにしてもギルドに居ないことが多いだろうし、ここでばったり会えたのは本当に偶然かつ幸運であった。
「ちなみにスレナは魚って食べたことある?」
「ありますよ。肉と違った風味は好きですが、小骨が多いのでやや食べにくさもあります」
「あー……小骨か、なるほど」
魚を捌いた経験がほとんどない俺と違い、スレナは流石に物知りである。肉は骨が分かりやすい上に、そもそも骨付きで市場に回ることがあまりない。同じ感覚でかぶり付くと痛い目を見そうだ。ビデン村では骨ごと噛み砕けるサイズしかいなかったからな。
「ありがとう、食べる時は参考にするよ」
「はい。これからの季節、飯処で魚が出ることもあるでしょうし」
「ふむ……」
言われてみれば確かに。安酒場などではなかなかお目にかかれないだろうが、それでも流通する以上、どこかの店でメニューとして出される可能性は大いにある。
あまり格の高い店に自分からは入らないんだが、今まで行ったところで可能性がありそうなのは、ルーシーに誘われた場所か、キネラさんに誘われた場所くらいか。うーむ、どちらも俺一人では足を運びづらい場所だぞ。ミュイを連れていくにしてもちょっと格式が気になってしまう。
「……ちなみにスレナはさ」
「はい?」
「魚が食べられて、ついでに酒も楽しめて、お値段そこそこで、あまり肩肘張らずに済む……みたいなお店に心当たりあったりする?」
大分無茶を言っている自覚はあるが、スレナに聞いてみたのはただ単純に店が知りたかったというだけではない。
バルトレーンに来てから、元教え子たちや新たに知り合った人たちと、ちょこちょこご飯を食べる機会はあった。ロゼは状況的に難しかったと言えど、それ以外の子たちとは大体一度は同じテーブルで飯を突っついている。
その機会が、スレナとはなかなか少ないことに気付いたのだ。彼女は彼女で忙しいし、活動する範囲が違い過ぎるので無理もないことではあろう。意識的に会おうと思っても会うのが難しい筆頭でもある。
そんな彼女と偶然とは言えこうしてばったり出くわしたのだから、彼女の迷惑でなければそういう交流も改めてしておきたいなと思うのだ。
同じ食卓を囲んだのは、偶然鉢合わせたシャルキュトリだけ。一回くらい、ちゃんと予定を立てて落ち着いて食事時を共にしたいと感じるのは多分、そうおかしなことでもないと思う。彼女の場合は特に、積もる話もあるだろうから。
「んん……あり、ますね。私もあまり格式ばった店は得意ではないので」
「ははは、スレナも苦手なんだね」
「ええ、まあ」
俺の返しに、彼女は少しばつが悪そうに苦笑を交えて答えてくれた。ちょっと恥ずかしい、みたいな感じだろうか。でも、俺としても彼女と同意見なのでそこはなんだか嬉しいね。やはり俺みたいな小市民に、高級な店はあまり馴染まない。
「もしよければ、そういう店も今度案内してほしいな。勿論、スレナの予定に目処が付けばでいいけど」
「! ええ、勿論です!」
「う、うん。ありがとうね」
あくまで予定に余裕が出来た時にでもどうかな、くらいの言い方をしたはずなのに、えらい食い付きようである。いやまあ、拒否されたり渋々対応されるよりは遥かにマシだけれども。
「今は決められないだろうし、庁舎……は来づらいか。うちの家に来るなり手紙でも」
「せ、先生の自宅に!?」
「ああ、うん、連絡にね……?」
「あ、はい」
見ている限り、スレナはアリューシアとあまり折り合いが良くない。となれば顔を合わせる可能性のある庁舎には来づらいだろうし、うちに直接来てもいいだろうと思っただけなんだけどな。
「あ、でもそういえば俺の家の場所って伝えてないような……」
「……確かに」
「じゃあ教えておくよ。中央区の――」
我が家の場所を伝えながら、ふと思う。
ルーシーとかフィッセルが既に来ているからついつい忘れていたが、思い返せば俺は新しい家のことを誰にも喋っていなかった。あそこは元々ルーシーの家だし、彼女に連れられてフィッセルがやってきただけに過ぎない。
アリューシアやヘンブリッツ君にすら伝えていない気がする。騎士団の人とは庁舎で日常的に会うから、わざわざ自宅を教える必要もなかったんだよな。
となると、俺から自宅の場所を伝えた初めての相手はスレナになるのか。別に家自体に特別な価値があるわけでもないし、何か大事なものを沢山保管しているわけでもない。住んでいるのも俺とミュイの二人だけだ。
ことさら秘匿する必要性は何もなかったんだけど、結果として誰にも伝えていなかった事実に自分自身ややびっくりしている。思えば昔っから田舎の道場が我が家だったから、他人に家の住所を教えるというのがひどく新鮮な行為にも感じた。
「では、いずれ手土産を持って伺います」
「いやいや、そんな気を遣わなくていいからね……?」
ふんすと鼻を鳴らしながら意気込むスレナ。こっちとしては逆にそれだけで意気込まれても困るんだけどな。俺もミュイも委縮しちゃうだろ。彼女のことだから、たかだか手土産にやたら金を掛けそうでちょっと怖い。
「それじゃ、買い物の邪魔をして悪かった。またね」
「あ、はい!」
俺は今日はあくまで下見のつもりだったのに対し、スレナはしっかり選んでいたから今日決めるつもりだったのだろう。それを偶然とは言えちょっと邪魔してしまったのはあまり良くない行動であった。
ビデン村と違い、バルトレーンは圧倒的に人の数が多い。それはつまり、顔と名前を知っている人より知らない他人の方が圧倒的に多いということだ。
そんな中で知り合いを見つけてしまったら、ついつい声を掛けてしまう。これが良いことなのか悪いことなのかは分からないままだ。いちいち出しゃばってしまうような迷惑おじさんにはなりたくないものの、いざ自分がそうなっていないかと自問すると少し自信がない、というのが正直なところ。
「……その辺りの立ち回り方も聞いておけばよかったかな……」
それに加えて、俺の知名度というか、そういうものは今後恐らく上がってくる。それはフルームヴェルク領へ遠征したことでよく分かった。となると、知り合いを見かけたからと言ってみだりに声を掛けるのも、もしやすればあまりよくないことなのだろうか。
その点、スレナやアリューシアなんかは俺がそうなる遥か前から有名人だ。立ち回り方なども心得ているに違いない。アリューシアはともかく、スレナとはあまり出会う機会がないから、折角ならそういう心構えも聞いておけばよかった。
いや、それこそ買い物の邪魔にしかならないか? うーむ、難しい。
「やれやれ、この年でも新たに学ぶことがいっぱいだ……」
別に自分が達観しているとまでは言わないが、仮にもいい年こいた大人がいつまでも情けない姿を見せるのも、ちょっと恰好が付かない。いやこれは今更感も大いにあるけれども。
ただまあ、そんな感情もバルトレーンに来なければ持ち得なかったものだ。単純な剣の腕以外にもまだまだ成長の余地がある、と前向きに捉えるとしよう。




