第191話 片田舎のおっさん、買い物をする
「よし、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
今ではすっかり慣れ親しんだ騎士団修練場での稽古。いつものように教練を一通り行った後に一区切り付け、一旦締めの挨拶を交わす。
時刻は大体お昼を少し過ぎたくらいかな。俺はいつも朝方に来て軽く身体をほぐした後、大体この時間帯で切り上げている。他の騎士は朝から引き続き鍛錬をしたり、逆に日が十分に昇ってから来る者も居たりとまばらだが、俺はアリューシアに連れられて特別指南役となってからずっとこのルーティンだ。
長くやりすぎるとかえって効率が落ちるし、そもそも俺の体力が持たない。ビデン村で生まれ育ってずっとこの生活リズムだったから、今更変える気にもならないしね。
このリズムをアリューシアもヘンブリッツ君も、他の騎士たちも尊重してくれている。なのでありがたく俺のやり方でやらせてもらっているわけだな。
「うお、寒……っ」
木剣を預けて一度外に出れば、肌に感じるのは随分と冷めきった風であった。
暑さに茹だる夏が終わり、過ごしやすい秋の季節がやってきたかと思えば、もうすぐそこに冬の息吹が近付いてきている。皆と汗を流している時はまったく気にならないものの、こうやって動くことをやめて外の空気に当たれば否応なしに季節の巡りというものを感じさせるね。
ビデン村で過ごしていてもバルトレーンで過ごしていても、夏は来るし冬も来る。当たり前だ。レベリス王国から思いっきり北の方や南の方に行ってみれば違うのかもしれないけれど。
バルトレーンで過ごす冬は初めてだが、周りの人に聞く限りではそう雪が積もったり寒波がやってきたりすることは少ないらしい。とは言え、何も対策せずに呑気に過ごせるほどでもないので、それなりの防寒対策は必要だ。
俺の場合はビデン村から持ってきた愛用のコートがあるし、騎士団では支給される冬用のコートもあるらしい。加えて、ただ家で過ごすだけでも寒いからこの季節は木材の消費が激しくなる。
俺一人ならなんとか我慢すればいいんだけど、今はミュイも居るからその辺りの対策はしっかりしておかねばならない。実際、今俺の家には結構な量の木材が備蓄してある。昼間はともかく、夜は火を起こしていないと結構つらいのだ。
「今度ミュイの服も買いに行くかな」
呟きとともに、白い息が立ち上る。
イブロイから贈られた箱には衣類も入っていたが、ばっちり冬に着込めるようなものは流石に入っていなかった。まああれを貰った時はまだ季節が夏前だったし仕方がないと言えば仕方がない。そもそも頼りにするのも何か違う気がする。ので、彼女にはこの冬をしっかり越せるような服も買い揃えてあげたいところ。
一応、魔術師学院の方でも制服の上に羽織るコートを支給されているのだが、それ一枚では何かと不便だろうしね。本格的に冷え込む前にその辺りの準備もしておこう。
「お疲れ様です」
「やあベリルさん、お疲れ様です。今日は冷えますねえ」
「いや本当に。お互い体調には気を付けましょう」
騎士団庁舎の中庭を抜け、正門前へ。すっかり顔馴染みとなった守衛を務める守備隊の方と挨拶を一つ。
彼ら守備隊も普段は薄手のマントを羽織っているのだが、この季節では流石に薄皮マント一枚は厳しいらしく、しっかり厚手のコートを羽織っての職務遂行である。
他方、町模様も冬景色に染まったかと言えば案外そうでもなかったりする。雪でも降れば違った趣があるかもしれないが、露店はいつも通り出ているし、活気自体は春も夏も秋も冬も特には変わらないようだ。町行く人々の服装は順調に変化しているけどね。
ビデン村なんて、冬の息吹が聞こえ始めると皆一様に引き籠っていたもんだが、流石都会は違う。単純に人口が多く店も多い上に、酒場だったり夜の店だったりの娯楽もあるから年中賑やかだ。前者はともかく、後者に入ったことはないけれど。
「ふむ……」
このまままっすぐ家に帰るのでもいいが、折角だしちょっと西区の方にも寄ってみよう。というのも、ミュイを連れて服を買いに行くのなら下見くらいはしておこうと思ったからだ。
常日頃からお買い物でお世話になっている西区ではあるものの、その中心は食べ物関連である。俺もミュイも必要以上に着飾らないから、日用品以外をわざわざ買いに出かけることはほとんどしない。
そして立ち寄らないと、そういう店の場所や品揃えが分からない。過ごしやすい季節ならまだしも、この寒空が続く中でミュイを連れまわすのもなんだかなあという感じなので、西区で何か買って小腹を満たすついでに、ちょっくらそれっぽい服飾店でも探しておくか。
「らっしゃい! 安いよー!」
そんなことを考えながら西区の方へ足を延ばすと、聞こえてくるのは威勢のいい商売人の声。中央区とはまた違った趣の騒がしさである。
あっちは単純に賑やかだが、こっちの方はちょっと喧しい要素が加わってくる。売って買っての場所だから、騒がしいのは恐らく良いことなのだろう。四六時中うろつくとなると少し耳に悪そうだけどね。
「兄ちゃんどうだい、今なら魚が入ってるよ」
「えっ」
軒先に並べられた食材やらなにやらを眺めつつ歩いていると、ガタイの良いおじさんに声を掛けられた。
声に釣られて売り場を見てみると、本当に魚が並んでいる。正直に言ってかなり珍しい光景であった。
「魚かあ。珍しいね」
「なんだ兄ちゃん、バルトレーンは初めてか? これから増えるぜ、寒くなるからな」
「ああ、なるほど……」
以前ルーシーに聞いた話では、魚介類は保存と輸送の問題で新鮮なものは本当に滅多に出回らない。出回ったとしても恐ろしく高価であるという。そしてその保冷と輸送に魔術師がかかわっているということも。
やはり海の生物を運ぶには鮮度が大きなネックとなるらしいが、こと冬となるとちょっと事情が変わるようだ。
ビデン村じゃ真冬でも魚なんてありつけなかったから、結構興味はそそられる。村に川は走っているものの、魚はほとんどいないんだよな。居たとしても多分、上流の方でアフラタ山脈の動物やら魔物やらに全部持っていかれてるんだろう。せいぜい丸々齧って飲み込めるような小魚しかいない。
「……当たり前だけど肉に比べると高いね」
「そりゃあな。海からこっちまで運ぶ手間があるからな」
多分、同じサイズで量ったら二倍か三倍はお値段が変わるんじゃないだろうか。それくらいには高級品だが、裏を返せば肉の三倍程度の値段で魚が手に入るということでもある。金ですべてが解決するとは思っちゃいないけれど、多少の金で解決出来るという事実は大事だ。
「調理は?」
「焼いてもいいし煮てもいい。ただし煮る場合は身が崩れやすいから気を付けろ。それと、肉と同じでモツはちゃんと抜いておけよ。あと分かっていると思うが保存は利かん。今日中に食べちまうのがいいだろうな」
「ふーむ」
おじさんが結構丁寧に説明してくれた。恐らくここで売り逃したら自分で食べるか最悪捨てなきゃいけないから、向こうも商売に必死なんだろう。何となく気持ちは分かる。
物珍しいし食指が動くのも事実だが、今日中に消費すべきとなるとあまり量は買えないか。干物とか燻製とか、保存の利く状態にするのも不可能ではないだろうが、素人がやってもあまり良くない未来しか見えない。
「……じゃあ、そこの二匹を貰おうかな」
「毎度!」
肉に比べれば確かに若干躊躇しそうな金額。しかしその程度であればスッと出せてしまう己の収入がちょっと憎いぜ。いや憎いは言いすぎたな。むしろ感謝である。
まあそういうわけで、手のひらより少し大きい程度の魚を二匹ほどご購入となった。俺とミュイで一匹ずつの計算だ。主食とするにはやや小ぢんまりとしているから、話のネタとして一品出しておく、くらいの塩梅になるだろう。
ミュイなんてほぼ間違いなく魚を口にしたことすらないはずだからね。どんな反応が返ってくるのか、ちょっと楽しみである。
問題は調理だけど、まあ無難に塩焼きでいいかな。取れる出汁にも興味はあれど、このサイズで二匹だと十分な味気が出るかは微妙なところ。煮ると身も崩れるっぽいし、やはりここは焼き一択だろう。
「思わず買っちゃったな……」
本来は西区の服飾店を下見する予定だったのに、つい流れで生鮮食品を買ってしまった。自分の計画性のなさにちょっぴり凹みつつも、とりあえず最低限は調べておこうと足早に西区を歩く。
服を買うと言えば、直近ではアリューシアに連れられてジャケットを買いに行った出来事が思い出される。
あの時は中央区のやたら小洒落た店に入って結構な金額を払ったが、今回の目的はオシャレではないからな。寒さを凌ぐという主目的を満たすためだから、店の格だとか店構えだとかはあまり考慮していない。とりあえず服を売っている店を見つけたらチェックしておくくらいである。
「お、あそこも良さそうだ」
そうやって意識しながら西区をずんずんと進むと、案外そういう店は多い。無論、装飾品がメインだったり靴がメインだったりと、微妙に目的からずれている店も多いが、店数自体はそこそこ見受けられた。
季節柄、冬物を取り扱っていないということもないだろうし、これならちゃんと服を扱っている店さえいくつか見繕っておけば、そう失敗はしなさそうである。流石、バルトレーン最大の大市場の看板に偽りなしといったところか。
ただ俺自身のセンスというか、そういうものがあまりよろしくない自覚はあるので、俺の判断で買い与えるのは出来れば避けたい。ミュイのお気に召さない可能性も十分にあるからな。
しかし、初めて西区に訪れた時はあまりの活気と店の多さに目を回していたもんだが、人間住めば都とはよく言ったもので、俺もいつの間にか随分とこの土地に馴染んできた気がする。今では西区を回っていても、相変わらず賑やかだなあ程度の感想が漏れるくらいで、目を回すことはなくなった。
これも一種の成長……成長なのか? よく分からん。ただ、慣れてきたという表現は間違いではないだろう。その意味では成長と捉えてもいいのかもしれないが、いい年こいたおっさんが「都会でも目を回さなくなったぞ」と宣ってもなんの自慢にもなりゃしない。言っても自分が虚しくなるだけである。もっと他にも自慢出来ることを増やしたいものだ。別に誰かに己の半生を自慢したいわけでもないけどさ。
「お、あそこも……あれ?」
いくつか候補を選び出し、脳内でミュイを連れて歩いた時の想定をしながらあるくことしばし。
やや周囲の圧に押され気味ではあるものの、がっつり冬に着るようなアイテムを所狭しと並べている、推定良店を発見し。
どんなもんかと詳細を一目見ておこうと近付いてみたところ。
「……先生!?」
「スレナじゃないか。奇遇だね」
恐らく俺と目的は同じであろう、厚手のジャケット類を手にしつつ頭を悩ませているスレナとばったり出くわした。
そりゃあの恰好で年中過ごすには些か寒過ぎるだろうしな。おじさんお腹を冷やさないか地味に心配してたんだよ、本当に。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
というわけで第七章開幕です。今年ものんべんだらりとお付き合い頂けますと幸いです。
また、書籍最新第7巻が先日の1/6発売となっておりますので、こちらもぜひお手に取っていただければと思います。




